第2部:「北陸エリアJR線乗り潰し」パート2 |
金沢で北陸本線の普通450Mから降りた私は、すぐに七尾線の列車が出るホームへと向かいまし
た。接続時間は8分です。
金沢駅に停車中の七尾行・快速1861Mです。今回が初 乗車となる415系と呼ばれる車両で、JR西日本では 主に七尾線で使用されています。国鉄型の交直流両用の 近郊型電車ですが、このJR西日本の415系は新造さ れた車両ではなく、485系特急型電車から取り外され た交流用機器を直流専用型の113系に搭載して415 系化した改造車なんだそうです。 【石川県・金沢駅】 |
車両はツートンに白帯塗装でしたが、淡いブルー塗装 とピンク塗装の2種類に塗られていました。 【石川県・金沢駅】 |
乗り込んで見ると乗車率は60%ほどでしたが各座席には一人以上が座っていたので、私は立って
いる事にしました。
ちなみに、七尾線で1日に運行される26.5往復の一般列車の内で快速は僅か2.5往復しか走らない
ので、いま乗っている列車は "プチ・レア" ものなのです。
定刻の18:39に金沢から発車した快速1861Mは北陸本線を走り、10分で七尾線との分岐駅である津
幡に到着しました。同駅での乗降はありませんでした。
津幡を出て七尾線に入ると、すぐに電源の切り替えがあり短時間車内灯が消えました。平成3年に
電化された七尾線は、交流方式の北陸本線と異なり直流方式が採用されているのです。
中津幡、本津幡、能瀬の3駅をパスして宇野気に停車。ここで若干の下車客があり私は乗降口横の
ロング・シートに座る事が出来ました。
宇野気を出たところで検札がありました。高松、宝達と停車したあと羽咋に到着。同駅では、まと
まった人数がありました。羽咋は、かつて富山で仕事をしていた際に車で訪れた事のある土地です。
さらに能登川と良川に停車して乗客を降ろした快速1861Mは、我が車両の乗客10人程度で19:37に
終点の七尾に到着しました。金沢から約1時間の乗車でした。
七尾駅で降りる前に撮った1枚です。415系の乗降口横のロン グ・シートのドア寄りには、吹き込む風を遮る透明アクリルの防風 板が取り付けられていました。冬季におけるこの地方の厳しい寒さ を思い浮かべさせられる工夫です。 【七尾線・快速1861M車内】 |
列車から降りて陸橋を渡り駅舎へと向かっていると、快速1861Mからの乗り換え客を待つ、のと鉄
道の気動車が停まっているのが見えました。
JRの七尾線は、国鉄時代には能登半島北部の輪島まで通じていましたが、国鉄再建法により利用
者の少ない七尾←→輪島間が廃止対象となり、1992年に第3セクターの、のと鉄道(1988年に能登線
〔穴水←→蛸島間〕をもって転換開業済)がその後を引き継いでいたのです。
七尾駅です。七尾線の能登半島側の起終点駅は、さら にひと駅先の和倉温泉ですが、そこまで乗り入れるのは 特急『サンダーバード』のみで、一般列車は、すべて七 尾止まりとなります。七尾から先の一般列車は、同駅ま で乗り入れを行っている第3セクターの、のと鉄道が担 っています。 【石川県・七尾駅】 |
何気に撮った七尾駅前商店街のスナップです。「七商 祭」なる横断幕が掲げられていました。営業を終えて人 通りの途絶えた商店街は、何となく幻想的です。 【石川県・七尾駅】 |
私が七尾まで乗って来た快速1861Mは、すぐに折り返しの普通として出て行ってしまったのですが、
私は30分後に出る20:07発の金沢行・普通870Mに乗る事にしていました。
七尾駅の券売機で購入した金沢までの切符です。近距 離切符ですが、なぜか「金沢」と入っていますな。 |
七尾駅に停車中の金沢行・普通870Mです。七尾線 を走る一般型列車は415系のみです。 【石川県・七尾駅】 |
415系の車内です。ベースとなった113系は背も たれが垂直なボックス・シートでしたが、この415系 では新しい座席に換装されていました。 【七尾線・普通・金沢行870M車内】 |
列車に乗って待っていると、金沢方より和倉温泉行の特急『サンダーバード33号』が到着し、出
発して行きました。
それから約5分後の定刻の20:07、金沢行・普通870Mは、私の乗る車両の乗客5人で七尾駅か
ら出発しました。
七尾駅前の自販機で購入した我が愛飲の銘柄『ジョー ジア/テイスティ』です。明日のモーニング・コーヒー 用にとっておきましょう。 【七尾線・普通・金沢行870M車内】 |
往路の快速では58分で来た道のりですが、復路の各停では1時間33分掛かります。外は真っ暗
で何も見えないので景色のレポートは出来ません。
列車は、途中停車駅の徳田、金丸で七尾行と交換しました。気温が下がり始めており私は寒気を感
じていました。
途中駅での乗降は、まったくありませんでしたが、羽咋では3人が我が車両に乗って来ました。羽
咋から2駅目の敷浪でも七尾行との交換がありました。
高松駅では七尾行きの希少な快速と交換しました。高松を出たところで検札がありました。本津幡
でも七尾行・普通と交換しました。これが最後の列車交換となります。
中津幡を出たところで直流から交流への電源切り替え が行われました。切り替わるまでの十数秒の間、車内は 「停電」となります。 【七尾線・普通・金沢行870M車内】 |
電源切り替えを見てから数分後、普通870Mは北陸本線に入り津幡駅に到着しました。津幡停車
中に金沢行の特急『はくたか』、続いて対面ホームに特急『サンダーバード』、さらに大阪行の『サ
ンダーバード』などが通過して行きました。
特急街道である北陸本線の中でも、この区間は、特急『サンダーバード』、『しらさぎ』、『はく
たか』、『北越』などが走る特急過密区間なのです。
津幡を出た列車は、途中で森本、東金沢に停車し、21:40に終点の金沢に到着しました。到着時の
我が車両の乗客は僅か6人でした。
金沢駅のホームに降り立つと、越後湯沢から到着した 特急『はくたか20号』がいました。同列車は、681 系特急型電車が主力の『はくたか』の中で1編成だけ使 用されている485系で運行されていました。 【石川県・金沢駅】 |
これで七尾線は完乗です。お次は、いよいよ今回の「旅」の主役である夜行の急行『能登』の乗車
です。
第3部:「夜行列車愛好家への道」その13/急行『能登』 |
急行『能登』は、上野←→金沢間を結ぶ夜行の急行で、日に1往復が運行されています。同列車に
は、485系特急型電車の電気機関車協調運転対応ヴァージョンである489系のボンネット・タイ
プの車両が使用されています。
急行『能登』の急行券/指定券です。『能登』は急行 なので特急と比べると格安です。券には金沢22:12発、 上野06:05着と印刷されています。 |
『能登』が出るホームに行って見ると、同列車はすでに入線していました。その横には、同じく上
野へと向かう寝台特急『北陸』が停まっていました。
金沢駅のホームで並んだ寝台特急『北陸』(左)と急 行『能登』(右)です。両列車共に上野行であり、3分 の間隔をおいて金沢を発ちます。 【石川県・金沢駅】 |
ちなみに、このボンネット・タイプの車両は、485 系/489系のオリジナル車であり、今回の「旅」の時 点で現役として運行されているのはJR西日本が走らせ ている特急『雷鳥』の一部と急行『能登』だけであり、 この記事を書いている時点では『雷鳥』の運行からも退 いていたため、今や唯一『能登』のみとなってしまって います。まさにファンにとっては希少価値のある車両な のです。 【石川県・金沢駅】 |
この489系と言う車両は、今は廃止となった信越本 線の横川←→軽井沢間の急勾配区間を機関車を連結して 走破するために、485系特急型電車に機関車との協調 運転機能を追加したタイプなんだそうです。横軽間が廃 止となってからは、その能力を生かす場を失い、今では 全国で現役として走っているのは『能登』だけとなって しまいました。 【石川県・金沢駅】 |
『能登』の方向幕です。急行・能登・上野と表示され ています。同タイプの中では最古参の車両であり、そろ そろ車齢の若い485系あたりと交代させられそうで心 配です。 【石川県・金沢駅】 |
国鉄色塗装のままで走っているのは嬉しい限りです。 鉄道マニアの域に達していない私では、パっと見たとこ ろでは485系と見分けがつきませんな。 【石川県・金沢駅】 |
記念に列車案内板なんかもいちおう撮ってみました。 【石川県・金沢駅】 |
列車に沿って歩きながら乗車状況を確認して見ると、全9両の内、5両連結されている自由席車は
ガラガラでした。
さらに自分の車両へと向かってホームを歩いていると、隣のホームに681系か683系で編成さ
れた『ユニバーサル・エクスプレス』なる富山行の特急が入って来ました。
〈なんじゃこりゃ?〉と首を傾げている内に同列車は出発して行きました。後に時刻表で調べたと
ころでは、この列車は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンの最寄り駅であるユニバーサル・シ
ティから富山へ直通する臨時列車である事が判明しました。
489系の車内の様子です。特殊な機能を備えた車両 とは言え、内装は485系と同じですな。 【急行『能登』車内】 |
座席は、セミ・リクライニング・タイプでした。新しい特急型車 両には採用されていない座席ですが、私は最新のリクライニング・ シートよりも、こちらの方が気に入っています。 【急行『能登』車内】 |
窓は大型窓です。窓のサイズとシート・ピッチが合う ように考慮されていないので、座席によっては柱が邪魔 になる「ハズレ」の席もあります。 【急行『能登』車内】 |
指定席である2号車の自分の座席に座って発車を待っていると、隣のホームに今度は富山行の特急
『サンダーバード45号』が到着し、乗客を降ろすと先発して行きました。
間もなく定刻の22:12が来て、急行『能登』は寝台特急『北陸』を後に残して金沢を発ちました。
私の乗る車両の乗客は、たったの4人でした。
9分で最初の停車駅である津幡に到着。同駅では我が車両にひとり乗って来ました。走行中の車内
は、耳をすませるとモーターの唸りが聞こえる程度で、とても静かでした。
続いて石動に停車。同駅を出たところで検札がありました。22:42に高岡に到着。本日は、これで
4回目の来訪となります。同駅ではひとり乗って来ました。
小杉の停車を挟んで22:57に富山に到着。前旅行記から1週間をおいての来訪となります。同駅で
は3人が乗って来ました。
富山を出たところで案内放送がありましたが、機械の不調で音声が途切れ途切れとなり内容がよく
分かりませんでした。なにぶん古い車両ですからなぁ。
ほどなく、私より後ろの座席に座っていた夫婦が、空いている車両前方に移動して前の座席を回転
させて「わがまま体勢」に入るのが見えました。
この夫婦は、たぶん『能登』のヴェテランで、ここから先は乗って来る客が少ないのを知っての行
為であるとは思うのですが、ルール無視である事には変わりなく、見ていて不快になりました。
滑川の停車を経て魚津に到着。ここではひとり乗って来ました。黒部、入善、泊の停車を経て列車
は新潟県に入りました。ここらは日本海が見えるはずですが、外は真っ暗なので、ほとんど何も見え
ません。
糸魚川到着前に車内灯が減光され「お休みモード」へと入りました。23:56に糸魚川に到着。同駅
での乗降はありませんでした。車内を見渡して見ると、乗客は皆、思い思いの体勢で寝ていました。
座席夜行では熟睡するのがムズいんですよねぇ・・・。
日付変わって、0:22に直江津に到着。同駅到着前には電源の切り替えが行われました。列車は直江
津からJR東日本の管内に入りました。
直江津到着前に電源が北陸本線の交流方式から信越本 線の直流方式に切り替わりました。電源切り替えが完了 するまでの間、例によって車内は「停電」となり非常灯 が点灯しました。 【急行『能登』車内】 |
ここまでは急行らしく、わりかしこまめに停車していた『能登』ですが、次は高崎まで3時間半ほ
ど停車駅はありません。
景色も見えない事ですし、私も寝る体勢に入りました。しかしながら、リクライニング・シートで
は、なかなか寝付く事が出来ません。
完全に寝られず、うとうとしていると、いつの間にか列車は駅で停車していました。目の前のホー
ム上に駅名標があり、見ると長岡駅でした。
1:20頃、『能登』は長岡駅に停車しました。同駅は停 車駅ではないため乗務員交代のための運転停車です。 【急行『能登』車内】 |
1:26頃、列車は逆向きで発車しました。信越本線をひと駅戻り、宮内駅から上越線へと入るためで
す。これが昼行列車であれば方向転換に合わせて一斉に座席回転の「儀式」と相成るのですが、眠り
込んでいる人々の中で座席を回す人は、ひとりもいませんでした。まぁ、どうせこの先も寝て行くん
ですから、どっちを向いて走っていようと大した問題ではありませんわな。
長岡を出て間もなく列車とすれ違いました。暗くてよく見えなかったのですが、それは貨物列車で
はなく旅客列車でした。こんな時間に、いったいどの列車だろう?
この時間に長岡に停車する列車はなく、この時は、くだんの列車が何か確認する事が出来なかった
のですが、後の旅行記で金沢から寝台特急『北陸』に乗って上野を目指していた際、長岡で青森に向
かう寝台特急『あけぼの』と会合したので、おそらく同列車だったのでしょう。
その先も熟睡出来ずに意識が行ったり来たりしていると、2:30頃に越後湯沢に運転停車しました。
同駅で7分ほど停車してから発車。
相変わらず半睡眠状態のまま4:05に高崎に到着。同駅は停車駅であり32分間停車する事になって
いました。
眠れずに窓の外をぼんやり見ていると、重連の機関車に牽かれた貨物列車が停車することなく『能
登』を追い越して行きました。
それからほどなく、3人の家族連れが車内に入って来ました。ここで乗車したのでしょうか? 再
び外を見ていると、ホームにファンとおぼしきカメラを抱えた若者が現れ列車の前に向かって歩いて
行きました。
若者が見えなくなって少し経つと、4人目の新客が乗って来ました。くだんの人物は、前の座席を
回して「わがまま体勢」に入ろうとしていましたが、席の回し方が分からずに悩んでいました。けっ、
列車旅のトーシロの分際で厚かましいんだよ。
と、心の中でこきおろしていると、2本目の貨物列車が通過して行きました。旅客列車がほとんど
走らない夜間は貨物列車が主役なのです。
時間調整とおぼしき長時間の停車を経て高崎から出発。5:07に熊谷に停車しました。同駅ではひと
りが降りて行きました。
熊谷周辺で空が明るくなって来ました。大宮到着前の5:30、チャイム代わりのカッコウの鳴き声が
流れた後、車内放送が再開され車内灯が通常灯に切り替わりました。
「長岡より進行方向が逆になっております」
とのアナウンス。まぁ、いちおう言っておかないと、爆睡していた人で目覚めて何事かとうろたえ
る人がいないとも限りませんからな。
大宮の手前にあった車庫を見ると、今年の8月をもって全車が退役した301系が留置されている
のが見えました。
同車両には、今年の4月に実施した旅行記第14弾で退役前記念の「駆け込み企画」として乗りま
した。
通勤型である301系は、イヴェント用とかに転用するには不向きな車両であるため、たぶん保留
車とはならず、このまま全車解体されてしまうでしょう。悲しい事です。
5:39に大宮に到着。同駅を発車してすぐ右手に、『さいたま・スーパーアリーナ』なる巨大な施設
が見えました。同施設のHPによると、競技やコンサート等に使える多目的施設であり、客席数は常
設で2万7000、最大で3万7000まで設定可能なんだそうです。
大宮から25分で急行『能登』は、終点の上野駅に到着しました。金沢を発ってから7時間53分
の乗車でした。
金沢から長躯517キロを走破して上野駅に到着した 急行『能登』です。何となく上野は夜行列車が似合うよ うな気がしますな。 【東京都・上野駅】 |
今年4月の旅行記第14弾で乗った「臨時大垣夜行」以来の座席夜行乗車でしたが、やはり座席は
キツいですな、ほとんど寝られませんでした。私もまだまだ修行不足と言うところでしょうか?(^^;
『能登』に使用されている489系は、もはや相当に老朽化が進んでいますが、今のところ置き換
えの話は聞いていません。味がある車両なので、これからもガンバって走り続けて欲しいものです。
さてと、睡眠不足で、いささかヘロヘロの状態ですが、今回の「旅」は、これで終わりではありま
せん。
このまま帰るのも勿体ないので、引き続き「抱き合わせツアー」として、特急2本を乗り継ぐ「房
総半島一周」に行ってみましょう!(←アホや(^^;)
上野6:11発の山手線外回り・普通501Gです。まず は東京駅まで移動しましょう。 【東京都・上野駅】 |
続きは、また次回と言う事で・・・。(^^;
第4部につづく・・・。
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