2003年04月27日掲載
『列車まかせの旅』第11弾(2003年01月12日)


第3部:「ちょっとこだわりの列車」その7/JR小野田線「クモハ42」

 徒歩散策を終えて小郡駅に戻った私は自動券売機で山口までの切符を購入し、さっそくホームへ出
ました。

小郡から山口までの近距離切符です。230円区間ですか
ら、けっこう近いですな。

 小郡駅の山口線のホームには、まだ列車の姿はありませんでしたが、すでに20〜30人の人々が待っ
ていました。

 ほどなく入線して来た折り返し運転の山口行・普通列車633Dは、この方面の気動車の標準塗装
である黄色と白のツートンに塗装されたキハ47系の2両編成でした。この塗装の気動車は、かつて
可部線で乗ったので、違う色だと良かったのですが・・・。

 小郡駅に停車中の山口線・山口行・普通列車633D
です。キハ47系の2両編成でした。
【山口県・小郡駅】

 列車に乗り込むと、少ないボックス・シートにはすべて一人以上の乗客が座っていたので、私は乗
降口横のロング・シートに座りました。車内を見渡すと乗車率は30%と言うところでしょうか。

 山口線の景色は『スーパーおき1号』に乗っている時にだいたい見ているので山口までの道中は寝
て過ごす事になるでしょうからロング・シートで充分です。

 列車は定刻の11:12に小郡駅を出発しました。この列車はワンマン運転のはずですが、なぜか車掌
が乗っていました。

 小郡から3つ目の仁保津駅では、乗降が終わってドアが閉まったところでひとりのおばちゃんが
「あっ!」と声を上げて立ち上がり慌ててドアに駆け寄りましたが、すでにドアは閉まっています。

  (もうアカンのちゃうか?)と見ていると、おばちゃんに気付いた車掌が運転士に向かって「ドア
開けて!」と怒鳴ると再びドアが開かれ、おばちゃんは降りる事が出来ました。さすがはローカル線
ですな。これが大阪の列車だったら問答無用で発車していたところでしょうな。

 小郡から22分の乗車で列車は終点の山口駅に到着しました。9分の連絡で益田行の普通列車が出る
ので乗ってみたいのですが、今回はあきらめます。

 山口駅は、そこそこ立派な駅舎を持つものの、県庁所在地の駅にしては小ぶりに見えました。駅前
は奇麗に整備されているものの高いビルはおろか百貨店や娯楽施設、商店街の類も見当たらず、いさ
さか殺風景な印象でした。

 JR山口線の山口駅です。山口線を走る普通列車の大
半は同駅を境にして折り返し運転が行われています。
【山口県・山口駅】
 山口駅前の様子です。ご覧の通りお店がほとんどなく
殺風景な印象を受けました。
【山口県・山口駅】

 さて・・・と、ここで2時間半ばかし時間潰しをしなければなりません。どーこへ行きましょうか
ねぇ・・・。

 いちおう事前にインターネットで調べた山口市街の地図はプリントアウトして持参していました。
山口の市街は北東から南西に掛けて広がっており、奥行きは2キロ程度と横長の街でした。

 地図を検討したところでは、歩いて行ける範囲には個人的に興味をそそられるような観光スポット
はありませんでした。

 とりあえず私は、列車を降りた他の乗客の皆さんと一緒に駅前の目抜き通りを真っ直ぐ(北西方向
に)歩き始めました。

 まあまあ広い駅前通りの両側には色々な店がありましたが、駅前商店街と言った趣ではありません
でした。そのまま歩き続けていると、駅から数百メートルほどの所に、駅前通りとクロスする形でア
ーケード街が現れました。

 アーケード街は、駅前通りを挟んで両側に延びており、他のアーケード街と同様に屋根を備え、両
側には商店がずらりと並んでいました。

 山口市のアーケード街です。休日とは言え昼食時だか
らでしょうか、歩いている人はそれほどいませんでした
【山口県・山口市】

 ちょうど昼食時間だったので、私は気軽に食事できる店を探すべく、とりあえずアーケード街を右
(北東方向)に曲がりました。

 日曜日とは言え昼時だからでしょうか、アーケード街を歩く人々はそれほどいませんでした。500〜
600メートルほど歩くと屋根は途切れ、そのすぐ先で商店もまばらになったので、私は左(北西方向)
に曲がりました。

 ほどなく、市街地を北東から南西に向けて縦断する広い主要道に出たので左(南西方向)に曲がり
ました。それにしても食事出来るところが無いなぁ・・・。ここまでに見かけたのはラーメン屋1件
だけです。

 主要道の両側には、そこそこ大きな建物が建ち並んでいましたが、一人で気軽に食事が出来るよう
な店は見当たりませんでした。うーむ・・・。

 さらに先へと進み、駅前通りとの交差点を過ぎてさらに1キロ近く進みましたが、店らしきものが
まったく見つからなかったので、その道での探索をあきらめ、さらに北にある国道9号線を目指して
道路を渡り北西方向に進みました。国道沿いならば何かあるでしょう。

 たまたま私が曲がった道路は両側の歩道が奇麗に整備されていました。そのまま進み続けると学校
に突き当たりました。

 地図によるとその学校は県立の山口高校との事でしたが、見ると校門の左手に、いかにも歴史のあ
りそうな豪華な造りの講堂らしき建物がありました。

 県立山口高校の敷地内に見えた「歴史のありそうな建
築物」です。たぶん講堂の類でしょうね。
【山口県・山口市】

 私が通っていた小学校にも、かつては古い講堂があったのですが、昔の建物ってのは、やけに手の
込んだ造りのものが多いですな。

 山口高校を南からぐるりと回り込み、県道21号線に出てさらに北西へと進んで急坂を登り土手の
上にある国道9号線に出ました。

 しかし、国道9号線は市街地北側の山沿いを走っており、道幅は広かったものの、食事が出来そう
な店は見通し範囲内には皆無でした。うーむ・・・。

 やむ無く私は県道21号線を南東へと引き返しました。しかしまぁメシ食う所が無いですなぁ。こ
ーなりゃ得意のコンビニで済ませる事にしましょうか。

 とりあえず時間はまだまだあるので散策を続けましょう。地図によると、ここからそう遠くない所
に『ザビエル記念聖堂』なる観光スポットがあるようなので行って見ましょう。

 私は表通りから外れて住宅街の中を歩いて10分ほどでザビエル記念聖堂の麓に着きました。聖堂は
丘の上にあるようですが、その登り口にあった「ラ・フランチェスカ」なるレストランみたいな店は、
駐車場が満杯の上に、前の道路に待ちの車列が出来るほどの盛況ぶりでした。

 〈いったい何の店なんだろう?〉と、その時は思いましたが、後日、ネットで調べたところでは、
「ラ・フランチェスカ」はイタリアのトスカーナ地方にある小さなホテルだそうで、ここはそれをモ
チーフにしたホテル/レストランのようです。

 レストランの方は、本場イタリアのシェフが地元山口の食材を使って腕を奮う「イタめし屋」だそ
うですが、こんだけ流行ってるんですから、そうとう旨いんでしょうな。

 「ラ・フランチェスカ」を左に見ながら丘を登ると、そこにはコンクリート造りの大きな聖堂があ
りました。そこにあった駐車場は、ほぼ満杯になっており、敷地内には、数十人は下らない観光客が
いました。

 聖堂は大きくて立派な建物でしたが、直線を多用した現代風建築であり、函館で見た旧教会群と比
べると非常にシンプルに見えました。

 同施設は、かのフランシスコ・ザビエルの山口での活動を記念して建てられたそうですが、当時の
聖堂は1991年に焼失してしまい、現在の建物は1998年に再建されたものなんだそうです。

 ザビエル記念聖堂です。焼失前の旧聖堂は函館で見た
旧教会と似たような細かい細工が施された造りでしたが
再建されたこの聖堂は、いかにも現代風の造形ですな。
【山口県・山口市】

 聖堂の中は見学できるようになっていましたが、私は中を覗く事なくザビエル記念聖堂を後にしま
した。

 手元にある簡素な地図に記載されている他の「お楽しみスポット」によると何と県庁にマークが付
いていました。たぶん見る値打ちのある歴史的建造物なのでしょうが、時間的に微妙な距離にあった
のであきらめました。

 中途半端に時間が余ってしまったのですが、私は昼食を調達して駅に戻る事にしました。後日、ネ
ットで調べたところでは、山口市内には山口県政資料館を始め、洞春寺山門、洞春寺観音堂(この3
箇所はいずれも重要文化財)、瑠璃光寺五重塔(国宝)などを含め、見所はけっこうあったのです。

 私が事前調査をちゃんとやっておけば、記念聖堂に加えてこれらを巡って充実した観光気分が味わ
えたところなんですが実に惜しい事をしました・・・。(^^;

 私は駅へと戻る道すがら、コンビニに立ち寄っておにぎり3個と500ミリ・ペットボトルのお茶を
購入し、駅までの道中で平らげました。

 山口駅前にあったコカコーラの自動販売機には、私が
一番好きな銘柄のコーヒーであるジョージア/テイステ
ィがありました。私が「食後の一杯」用に購入したのは
言うまでもありません。
 このうまいコーヒーも記事を書いている現在において
残念ながら銘柄が消滅してしまいました・・・。(T^T)
【山口県・山口市】

 駅に到着した私は、目的の列車である「クモハ42」の終点である長門本山駅までの切符を購入し
ました。

 山口から小野田線・長門本山駅までの切符です。まず
小郡まで戻り、宇部線に乗り替えて宇部新川まで行き、
小野田線に乗り替えて雀田まで行き、そこから「クモハ
42」に乗って小野田線の支線を終点の長門本山まで行
く事になります。

 山口駅で30分程度時間待ちをしてから13:52発の小郡行・普通列車642Dに乗りました。列車は
往路と同じ編成でした。同列車は空いていたので、私はボックス・シートをひとり占めする事が出来
ました。

 山口駅に停車中の13:52山口発の小郡行・普通列車6
42Dです。たぶん列車は往路で乗ったのと同じ車両で
しょう。
【山口県・山口駅】

 642Dは14:14に小郡駅に到着。私がすぐに宇部線の列車が出る8番ホームへと向かうと、そこ
にはすでに列車が待っていました。

 小郡駅に停車中の14:34発・宇部線・宇部行の普通列
車1845Mです。ワンマン運行で、車両は旅行記第4弾の
和歌山線で乗ったのと同じ105系の2両編成でした。
【山口県・小郡駅】

 列車の座席は8割程度塞がっていましたが、私は何とか座る事が出来ました。列車は定刻通りに小
郡駅を出発し、こまめに駅に停車しながら進んで行きます。

 小郡から20分ほど走ったところにある岐波駅に停車した時には、DE10型ディーゼル機関車が牽
引する、ホッパ車を連ねた貨物列車と交換しました。

 小郡からコトコト揺られること50分、15:24に列車は宇部新川駅に到着しました。ここで小野田線に
乗り替えです。小野田線の路線上の起点駅は次の居能ですが、同線の列車は宇部新川を始発駅として
いるのです。

 陸橋を渡り小野田線のホームに行くと、またしても105系とおぼしき角張った外観で「丸目」の
車両が1両だけホームに停車していました。

 あーあ、また105系かぁ・・・、せっかくなら違う車両に乗りたかったなぁ・・・、って待てよ、
105系って単行(1両)運転出来たっけ?

 よくよく見ると、車体側面の雰囲気が違います。そこで側面下方に書かれている車両の形式表記を
見てみると・・・。

 「クモハ123」

 これはこれは、かねてから乗りたいと思っていた車両のひとつである123系じゃありませんか。
この123系は、国鉄時代に運行されていた荷物電車の余剰車を改造して旅客車両化したものです。

 国鉄末期に荷物電車の運行はほとんど廃止され、大半の荷物電車が余剰となってしまったのですが、
1両運行が可能な荷物電車は、利用率の低い路線にうってつけの車両と判断され、余剰車を123系
化改造して、これらの路線に投入したとの事です。

 宇部新川駅に停車中の小野田線・小野田行・普通列車
1237Mです。余剰となった荷物電車を改造した123系
と呼ばれる車両が充当されていました。私はこのような
改造車両が大好きです。
【山口県・宇部新川駅】

 123系の登場は予想外の収穫でした。私は心の中で歓喜しつつ123系に乗り込みました。車両
はワンマン化されており、ドアは車体前後端にひとつずつの2扉でした。

 座席はドア・トゥー・ドアの超ロング・シートで、一人分ずつ着席位置が分かるように模様が入っ
ていました。これならば定員分座らせる事が出来ますな。

 私は運良く座る事が出来ましたが、列車が発車する間際には、ほぼ席は満席になっていました。さ
すがにここまで来ると、車内には一見して「その筋」と分かる人たちが数多く見受けられました。

 そりゃそうでしょうな。何と言ってもこの1237Mは、夕方から運行される「クモハ42」の1本目
への接続列車ですからねぇ。

 定刻に宇部新川を発車した列車に揺られながら、私には一抹の不安がありました。それは「クモハ
42」が点検のために時たま運行を外れる事でした。

 動態車両が1両しかない「クモハ42」には代替車が存在しないため、交代用には、いま乗ってい
るのと同じ123系が充てられるらしいのですが、はるばるここまで出張って来て「クモハ42」に
乗れなかったら悲惨です・・・。

 祈るような気持ちでの10分ちょいの乗車を終えて雀田駅のホームに降りて見ると、いきなり目の前
に茶色い電車が停まっているのが見えました。良かった・・・。

 ホっとした私は、1237Mから共に降り、歓喜の声を上げる他の鉄道ファンの皆さん共々、「クモハ
42」の写真を撮りまくりました。

 雀田駅に停車している16:28発・長門本山行・普通列
車1325Mです。昭和8年に製造された「クモハ42」と
呼ばれる旧型電車で、現役のJR旅客車両の中では文句
無しの最古参です。
【山口県・雀田駅】
 車体側面には「宇部新川・雀田←→長門本山」のプレ
ート式行先表示と、本車両がクモハ42型の1号車であ
る事を表す「クモハ42001」の文字が見えます。
【山口県・雀田駅】
 縦長の窓です。窓の上下に見えるポツポツの列はリベ
ットです。本車両は溶接ではなくリベット工法で造られ
ているのです。
【山口県・雀田駅】
 ドアです。ドアは車体の前後に2箇所あります。気のせいかも知
れませんが、ドア板だけは新しい物のような気が・・・。
【山口県・雀田駅】
 車体前面に寄って撮ってみました。何ともレトロです
よねぇ。就職したばかりの頃に私鉄の能勢電鉄で旧式な
電車には乗った事がありますが、その車両もこれに比べ
ればぜんぜん「若造」でしょうな。
【山口県・雀田駅】
 ご覧の通り雀田駅には大勢の鉄道ファンの方々がいま
した。画像には写っていませんが、車両の反対の運転席
側や、その向こうの踏切にもたむろして写真を撮りまく
っていました。
【山口県・雀田駅】

 私が写真を撮っていると、何処からともなく運転士が現れ、運転室横のドアの鍵を開けて乗り込み
ました。

 乗り込んですぐにパンタグラフが上げられ、運転士はひとりで仕業前点検を始めました。見ている
と、車体の機能をひとつひとつ念入りにチェックしています。

 朝方の2往復の運行を終えてからまだ9時間しか経っていませんが、車両が古いので念には念をと
言うところなのでしょうか・・・?

 「ドアの試験をするんで、開いても乗らんでくださいね」

 側窓から首を出した運転士が、ドアの前で待っている乗客に向かってそう告げるとドアが何回か開
け閉めされました。

 その後も運転士は車内で点検を続けました。しばらくすると、たっぷり時間を掛けて点検を終えた
運転士が外へ出て来ました。

 「こらっ! パンタ上げとるんやぞ、危ないやないか!」

 出てくるなり怒鳴った運転士の視線の先を追うと、マニアらしきひとりの男性が線路に降りて車両
の反対側から写真を撮っているのが見えました。そりゃやったらあかんでしょう。

 「すごいですよねぇ」

 突然、右に並んでいた男性から話し掛けられました。

 私「えぇ、昭和8年製だそうです」

 それが「クモハ42」に関する私の全予備知識でした。

 男性「いやまったく。私はこれに乗るために大阪から出て来たんですよ」

 私「え? そうなんですか? 私も大阪からなんですよ」

 見ると、その男性は皺がほとんど見られないシングル・コートを羽織り、中はたぶんスーツ姿です。
仕事を終えてその足で来たのかな?

 その私の疑念を察したのか、男性は話し始めました。

 男性「私は列車に乗るのが好きなんですが、乗りに行く時は必ず背広を着て行くようにしているん
    ですよ」

 私「なるほど・・・、そーゆーこだわりもいいんじゃないスかね」

 こりゃまた変わった人やなぁ。まぁ鉄道マニアさんにも色んな人がいるんですな。私は心の中で、
このマニアさんを「スーツ」と命名しました。

 その後、「スーツ」さんはカメラを構えて車両に沿ってホーム上を歩いて行きました。たぶん、反
対の運転席側からの画を撮るんでしょうな。

 ふと見ると、何と! 車両の横に急行『だいせん』で一緒だった「宝塚中年二人組」がいるのを発
見しました。

 何とまぁ、彼らもこれに乗りに来ていたんですな。それにしても特急『スーパーおき1号』には乗
ってなかったようですから、他の路線経由で来たのかな・・・?

 それはともかく、「クモハ42」が出るまでは、まだたっぷり20分以上あり、運転士の様子からす
ると今しばらくは乗せてもらえそうにありません。

 私は駅の外から列車の反対側を見に行く為に雀田の駅舎に入りました。雀田の小ぶりな駅舎の、そ
のまた小ぶりな窓口には駅員らしきおっちゃんがいましたが、勝手に改札を往来する鉄道ファンを咎
める事もなく、むしろ訳知り顔で見守っているふうでした。

 駅舎の表に出てみると、そこにも十人前後のマニアさんがカメラを抱えてウロついていました。私
も踏切の手前まで行ってから電車の写真を撮りました。

 雀田の駅舎を出て長門本山方より「クモハ42」を写
したところです。真ん中に写っている黒のコート姿の人
が例の「スーツ」さんです。
【山口県・雀田駅】
 雀田駅の駅舎です。小野田線の途中駅で、同駅より長
門本山に通じる小野田線の支線が分岐しています。ロー
カル駅にしては立派な駅舎ですが、駅員は窓口にいるひ
とりしか見掛けませんでした。
【山口県・雀田駅】
 駅舎の出入口前に立てられていた「クモハ42」の案
内板です。同車両に関する性能諸元やプロフィールが書
かれていました。
【山口県・雀田駅】

 「クモハ42」の案内板を見て私が気づいたのは、この支線が同車両の展示運転線を兼ねていると
言う事でした。つまり、営業本線を使った一種のアトラクションですな。

 駅舎前の見学を終えた私が改札を抜けてホームに戻って間もなく、車両のドアが開けられ、私は皆
さんと共に乗り込みました。

 たちまち車内で撮影会が始まり私もそれに加わりましたが、マニアさん達がそこらじゅうをウロウ
ロするので邪魔になって仕方がありません。(←私もそう思われていたと思いますが・・・(^^;)

 「クモハ42」の車内の様子です。ご覧の通り急行型
みたくボックス・シートがずらりと並んでいます。乗降
口付近のみロング・シートがあります。
【小野田線(支線)・長門本山行・普通1325M車内】
 窓はボックス・シート毎に二つずつあるので、窓側の
乗客は窓をひとつ占有出来る分けですな。
【小野田線(支線)・長門本山行・普通1325M車内】
 レトロな車内にあって、天井と網棚は真新しく見えま
した。これってオリジナルのままなんでしょうか?
【小野田線(支線)・長門本山行・普通1325M車内】
 何だかドアも真新しく見えました。これもオリジナルのドアなん
スかね? ちなみにドアの右にぶら下がっているのは「寄せ書き」
ノートです。
【小野田線(支線)・長門本山行・普通1325M車内】
 ボックス・シートの背もたれは木製でした。見ると引
っ掻き傷や、ニスがはげて「地」が見える部分がいっぱ
いあって歴史を感じさせます。
【小野田線(支線)・長門本山行・普通1325M車内】
 床は木製でした。この床も今では修復出来る職人さんがJRには
いないそうです。画像中央に立っている金属製の棒は立ち乗り客用
の「つかまり棒」です。
【小野田線(支線)・長門本山行・普通1325M車内】

 思うように写真が撮れずにモタついている内にボックス・シートはマニアさん達に押さえられてし
まったので、私は乗降口横のロング・シートに座りました。

 私と同じロング・シートには、例の「スーツ」さんも座っており、カメラ・バッグと三脚を抱えた
重装備のマニアさんと話しているのが聞こえました。

 スーツ「今日、来られたんですか?」

 重装備「昨日からです。今日は走ってるこいつの写真を撮ろうと思いましてね」

 つー事は、この「重装備」さんは、まるまる2日間掛けてこの電車の写真を撮りに来ていると言う
事ですな。まぁ、それだけする値打ちは充分にあると思います。

 マニアさんたちが縦横無尽に動き回る車内は、一見、混んでいるように見えましたが、撮影を終え
て皆が座席に収まって見ると乗車率は40%程度でした。

 発車5分前になると、突然、ドアが閉められてしまいました。まだホームには写真を撮っている人
たちがいます。何で閉めてしまうんだろう?

 ドアの外にいた人がそれを見て一瞬うろたえましたが、ドアを手で押し開けると開きました。たぶ
ん、車内保温の為に閉めたのでしょう。

 改めて車内を見渡してみると、この程度の混み具合ならば落ち着いて乗って行けそうです。と、思
いきや、16:26に本線の上り普通列車1236Mが雀田に着くと、同列車からの乗り替え客でたちまち乗車
率は130%にハネ上がり、車内はラッシュ・アワー並の混雑になりました。

 1236Mが着いてから2分後、乗り替え客たちの興奮が収まらない内に「クモハ42」は雀田駅から
発車しました。

 旧式電車ならではの「コォーーーーーンッ!」と言う独特のモーター音を響かせながら「クモハ4
2」は加速して行きます。

 わずか2分で中間駅の浜河内に到着。駅着前には、ホームでカメラを構えている人は見ました。同
駅では、例の「重装備」さんが降りて行きました。たぶん、折り返しの「クモハ42」の勇姿を撮る
つもりなんでしょう。

 浜河内から3分で終点の長門本山駅に到着。雀田から通算してもたった5分間の乗車でした。この
支線も、れっきとした「盲腸線」のひとつですな。

 小野田線本山支線の終点、長門本山駅です。小さな無
人駅で、1両分の長さしかないホームと、風よけと屋根
の付いたベンチと公園にあるような小さなトイレがある
のみです。
【山口県・長門本山駅】

 長門本山駅周辺には住宅が見えるばかりで他には何もありませんでした。目の前には土手があり、
その向こうには瀬戸内海が見えました。

 特に何かがある分けでもないこの地まで何で電車が運行されていのか不思議に思いましたが、後日、
ネットで調べたところ、かつては同駅の先にあった海底炭田まで線路が繋がっており、石炭の輸送が
行われていたそうです。

 「クモハ42」から降りた乗客のほとんどは電車を囲んで写真を撮りまくっていました。果たして、
この電車に地元の人は乗っていたのでしょうか・・・?

 同電車は30分後に折り返しの雀田行・普通列車1326Mとなります。私は10分ほど周囲をぶらついた
後、さっさと電車に戻りました。貴重な電車の車内に少しでも長く座っていたかったのです。

 車内には「スーツ」さんがすでにいて他のマニアさんと話していましたが、その会話の内容は「○
○年に○○系が○○線を走っている時に見に行きましたが・・・」と行った年号と列車型式と路線名
が飛び交うマニアックな会話であり、素人の私にはちんぷんかんぷんでした。やはりレヴェルが違い
すぎる・・・。

 車内の乗降口横の壁には「寄せ書き」のノートが吊されていました。書く人がいるのかな? と、思
いきや、そのノートはひっきりなしに誰かが覗いては書き込みをしていました。

 やがて「スーツ」さんがノートを手に持っているのが見えたので、「何が書いてあるんですか?」
と横から覗いて見ると、マニアさん達の「クモハ42」に対するエールや望みが書かれていました。
皆さん、本当にこの電車に愛着があるんですね。

 長門本山駅に停車中に撮った「クモハ42」の車内です。ご覧の
通り運転室は個室になっています。
【小野田線(支線)・雀田行・普通1326M車内】
 運転室が個室になっている分、右側には運転室横までロング・シ
ートが設置されています。近代のJR旅客車両では見る事が出来な
い構造ですな。
【小野田線(支線)・雀田行・普通1326M車内】

 席に座りながら発車を待っていてふと思いついたのは、ワンマン運転であるこの電車の運賃はどう
やって払えば良いのか分からなかった事です。

 普通のワンマン運転列車には整理券発行機が設置されているのですが、この「クモハ42」にはそ
れが無かったのです。

 長門本山までは切符を買っておいたので問題ないのですが、帰りは切符無しです。帰りはどうやっ
て長門本山から乗った事を証明すれば良いのでしょうか・・・?

 それを察した分けではないのでしょうが、ひとりの乗客が運転士に料金の支払方法を尋ねているの
が聞こえました。

 運転士曰く、「あぁ、降りる時に乗った駅名を言ってから運賃箱に運賃を入れて下さい」との事で
した。なるほど。

 「クモハ42」は定刻の17:03に長門本山駅を出発しました。座席は満杯で乗降口付近には4〜5
人が立っていましたが、乗客の数は往路と比べて少し減っていました。おそらく、後発の電車を見る
ために残ったのでしょう。

 往路と同じ5分間の走行で雀田駅に帰着。あっと言う間の乗車でした。私は運賃表で長門本山→雀
田の運賃を確認して運賃箱に入れました。

 が、周りを見ると後方のドアから勝手に降りてしまっている乗客がいるようにも見え、運転士も運
賃を入れる乗客には「ありがとうございました」と声を掛けてくれましたが、運賃を払っていてもい
なくても気にしていないように見えました。この電車は、もはや営利目的を超越した記念物的な扱い
になっているのかも知れませんね・・・。

 雀田駅のホームに降りると、そこには6分後に折り返しで出る「クモハ42」に乗るべく鉄道ファ
ンの第2陣が待っていました。

 時刻表によると「クモハ42」は、この後、長門本山まで2往復する事になっています。ファンの
中には、そのすべてに乗る人もいるんでしょうね。

 残念ながら「クモハ42」は、あと2ヶ月で定期運用から離脱してしまいます。メンテの都合上、
現役に復帰する事は二度とないとは思いますが、これからもイヴェント列車などで活躍を続けてくれ
る事を祈るばかりです。

 ともあれ、70年間に渡り延べ500万キロを越える走行、お疲れさまでした!

 私は「クモハ42」に別れを告げると、4分後に到着した小野田行・普通列車1239Mに乗り込みま
した。

 雀田駅に到着する小野田行・普通列車1239Mです。宇
部新川からここまで乗って来たのと同じ123系の単行
運転でした。
【山口県・雀田駅】

 小野田行1239Mはワンマン運転で、乗車時に生まれて初めて整理券を取りました。整理券は切符サ
イズの薄い白紙で、券面には「JR西日本・雀田37」と印刷されていました。

 ワンマン列車には、これまでの旅行記において何度か乗っていますが、いずれも始発駅から終点ま
で乗っていたので整理券を取る機会が無かったのです。

 車内は満席で座る事は出来ませんでした。見ると、二人組の女の子が雀田のホームで「クモハ42」
に群がる鉄道ファンを見て、

 女の子1「なに騒いでんの?」

 女の子2「なくなるらしいよ、あの古い電車」

 女の子1「へー、そうなんだ」

 私たち鉄道ファンからしてみれば国宝みたいな電車なんですが、見慣れている地元の人々はそれほ
ど意識していないんでしょうな。

 1239Mは15分で終点の小野田駅に到着しました。ここで123系の写真をもう一枚パチリ。

 123系の窓と車内のロング・シートの様子が分かる
と思います。窓は上部の3分の1だけが開閉可能になっ
ています。
【山口県・小野田駅】

 山陽本線に乗り替えるべく、同じ「島」の対面ホームで待っていると、ホーム上に設置されている
広告用看板のひとつに「もうすぐさよなら『クモハ42』」なるポスターが貼られているのを見つけ
ました。寂しいですよねぇ・・・。

 小野田駅に到着する17:34発・山陽本線・下関行・快
速『山陽シティライナー』5353Mです。
【山口県・小野田駅】

 快速『山陽シティライナー』5353Mの乗車率は20%程度でガラガラでした。6分の乗車で次の厚狭
駅に到着。ここで新幹線に乗り替えですが、山陽新幹線の駅としては最も新しい厚狭駅の周辺を観察
する為、私はいったん改札の外に出ました。

 厚狭駅です。山陽新幹線、山陽本線が通る他、山陰の
長門市に至る美祢線の起点駅でもあります。こちらは在
来線側の駅舎です。
【山口県・厚狭駅】

 厚狭駅自体は昔からある駅ですが、新幹線のホームが設けられたのは2001年であり、新幹線の駅と
しては新駅になる分けです。

 厚狭の駅前は地方都市然としており大きなビルもありませんでした。とりあえず駅周辺を回って見
ようと思い駅前の道を左へと進みましたが、道の両側はすぐに住宅街になっていました。

 ほどなく線路を渡る踏切か地下道があると思っていたのですが、行けども行けどもありません。ま
ぁ次に乗る新幹線まで50分ばかしあるのでゆっくり行きましょう。

 700〜800メートルは歩いたでしょうか、ようやく線路を横断する半地下道が見ました。そこを通っ
て線路の反対側に出ると、そこには新幹線の高架以外には何もありませんでした。

 新幹線の高架下を厚狭駅に向かって歩いていると、ほどなく、工事中の道路が見えて来ました。道
路は道幅を広げようとしているようで、綺麗にならされてはいるもののまだ舗装はされていませんで
した。

 その先の厚狭駅の新幹線口前には広大な有料駐車場が広がっていましたが、その周辺は整地されて
いて何もありませんでした。現在開発中と言ったところでしょうか。

 厚狭駅の新幹線口駅舎は新しく、高さのある典型的な新幹線駅舎でした。周辺は暗くてよく見えま
せんでしたが、新たに新幹線のホームを造るぐらいですから人口が増えているんでしょうね。

 まだ少し時間がありましたが、私は駅に入りました。大阪までの帰路に乗る『こだま658号』は、
これまでに旅行記第2弾(リヴェンジ)と第8弾で2度乗った馴染みの列車です。

 同列車が空いているのは分かっていたのですが、私はあえて指定席に乗ろうと思い、自動券売機の
ところに行きましたが、なぜか同駅の券売機では指定席は買えないようになっていました。

 まぁ自由席でも余裕で座れるでしょうから構いませんが、三原駅では買えたのに、なんでここでは
買えないんだろ?

 厚狭駅の券売機で買った新大阪までの乗車券と自由席
特急券です。
 厚狭駅の新幹線ホームです。同駅のホームは線路の途
中に後から付け加えられたものである為、上下線ホーム
の間には普通に複線の高架線路が通っています。
【山口県・厚狭駅】

 待っていた『こだま658号』は、発車時刻の5分前に到着しました。

 厚狭駅に到着する博多発・新大阪行の『こだま658
号』です。これで3度目の乗車になる馴染みの列車です
【山口県・厚狭駅】

 予想通り『こだま658号』は、ここで列車待ちをし、間もなく右側の本線を『ひかり390号/
レール・スター』が轟音と共に通り過ぎて行きました。

 私が適当に選んだ3号車(自由席)には座席がたった5列しか無く、車両の中程には隔壁がありま
した。ひょっとして元ビュッフェ車だった車両なんでしょうか?

 『こだま658号』に使用されている車両は古参の0
系でしたが、デッキへの出入口横にはLED式案内表示
盤が追加されていました。
【山陽新幹線『こだま658号』車内】
 自由席車ですが座席はグリーン車用のお古に変えられ
ているのでしょうか? 座り心地は良好です。
【山陽新幹線『こだま658号』車内】

 『こだま658号』は22:14に新大阪駅に到着。新大阪からは22:18発の西明石行・普通列車で大阪
まで戻りました。

 今回の「旅」は「クモハ42」に乗る事が「キモ」でしたが、その他に夜行急行『だいせん』でキ
ハ65系、特急『スーパーおき1号』でキハ187系、小野田線で123系などなど、初乗り車両も
稼げて盛りだくさんの「旅」でした。

 『列車まかせの旅』第11弾、おわり。


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