2007年6月30日掲載
『列車まかせの旅』小旅行記第11弾(2004年8月1日)


第1部:「ちょっとこだわりの路線」その19/JR加古川線(電化前)

 今回は、小旅行記第9弾で乗車を果たせなかったJR加古川線と、同線から分岐する第三セクター
鉄道の三木鉄道、北条鉄道を乗り潰します。

 特に、この「旅」当時は非電化であった加古川線は、来年(2005年)春に電化開業が予定されてお
り、今回の乗車は個人的に非電化時代最後のメモリアル乗車となります。(そう言やぁ小浜線でも同
じ事やったな(^^;)

 で、「旅」当日。その日は台風10号が通過した翌日でした。何とも間抜けな事に、のっけから大
阪10:45発の新快速を10:54発と勘違いして乗り遅れ、早くも行程が崩壊してしまいました・・・。(^^;

 今回の行程では、加古川線の西脇市←→谷川間の列車が日中は2〜3時間に1本と極端に少ないた
め、そこまでの列車を1本でも乗り遅れるとプラン全体が大幅に遅れかねないのです。

 とは言え、まだ諦めるには早い時間帯なので、次の11:00発の新快速で、とりあえず加古川まで行
きましょう。

 まずは加古川線の厄神駅まで行くのですが、同線の駅は、たぶん自動改札化されていないでしょう
からICOCAは使わずに切符を購入しました。

 大阪駅に到着する姫路行の新快速3227Mです。車両は
223系。予定では、この列車に乗るはずではなかった
のですが・・・。
【大阪府・大阪駅】

 相変わらず、そこらの特急を凌ぐ走りっぷりで驀進する新快速は、47分で加古川駅に到着しまし
た。新快速から降りて加古川線のホームに行くと、12:10発の厄神行が停まっていました。ちょうど
厄神に行くので私は同列車に乗り込みました。

 加古川駅に停車中の厄神行・普通337Dです。車両
はキハ47系の2両編成で、エメラルド・ベースの、い
わゆる加古川線色塗装です。
【兵庫県・加古川駅】

 加古川線は、加古川から福知山線の谷川駅間を結ぶローカル線です。列車の運行形態は、加古川←
→西脇市間は1時間間隔で運行されていますが、その先の西脇市←→谷川間は日中は2〜3時間間隔
と激減します。

 これに加え加古川←→厄神間の区間運転列車が1時間間隔で運行され、さらに平日の朝夕には加古
川←→粟生間の区間列車が加わります。

 ローカル線でありながら加古川←→厄神間の列車密度が比較的高いこと、来年には全線が電化され
ることからして、加古川線の利用者は、そこそこ多いようですな。

 車内で発車を待ちながら、私は携帯電話で列車ダイヤ検索サイトにアクセスして行程を練り直しま
した。何とも便利な世の中になったものですなぁ。

 12:04に対面ホームにキハ40の単行列車が到着しました。この列車は厄神からの普通336Dで
しょうか?

 我が普通337Dは定刻に加古川から発車、私のいる車両の乗客は、わずか9人でした。最初の停
車駅日岡で3人降り、次の神野では2人降りて、加古川から12分で列車は終点の厄神に着きました。

 ここで三木鉄道に乗り換えます。三木鉄道に乗り換える乗客は、降りる際に切符を運転士に渡すと
の事でした。

 厄神駅のホームは2面3線で、1、2番線がJR用、3番線が三木鉄道用でした。乗り換える三木
鉄道の列車まで時間があったので、私は缶コーヒーを調達するため陸橋の階段を昇りました。

 階段の上にこじんまりした有人改札があり、その傍らに飲料水の自販機がありましたが、見たこと
もないブランドです。いわゆる「地ブランド」ってやつですな。

 兵庫県神崎郡香寺町にあるキンキサイン鰍フ『ブレンド・コーヒ
ー』です。何ともシンプルなネーミングですな。コクと渋みがあり
甘さは控えめでした。


第2部:「ちょっとこだわりの路線」その20/三木鉄道

 三木鉄道は、1985年に国鉄三木線を転換開業した第三セクター鉄道です。路線は三木←→厄神間6.6
キロの1路線です。

 三セク鉄道として再スタートは切ったものの、三木市から加古川線方面への利用者は少なく、三木
駅も市街地からも市役所からも離れた位置にあり、アクセス面でいささか不便でした。

 これに対し、市街中心近くには神戸方面との路線を持つ神戸電鉄の三木駅があり、三木市の利用者
は、もっぱら神戸電鉄を利用していたようです。

 缶コーヒーを手に2/3番線ホームに降りて観察して見ると、加古川線のホームは電車対応のため
嵩上げ工事が施されていました。

 また、三木鉄道列車が着発する3番線ホームを見ると、陸橋の出入口から加古川方は、すべて柵で
仕切られており、線路には近づけないようになっていました。

 2/3番線ホームは島式なので加古川線、三木線のホームは同じ長さなのですが、三木鉄道の列車
が単行運転が基本でありホームの三木方の一部しか使っていないため、余長部分の転落防止か何かで
柵を設けたのでしょう。

 ホームのベンチに座ってコーヒーをチビチビ飲りながら待っていると、まず2番線に加古川線の加
古川行列車が到着し、続いて3番線に三木鉄道の列車がやって来ました。 

 厄神駅に停車中の三木鉄道・三木行131列車(左)
です。車両は三木鉄道の軽快気動車ミキ300形。三木
線用ホームは1両分の長さしかありませんでした。右に
停まっているのは加古川線の加古川行列車。
【兵庫県・厄神駅】

 ホームに着いたミキ300はピカピカでした。開業当時は2軸のレールバス・タイプの車両を使っ
ていたのですが最近、交代させたのでしょうか?

 ミキ300形の車内の様子です。ボックス・シート主
体のセミクロス配置です。
【三木鉄道・131列車車内】
 窓は上昇式で遮光はカーテンです。ボックス・シート
を含め、座席は現在主流のバケット・タイプです。
【三木鉄道・131列車車内】

 ガランとした車内で待っていると、加古川線列車から5〜6人が乗り換えて来ました。三木鉄道の
利用者は多くなく経営は厳しいと聞いていたので、ま、乗車率はこんなもんかと思っていたら、意外
や、その後も次々と乗客が現れ、結局、12人で厄神から発車しました。

 この「旅」当時の私は、まだ沿線観察などは、やっておらず、ただ乗っているだけでした。私の横
のボックスには中学生ぐらいの男子1人と女子2人が座っていましたが、その彼らからは、

 「さすがローカル線やな、バスみたい」

 「それにしちゃ車両キレイやね」

 「採算取れてんのかな?」

などの会話が聞こえて来ました。どうやら彼らは遠方から来た「ゲスト乗車」のようですな。案の定、
姫路からの運賃清算はどうすればいいのだろうと心配していました。

 ローカル線らしく駅間は短く、次々に停車する駅のホームに人影はありませんでした。待ち客のい
ない駅では列車はドアすら開けず、数秒停まっただけで発車して行きます。

 結局、高木駅で2人降りた以外は途中駅での乗降はなく、列車は厄神からわずか13分で終点の三
木駅に到着しました。

 三木鉄道の三木駅です。国鉄三木線時代からの古い駅
舎が今でも現役で使われています。平屋ですが、そこそ
こ大きいのは、やはり起終点駅だったからでしょうか?
鉄道ファンからすると、このような古い駅舎は「いい駅
舎」なのですが、一般の利用者からすると、ただの古い
駅舎なんでしょうな。
【兵庫県・三木鉄道・三木駅】

 三木鉄道の三木駅前には商店もなく閑散としていました。折り返しの列車が出るまで40分ほど時
間があったので、とりあえず駅前の道を行ってみる事にしました。

 400メートルほどで川に出ました。この川は加古川の支流の美嚢川で、対岸には三木の市街地が
見えました。確かに駅からこれだけ離れていると少々不便ですな。

 時間が余りないので川向こうに行くのはやめて横道を入って見ると古びた家屋が多い歴史ある町並
みでした。

 駅に戻って改札を入り構内を観察して見ると、ミキ300形が3両停まっていました。開業当初か
ら使用していた2軸レール・バスのミキ180形は全部退役してしまったのでしょうか?

 三木駅構内の様子です。ホーム左側の2番線はラッシ
ュ時対応用に1999年に増設されたものなんだそうです。
右の1番線に停まっているのが、これから乗る厄神行の
132列車です。その右奥の車庫内にもミキ300が1
両収まっていました。
【兵庫県・三木鉄道・三木駅】
 車内を見渡して見ると、運転室の仕切壁の上方に造花
(?)が飾られていました。天井のエアコン吹出口には
風鈴が吊り下げられており、三木鉄道社員によるさり気
な気配りが垣間見えます。
【三木鉄道・132列車車内】

 ガランとした車内で発車を待っていると、発車40秒前になって運転士がスタフを持って登場しま
した。厄神行132列車は乗客3人で三木から発車。

 途中、西這田で小学生くらいの子供2人、石野でおじいさん1人が乗り列車は終点の厄神に到着し
ました。

 降りる時になって気づいたのですが、ミキ300の車内には雑誌の入った籠と車椅子用の歩板が置
かれていました。

 厄神駅に到着する西脇市行の普通1337Dです。車両は
キハ47形の2両編成でした。左側には姫新線色の加古
川行列車が停車中。
【兵庫県・厄神駅】

 普通1337Dはワンマン列車なので、1両目の後ろドアから整理券を取って乗ります。車内を見ると
乗客は10人ほどでした。

 席に座り、<エアコンの効きがイマイチやな・・・>、などと考えていると、発車してすぐ検札が
来ました。え?ワンマンじゃないのか?

 列車は途中、市場、小野市の2駅に停車し、厄神から13分で粟生に到着しました。ここで北条鉄
道に乗り換えます。

 普通1337Dからホームに降りると、構内には加古川線の上下列車に北条鉄道車、神戸電鉄の列車が
集い賑わっていました。

 3社の列車4本が集う駅だと言うのに、なぜか粟生は無人駅なのです。これは、やはり同駅自体の
乗降数が少ないからなのでしょうか?


第3部:「ちょっとこだわりの路線」その21/北条鉄道

 次に乗る北条鉄道は、1985年に国鉄北条線から転換開業した第三セクター鉄道で、路線は粟生←→
北条町間13.7キロの1路線です。

 2面3線(プラス神戸電鉄1線)のホームを持つ粟生駅で、北条鉄道はJR加古川線の西脇方面行
2番線の対面となる3番線から発着します。私は3番線で待っていた北条町行の625列車に乗り込
みました。

 粟生駅3番線に停車中の北条鉄道・北条町行625列
車です。車両は同鉄道で最新鋭となる軽快気動車のフラ
ワ2000形。
【兵庫県・粟生駅】
 フラワ2000形の車内です。先に乗った三木鉄道のミキ
300形と、ほとんど同じ内装ですな。
【北条鉄道・625列車車内】

 三セク鉄道用の軽快気動車は仕様を標準化する事により製造コストを抑えるのが目的であるため、
どこの三セク鉄道でも車両は似たり寄ったりで面白みに欠けてしまうのですが致し方ないですな。

 625列車は乗客7人で粟生駅から発車。車内はエアコンが少々効きすぎていました。4分で最初
の停車駅の網引に到着。ここでは1人降りました。

 網引→田原間の沿線風景です。ローカル線らしく田ん
ぼが広がっています。
【北条鉄道625列車の車窓より】

 田原の停車を挟んで法華口に到着。同駅の駅舎は古く、その傍らの空地には枕木が山積みされてい
ました。枕木の山の間では北条鉄道の職員が作業中で、その職員に運転士が声を掛けました。

 次の播磨下里では女子高生が1人乗車。北条鉄道の列車は、待ち客の有無に関わらず駅に停まる度
に前後のドアを開けていました。

 同駅を出ると左手に採鉱場みたいなものが見えました。続く長(おさ)、播磨横田での乗降はなく、
粟生から22分で終点の北条町に到着しました。

 北条町駅に到着した625列車(右)です。左の留置
線には開業当初から使用されている2軸レール・バスの
フラワ1985形が停められていました。JRの一般型気動
車より小型の軽快気動車であるフラワ2000形よりも、フ
ラワ1985の方がさらに小さいのが分かると思います。
【兵庫県・北条鉄道・北条町駅】

 フラワ1985について少し述べますと、通常の鉄道車両はボギー車と呼ばれ2軸の台車を車両前後に
備えた4軸車であるのに対し、フラワ1985は乗用車と同じ車両前後に1軸ずつの2軸車です。

 かつては、名鉄の閑散線区、南部縦貫鉄道、くりはら田園鉄道、樽見鉄道、三木鉄道、近江鉄道、
有田鉄道などで使用されていた2軸車も、私が知る限り今や現役で残るのは北条鉄道のフラワ1985形
1号車と同社のフラワ1985形2号車を譲り受けた紀州鉄道のキテツ1形ぐらいになっており、非常に
貴重な車両なのです。

 目の前のフラワ1985もホーム横の留置線に置かれているのは現役で使用されているためだと思いま
すが、北条鉄道には新しいフラワ2000形が2両あるので、毎時1本のダイヤだと、それで充分まかな
えるはずであり、フラワ1985の出番が、いつあるのかは分かりません。

 垂涎の2軸レール・バスを目の前にしながら私が出来る事は写真を撮るぐらいでした。あ〜、乗り
てぇなぁ・・・。

 北条鉄道の北条町駅です。駅周辺の再開発に合わせて
2001年に駅舎も近代的なものに建て替えられました。
【兵庫県・北条鉄道・北条町駅】

 北条町駅の駅周辺は綺麗に整備されており、駅と道路を挟んで北側には、コープ、加西市立図書館、
ねひめホールなどが入る巨大な複合施設ビルが建っていました。

 今回の「旅」の当初行程では、ここ北条町で1時間のインターヴァルを設けていて周辺を散策する
つもりだったのですが、それを10分で切り上げて14:40発の粟生行626列車に乗ります。これで
当初の予定列車に追いつきました。

 626列車は乗客10人で北条町から発車しました。ローカル線列車と言えば年配の乗客が定番な
のですが、意外な事に乗客の半分は若者でした。

 列車は途中、長で2人、法華口で1人、田原で2人、網引で1人を乗せ、終点の粟生に到着しまし
た。今度は構内に他の列車の姿はありませんでした。

 ホームに降りると、フラワ2000の写真を撮る兄ぃちゃんがいました。写真を撮り終えると彼は列車
に乗り込んで行きました。

 ホームで加古川線の谷川行を待っていると、まず加古川行の列車が到着し、続いて谷川行、神戸電
鉄の列車が到着し、再び粟生駅は4本の列車で賑やかになりました。

 粟生駅に到着した谷川行の普通1339Dです。車両は、
なぜか姫新線色塗装のキハ40形単行でした。
【兵庫県・粟生駅】

 普通1339Dは乗車率60%程度で粟生から発車しました。ボックス・シートには、すべて1人以上
の乗客が座っていたので私はロング・シートに座りました。

 列車は途中、河合西、青野ヶ原、社町、滝野、滝に停車し、粟生から23分で西脇市に到着しまし
た。列車は、ここで18分停車します。

 とある駅で見掛けた植木鉢(?)には、「300万人
乗車大作戦」と書かれたプレートがありました。普通、
このような運動は廃線を回避するために行われるもので
すが、加古川線の場合は電化を望んでの事でしょう。も
しそうであれば目的は見事に達成されたわけです。
【JR加古川線・普通1339Dの車窓より】

 ここでは乗客の3分の2が下車。車内に残っている乗客を数えて見ると12人いました。ボックス
・シートが空いたのでそちらへ移りました。

 ホームを見ると、デカいカメラを抱えた少年が動き回っていました。15:42、加古川行の普通1344D
が先に発車。

 15:50に西脇市から発車。ここからは列車番号が1339Dから2331Dに変わります。車窓から見える西
脇は、そこそこ大きな町でした。2分で次の新西脇に停車。駅名が示す通り、この辺りは、まだ西脇
のエリア内です。

 比延の停車を挟んで日本へそ公園に到着。同駅の東側には、日本へそ公園が広がっています。ここ
が日本の中心って意味なんかな?

 日本へそ公園を後にした列車は、黒田庄、本黒田、船町口、久下村の各駅に停車し、西脇市から3
1分で終点の谷川に到着しました。

 途中駅での乗降は多少あったものの、乗客数には、ほとんど変化はありませんでした。到着した列
車の車内には大荷物をボックス・シートに置いて爆睡していた女性がいましたが、谷川に着いて目覚
めると大慌てで降りて行きました。途中の駅で降りそびれたんかな?

 谷川駅の加古川線ホームに到着した普通2331Dです。
ホームでは鉄道ファンらしき兄ィちゃん2人が列車の写
真を撮っていました。列車の頭上には、すでに完成して
いる電化設備の架線が通っています。この記事を書いて
いる時点では加古川線は電化開業から2年が経過してお
り。もはや谷川で気動車を見る事は出来ません。
【兵庫県・谷川駅】

 これで今回の目的乗車は完了です。そんでは大阪に帰りましょう。福知山線の大阪向ホームに移動
すると、加古川線で見掛けた鉄道ファン2人がいました。

 谷川駅に到着する福知山線の篠山口行・普通2538Mで
す。車両は117系。同車両は当時、福知山線では大阪
←→福知山間の長距離快速や、篠山口以北で普通列車と
して使われていましたが、現在では、快速仕業を後輩の
221系に、普通列車仕業を113系3800番台車に譲り
他の線区に転出して行きました。
【兵庫県・谷川駅】

 到着した117系には、手でドアを引き開けて乗り込みました。かつては京阪神地区で新快速を張
っていた車両だけに、このような手動ドア運用などは考えとらんかったんですな。

 発車するとすぐに検札が来ました。これは無人駅乗車客に対応するためか? 何だか分かりません
が、検札をしていた車掌が、おっちゃんから文句を言われていました。おっちゃん、整理券でも取り
忘れたんかな?

 規則上は整理券が無いと始発駅からの運賃を請求する場合もあるとの事ですが、私も無人駅から乗
車した際に下車した駅の改札で何度か乗車駅を自己申告して精算した事がありますが、トラブった事
は一度もありませんでしたな。

 谷川を出ると福知山線は篠山川が流れる渓谷を走ります。福知山へは、仕事で何度も福知山線を利
用して移動しましたが、沿線風景をまじまじと見たことはありませんでした。改めて見るとなかなか
良い眺めですな。20分で終点の篠山口に到着。ここで快速に乗り換えます。

 篠山口駅に停車中の大阪行・快速2770Mです。車両は
117系の後輩で、先代新快速を務めた221系です。
【兵庫県・篠山口駅】

 発車して10分ほど走ったところで、なぜか列車は本線上で停まってしまいました。放送によると、
この先の踏切で非常ボタンが押されたとの事。

 ったく、小旅行記第9弾の時も特急が遅れたせいで乗っていた普通列車が巻き添えで遅れ、谷川で
乗り換える予定だった加古川線列車に置いてけぼりを食ったし、福知山線に乗るとトラブってばかり
やな。

 3分ほど停まって動き出したものの、すぐまた停車。しばらくして動き出すと、また停車。すぐ脇
の道を自転車で走って来た男子高生が、本線上で停まっている列車を不思議そうに眺めていました。

 前方に目をやると、たぶん前の踏切を渡ろうとしているのでしょう、線路の方を向いて車が止まっ
ていました。

 たっぷり4分停まってから動き出すと、ゆっくり踏切を通過。周囲には先の車が1台見えるだけで
あり、非常ボタンを押した当事者は、どうやら立ち去ったようですな。

 踏切で立ち往生したが首尾良く脱出できたのならば腹も立ちませんが、単なるイタズラやったら、
しばき回すところです。

 徐行で踏切を過ぎると下り列車が停まっていました。
この列車は篠山口行の丹波路快速2734Mか?
【福知山線・快速2770Mの車窓より】

 その後はトラブルもなく我が快速2770Mは大阪駅に到着しました。やれやれ。

 これで加古川線の電化前メモリアル乗車は完了です。電化開業した暁には、また乗りに行くとしま
しょう。

 『列車まかせの旅』小旅行記第11弾、おわり。


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