2003年4月20日掲載
『列車まかせの旅』第11弾(2003年1月11日)


プロローグ

 それは「寝耳に水」の二連発でした。話は少し遡りまして、最近すっかり列車好きとなった私は鉄
道関連のHPをネットサーフするようになっていました。

 その中にはJR西日本のHPもあり、同HPには保有車両を紹介する「車両図鑑」なるコーナーが
ありました。

 「車両図鑑」の普通EC(在来線用電車式車両)の車種リストには、見た目でエラく古そうな『ク
モハ42』なる車両の名前がありました。

 それを見た時は、てっきり何処かの車両基地で保存されている旧型電車だろうと思い、それ以上は
詮索しませんでした。

 ところが2002年12月末のある日、いつものように鉄道関連HPをサーフしていて、偶然にも例の
『クモハ42』が現役で山口県のJR小野田線の支線を走っている事を知り度肝を抜かれてしまいま
した。これが「寝耳に水」の一発目です。

 慌てて『クモハ42』の事を調べて見ると、同車両は何と第2次大戦前の1933年製であり、現在に
至るまで実に70年間も走り続けている事になります。

 「こりゃマジでスゲぇ・・・」、全国の現役JR車両の中では文句無しの最古参になるでしょう。
ぜひ乗りに行かねば・・・。

 しかし、それからほどなく、第二の「寝耳に水」が飛び込んで来ました。何と、同車両が2003年3
月のダイヤ改正をもって現役を引退してしまうとの事でした。

 とある鉄道雑誌で同車両を紹介する記事を読んだところ、古い上に木製の内装を持つ同車両を保守
する為の人材や設備が今のJRには無いとの事で、早晩、同車両の運行が維持出来なくなるのは明ら
かでした。

 しかし、まだ同車両を知ったばかりなのに引退とは・・・。これは年明け早々にも乗りに行かにゃ
ならんでしょう。

 ダイヤ改正までには、まだ2ヶ月以上ありますが、2月に入ると土日も仕事になってしまう可能性
がある為、私にとってもはや時間の猶予は無かったのです。

 単に乗りに行くだけならば新幹線で行って乗って帰ってくれば良いのですが、それでは余りにも味
気ないので、以前より暖めていた「旅」プランのひとつを発動し、山口県まで移動する事にしました。

 その「以前より暖めていたプランのひとつ」とは、大阪発・米子行の夜行の急行『だいせん』に乗
る事でした。

 このプランでは、『だいせん』で米子に着いた後は、引き続きJR西日本最新鋭特急型気動車であ
るキハ187系で編成された特急『スーパーおき1号』に乗って小郡まで行く予定になっていました。

 まだ思案途中だった同プランでは小郡から先の事は未定でしたが、そこから今回の目標である『ク
モハ42』が走る小野田線は近いので、後は宇部線、小野田線と乗り継げば目的の電車が出る雀田駅
に着きます。ひとつ問題なのは、くだんの電車が朝夕しか運行されていない事であり、この山陰ルー
ト回りで行くと早く着き過ぎてしまう事でした。

 小郡に着いた後、4時間ばかし時間潰しをしなければなりませんが、周辺にある路線のどれかでも
乗り潰そうかと時刻表を検討したところ、いずれも4時間では往復出来ない事が判明しました。

 そこであれこれ考えた結果、いったん普通列車で山口線の山口駅まで出て、県庁所在地である山口
市街を散策する事にしました。

 本旅行記の出発前に「旅」に持って行く為の携帯時刻表の更新を行いま
した。この交通新聞社発行の『携帯全国時刻表(2002年7月号)』は、旅
行記第3弾〜第10弾まで、北は北海道の函館から南は九州の博多に至るま
で共に「旅」した我が相棒です。
 携帯用として何も考えずに買ったのですが、実はこのオレンジ表紙の携
帯時刻表は関西圏をメインに監修された版であり、関西圏の路線は詳細な
時刻表が載っている反面、他の地域の路線では駅が端折られていたり、一
部、掲載されていないローカル線があったりするので、全国のマニアック
なローカル路線を巡る旅に持ち歩くには少々不向と言えます。
 新しい「相棒」こと交通新聞社発行の『小型全国時刻表(2003年1月
号)』です。同社の携帯時刻表でも、こちらは全国のJR線が網羅され
ているので、ローカル線の普通列車もバッチリ載っています。


第1部:「夜行列車愛好家への道」その10/急行『だいせん』

 急行『だいせん』は、大阪←→米子間で毎日1往復が運行されている夜行の急行です。車両は急行
型気動車であるキハ65系の座席を換装した改装車が充当されています。

 今回乗るのは、23:15大阪発の下り列車であり、終点の米子には翌朝の5:43に到着します。また、
同列車は途中の倉吉駅からは種別が一般の快速となり、急行券なしでも乗れるようになります。

 で、当日の土曜日。夜まで自宅でのんびりした後、夕食を済ませてから私は大阪駅に向かいました。
これまでの「旅」で、このようにゆっくりと出発できたのは第7弾で夜行の急行『きたぐに』に乗っ
た時以来ですな。

 ゆっくりしたとは言え、『だいせん』が入線する前にはホームにいたかったので、少し早めに自宅
を出たのですが、少々早く着きすぎました。

 吹きさらしのホームで待っているのも寒いので、階段を降りた所の通路の端っこで壁に背中を預け、
鉄道雑誌を読んで時間を潰す事にしました。

 雑誌を読んでいてふと頭に浮かんだのが、旅行記第7弾で乗った急行『きたぐに』の座席車の様子
を見忘れた事でした。

 第7弾では私は同列車の3段式B寝台に乗ったのですが、その時、同列車に充当されている583
系と言う座席/寝台両用車両を座席状態にした自由席車両の様子をうっかり見忘れてしまったのです。

 都合が良い事に、『きたぐに』は『だいせん』が出発する少し前に大阪駅の11番ホームに入線す
るので、暇つぶしを兼ねて見に行く事にしました。

 急行『きたぐに』に連結されているグリーン車(サロ
581)です。他の車両は、すべて座席/寝台の両用車
両ですが、このグリーン車だけは座席専用車となってい
ます。
【大阪府・大阪駅】
 寝台を収納した状態の座席車です。ボックス・シート
ですが、一般車のボックスよりシート・ピッチが広く、
のびのびと座れるとの事です。しかし、外から見ただけ
では、それもいまいちよく分かりませんでした。一回、
乗ってみたいものですな。
【大阪府・大阪駅】

 『きたぐに』に次々と乗り込んで行く人々を眺めていると何だか少し羨ましい気持ちになりました。
私とてこれから夜行列車に乗るのですが、やはり寝台に乗る方がゆっくり出来ますしね・・・。

 さ、見るものも見たし、そろそろ時間だし、『だいせん』が出るホームへ参りましょう。私は階段
を降りて1番ホームへと向かいました。

 急行『だいせん』の急行券・指定券です。同列車には
自由席もありますが、夜行列車は座れないと悲劇なので
いつも指定席を取るようにしています。

 ホームに上がってみると、すでに『だいせん』は停車していました。通常は2両のミニ編成なのに、
今日は3両編成になっていました。土曜日だからでしょうか?

 大阪駅1番ホームに停車中の急行『だいせん』です。
キハ65系と言う旧式な急行型気動車ですが、車内は改
装され座席も上等なリクライニング・シートに換装され
ています。こちらは大阪方の末端車で、オリジナルのキ
ハ65系のマスクです。
【大阪府・大阪駅】
 こちらは米子方の末端車です。車体は同じキハ65な
のですが、展望座席化改造が施された車両であり、かつ
ては特急『エーデル北近畿』として使用されていたもの
です。
【大阪府・大阪駅】
 車両の展望座席部分を側面から撮ったところです。展
望席は先頭から4列目までで、5列目以降は仕切壁を挟
んで普通の高さの座席になっています。この座席はグリ
ーン席ではなく普通の指定席なので、たぶん、いの一番
に指定席を取った人がこの "特等席" に座れるのでしょ
うね。
【大阪府・大阪駅】
 車内の様子です。オリジナルのキハ65ではボックス
・シートがずらりと並んでいるのですが、この『だいせ
ん』用の車両は座席がリクライニング・シートに換装さ
れ居住性が格段に向上しています。
【急行『だいせん』車内】
 座席の様子です。特急用車両と同等(と、言うより廃車になった
特急用車両から外した中古か?)の座席であり、座り心地は良好で
す。座席間の肘掛けは付いていません。
【急行『だいせん』車内】
 座席の背面です。これまた特急用車両と同じく大型のテーブルが
装備されています。中古だからなのか、シートは少々くたびれてい
ました。
【急行『だいせん』車内】
 「エーデル車」内の "一般" 指定席から前方の展望席
方向を写したところです。ご覧の通り壁で仕切られてい
ます。
【急行『だいせん』車内】

 23:15、急行『だいせん』は定刻通りに大阪駅を出発しました。私が乗る先頭車(指定席)の乗車
率は30%と言うところでした。

 急行型気動車に乗るのはこれが初めてでしたが、急行型とは言え、やはり気動車は気動車であり、
エンジンが上げる咆吼の割に立ち上がりの加速は緩やかでした。ここが「ガクン」と動き始め、力強
くグイグイ加速する電車と違うところですな。

 列車は7分で最初の停車駅である尼崎に着きました。見慣れた駅ではありますが、急行型列車の、
しかも気動車で乗りつけるのは妙な気分です。

 尼崎のホームにはパラパラと人影がありましたが、我が車両にはひとりも乗って来ませんでした。
ホームにいた何人かは、『だいせん』に物珍しげな視線を注いでいました。たぶん、普段はこの時間
に尼崎にはいない人々なのでしょう。

 尼崎を出た『だいせん』は、東海道本線に別れを告げて福知山線に入り、快調に飛ばし始めました。
この走りは停車駅の多いローカル線の気動列車では味わえないものです。

 エンジン音は非常にうるさいものの、私はそれが気動車の魅力のひとつだと思っていましたし、換
装されたリクライニング・シートは座り心地も良く、シートピッチもそこそこ広かったので居住性は
良好でした。

 私の座席は車両右列の窓側だった為、時々、すれ違う見慣れた列車のシルエットが見えました。こ
の辺りの路線は普段から通勤型の電車でよく利用しており、区間運転エリアだけあって運行本数も相
当なものです。

 そんな都市部バリバリの路線をディーゼル・エンジンの轟音を轟かせながら気動列車で駆け抜ける
のは何ともミス・マッチな気分がします。

 尼崎から17分で宝塚駅に到着。ここはJR福知山線と競合する阪急電鉄・宝塚線の起点駅でもあり
ます。また、ここにある宝塚歌劇団は余りにも有名ですね。宝塚では、我が車両に3名の乗客が乗っ
て来ました。

 宝塚を出て間もなく、右手に照明を散らした巨大な山が見えて来ました。まるで山全体が都市のよ
うに見えます。

 実に幻想的な景色です。福知山線には何度も乗った事がありますが、そのほとんどは昼間の乗車だ
ったので、このような景色があるとは知りませんでした。

 23:53に三田駅に到着。ここでの乗降はありませんでした。その次の新三田駅はスルーしました。
新三田は新興住宅地の為に新たに造られた駅であり、大阪方面から来る普通列車は、ここで折り返し
ます。

 福知山線は、新三田駅までが高密度運転区間であり、昼間は5〜6分間隔で列車が運行されていま
すが、これが新三田を過ぎると運行本数は一気に減って30分間隔となります。

 新三田を通過したかしないかのところで検札が来ました。時間が時間だけに、すでに眠っている人
もおり、車掌は小声で声を掛け、眠り込んでいる人は検札せずにスルーしました。

 検札の後も私は眠ることなく窓から外の暗い景色を眺めていました。車内の暖房は効きが少々弱く、
足下がスースーして来ました。

 車掌が行ってからしばらくして、0:03に夜行列車得意の社内放送休止のアナウンスがありました。
翌朝の再開は倉吉からだそうです。

 放送休止の案内が終わると、宝塚から乗って来た中年男性の二人組が、空いていた前の座席を後ろ
に回すと座席に脚を載せてくつろぎ始めました。ったく、指定席だっつーの・・・。

 また、私の一列前の左側の席には若いカップルが座っていたのですが、女性の方はさっさと寝る体
勢に入ったものの、男性の方は延々と携帯時刻表をめくっていました。いったい何を調べているんだ
ろう?

 0:14に案内放送のないまま列車は篠山口駅に到着しました。ここでは、両手にやたらとたくさんの
袋を抱えたカップルが悪戦苦闘しながら降りて行きました。

 我が車両には誰も乗ってきませんでしたが、駅着時に数人の乗客がホームにいるのが見えたので、
自由席の方には乗ったようですね。

 窓から外を見ると、運転を終了したと見える113系のリニューアル車両とおぼしき列車が4本、
構内に留置されていました。

 福知山線は篠山口駅までが近郊区間であり、ここから先はさらに運行本数が減って、普通列車は1
時間に1本となってしまいます。

 私はずっと起きているつもりは無かったので篠山口を出たところで目をつぶったのですが、睡魔は
なかなか訪れず、結局、外の景色を眺めていました。見ると、例の兄ィちゃんは、未だに時刻表を眺
めています。私は心の中でこの兄ィちゃんを「時刻表の兄ィちゃん」と命名しました。

 篠山口から20分で柏原駅に到着。ここでは乗降はありませんでした。柏原から20分ちょいの0:56に
『だいせん』は、京都府中北部の主要都市である福知山に到着しました。

 福知山線の終点福知山駅です。この駅は、山陰本線が
通る他、福知山線、舞鶴線、それに第三セクターの北近
畿タンゴ鉄道の起点駅です。
【急行『だいせん』の車窓より】

 福知山は、私も何度か訪れた事がある駅です。列車が福知山に着くと、さすがに6〜7人が下車し
ました。さらに「時刻表の兄ィちゃん」と「宝塚中年ペア」の片割れまでもが相棒を車内に残したま
まホームに降りて行きました。

 おいおい、福知山にはそれなりの時間停車するだろうけれども、ホームに降りている 余裕なんか
あるんかいな?

 しかし、5分以上経っても二人は戻らず、列車もまったく動く気配がありませんん。そこで時刻表
を取り出して見てみると、何と!ここでは24分も停まる事になっているではありませんか!

 なるほど。二人は、これを承知の上で「散歩」に出たんですな、やるなぁ。「時刻表の兄ィちゃん」
が時刻表をめくり続けていたのも、まんざら伊達ではなかったと言う事ですな。

 腕時計で時間を確認すると、停車時間は、まだたっぷり10分以上あったので、私は車内のトイレに
立ちました。

 デッキに出て貫通路を通り2両目へ行って見ると、何とそこにはトイレは無く、いきなり2両目の
客室へ通じるドアがありました。

 2両目に入った所にトイレは無く、いきなり客室へ通じるドアあ
りました。その手前左側には、荷物置場がありました。
【急行『だいせん』車内】

 おいおい、ってこたァ、トイレは3両目か? せっかく指定席に乗ってるってのに、これじゃ余り
にも不便過ぎる・・・。

 通常の『だいせん』は2両編成ですから、ここにトイレがあるのですが、今日に限って何で3両編
成にするのかなぁ・・・。

 2両目の中を往復するのも何か嫌だったので、私はいったんホームへ出て外回りで3両目のトイレ
に行き、用を済ませました。トイレは洋式と小用のふたつがありました。

 トイレから出る為にドアを開けると、入ろうとしていたおっちゃんとハチ合わせしました。お互い、
一瞬驚いた後、おっちゃんが口を開きました。

おっちゃん「えらい長ぉ停まっとるなぁ」

私「1時20分の発車です」

おっちゃん「20分! そんなに停まるんかいな!」

ほろ酔い加減のおっちゃんは、そう叫ぶとトイレに入って行きました。

 私はホームを歩いて1両目に戻る途中で、停車中の『だいせん』の写真を何枚か写しました。

 1両目の乗降口横から列車後方を写したところです。
彼方にポツンと写っている黒い人影は、こちらに向かっ
て歩いて来る「時刻表の兄ィちゃん」です。
【京都府・福知山駅】
 列車の行先表示です。旧式な車両なので巻取式の方向
幕ですらなく、懐かしいプレート差込式です。
【京都府・福知山駅】

 1両目に戻って見ると、さらに二人の乗客が前席を回してゴロ寝していました。こういう無秩序ぶ
りも夜行列車ならではの光景です。

 以前、乗車した急行『ちくま』や快速の『ムーンライトながら』、『ムーンライトえちご』でもそ
うでしたが、夜行の座席車と言うものは、夜半を過ぎると車内にはダレた雰囲気が漂います。

 座席車は夜間の長距離移動用としては居住性が悪く、単に移動の為に利用している乗客にとっては
快適とは言い難いと思います。このような列車に嬉々として乗っているのは、マニアさんか私のよう
単なる列車好きぐらいなものでしょうな。(^^;

 たっぷり停車した『だいせん』は1:20に福知山駅を発ち山陰本線に入りました。30分走って次の
停車駅である和田山に到着しました。ここでは乗降はありませんでした。

 和田山駅からは姫路へと延びる播但線が出ています。
ホーム上に掲示されていた播但線ホームの案内です。
【急行『だいせん』の車窓より】

 さらに40分走って豊岡に停車。ここでは一人が乗って来ました。外を見ると、左には485系とお
ぼしき特急車両、右には113もしくは115系が留置されていました。

 『だいせん』は、またしてもここで20分ほど停車してから出発しました。時間調整の停車にしては
中途半端な時間ですな。

 さらに10分程度走って有名な城崎に停車。城崎で停車中に車内灯が減光されました。

 城崎駅では、対面のホームに3:01発の上り『だいせ
ん』の案内表示が出ていました。その下に表示されてい
た普通の始発列車は9:32発になっていました。この辺
りの始発はずいぶんと遅いんですな。
【急行『だいせん』の車窓より】
 城崎駅停車中に車内灯が減光されました。減光と言っ
ても車内灯の照度が変わるのではなく、1コ飛ばしに消
されただけでしたが・・・。
【急行『だいせん』車内】

 城崎を出て10分ほど走っところで列車が停車しました。時間は2:50、窓から見ると何処かの駅に
停まっていましたが、時刻表によると、その時間に停車する予定にはなっていませんでした。

 どこかに駅名標が見えないものかと目をこらしてみてもそれらしい物は見当たりませんでしたが、
どうやら竹野駅あたりに停まっているような気がします。

 とか何とか思いを巡らせていると、何と対面の線路に上りの『だいせん』が現れて通過して行きま
した。なるほど、これを待っていたんですな。結局、3分程度の停車でした。

 上り『だいせん』と交換してから20分ほどで香住駅に到着。乗降はありませんでした。

 香住駅は、JRのイヴェント列車「かにカニ・エクス
プレス」の目的地でもあります。ホームには、同列車で
訪れる客を歓迎する横断幕が掲げられていました。
【急行『だいせん』の車窓より】

 次の浜坂駅でも乗降なし。そして『だいせん』は4時過ぎに鳥取駅に到着しました。意外な事に、
鳥取駅では我が車両からは誰も降りませんでした。

 広い構内にひと気の無い鳥取駅を出て約30分後、倉吉駅到着前に車内放送が復活しました。倉吉で
は3人が降りて行きました。

 列車が急行『だいせん』として走るのはここまでで、ここから先は通常の快速に種別が変わります。
たぶん、地元の始発列車としての役目も果たしているのでしょう。

 列車が倉吉を出ると、おもむろに「時刻表の兄ィちゃん」が立ち上がり、車両前方の「特等席」に
入って行きました。なるほど、倉吉以降は指定席も解除されて全席自由となるので、さっそく前を見
に行ったんですな。

 次の浦安駅では二人降り、代わりに地元のおばちゃんが二人乗って来ました。まだ朝の5時だっつ
ーのに、もう働きに行くのかな?

 続いて赤碕駅に停車。ここでは一人乗って来ました。同駅を出たところで私は温存していた缶コー
ヒーを空けて飲み始めました。

 一人旅では荷物と座席の番が出来ないので、列車に乗っている時は、なるべくトイレに行かずに済
むよう飲み物は余り口にしないようにしているのですが、もう終点の米子までそう時間は掛からない
ので尿意をもようしても大丈夫です。

 アサヒ飲料の缶コーヒー『ワンダ/モーニング・ショット』です。コクの
ある口当たりで、「朝専用」を売り言葉にデヴューしたコーヒーですが、私
はこのコーヒーを昼過ぎに飲むのが好きです。(^^;

 コーヒーをチビチビ飲っていると「時刻表の兄ィちゃん」が戻って来ましたが、自分の席に座るか
座らないかの内に、また前の「特等席」に戻って行きました。いったい何をやっとるんじゃろう?

 御来屋(みくりや)駅では一人乗りました。ここでは列車交換の為に2分間停車しましたが、対向
で現れた普通列車は何と国鉄色塗装のキハ58系気動車でした。キハ58は、まだ未乗車の車両です。
乗ってみたいなぁ・・・。

 御来屋のホームには、「山陰最古の駅」と表示が掲げられていました。へー、そうなんだ。確かに
古そうな駅舎ですな。

 御来屋の次は大山口駅に停車しました。よくは知りませんが、ここが山陰の雄峰、大山への登山口
なのでしょうか?

 大山口の次は伯耆大山駅に停車しました。ここからは岡山へと延びる伯備線が出ており、乗り替え
の案内放送がありました。

 我が『だいせん』は同駅の1番線に停車しましたが、3番線には、「山陰色」と呼ばれる、くすん
だ赤色に塗装された一般型の気動列車が停車していました。

 そして5:43に『だいせん』は終点の米子に到着しました。大阪駅を出発してから6時間28分の乗車
でした。

 米子駅に到着した急行『だいせん』です。時間はまだ
朝の6時前とあって外は真っ暗でした。
【鳥取県・米子駅】

 1月とあってさすがに外は冷えました。私はいったん駅舎にあるトイレに行って小用を済ませてか
ら、次に乗る特急『スーパーおき1号』が待つホームへと向かいました。


第2部:「ちょっとこだわりの列車」その6/特急『スーパーおき1号』

 ここから先、小郡までは、気動車特急の『スーパーおき1号』に乗ります。気動車の特急に乗るの
は、これが旅行記初です。

 『スーパーおき』は、米子←→小郡間で1日3往復運行されている走行時間4時間級の特急です。
車両は特急型気動車としてはJR西日本で最新鋭となるキハ187系が充当されています。

 ただし、新鋭車両で運行されているとは言え、『スーパーおき』が走る区間の乗車率はそれほど高
くない為、特急とは言えわずか2両と短い編成での運行となっています。

 私が不思議に思ったのは、この新型のキハ187系が、なぜか山陰路線でしか運用されていない事
です。JR西日本では、山陰路線の他、大阪←→浜坂間、岡山←→鳥取間、小倉←→益田間の陽陰3
路線で気動車特急を走らせていますが、なぜかこれらは旧式なキハ181系で運行されていたのです。

 後日、知ったところでは、このキハ187系は、山陰路線の活性化を望む地元の支援を得て製造さ
れた車両との事なので、真っ先に同線区に投入されたのもうなずけます。いずれは、キハ181系も
この187系に置き換えられていくのでしょう。

 米子駅に停車中の特急『スーパーおき1号』です。使
用車両は特急型気動車としてはJR西日本で最新鋭とな
るキハ187系ですが、切り立った簡素な車体形状は、
まるで通勤型車両のようです。
【鳥取県・米子駅】

 新型然としたキハ187のステンレス製車体を一渡り眺めた後、さっそく車内に乗り込みました。

 キハ187系の車内です。いかにも新型と言わんがば
かりの雰囲気です。
【特急『スーパーおき1号』車内】
 客室の出入口上には、今や新型の急行/特急型車両で
は当り前のように装備されている(と思われる(^^;)L
ED式案内表示がありました。
【特急『スーパーおき1号』車内】
 リクライニング・シートです。旅行記第10弾で乗った関空特急
『はるか』の281系でもそうでしたが、なんか背ずりが「薄い」
ような気がします。新式のシートってのはこのように薄いものなの
でしょうか?
【特急『スーパーおき1号』車内】
 座席を横から見たところです。山口駅到着前に撮った写真なので
外が明るくなっています。急行『だいせん』と比べてシート・ピッ
チは広く、座り心地は悪くありませんでした。
【特急『スーパーおき1号』車内】
 窓枠は樹脂製ですが木目調に見える加工が施されており落ち着い
た雰囲気を醸し出していました。
【特急『スーパーおき1号』車内】

 車両前寄り左列にある自分の座席に座ってから車内を見渡すと、乗客はわずか5人しかいませんで
した。そりゃそうでしょうな、まだ朝の6時前だし。

 私と同列の右側席に座った乗客は、自分の隣の座席にチェロか何か大きな弦楽器の入ったケースを
置いていました。

 音楽家が楽器を大切にするのは当然であり、特に高価なアコースティックの楽器ともなると非常に
デリケートですから宅配便のトラックで送るなどもってのほかであり、一緒に電車に乗せる気持ちは
分かるのですが、果たして、この楽器を置く座席の指定券も買ったりしてるのかな?

 とか考えている内に定刻の5:58が来て『スーパーおき1号』は米子駅を出発しました。例の「時刻
表の兄ィちゃん」と「宝塚中年二人組」の姿は車内に見当たりませんでした。米子で降りたのかな?

 新型車両とは言え加速を始めたキハ187のエンジン音は非常にうるさく、『だいせん』の旧式な
キハ65と大差ありませんでした。気動車の防音って難しいんですかね?

 列車は全力では走らず、「流す」程度の速度で最初の停車駅である安来に到着しました。安来を出
ると『スーパーおき1号』は全力で走り始めました。いよいよ特急たる本領発揮と言うところでしょ
うか?

 騒音は、さらに凄まじくなり、その音に「キーン」と言う金属音が混じり始めました。確かこの車
両のエンジンはターボ付きのはずです。

 車窓から外を見ると、おー、速い速い。手加減気味に走っていた『だいせん』と違い、こっちは堂
々たる特急の走りっぷりです。

 安来を出ると、すぐに検札がありました。相変わらず音楽家さんのチェロ(?)は座席に置いてあ
りましたが、車掌は検札を済ませるとさっさと行ってしまいました。やっぱチェロ(?)の分も指定
券を買ってあったのかな?

 松江に着くと音楽家さんは下車しました。ここで演奏会でもあるのかな? この時間に「現場」に
入るとなると、とても前日移動とは思えませんから当日中に演奏があるんでしょうが、寝不足で大丈
夫なんでしょうかね?

 音楽家さんが座っていた座席には、入れ替わりにこの駅で乗って来た老夫婦が座りました。他に空
いている座席がいくらもあるのに、何でわざわざ同じ座席に割り振るのかな?

 乃木駅では、岡山へ向かう特急『やくも4号』と会合しました。特急『やくも』は岡山と出雲市を
結ぶ陽陰特急であり、いずれは「乗覇」したいと思っています。

 宍道駅到着前には木次線の乗り替え案内がありましたが、次の列車は7:39発との事でした。約1時
間待ちですな。

 木次線はスイッチバックで有名な路線であり、旅行記の「スイッチバッカーへの道」シリーズのひ
とつとして同線の乗車プランは策定済です。

 宍道を発車してほどなく、例の老夫婦の旦那さんのほうが「ちょっと寒いなぁ」とボヤくのが聞こ
えました。

 車内の暖房の効き具合は充分とは言えないものの、それでも足下が冷えた『だいせん』よりはマシ
であり、私はそう寒いとは感じませんでした。

 太田市駅の手前で夜が明け始めました。太田市では、米子へ向かう特急『スーパーくにびき4号』
と会合しました。この「くにびき」も「おき」と同じくキハ187系で編成された列車です。

 江津駅では、キハ126系普通列車と会合しました。この新しい一般型気動車も、まだ未乗車の車
両です。

 山陰路線を通るのはこれが初めてですが、今回は『スーパーおき1号』で通過するだけなので、い
ずれまた普通列車を堪能しに来なければならないでしょう。

 太田市を出る頃には外はすっかり明るくなっていましたが、窓から見える景色には朝モヤが掛かり
始めていました。

 うとうとしている内に、いつの間にか列車は益田駅を出発して山口線へと入っていました。外の朝
モヤはますます濃くなっていて三谷駅到着前には、百メートル先も見えなくなっていました。

 三谷駅到着前の景色です。濃い朝モヤが掛かり、遠く
が見えなくなっていました。
【特急『スーパーおき1号』の車窓より】

 三谷駅では、米子へ向かう『スーパーおき2号』と会合しました。小さなローカル駅のホームに2
本の特急列車が停まっている光景は、何とも不思議でした。

 三谷を出ると徐々にモヤは薄れて行きましたが、まる
で雲が地表に降りているかのように見える光景です。
【特急『スーパーおき1号』の車窓より】

 三谷を出て25分、ほぼ10時に山口県の県庁所在地である山口駅に到着。しかし、眠りこけていた
私は山口駅に停車した事には気づきませんでした。

 気づくと列車はすでに小郡駅間近まで辿り着いていました。駅着前に車両左側の外を眺めていると、
小郡駅の構内に転車台と扇状に広がる留置線が見え、続いて右手に茶色い客車が1両見えました。

 〈あの茶色い客車は何だろう?〉と考えている内に『スーパーおき1号』は終点の小郡駅に到着し
ました。

 小郡駅に到着した特急『スーパーおき1号』です。右
隣の一般型気動車は10:15発の山口行・普通列車631
Dでしょうか?
【山口県・小郡駅】

 小郡駅は山陽新幹線では何度も通ってはいましたが、下車するのは、これが初めてです。今回の
「旅」において小郡は途中下車予定駅ではなかったのですが、次の目的である小野田線の支線を走る
「クモハ42」は、特異なダイヤ編成の都合により夕方まで走らないので、どこかで4時間ほど時間
を潰す必要がありました。

 4時間もあれば何処かに行けるだろうと思い、「旅」の計画段階でJR岩徳線や、第三セクターの
錦川鉄道の乗り潰しなども当たって見ましたが、いずれも4時間では小郡まで戻れない事が判明しま
した。

 あれこれ考えた結果、今しがた『スーパーおき』で走って来た山口線を普通列車で後戻りし、山口
県の県庁所在地である山口駅を訪ねて見る事にしました。

 次の山口行・普通列車は11:12発で1時間ばかし時間があったので、散歩がてら小郡駅の周辺を見
た後、駅着前に車窓から見えた転車台と客車を見に行く事にしました。

 小郡駅です。山陽新幹線、山陽本線が通る他、山陰の
益田駅に至る山口線の起点駅でもあります。こちらが駅
の「表口」になります。
【山口県・小郡駅】
 小郡の駅前を写したところです。「表口」の駅前はそ
れほど大きなビルも無く、地方都市と言った趣です。
【山口県・小郡駅】

 私は駅を出て右手にあった「表」、「裏」の連絡橋を通り「裏口」へと行って見ました。

 小郡駅の「裏口」です。こちらはいかにも新幹線駅然
とした大きな駅舎があり「表口」より立派に見えます。
【山口県・小郡駅】
 「裏口」の駅前風景です。ホテルやビルが建ち並び、
「表」とはまったく違った雰囲気です。後から開発され
た事がありありと分かります。
【山口県・小郡駅】

 「裏」の駅前を見た私は、転車台と客車を見に行くべく元来た連絡橋を渡り「表」へと戻りました。

 連絡橋の上から写した小郡駅「裏口」駅舎裏の保線基
地(?)です。新幹線用とおぼしき保線用車両が何両か
停まっていました。画像中央やや上の保線用モーター・
カーが停まっている線路は、新幹線用と在来線用の両方
の車両が乗り入れ出来るように標準軌幅と狭軌幅の3本
のレールが敷かれています。
【山口県・小郡駅】
 同じく連絡橋の上から小郡駅の在来線ホームを写した
ところです。左側に停車しているのは115系のリニュ
ーアル車ですが、右側に停まっているのは115系なの
か415系なのか分かりません。(^^;
【山口県・小郡駅】

 連絡橋を降りた私は右に曲がり、線路に沿って客車が置かれている方向へと向かいました。数分も
歩くと右手の構内の留置線に1両の茶色い客車が停まっている所に来ました。

 〈旧型客車か?〉と期待したのですが、残念ながら車
体側面には「オハ12」の文字が・・・。12系は昭和
44年から量産された「比較的」新しい急行型客車で、
現在は全車両が臨時用か予備車か保留車扱いになってい
るようですが、いちおう現役の1車種です。この「オハ
12」は小郡←→山口間を走る臨時のSL列車『やまぐ
ち号』用に使用する為にレトロ風に塗装変更されたされ
たものなのでしょうか?
【山口県・小郡市】

 鉄道素人の私は「旧型客車」の定義がいまいちよく分かっていないのですが、とあるモノの本によ
ると、昭和44年以前、つまりこの12系より前に製造された47系以前の型式をそう呼んでいるよ
うです。

 私はちょっぴりガッカリしましたが、気を取り直して次の転車台を見に行く事にしました。JRの
施設らしき横長の簡素なビルの前を通過すると道は左へとカーブしており、右手の線路からは徐々に
離れて行っていました。

 私は線路に沿って歩くため、その先の右手にあった、車1台分の幅しかない脇道を曲がりました。
その道を数十メートルも歩くと線路際に出ました。見ると、何と真正面に例の転車台があるではない
ですか!

 正面に転車台があるのですが、地上レヴェルから見る
とよく分かりませんな。(^^; 転車台の周りにある扇状
の留置線には、一般型の気動車と保線用のモーター・カ
ーが1両ずつ停まっていました。
【山口県・小郡市】

 さて、ぼちぼち山口行の列車が出る時間が迫って来たので、小郡駅に戻りましょう。戻る途中で私
は先の連絡橋に昇り、小郡駅の構内を写しておく事にしました。

 広大な小郡駅の構内。ヤードは、右隅に写っている新
幹線の高架間際まで広がっています。
【山口県・小郡市】

 さてと・・・、それでは山口へと参りましょう。

 第3部につづく・・・。


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