2008年1月3日掲載
『列車まかせの旅』小旅行記第12弾(2005年4月16日)


「旅」の目的

 今回の「旅」では、滋賀県の琵琶湖東岸側に路線を持つ私鉄の近江鉄道と、第三セクターの信楽高
原鉄道に乗りに行きます。


第1部:「スイッチバッカーへの道」その3/JR関西本線・中在家信号場

 ・・・と、言う事で、まずは近江鉄道に乗るべく、滋賀県の米原まで移動しますが、いつものよう
に東海道本線の新快速でサクっと行ってもつまらないので、JR草津線の乗り潰しを兼ねてJR関西
本線→草津線経由で行く事にしました。

 その移動の道中で、「スイッチバッカーへの道」シリーズを増やすため、関西本線にある中在家信
号場のスイッチバックを体験しておく事にしました。

 ただし、同信号場でスイッチバックする列車は、ごく一部であり、信号場は停車駅でもないため時
刻表には、その該当列車の記述もありません。

 しかし、どんな趣味の世界にもマニアな雑誌はあるもんで、鉄道雑誌にも、ちゃんとスイッチバッ
クの特集があり、その記事に中在家信号場でスイッチバックする列車の見分け方がちゃんと書かれて
いました。

 曰く、関西本線の柘植←→加太間にある同信号場でスイッチバックする列車は、同区間を走行する
他の列車より所用時間が長いとの事でした。

 それを参考にして時刻表をめくって見ると、柘植→加太間の所要時間はだいたい10分でしたが、
中に14〜16分掛かっている列車が3本ありました。たぶんコレがそうですな。

 それらの中から、私はいちばん早く出る加茂発8:18の亀山行230Dに決めました。では出かけま
しょうか。

 「旅」当日の朝は少々冷えたので、ダウンのインナー付きブルゾンを着ました。大阪6:34発の大阪
環状線内回り1329列車は乗車率50%ほどで大阪駅から発車。20分ほどで天王寺駅に到着。ここで
関西本線に乗り換えます。

 天王寺駅に到着した大阪環状線・内回り1329列車。車
両は103系のリニューアル車です。
【大阪府・天王寺駅】
 天王寺駅に到着する関西本線・加茂行・普通1718Kで
す。車両は221系。
【大阪府・天王寺駅】

 関西本線で運用される221系は、てっきり快速用と思っていたのですが普通列車にも使われるん
ですな。普通1718Kは乗車率110%ほどで天王寺から発車。

 2駅目の平野では乗客の4分の1ほどが降りました。志紀ではオレンジの環状線色塗装の103系
快速と対向しました。最近は奈良線色の列車が環状線に乗り入れたりしているし、路線別の塗装使い
分けは、やめたんかな?

 王寺では制服の学生がドっと乗り込み、乗車率は200%ほどになりました。そう言やぁ通学時間
帯でしたな。

 列車が奈良に着くと乗客は、ほとんど降りて、我が車両の乗客は、たったの5人になりました。こ
こから加茂方面に行く人は、やはり少ないようです。

 奈良を出た列車が、京都方面との乗換駅である木津に着くと、とうとう私ひとりになってしまいま
した・・・。木津から6分ほどで終点の加茂に到着。

 加茂駅の周辺は郊外の町並みでしたが、大きなマンションがいくつも建ち、ベッドタウン化が進ん
でいるように見えます。周囲の開発に合わせて駅も綺麗に改装されていました。

 加茂駅に停車中の関西本線・亀山行・普通230Dで
す。車両は軽快気動車のキハ120形2両編成。
【京都府・加茂駅】

 私は230Dの1両目に乗りました。同列車はワンマン運行であり、無人駅でのドア扱いは1両目
しか行われないのです。今回は無人駅の加太で降ります。

 次の笠置で下り233Dと交換。同駅の傍らにあった桜は、葉桜になっていました。桜の季節も終
わりですかな。

 伊賀上野でも下り235Dと交換。同駅からは、近鉄・大阪線の伊賀神戸駅との間を結ぶ近鉄・伊
賀線が出ています。

 加茂を出て56分で柘植に到着。同駅を出ると登りになり、ほどなく少し長い加太トンネルに入り
ました。

 トンネルを出ると線路は下り始めました。さて、いよいよ中在家信号場でのスイッチバックを体験
しますが、その前に同信号場について予備知識を少々。

 そもそも信号場と言うのは、単線の路線で、駅以外の本線上で列車の行き違いをするための施設で
あり、平地にある信号場は、その場所だけ線路が複線になっていて列車が交換(行き違い)出来るよ
うになっています。

 ところが、関西本線の柘植←→加太間は、柘植方面に向かって急勾配になっており、パワーのない
蒸気機関車にとっては難所であり「加太越え」と呼ばれていました。この「加太越え」で列車交換を
行うために造られたのがスイッチバック配線の中在家信号場です。

 中在家信号場の線路配線です。同信号場付近は柘植に
向かって25パーミル(1000分の25)の登り勾配になっ
ています。

 同信号場で交換を行う場合、柘植方面に向かう列車は、加太方面から坂を登って来て、いったん発
着線に入り、バックして本線を横切って引上線に入り交換列車を待ちます。

 交換列車が本線を下って行ったら、待避している列車は引上線で加速して勢いを付け、本線に出て
坂を登って行きます。逆方向の加太方面に向かう列車は、この逆の手順で交換を行います。

 つまり、このスイッチバック配線の信号場はパワーのないSLのために造られたものであり、同配
線では発着線や引上線の線路は水平になるように設置されており、そこで加速して本線に出られるよ
うにしてあるのです。

 話を戻しまして。柘植方から下って来た我が列車は、中在家信号場に入ると本線から左に分かれる
引上線に入って停車しました。9:19、発着線に向かってバック開始。

 発着線にバックで進入中に見えた信号場の小ホームで
す。かつては、このホームからタブレットの受け渡しを
行っていたのでしょうか?ちなみにホーム手前に見えて
いる線路は本線です。
【関西本線・普通230Dの車窓より】

 9:21、我が列車は発着線に入り停車しました。運転士より「列車行き違いのため3分停まります」
との車内放送あり。

 それから2分後、本線を加茂行の237Dが唸りを上げて通過して行きました。現代の車両は車体
が軽量でエンジンのパワーもあり、237Dのキハ120は苦もなく25パーミルの坂を登って行き
ます。

 発着線停車中に傍らの本線を通過して行く加茂行23
7Dです。あちらは単行でした。我が列車が停まってい
る発着線が水平に設置されているのに対して本線が登っ
ているのがわかります。
【関西本線・普通230Dの車窓より】

 237Dをやり過ごした我が230Dは本線に出て信号場を後にしました。間もなく加太駅に到着。
これで中在家信号場のスイッチバック体験は終了です。

 列車から降りて、列車交換が可能な加太駅の構内を見てふと思いました。わざわざ中在家信号場で
面倒なスイッチバック列車交換をしなくても、ここで下り列車を何分か待たせて交換すればいいんじ
ゃなかろうか・・・?

 その私の疑問がマトを得ていたかどうかは分かりませんが、2006年3月のダイヤ改正で中在家信号
場での列車交換は廃止されました。

 それから1年後の2007年3月には、和歌山線・北宇智駅のスイッチバックも廃止となり、この記事
を書いている時点で関西のスイッチバックは無くなってしまいました。

 パワーのある現代の電車や気動車は、もはやスイッチバックを必要としておらず、ダイヤ上のロス
になるだけのスイッチバックは消えていく定めなのでしょう・・・。

 加太駅から発車して行く230Dです。桜が満開で絵
になる風景ですな。
【三重県・加太駅】


第2部:「ちょっとこだわりの駅」その6/JR関西本線・加太駅

 加太で降りたのは私だけでした。列車が行ってしまうと静かになりました。余りに静かなため、走
り去る列車が線路のジョイント部分を踏むカタン、コトンと言う音がしばらく聞こえていたほどです。

 周囲を見渡すと、まさに田舎そのもので何か懐かしさを感じます。私は一度も田んぼに囲まれた田
舎暮らしはした事がありませんが、それでも懐かしく感じるのは深層心理なのでしょうか?

 関西本線の加太駅です。立派な駅舎は古い物でしょう
が、整備されているのか見た目は綺麗でした。関西本線
の非電化区間では唯一の終日無人駅なんだそうです。
【三重県・加太駅】

 折り返しの列車まで時間があったので、辺りをブラついてみましょう。付近には幹線道路も無いよ
うで車の往来音も聞こえません。

 駅前は、すぐ下り坂になっており、辺りには商店もなく民家ばかりが見えます。坂を下ると、車の
往来がほとんどない地方道みたいな道路に出ましたが、これが国道25号線と知ったのは、この記事
を書くため地図をチェックした時でした。(^^;

 もっとも、500メートル南には、通称「名阪国道」と呼ばれる、片側2車線で高速道路並みに整
備された、もうひとつの国道25号線が通っており、ほとんどの車はそちらを走っているため、目の
前の "元祖" 25号線の交通量は、たぶん田舎の地方道並みだと思われます。

 道路へ出て左右を見渡しても、田舎特有の立派な入母屋造の民家が建ち並ぶだけで特に見るような
ものもありませんでした。

 仕方がないので南へと延びる町道みたいな道を歩いて行くと急な登り坂があり、登り切った所に名
阪国道の向井インターチェンジがありました。

 名阪国道は名古屋方面の仕事に車で行く際に、たまに利用するので馴染みの道ですが、途中でイン
ターを降りる事はありませんでした。これまで何気に通過していたインターは、このような集落に通
じていたんですな。

 見ると、インターで名阪国道と直交する下の道路の脇には、南に向かって「錫杖岳登山口」なる案
内看板がありました。

 後に調べて見ると、錫杖岳(しゃくじょうだけ)と読むそうで、急坂や岩場をロープや鎖をたぐっ
て登る箇所のある、スリルな登山が楽しめる山なんだそうです。

 同山の登山記を掲載している方のHPを見たところ、少し「覚え」のある人ならば、加太駅から歩
いて2時間ほどで頂上まで登れるようです。

 もっとも、同名の山が北アルプスにもあってそちらの方が有名であり、YAHOOで検索する際には「錫
杖岳」と「三重」の両方を入れなければ、こっちの錫杖岳は出て来ませんでした。

 向井ICを観察してみると、同ICのすぐ東には関トンネルがあり、同トンネルは上下線のトンネ
ルが少し離れています。そのため、向井ICでも上下線の間隔が少し開いていました。

 下り線の下を潜ると、上下線の間に登って行く道がありましたが、明らかに本線に合流する道では
ありません。整備用の道路か?

 その道路には通行を咎めるような看板もなかったので上に登って見ると、名阪国道の上下線に挟ま
れた丘みたいな所に出ましたが、特に何がある分けでもなく雑草が茂った平地でした。

 すぐ側の名阪国道を車やトラックがビュンビュン走っており、普段、お目に掛かれない風景を、し
ばし私は眺めていました。

 さて、ぼちぼち駅に戻りましょう。私は来た道を引き返しました。朝は少々冷えましたが、今はポ
カポカ陽気で過ごしやすい気温になっています。

 駅に向かって歩いていると、列車のタイフォンが聞こえて来ました。見ると奈良行の急行『かすが』
が通過して行くところでした。

 この貴重な急行列車も利用者の低迷から2006年3月のダイヤ改正で廃止となり、今や関西本線の加
茂←→亀山間を走る優等列車は無くなってしまいました・・・。

 駅に戻り、列車を待つ間、古びた駅を観察する事にしました。

 窓口にはシャッターが下ろされていました。かつては
駅員が配置されており、発券や荷物の受け渡しを行って
いたのでしょう。
【三重県・加太駅】
 改札には列車運休のお知らせが貼られていました。関
西本線では列車を運休にして保線作業を行っているので
す。代行バスは運行しないようですな。
【三重県・加太駅】
 駅舎内に置かれていた古いベンチ。現行の、成形プラ
スチック製の軽量な物とは大違いで、頑丈な鉄製フレー
ムに角材を渡して座席をしつらえた重厚で芸術的とも言
える一品です。昔は、こう言った備品にも細工が施され
ていたんですな。
【三重県・加太駅】

 集落では人影も、ほとんど見かけなかったので、ここから乗るのは私ぐらいかと思っていたら、列
車の時間が近づくと若い兄ぃちゃんと、もうひとり乗客が現れました。ちとビックリ。

 加太駅に到着する加茂行・239Dです。車両はキハ
120形の2両編成です。
【三重県・加太駅】

 239Dの1両目に乗り込むと乗車率は90%ほどでした。意外と乗ってますな。再び中在家信号
場に差し掛かると、信号場の配線がよく見渡せ、発着線には上りの232Dが退避していました。

 我が列車は信号場を通過し、11分で次の柘植駅に到着。同駅では乗客の3分の2が降り、私も皆
さんと共に草津線に乗り換えました。

 柘植駅に停車中の草津線・草津行・普通5349Mです。
車両は113系7000番台車。113系のリニューアル車
で座席は転換クロス・シートに換装されています。
【三重県・柘植駅】

 普通5349Mは、私の乗る車両の乗車率50%ほどで柘植から発車しました。束の間、山中を走り油
日に到着。同駅のホームの傍らには桜がズラリと並んでいました。

 同駅を出ると沿線には田んぼが広がりました。続く甲賀、寺庄にも桜が植えられています。加太駅
にもあったし、国鉄は駅には桜を植えるようにしていたんスかね?

 草津線は路線の乗車率が高いのでしょうか有人駅ばかりでした。ま、電化されているのはダテじゃ
ないって事ですな。

 列車が、近江鉄道と信楽高原鉄道との乗り換え駅である貴生川に着くと大勢の乗車があり車内はラ
ッシュ並みの混雑になりました。同駅には、このあと近江鉄道で訪れます。

 車内の混雑により、その後の乗降は確認出来なくなりました。列車は柘植から42分で終点の草津
に到着。乗車率は250%ほどでしょうか?

 では、東海道本線の新快速に乗り換えて米原を目指しましょう。

 草津駅に到着する長浜行・新快速3226Mです。車両は
223系。
【滋賀県・草津駅】

 新快速は、とうぜん座れませんでした。近江八幡で大勢降りたものの、各席には、まだひとり以上
座っています。

 彦根でようやく空席が出ましたが、もう次は米原です。11:48に新快速3226Mは米原に到着。


第3部:「ちょっとこだわりの路線」その27/近江鉄道

 さて、それでは近江鉄道に乗りましょう。同鉄道は、米原←→貴生川間47.7キロの本線、八日市←
→近江八幡間9.3キロの八日市線、高宮←→多賀大社前間2.5キロの多賀線の3路線を擁します。全線
単線ですが電化されており電車で運行されています。

 米原駅の東口を出ると、少し離れた所に近江鉄道の駅舎がありました。ビミョーな離れ方なんです
が、昔は陸橋が繋がっていたんかな?

 近江鉄道の米原駅です。JRの米原駅が縮小され東口
が移転するまではJR駅に隣接していたそうです。2007
年6月にJR駅東口に隣接する位置に新たなホームが造
られ、この記事を書いている時点で、この駅舎とホーム
は、もはや使用されていません。
【滋賀県・近江鉄道・米原駅】
 近江鉄道では、「サイクル・トレイン」に指定された列車には自
転車を持ち込む事が出来ます。そのため駅の階段には自転車用のス
ロープが設けられています。
【滋賀県・近江鉄道・米原駅】

 駅舎内は、何とも歴史を感じさせる雰囲気でした。券売機が見当たらないんですが、これは窓口で
買えって事か?

 駅舎内の様子です。古びた感じが何ともいいですな。
券売機はなく切符は窓口で買います。
【滋賀県・近江鉄道・米原駅】

 窓口に行き初老の男性窓口氏にフリー切符を求めました。窓口氏の対応は少々無愛想でしたが、嫌
な感じはしません。地方特有の気安さのある無愛想ってところでしょうか。

 窓口で求めた土休日限定の『S・Sフリーきっぷ』で
す。近江鉄道は最長距離である米原→貴生川間を乗ると
970円掛かるので、フリーきっぷが550円とは、か
なりおトクです。裏面には路線図が描かれています。

 誰もいない駅舎で待っていると女子高生がひとり入って来ました。室内に入るなり彼女は、おもむ
ろに部屋の片隅にあった水道で手を洗い始めました。

 その水道はトイレの物とかではなく、単にそこに水道だけが設えてありました。たぶん、彼女は、
いつもそうしているんでしょうな。

 さらにおばちゃんがひとり現れました。おばちゃんは窓口で、どこかへの往復切符を求めていまし
たが、初老の窓口氏はタメ口をきいていました。

 しかし、そのタメ口は決して礼を失したものではなく親しみのこもったものでした。これも田舎の
気安さってやつですな。

 乗車予定の貴生川行75列車は12:06に到着。同列車から降りたのは6〜7人でした。近江鉄道・
本線の米原←→彦根間はJR東海道本線と平行していますから、乗客は、それほど多くはないでしょ
うな。

 米原駅に停車中の本線・貴生川行75列車です。車両
は820系。元は西武鉄道の401系であり、急曲線で
車体がホームに接触しないように車体下四隅の角を欠き
取ったのと、プレートの「飾り帯」を取り外した以外は
ほぼ種車のまま使用されているそうです。
【滋賀県・近江鉄道・米原駅】
 820系の車内です。通勤型なので、オール・ロング
・シートの何の変哲もない内装です。
【近江鉄道・本線75列車車内】

 75列車は定刻の12:14に米原から発車しました。乗客は列車全体でたったの4人です。鳥居本の
停車を経て彦根に到着。同駅では十数人が乗りました。

 彦根では米原行列車と交換。次の彦根口ではふたり降り女子高生が3人乗りました。その次に停車
した高宮で下車。多賀線に乗り換えます。

 本線と多賀線の分岐する高宮駅のホームはV字形をし
ており、その合間の敷地内には桜の木が植えられていま
した。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】

 次の多賀線列車まで23分あります。駅の周辺を少しブラつきましょう。私は構内踏切を渡って駅
舎に向かいました。

 構内踏切には駅員の姿がありましたが改札には人はいませんでした。果たしてここは有人駅なのか
そうでないのか。

 高宮駅の駅舎です。近江鉄道本線が通るほか、多賀線
の起終点駅です。駅舎は2002年に建て替えられコミュニ
ティセンターとの合造となっています。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】

 駅前は民家ばかりで郊外の田舎町の雰囲気でした。とりあえず駅の裏手の留置線にあった車両を見
に行きましょう。

 高宮駅の留置線に放置されている貨車です。無蓋貨車
のようですが、近づけないので形式は分かりません。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】
 同じく放置されている貨車です。これはセメント原石
を運んでいたセキ1形でしょうか?文字通り放置されて
おり車体はサビついていました。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】

 近江鉄道では、かつて住友セメント多賀工場←→同社彦根工場間のセメント原石輸送やキリンビー
ル滋賀工場←→彦根間のビール輸送、そこ他にも石油や一般貨物の輸送が行われていました。

 その貨物輸送は1988年に全廃され貨車と多くの機関車が廃車されましたが、5両の機関車が残され
たそうです。

 高宮の留置車両には、保線用のホッパ車以外に電車もありました。その電車は、ここまで乗って来
た820系と同形ですが前面に銀色の飾り帯が付いていました。ひょっとして西武401系のオリジ
ナル車なんでしょうか?

 前面に飾り帯を付けた電車。これが元西武の401系
なんでしょうか?使われている様子は無く、改造待ちな
のか部品取り用なのかは不明です。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】

 さてと、ぼちぼち駅に戻りましょう。駅舎に向かって歩いていると、多賀線の踏切脇から直接ホー
ムに入る道がありました。こりゃ無人駅のノリやな。

 高宮駅に停車中の多賀線・多賀大社前行33列車。車
両は220形の単行です。西武701系の廃車発生品を
流用して近江鉄道の彦根工場で製造された車両なんだそ
うです。かつて、乗車率の低かった本線の八日市←→貴
生川間の合理化のため導入された軽快気動車の輸送力が
不足したため、本車両が製造され置き換えられました。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】
 220形の車内です。3ドア、オール・ロング・シー
トの通勤形車両です。
【近江鉄道・多賀線33列車車内】

 多賀大社前行33列車は、乗客5人で高宮から発車しました。その乗客の中には米原から一緒だっ
た老夫婦の姿もあります。

 出てすぐ新幹線の高架を潜りました。車内には早くも終点の到着放送が流れています。ほどなく、
名神高速の高架を潜ると終点の多賀大社前に到着。高宮を出てわずか5分の乗車でした。

 多賀線の末端、多賀大社前駅です。コミュニティハウ
スとの合造でそこそこ大きな建物です。かつては、同駅
より近隣にあるキリンビールおよび住友セメントの工場
に専用線が分岐していたそうです。
【滋賀県・近江鉄道・多賀大社前駅】
 駅前にある多賀大社の大鳥居です。高さは優に10メ
ートルはありそうです。
【滋賀県・近江鉄道・多賀大社前駅】

 駅から多賀大社までは、ほんの500メートルほどしか離れていません。訪れて見たいのですが、
今日は後の乗車予定が詰まっているので10分後に出る折り返し列車に乗ります。

 多賀大社前駅に停車中の高宮行36列車です。ここま
で乗って来たのと同じ車両です。
【滋賀県・近江鉄道・多賀大社前駅】

 高宮行36列車は5人で多賀大社前から発車。4分の乗車で高宮に帰着。ホームに降りてすぐ、対
面の米原方面ホームに彦根行の列車が到着しました。

 高宮駅の貴生川方面ホームで待っていると、何と対面
ホームに、同鉄道に1編成しかない特別な車両である7
00系が到着しました。「あかね」の愛称を持つこの車
両は、近江鉄道開業100周年を記念して西武401系
を改造して製造されたもので、同鉄道で唯一の転換クロ
ス・シート車です。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】

 この時の私は、この「あかね」が、なかなか乗る事の出来ない列車である事を知りませんでした。
ともあれ、対面ホームの同列車を見た私は、一瞬、乗るかどうか迷ったのですが、発車間際の列車に
飛び乗るのに躊躇した私は、結局、乗りませんでした。

 しかし、「あかね」に乗りたくなった私は、同列車が彦根で折り返して来るのを期待して乗る事に
決めました。

 ここ高宮で待とうかと思ったのですが、ホームにある時刻表を見ると、1本あとの列車は1時間後
とのこと。大都市圏の私鉄と違い、地方の私鉄は本数が少ないのです。

 すでに降りた駅でボケっとしていても仕方が無いので、予定していた八日市行列車に乗って愛知川
に行き、そこで待つ事にしました。愛知川は過去に1度だけ仕事で訪れた事がある土地だったので久
々に尋ねて見ましょう。

 高宮駅に到着する本線・八日市行の85列車です。車
両は800系。米原から乗った820系と同じく西武4
01系の改造車ですが、車体前面はオリジナルの形状の
物に変えられています。
【滋賀県・近江鉄道・高宮駅】

 高宮を出ると左に新幹線の高架が寄り添って来ました。ここに新幹線の駅があれば近江鉄道は連絡
輸送で繁盛するのでは・・・?

 高架に沿って走っていると、次の尼子を出たところで新幹線の700系があっと言う間に追い抜い
て行きました。高宮から3駅、10分ほどで愛知川に到着。

 ホームに降りて、対面ホームにある駅舎に向うため、構内踏切の手前で列車が出て行くのを待って
いると、私が乗って来た列車に乗ろうとしている男子高生が、ハードル走ばりに構内踏切の遮断棒を
飛び越えて走って来るのが見えました。

 こんな行為を都市圏の私鉄でやろうもんなら、たちまち運転士か駅員に止められて怒鳴られるとこ
ろですが、地方の鉄道では大目に見てもらえるようです。

 愛知川駅です。やはりコミュニティハウスとの合造駅
舎でした。同駅には7時から15時前までは駅員がいま
す。駅には券売機はなく、切符は手売りか車内精算にな
るようです。
【滋賀県・近江鉄道・愛知川駅】

 駅前の道を歩いて国道8号線まで出て見ましたが、目ぼしいものはありませんでした。近くにあっ
たローソンで昼食を仕入れ、それをパクつきながら、そのまま南に向かい愛知川の交差点で東に転じ
て線路端に出ました。

 何と幅の広い水路の上に小さな水路が橋渡しされてい
ました。これは、この小さな水路が排水路ではなく用水
路と言う事なんでしょうか?
【滋賀県・愛知川町】

 かつて訪れていた愛知川でしたが、歩いた周辺は、いまひとつ見覚えがありませんでした。まぁ1
回しか来てないし、アレからだいぶ経ちますからな。

 さてと、ぼちぼち駅に戻りましょう。次の列車が「あかね」だといいのですが・・・。

 愛知川駅に到着する14:46発の近江八幡行です。車両
は残念ながら800系・・・。(^^;
【滋賀県・近江鉄道・愛知川駅】

 くそっ!見事に予想が外れてしまいました。せっかく行程を遅らせて待ったのに・・・。次の列車
は、また1時間後です。

 すでに予定より1時間遅れているし、これ以上遅らせると遅くなってしまいます。私は「あかね」
をあきらめて近江八幡行に乗りました。

 予定では、このまま本線を貴生川まで乗り信楽高原鉄道に乗り換えるつもりですが、この列車は貴
生川には向かわないので八日市で降りて乗り換えます。

 八日市駅に停車中の15:05発の貴生川行です。車両は
800系の2両編成ですが、同社が西武グループの1員
である事もあり西武カラーの塗装が施されています。前
面には「ギャラリー・トレイン」なるヘッド・マークを
付けていました。
【滋賀県・近江鉄道・八日市駅】

 貴生川行は私の乗る車両の乗客20人で八日市から発車しました。途中、桜川で対向列車と交換。
水口石橋では、ホームでハイカー団が待っていましたが、ワンマン運行のこの列車は1両目からしか
乗降出来ないのを知らず2両目から乗ろうとしてドアが開かずあたふたしていました。

 旧水口町内(現甲賀市)には、北から水口松尾、水口、水口石橋、水口城南と4つも駅があり、後
の3駅の駅間などは400〜600メートルしか離れていません。いかに近江鉄道が水口町内の利便
性を考えているかが伺えます。

 最後の停車駅となる水口城南で7〜8人の乗車があり、列車は八日市から37分で終点の貴生川に
到着しました。それでは信楽高原鉄道に乗り換えましょう。

 貴生川駅では信楽高原鉄道の切符は売られておらず、JRの改札をそのまま素通りして入り列車内
で乗車証明証を取ります。


第4部:「ちょっとこだわりの路線」その28/信楽高原鉄道

 信楽高原鉄道は1987年に旧国鉄信楽線を転換開業した第三セクター鉄道で、貴生川←→信楽間14.7
キロの路線を持ちます。

 当初は関西本線の加茂駅まで延伸する予定がありましたが、それも果たせぬまま、利用者の少なさ
から国鉄の廃止対象路線に選ばれてしまったのでした。

 鉄道ファンとしては余り述べたくはないのですが、同鉄道では1991年にJR乗り入れ列車との衝突
事故があり多くの乗客が亡くなった事が知られています。

 貴生川駅では信楽高原鉄道はJRとホームを共用しており、JRの草津方面行列車からは同一のホ
ームで乗り換える事が出来ます。

 貴生川駅に停車中の信楽高原鉄道・信楽行・普通53
7Kです。車両はSKR310形の2両編成です。同車は標準
タイプの軽快気動車です。写真左端には草津行のJR列
車がちょっとだけ写っています。
【滋賀県・貴生川駅】
 SKR310形の車内です。富士重工製の軽快気動車なので
現在、主流となっている新潟トランシス製車両とは雰囲
気が若干、異なります。座席は柔らかくて座り心地は良
好です。
【信楽高原鉄道・普通537K車内】

 537Kは定刻に貴生川から発車しました。私が乗り込んだ2両目の乗客8人です。出てすぐ右に
曲がりJR草津線と分かれました。

 列車は登っている感じですがエンジン音は低く、右に左にと曲がります。カーブが多くてスピード
が出せないのでしょう。路線は見る見る高度が上がり、遠くの町が眼下に見えます。

 列車はスローペースながら、ずっと力行したまま森の中を走っていましたが、小野谷信号場の手前
まで来てようやく力行をやめ惰行に入りました。今度は下りに入ったようで列車はエンジン・ブレー
キを使い始めました。

 信楽高原鉄道の線内で、唯一、列車交換が可能な小野
谷信号場です。本信号場は1991年に信楽において開催さ
れた世界陶芸祭の輸送に対応した列車増発に備えて造ら
れたものですが、同年の列車衝突事故以降は使用されて
いません。
【信楽高原鉄道・普通537Kの車窓より】

 貴生川を発って15分走ってようやく最初の停車駅、紫香楽宮跡に到着。ここではひとり降りまし
た。駅名ともなっている紫香楽宮跡でも見に行くのでしょうか?

 同駅を出ると、すぐに雲井に停車、ここでは乗降なし。雲井を出ると列車はようやく並みの速度で
走り始めました。3分で勅旨に到着。同駅でも乗降はありませんでした。

 さらに2分走って玉桂寺前に停車。同駅の周りは田んぼで、少し離れた川には吊橋が掛かっていま
した。同駅も乗降が無く、列車は貴生川から24分で終点の信楽駅に到着しました。

 信楽高原鉄道の末端となる信楽駅です。転換開業した
際に建て替えられたのでしょうか、新しさを感じる駅舎
です。近畿の駅百選に選ばれているとか。
【滋賀県・信楽高原鉄道・信楽駅】
 駅舎の脇にある巨大なタヌキの像。実はこれ、公衆電
話なんですな。さすがは信楽。
【滋賀県・信楽高原鉄道・信楽駅】

 駅前には商店が数軒あるだけで賑わいはありませんが、信楽と言えば陶芸の町であり、近くには陶
芸の森もあります。

 信楽では当初は1時間のインターヴァルを取って駅の周辺をブラつく予定でしたが、「あかね」に
乗ろうとして近江鉄道の列車を1本遅らせたため7分後に出る折り返しの列車に乗る事になりました。

 時間がないため私は駅の周辺をざっと見ただけで戻りました。駅舎内で貴生川までの切符を購入。
貴生川行540Kでも私は2両目に乗りました。

 貴生川行・普通540Kの車内です。車両の形式を確
認し忘れたのですが、往路に乗った車両とは座席の色が
違います。ひょっとしてこの車両はSKR300形なんかな?
【信楽高原鉄道・普通540K車内】

 我が車両の乗客は5人で列車は信楽駅から発車。ちなみに、信楽高原鉄道で今回乗った往路の53
7Kと復路の540Kは共に土休日のみ運行の列車です。

 高原鉄道と言うだけあって、同線は、けっこう高所を
走っていました。
【信楽高原鉄道・普通540Kの車窓より】

 道中では、特に見るべき事も無く列車は16:43に貴生川に帰着。

 貴生川駅のホームの真ん中にポツンとある簡易型の自
動改札機です。この改札を通らずともJRと信楽線ホー
ム間を行き来出来るため中間改札としての役割は、まっ
たく果たしていません。JR西日本の非接触形IC乗車
カード『ICOCA』の入出札用でしょう。
【滋賀県・貴生川駅】

 貴生川駅ではJRの自動改札を通れないため、私は切符を窓口に置いて出ました。さて、お次は近
江鉄道で八日市まで戻り、近江八幡までの八日市線に乗れば同鉄道の乗り潰しは完了です。

 近江鉄道のホームに行くと、そこに停まっていたのは予定していた八日市行列車ではなく途中の日
野行でした。ありゃりゃ?

 貴生川駅の近江鉄道線ホームに停車中の日野行です。
貴生川←→日野間の区間運転列車は、やはり水口町域の
乗客の利便性を考えてのものなのでしょうか?車両は8
20系です。
【滋賀県・貴生川駅】

 事前に調べた時刻表が間違っていたのでしょうか? ここで待って次の列車に乗っても良いのです
が、ホームでボケっと待っても仕方ないので、とりあえずこの列車に乗る事にしました。

 貴生川を出た列車は、「水口シリーズ」の4駅に停車しつつ、貴生川から17分で終点の日野駅に
到着しました。

 日野駅。近江鉄道の主要駅のひとつであり終日有人駅
です。駅舎は1900年(明治33年)の開業以来のものだ
そうで、古びたいい駅舎です。
【滋賀県・近江鉄道・日野駅】

 日野の駅前を通る道の沿道には、ひと揃いの商店がありました。町中を少し歩いて見ましたが、こ
れと言って見るようなものもありませんでした。

 駅に戻り、駅舎に負けず劣らず古そうな上屋がある米原向きホームのベンチで待っていると、ほど
なく米原行の列車がやって来ました。

 日野駅に到着する17:33発の米原行です。車両は、ま
たしても820系。
【滋賀県・近江鉄道・日野駅】

 米原行は、すぐに発車しませんでした。間もなく対向ホームに貴生川行の単行列車が到着し、先発
して行きました。

 日野を出た我が列車は、途中、桜川で列車交換をしつつ20分ほどで八日市に到着しました。ここ
で八日市線の近江八幡行に乗り換えます。

 八日市駅に停車中の18:00発・八日市線・近江八幡行
(左)と、ここまで乗って来た米原行(右)です。近江
八幡行は800系でした。両車ともに元西武401系か
らの改造車です。
【滋賀県・近江鉄道・八日市駅】

 時間も夕方の6時となり、日が陰ると段々寒くなって来ました。もう4月半ばなんですが、今日は
気温が低いようです。

 近江八幡行は定刻に八日市から発車。途中での目立った乗降も無く、18分で終点の近江八幡に到
着しました。これで近江鉄道の乗車は完了です。

 結局、「あかね」に乗れず仕舞いだったのが心残りですが、それはまた別の機会に訪れる事にしま
しょう。

 近江八幡駅です。JR東海道本線が通るほか、近江鉄
道・八日市線の起終点駅です。この駅は仕事の関係で馴
染みの駅です。「旅」で訪れるのも何だか変な気分です
な・・・。
【滋賀県・近江八幡駅】

 それでは大阪へと戻りますが、せっかくなのでJR奈良線を乗り潰しつつ戻る事にしました。と、
言う事で、まずは京都に移動しましょう。

 今回のJR乗車には、先日手に入れた『ICOCA』を使う事にしました。ちなみに、往路で使わなか
ったのは、関西本線の加茂以東の駅で同カードが使えなかったからです。

 JR西日本発行の非接触型IC乗車カード『ICOCA』
です。プリペイド式で最高2万円までチャージする事が
出来ますが、"オマケ" もポイントも付きません。現在
では、在阪の私鉄/公営鉄道グループが発行する各社共
通の非接触乗車カード『PiTaPa』と相互利用が可能とな
っています。最近は関西圏内の移動時には、JR、私鉄
共に私はこのカードを使っています。

 ホームで列車を待っていると待合室に人々が集まっているのが見えました。見れば皆さん軽装です。
寒さから逃れるために暖房の効いている待合室に避難しているんですな。

 近江八幡駅に到着する新快速3297Mです。車両は22
3系。新快速は乗車率が高くて、なかなか座れないので
好きではないのですが・・・。
【滋賀県・近江八幡駅】

 近江八幡を出た新快速3297Mは37分で京都に到着。ここで降りて奈良線に乗り換えます。京都駅
の構内放送では寝台特急『あかつき/彗星』が19:58に入線する旨が案内されていました。

 この貴重な九州方面の寝台特急も、2005年に南宮崎行の『彗星』が廃止されていまい、現在、『あ
かつき』は熊本行の『なは』とペアを組んでいます。

 京都駅に停車中の奈良線・快速3611Mです。車両は2
21系。新快速の仕業を後輩の223系に譲った同車は
東海道/山陽スジ以外に関西本線や奈良線、福知山線で
も活躍しています。
【京都府・京都駅】

 快速3611Mは私が乗る車両の乗車率110%ほどで京都から発車しました。奈良線ってけっこう乗
車率高いんですな。

 外は真っ暗なので景色はまったく見えません。ホンマに乗るだけになりますな。列車が城陽に着く
と空席が出来ました。

 列車は京都から40分で木津に到着。ここで片町線に乗り換えて尼崎を目指します。見れば片町線
のホームには、20:31発の京橋行が停まっていました。この列車はパスです。

 ホームで待っていると20:44に宝塚からの列車が到着し、折り返し新三田行の快速となりました。

 木津駅に停車中の片町線/JR東西線/福知山線経由
の新三田行・快速5519Mです。車両は207系。
【京都府・木津駅】

 快速5519Mは、接続する関西本線の加茂行列車の遅れのため、2分遅れで木津から発車しました。
私が乗る先頭車両の乗客は10人です。

 途中、京田辺で車両の増結が行われました。同駅ホームでは、すでに増結する3両編成が待ってお
り、我が列車はホームに進入すると、いったん停車。それからゆっくり前進しました。

 京田辺駅で前方に停車中の増結車両に近づいている様
子をパチリ。同駅から大阪方は利用者が増えるんでしょ
うな。
【片町線・快速5519Mの車窓より】

 列車は増結車両と連結してからドアを開けました。ちなみに関西圏の近郊列車の増結では増結車両
との貫通路は接続されないため、お互いの車内を行き来する事は出来ません。

 列車は木津から長尾までは各駅に停車し、長尾を出ると快速運転に入ります。木津から54分で京
橋に到着。同駅からは地下のJR東西線に入ります。

 JR東西線は旅行記第4弾でも木津から乗りましたが、その時は北新地で降りて「旅」を終えた為、
北新地←→尼崎間が未乗車となっていました。少々回り道となりますが、今回はその区間を乗り潰し
ておきましょう。

 京橋を出た列車は地下鉄と化して各駅に停まります。加島を出ると再び地上に出て東海道本線と並
び、京橋から17分で尼崎に着きました。さて、大阪方面行に乗り換えましょう。

 尼崎駅に到着する東海道本線・京都行・普通1124B。
車両は、ここまで乗って来たのと同じ207系です。
【兵庫県・尼崎駅】

 普通1124Bは、途中、塚本に停車しつつ尼崎から7分で大阪に到着。これで今回の「旅」は終わり
ました。

 『列車まかせの旅』小旅行記第12弾、おわり。


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