2009年5月24日掲載
『列車まかせの旅』第31弾(2005年6月19日)


プロローグ

 今回の「旅」の目標は、東京←→大分間で運行されている寝台特急『富士』と、北九州に路線を持
つ第三セクターの平成筑豊鉄道の乗車です。


第1部:「ちょっとこだわりの路線」その36/平成筑豊鉄道

 平成筑豊鉄道は、1989年にJR九州より下記3路線の転換を受けて開業した第三セクター鉄道です。

路線名区 間路線長
伊田線直方←→田川伊田16.1
糸田線金田←→田川後藤寺6.8
田川線行橋←→田川伊田26.3

 上記は、かつては石炭やセメントの輸送で賑わった路線でしたが、石炭産業の衰退や貨物のトラッ
ク輸送転換に伴い収益が悪化し、廃止対象路線に選ばれてしまったのです。

 三セク開業後も直方←→金田間のセメント貨物輸送は続けられましたが、それも2004年にトラック
輸送に切り替えられ廃止になり、現在は旅客輸送専業鉄道となっています。

 上記3路線に加え、2009年4月26日より門司で新たに開業した門司港レトロ観光線(九州鉄道記念
館←→関門海峡めかり間2.1キロ、旧JR鹿児島本線・貨物支線)の列車を運行する事になりました。

 それでは、同鉄道に乗るためJR日豊本線の行橋駅まで移動しましょう。

 大阪駅に停車中の5:23当駅始発の京都行・普通列車で
す。車両は201系。
【大阪府・JR大阪駅】

 新大阪に到着し、5:30頃に新幹線ホームに上がると、6:00発の西向き一番列車となる『ひかり44
1号』はホームに停まっていましたがドアは閉まったままでした。

 新大阪駅に停車中の『ひかり441号レールスター』
です。車両は700系7000番台車。
【大阪府・JR新大阪駅】

 ホームで待っていると、5:40にドアが開き、私は乗り込みました。新幹線の座席に座ると、これか
ら「旅」に出ると言う気分になりますな。

 我が指定席車の乗車率は20%ほどでしたが、例によって乗客は車両前方に固まって座っていまし
た。また途中の駅から順次乗って来るのでしょう。

 列車は定刻に新大阪から発車。朝早く起きたせいもあり、私は道中、寝て過ごしました。8:31に小
倉に到着。それでは日豊本線に乗り換えましょう。

 目的地は行橋駅なんですが、私は日豊本線の何処行列車に乗るのか調べていなかったため、少々戸
惑う羽目になりました。路線図を調べた結果、中津行に乗れば良いと判明。

 小倉駅に到着する日豊本線の中津行・普通5527Mです。
車両は旧国鉄型の415系です。
【福岡県・JR小倉駅】

 近郊型である415系の座席はセミクロス配置でオリジナル車のままのようでしたが、座席のクロ
ス張りは紫と黒のチェック模様の物に張り替えられていました。座り心地は柔らかくて良好です。

 車内は混んでいませんでしたが、各ボックス・シートにはひとり以上が座っていたので、私は乗降
口脇のロング・シートに座りました。

 列車は定刻に小倉から発車。「JR九州を御利用頂き・・・」の車内アナウンスで九州に来た事を
実感しました。車内は少々冷房が効きすぎです。

 列車は郊外の住宅地の中を走ります。途中、下曽根でまとまった降車客がありました。車内を見渡
すと、掲示されている広告はJRの物ばかりです。これも景気を反映しているのだろうか・・・。

 苅田駅停車中には大分行の特急『ソニック5号』に抜かれ、対向ホームを博多行の『ソニック8号』
が通過して行きました。

 JR九州では特急網が充実しており、日豊本線も特急街道のひとつになっていて『ソニック』が毎
時2本運行されています。

 そして、我が普通5527Mは小倉から33分で行橋駅に到着しました。それでは平成筑豊鉄道に乗り換
えましょう。

 行橋駅のホームは2面5線で、凝った造りの上屋を持ち長大な長さがありました。さすがは特急停
車駅だけの事はあります。

 平成筑豊鉄道のホームは、上りプラットフォームの南端に切り欠き式で設けられていました。今回
は全線乗り潰すのでフリー切符を買おうと窓口に行きましたが閉まっていました。うーむ・・・。

 予定では、まずは田川線列車で行橋から金田まで行き、そこで糸田線に乗り換えて田川後藤寺駅ま
で行くつもりでしたが、運賃図には田川後藤寺までの運賃が掲載されておらず、JR線経由の運賃は
窓口で聞くようにと書かれていました。うーむ・・・。

 券売機でも田川後藤寺までの切符は買えるようになっていなかったため、やむなく運賃一覧表で同
駅までの運賃を探し850円の切符を購入しました。この田川後藤寺までの切符が買えなかった理由
については、後ほど明らかとなります。

 行橋駅の自動券売機で買った平成筑豊鉄道の乗車券で
す。田川後藤寺までが買えなかったので、同額である、
あかぢ/南直方御殿口までの切符です。

 平成筑豊鉄道の切符ではJRの自動改札は通れないので、有人改札を抜けて同線のホームに向かい
ました。

 行橋駅の上りプラットフォーム南端に設けられている
平成筑豊鉄道の乗り場です。自動改札機が見えますが、
これはJR線からの乗り換え客用で、ここから平成筑豊
鉄道線に乗る乗客は改札を素通りします。
【福岡県・行橋駅】

 ほどなく、私が乗る列車が折り返しで到着しました。20人ほどの乗客が降りて来ましたが、皆さ
ん車内で精算しています。

 行橋駅の平成筑豊鉄道線ホームに停車中の田川伊田行
・普通2419Dです。同列車は田川伊田で列車番号を変え
て最終的に直方まで行きます。車両は300形軽快気動
車。同車は富士重工製の「LE−DC」と呼ばれる三セ
ク鉄道用の軽快気動車です。
【福岡県・行橋駅】
 写真を撮っていると、隣の停車線に博多行の特急『ソ
ニック10号』(右)が到着しました。
【福岡県・行橋駅】
 300形の車内です。同車の座席はオール・ロング・
シートですが、同じ車体でセミクロス・シートの200
形と呼ばれる車両もあるそうです。
【平成筑豊鉄道・普通2419D車内】

 車内を見ると、乗客はオバさんやおばあさんばかりで男の乗客は私ひとりでした。女の子がひとり
運転士からフリー切符を買おうとしていましたが、この4月から値上げしたと聞かされて諦めていま
した。うーむ・・・。

 ほどなく定刻となり、列車は乗客12人で行橋から発車しました。出ると進行方向左側から陽の光
が車内に差し込みました。左側席にいた乗客は、それを避けるため右側席に移り、左側に残っている
のは私ひとりになりました。女性にとって紫外線は天敵ですからな。

 行橋を出た路線は日豊本線から分かれて南南西に向かいました。沿線は田んぼと、まばらに住宅が
あるローカルな風景です。3分で美夜古泉(みやこいずみ)に着。

 さらに2分で今川河童に停車。駅の西側には今川が流れており、駅名は河童伝説にちなんだものだ
とか。同駅を出ると今川に沿って南へと向きを変え3分で豊津に着。

 同駅を出ると西側に山が迫り2分で新豊津に停車。「新」と付くだけに1990年に開業した新しい駅
ですが、地図を見る限り付近にめぼしい施設はありません。少々離れていますが、いちおう豊津町役
場への最寄り駅ではあります。

 新豊津を出て南西に向きを変え、3分で東犀川三四郎駅に着。この長ったらしい駅名は、夏目漱石
の小説『三四郎』にちなんだものだそうです。

 さらに南西に3分走って犀川(さいがわ)に停車。ここまで乗降はありませんでしたが、同駅では
ふたり降りて、おじいさんがひとり乗車。これで男はふたりになりました。

 4分走って次の崎山に着。ここで、せっかく乗ったおじいさんは降りてしましました。入れ替わり
におばあさんがひとり乗車。

 崎山を出ると路線は山間に入り、今川に沿って西南西に向きを変えて5分で源じいの森駅に停車。
同駅の近くには駅名となっている、源じいの森があります。

 ここでは5人降りてふたり乗りました。見れば右手の丘の上に静態保存されている緩急車(車掌車)
が見えました。

 さらに2分走って油須原に着。同駅には路線開業当初からの貴重な駅舎が現存します。ここでは男
性がひとりが乗車。また、行橋行の2420Dとの交換がありました。

 油須原を出ると路線は長らく沿って来た今川と別れて北へと向きを変え3分で赤駅に停車。同駅の
西側近くには赤村役場があります。ここでは熟年夫婦が乗車。

 列車は北北西に向けて山間を走り、3分で内田に着。同駅では母子連れ3人が乗りました。ふと見
れば車内には整理券発行機がありません。途中の無人駅から乗った人々の運賃精算は、どうするのだ
ろう?

 内田を出ると北西に向きを変え、山間を抜けると3分で柿下温泉口に着。同駅ではひとり乗りまし
た。駅名になっている柿下温泉は北西に直線で800メートルほどのところにあります。

 柿下温泉から路線は西に向かい、4分で勾金(まがりかね)に停車。同駅には1989年まで日本セン
メント(現・太平洋セメント)の専用線が接続しており、構内は、そこそこの広さがありました。こ
こではひとり降り5人乗りました。

 勾金を出ると路線は西南西に向きを変え、右からJR日田彦山線が寄り添うと上伊田に着。同駅で
は、ひとり乗りました。ちなみに、平行している日田彦山線にはホームはありません。

 上伊田を出ると町に入り、運転席からは停止信号を示すピンポン音が響いて来ました。ほどなく田
川伊田駅に到着。同駅はJR日田彦山線との乗り換え駅です。

 ここでは11人降りて7〜8人乗りました。平成筑豊鉄道乗車で私が第1の目的駅としている田川
後藤寺駅は日田彦山線では隣の駅であり、同線に乗り換えれば4分で行けます。(^^;

 田川伊田駅の南西すぐには石炭記念公園があります。ここには田川市石炭・歴史博物館があり、筑
豊炭田に関する資料や炭坑用機械類、坑内機関車やトロッコなどが展示されているそうです。

 「鉄」関係のネタとしては、公園内に筑豊地区で使用された9600形蒸気機関車や石炭貨車が展
示されているとの事です。

 田川伊田駅で2分停車し、列車番号を2226Dと変えた我が列車は、ここまで走って来た田川線から、
ここから先は伊田線に入ります。

 すぐに日田彦山線と分かれて北西に向きを変え、3分で下伊田に着。ここでは8人降りました。同
駅を出て彦山川に沿って走り2分で田川市立病院駅に到着。同駅から市立病院までは300メートル
ほどです。ここでは3人降りてひとり乗りました。

 さらに2分で次の糒(ほしい)駅に停車。同駅は昭和40年代後半まで石炭輸送を扱っていた関係
で構内は広くなっていました。ここではひとり下車。

 糒から北西に2分で上金田に着。ここではひとり乗りました。見れば駅には整理券発行機みたいな
ものが設置されています。そーゆー事か。

 上金田を出ると左から糸田線が合流し列車は金田駅に到着しました。行橋からは1時間2分の乗車
でした。私はここで降りて糸田線に乗り換えます。降りたのは私を含めてふたりでした。

 金田で糸田線に乗り換える乗客は、運転士に切符を渡すか運賃を払って精算票を受け取る事になり
ます。私が「行橋→あがち/南直方御殿口」の切符を渡すと、半ば予想した通り運転士は困惑した表
情を浮かべました。

 そこで私が行橋から田川後藤寺までの切符が買えなかった旨を告げると、運転士は「あ〜、なるほ
ど」と何かを得心し、運賃表を一瞥すると田川後藤寺の覧にスタンプを押した清算票を渡してくれま
した。どうやら運賃の額は正解だったようですな。

 この運転士の反応を見て、私はようやく行橋で田川後藤寺までの切符が買えなかった訳を理解した
のです。

 通常、行橋から田川後藤寺に行く場合は、田川伊田で
JR日田彦山線に乗り換える緑線のルートであり、運賃
は770円です。私が通ったのは赤線のルート。

 つまり、田川伊田でJR線に乗り換えれば、わずかひと駅で行けるところを、私は、わざわざ9駅
も遠回りし、余分に運賃を払って行こうとしている分けです。そんな無意味な乗り方をする乗客は、
鉄道ファンですら、めったにおらんわな。

 金田駅で降りる際に運転士から渡された精算票です。
田川後藤寺の覧にスタンプが押されています。

 2226Dは、ここで運転士が交替し、直方へ向けて発車して行きました。すると間もなく、2226Dが出
て行った方向から次の直方行の列車が入って来ました。たぶん当駅始発の列車なのでしょう。

 ちなみに、行橋←→金田間の列車本数は毎時1本ですが、金田←→直方間は毎時2本と倍になりま
す。また、夕方になると行橋←→田川伊田間が毎時1本、田川伊田←→直方間が毎時2本になります。

 構内の陸橋から撮った金田駅の構内です。駅舎は右側
にあり、左奥には車両基地があります。写真中央付近に
停まっている列車は直方行の普通1228D。
【福岡県・平成筑豊鉄道・金田駅】
 平成筑豊鉄道の金田駅です。伊田線が通るほか、糸田
線の起終点駅です。かつては、ここから三井鉱山セメン
ト専用線が伸びていてセメント貨物輸送が行われていま
したが2004年に廃止となりました。
【福岡県・平成筑豊鉄道・金田駅】

 駅舎を写してからホームに戻って待っていると、10:43に糸田線の田川後藤寺行・普通317Dが到
着しました。

 金田駅の糸田線ホームに停車中の田川後藤寺行・普通
317Dです。車両は100形。同車は、ここまで乗っ
て来た300形と、ほぼ同形ですが、300形が車体長
18メートルなのに対し、100形は16メートルと、
やや短くなっています。
【福岡県・平成筑豊鉄道・金田駅】
 100形の車内の様子です。座席は4人掛けボックス
+2人掛けボックス+ロング・シートのセミクロス配置
でした。
【平成筑豊鉄道・普通317D車内】

 列車は定刻に乗客5人で金田駅から発車。さきほど通ってきたルートを引き返し、途中で伊田線と
分かれて南西に曲がり3分で豊前大熊に着。ここでは3人乗りました。その中のおじいちゃんは浴衣
姿でした。お祭りでもあんのか?

 同駅を出て中元寺川に近付くと同川に沿って南東に向きを変え、1分で松山に停車。さらに3分走
って糸田に着。

 糸田駅には緑色の屋根の駅舎があり「グリーンドーム糸田」の愛称が付けられています。ここでは
3人降りて9人乗りましたが、乗った客の半分は若者でした。

 糸田を出た路線は中元寺川から離れ、3分で大藪に着。同駅の東側には、そこそこ大きな団地があ
ります。ここでは4人降りてふたり乗りました。

 大藪から路線は南進し、左からJR日田彦山線、その先で右からJR後藤寺線が合流すると列車は
終点の田川後藤寺駅に到着しました。金田からは13分の乗車でした。

 田川後藤寺駅です。JR日田彦山線が通るほか、JR
後藤寺線、平成筑豊鉄道・糸田線の起終点駅です。
【福岡県・田川後藤寺駅】

 ここでは9分で折り返すので、私は駅舎の写真を撮ると早々に引き返し、券売機で直方までの切符
を買いました。

 田川後藤寺駅の券売機で買った田川後藤寺→直方の切
符です。運賃は400円でした。
 構内で並んだJR日田彦山線の(たぶん)キハ40形
一般型気動車と平成筑豊鉄道の100形。製造コストを
抑えた軽快気動車である100形と比べてJR車は重厚
な感じがしますな。実際のところ、キハ40が重量約3
7トンなのに対して100形は約25トンと12トンも
軽いのです。
【福岡県・田川後藤寺駅】

 金田行の普通318Dは乗車率40%ほどで田川後藤寺から発車しました。意外な事に乗客の半分
ぐらいは10代の若者です。

 次の大藪で若者達はほとんど降りました。3人乗って乗客は10人に。同駅を出ると左手に不自然
に空地が広がっているのに気づきました。

 またもや側線の跡かと眺めていると、途中の小川を横切る所に線路を渡すためと思われる小さな橋
が架かっていました。やはりここにはヤードがあったようです。

 後にネットで調べたところ、かつてここには大藪貨物駅があったそうですが、1954年には廃止にな
ったとの事でした。

 田川後藤寺から12分の乗車で終点の金田に到着。到着時の乗客は7人でした。私が運転士に直方
までの切符を見せて降りようとしたところ、「ちょっと待って」と止められて切符を取られました。

 いったい何かと訝っていると、運転士は切符にスタンプを押してから返しました。たぶん、これが
検札代わりなんでしょう。

 それでは伊田線の直方行列車に乗り換えましょう。ホームで待っていると、私が田川後藤寺から乗
って来た車両は折り返さずに車庫に引き上げて行きました。その代わり、別の車両が別の停車線で待
っていました。

 金田駅に停車中の直方行・普通2230Dです。車両は行橋
から乗ったのと同じ300形。
【福岡県・平成筑豊鉄道・金田駅】

 直方行2230Dの車内には20人程度の乗客が乗っており女の子の姿が目立ちました。行橋→金田間の
乗客の年齢層とは、えらい違いやな。

 金田を出た路線は北西に向かい2分で人見に着。ここでは3人降りました。同駅を出ると、方向を
やや北向きに変え2分で赤池に停車。ここでは5人降りてふたり乗りました。

 さらに2分で、ふれあい生力駅に着。同駅の西側には赤池ニュータウンがあります。ここではふた
り乗りました。ふと見れば、いつの間にか線路が複線になっています。

 田んぼとまばらに住宅があるローカルな風景の中を北西に2分走って市場に停車。同駅ではひとり
乗りました。さらに3分で次の中泉に着。ここでは、ひとり乗りました。

 中泉から西へ2分で藤棚に着。ここではひとり下車。やや山がちな地形を抜け、進路を北へ変えて
2分で、あかぢ駅に停車。

 何で駅名がひらがな表記なのかと調べて見れば、「赤地」と表示すると5駅手前の「赤池」と混同
すると言う事で、当初は「あかじ」と表示していたそうですが、「赤字」を連想させるとの事で「あ
かぢ」にしたそうです。なるほどね。ここではふたり乗車。

 「あかぢ」を出て遠賀川を渡り、左から筑豊本線(福北ゆたか線)が寄り添うと南直方御殿口に着。
駅周辺には御殿らしき建物も地名もないのに、駅名の由来は何やろか?

 同駅を出た路線は筑豊本線と寄り添ったまま走り、3分で終点の直方駅に到着しました。金田から
は20分の乗車でした。

 平成筑豊鉄道の直方駅。伊田線の起終点駅です。JR
の直方駅と隣接していますが駅舎は別です。
【福岡県・平成筑豊鉄道・直方駅】

 これで平成筑豊鉄道は全線完乗です。それでは次の目的列車である寝台特急『富士』に乗るため大
分まで移動しますが、まずは博多まで出ましょう。

 当初の予定では、筑豊本線で折尾まで出てから鹿児島本線に乗り換えて博多に向かうつもりでした
が、予定を変更して逆回りの福北ゆたか線で行く事にしました。

 直方駅に到着する福北ゆたか線の博多行・快速4635Hで
す。車両はJR九州の817系近郊型電車。
【福岡県・JR直方駅】

 快速4635Hの乗車率は20%ほどで、私はボックス・シートにひとりで座る事が出来ました。福北ゆ
たか線は、これまで「旅」で2度乗っているので、今さら目新しい事もありません。私は道中、寝て
行く事にしました。

 ウトウトしていてふと気づくと、私はボックス・シートで3人の女性に囲まれており、車内は混雑
していました。同線は博多に近づくほど乗車率が上がるのです。直方から約1時間の乗車で終点の博
多に到着しました。

 それでは、特急『ソニック29号』に乗り換えて大分に向かいましょう。その前に、まずは腹ごし
らえです。私は改札を出て食事が出来る店を探しに行きました。

 博多の駅前には博多祇園山笠で使用される「飾り山」の車庫らし
きものがありました。700年以上の伝統がある祭りであり、メイ
ンイヴェントである「追い山」は7月15日に開催されますが、6
月末から「ヤマ」を準備しておくんですな。
【福岡県・博多市】

 駅前をうろついてみましたが、"吉牛" や松屋みたいな気軽に食事が出来る店が見あたらず、結局、
コンビニで、おにぎりと、我がお気に入りの缶コーヒー『ジョージア/テイスティ』を買うと駅に戻
りました。

 コンビニ袋を手に『ソニック』が出るホームに行って見ると、何と!そこには立ち食いのラーメン
屋がありました。

 博多駅の在来線ホームには何と「立ち食いラーメン」
がありました。さすがはラーメンの本場博多です。もっ
とも、そばと比べて食うのに時間が掛かりそうな気がし
ますが・・・。
【福岡県・JR博多駅】

 初めて見る立ち食いラーメンに感動し、思わず入ってしまいました。とりあえず、普通のラーメン
(450円)を注文。そばと比べて少々高いのは致し方ないでしょうな。

 ラーメンだけに、作るのにも、そばよりは時間が掛かります。急いでいる人には不向きですな。出
て来たのは細麺でトンコツ・スープの博多ラーメンでチャーシューが2枚載っていました。

 私はグルメではないので、ここのラーメンの味がどれぐらいのレヴェルなのかは分かりませんが、
なかなかおいしく頂けました。

 このラーメン屋が気に入った私は、以後の「旅」で博多駅を訪れる際は、毎回と言って良いほど、
ここに立ち寄るようになりました。


第2部:「ちょっとこだわりの列車」その55/JR・885系

 特急『ソニック』は、鹿児島本線、日豊本線を経由して博多←→大分間を結ぶ特急で、日に29往
復が運行されています。

 使用車両はJR九州オリジナルの883系特急型電車を基本とし、内、8往復が「白いソニック」
として885系で運行されています。ちなみに、この「白い」と付く所以は同車両の車体色から来て
います。

 特急『ソニック29号』の博多→大分の指定席特急券
です。所要時間は2時間1分。

 ホームで待っていると、定刻の9分前に特急『ソニック29号』がホームに入線して来ました。

 博多駅に停車中の大分行・特急『ソニック29号』。
「白いソニック」の1本で車両は885系特急型電車で
す。新幹線みたいな流線形の車体をしており、私のお気
に入り車両のひとつです。右の停車線に停まっているの
は、同じ885系の長崎行・特急『かもめ25号』。
【福岡県・JR博多駅】
 885系に乗り込むと、デッキと客室間に椅子とテー
ブルを設えた汎用スペースがありました。車内の床は何
と木張りです。
【特急『ソニック29号』車内】
 885系の車内です。革張りの座席が並び、他の鉄道
会社では見られない何とも斬新な内装です。
【特急『ソニック29号』車内】
 885系の革張りリクライニング・シート。何とも豪
勢な座席ですが、座り心地は、まずまずでした。
【特急『ソニック29号』車内】

 私は新幹線や特急車に乗る場合は窓枠下に飲み物を置くのですが、この885系の窓枠には、その
余地がありませんでした。

 同車のスタイリッシュな座席には背面テーブルが備わ
っておらず、テーブルは肘掛けから引き出すタイプでし
た。ちなみに、上に置いているのは、我がお気に入りの
缶コーヒー『ジョージア/テイスティ』です。
【特急『ソニック29号』車内】

 ほどなく、特急『ソニック29号』は定刻に博多駅から発車しました。我が2号車指定席の乗車率
は15%くらでしょうか?

 列車は鹿児島本線を一路小倉を目指します。次駅の、福北ゆたか線が分岐する吉塚を過ぎると高速
走行に入りました。カーブに強い振り子式車両である885系は、早速、その威力を感じさせる走り
をしています。

 快速なら45分掛かるところを『ソニック』は28分で走破し、我がお気に入りの駅である折尾に
着。ここでの、我が車両からの乗降はありませんでした。

 さらに4分走って黒崎に停車。同駅ではふたり乗りました。黒崎から8分で列車は小倉に到着。新
幹線との乗り換え駅である同駅では、賑やかなオバちゃんグループが20人ほど乗りました。

 小倉から先、『ソニック』は日豊本線に入るのですが、実は同線との分岐駅は、ひとつ手前の西小
倉であり、列車は小倉でスイッチバックして進行方向を変え、西小倉まで戻ってから日豊本線に入り
ます。

 当然、車内では座席の方向転換を行うのですが、前後の座席に気を遣う、この「儀式」が私は好き
ではありません。

 座席の方向を変えるには前席の背もたれを起こしてもらわねばならないのですが、その席で家族連
れが席を向かい合わせにしていたり、路線に乗り慣れていない乗客が席を倒したままくつろいでいた
りすると、背もたれを起こすよう「お願い」する羽目になるのです。

 幸いな事に、今回の乗客の皆さんは手慣れた方ばかりであり、方向転換は気兼ねなくスムーズに終
わりました。

 小倉を出た列車は西小倉まで戻ってから鹿児島本線と別れて南西に向かい、南小倉の手前で路線は
南東に向きを変えました。

 我が『ソニック』は、朝、普通5527Mに乗って通ったのと同じルートを走りますが、こちらは特急ら
しい走りっぷりです。

 小倉から16分で行橋に停車。同駅での乗降はありませんでした。行橋を出て、さっき乗ったばか
りの平成筑豊鉄道の田川線を右に見送って15分で中津に到着。中津到着前、豊前松江駅付近で少し
だけ海が見えました。

 中津と言えば、我がホーム鉄道の阪急と、大阪市営地下鉄にも同名の駅があり、ついそれらを思い
浮かべてしまいますな。

 同駅では左の停車線に、当駅始発の下関行・普通5566Mの415系が停まっていました。中津は普通
列車の運行境界駅になっていて、小倉←→中津間では普通列車は1時間に2本運行されていますが、
ここから先は1時間に1本となります。中津での乗降はありませんでした。

 同駅を出ると、沿線は、田んぼの多いローカルな風景となりました。その中を新幹線みたいなフォ
ルムの新鋭特急車が走る様は、さぞかしアンバランスに見えるのでしょうな。

 比較的海に近い場所を走っていた路線は、豊前長州駅を過ぎると内陸の山間へと入りました。国東
半島の付け値を縦断する形で急カーブの多い区間を抜け、日出駅を過ぎると再び海沿いに出ました。

 程なく沿線が急速に町となり、左の港に大型フェリー『さんふらわあ号』が見えると、中津から3
8分で列車は温泉で超有名な別府に到着しました。同駅ではオバさんグループの半分ほどが降り車内
は静かになりました。

 別府を出ると路線は海沿いを走り、すぐに終点の大分着の放送がありました。10分で『ソニック
29号』は終点の大分駅に到着。博多からは2時間1分の乗車でした。

 JRの大分駅。JR日豊本線が通るほか、九大本線、
豊肥本線の起終点駅でもあります。駅舎は3階建て?の
立派なビルでしたが、築47年で老朽化しており、駅の
高架化に伴い立て替えの予定があるとか。
【大分県・JR大分駅】

 さぁ、お次は、今回の「旅」の主役のひとつである寝台特急『富士』の乗車ですが、乗り継ぎ時間
は43分しかないので、大分の街を散策するような時間はありません。

 私は夕食用の駅弁を購入しようと駅舎内をうろつきましたが見つける事が出来ず、やむなく博多駅
で昼食用に仕入れて食べずに残っていたコンビニおにぎりにパンを買い足して夕食用としました。


第3部:「夜行列車愛好家への道」その23/寝台特急『富士』

 寝台特急『富士』は、東京←→大分間で1日1往復が運行されていましたが、九州向けブルートレ
イン衰退の煽りを受け、2009年3月のダイヤ改正で、東京←→熊本間を走っていた『はやぶさ』と共
に廃止されてしまうのです。

 考えて見れば、『富士』の大分発は16:48なので、東京へ移動するだけならば、わざわざ寝台特急に
乗って車中泊で行かんでも、後発の『ソニック』に乗って小倉で新幹線に乗り換えれば、その日じゅ
うに東京には着けるのです。列車に乗るのが目的でない限り利用する事はありませんわな。

 寝台特急『富士』の大分→東京の特急券・A寝台券で
す。今回は個室のシングル・デラックスをチョイス。

 ホームで待っていると、16:30頃、EF81形電気機関車に牽かれた『富士』がバックで入線して来
ました。

 大分駅に停車中の寝台特急『富士』です。機関車は交
直流両用形のEF81。富士山に見立てたヘッド・マー
クを付けています。
【大分県・JR大分駅】
 最後尾車のスナップです。列車の編成は、A寝台個室
×1両、B寝台個室×1両、B寝台×4両の計6両。
【大分県・JR大分駅】
 『富士』の方向幕です。九州にいて東京行の方向幕が
見られるのも寝台特急ならではです。
【大分県・JR大分駅】
 私が乗るA寝台個室車はオロネ15と呼ばれる14系
の寝台形客車です。ちなみに同車は諸般の事情により2
4系のオロネ25と呼ばれる車両を14系化改造したも
のなんだそうです。
【大分県・JR大分駅】

 案内放送によると車内販売はないので買い物はホームの売店で済ませるようにとの事でした。

 A個室寝台車の車内です。通路は車両の片端にあり左側に個室の
ドアが並んでいます。
【寝台特急『富士』車内】
 個室の鍵はサイファー・ロック式でした。毎回、閉め
る際にキー・コードを打ち込む方式です。
【寝台特急『富士』車内】
 A寝台個室の室内です。左側に座席兼寝台、右奥にテーブル兼洗
面台があります。座席兼寝台は座席の状態で、寝台にする場合は、
レバーを操作すると座面が右にせり出して来ます。
【寝台特急『富士』車内】
 座席兼寝台のドア寄りには、浴衣、タオル、枕、掛け
布団、ハンガーが置かれていました。
【寝台特急『富士』車内】
 ドア寄りの壁面には室内装備の操作パネルがありました。左から
室内灯スイッチ、床灯スイッチ、冷房調節用ツマミ、暖房調節用ツ
マミ、警報ボタンです。操作パネルの下には、開放型B寝台車の物
と同じ読書灯があります。
【寝台特急『富士』車内】
 ドアの上には大きな荷物棚があります。その上の天井
にはエアコンの吹き出し口が見えます。
【寝台特急『富士』車内】
 ドアを内側から写したところです。ドア・ノブはレヴァー式で、
レヴァーの下にはロック・ノブがあります。室内の壁は、すべて木
目調にしてあり暖かみがあります。
【寝台特急『富士』車内】
 室内の壁面には鏡が設置されており、その上には専用の蛍光灯も
備えられています。
【寝台特急『富士』車内】
 置かれていたタオルには九州ブルトレのヘッド・マー
クがプリントされていました。その中には、私が乗車を
果たせないまま廃止となった『さくら』もありました。
なんか空しい・・・。
【寝台特急『富士』車内】
 テーブルを開けると洗面台が現れます。水栓ノブは水
とお湯の両方があり、捻ると一定時間出て止まるタイプ
です。石鹸も置かれていました。
【寝台特急『富士』車内】

 私が嬉々として室内の写真を撮っていると、列車に乗る、おばあさんを見送りに来たと思しき家族
連れが個室を見て驚き騒いでいました。世の中の大半の人々は寝台列車に乗った事がないはずなので、
さぞかし珍しいんでしょうな。

 しばらくすると、嫁さんと思しき女性が、おばあさんにサイファー・ロックの使い方を教えている
のが聞こえました。

 席に着いて駅構内を眺めていると、発車数分前に883系特急『ソニック』の回送車が出て行くの
が見えました。

 実は今回、あの車両に乗りたかったのですが、「旅」の行程上、885系の「白いソニック」に乗
らざるを得なかったのです。

 885系は確かにお気に入りの車両ではあるのですが他の路線でも走っています。一方、883系
は『ソニック』でしか走っていないので、出来れば乗っておきたかったのですが・・・。

 ほどなく、特急『富士』は定刻に大分から発車しました。案内放送によると車掌はJR西日本の社
員で、途中、下関まで案内するとの事でした。

 九州内はJR九州の車掌が乗務するのが当然に思えるのですが、寝台特急の車掌業務は他の列車と
は異なるでしょうし、今日びは業務の効率化やなんかで色々とあるのでしょう。

 下関で交代と言うのも中途半端に聞こえるのですが、「モノの本」で読んだところでは、これも夜
行列車ならではの変則的な乗務の都合によるものです。

 発車してすぐに検札が来ました。車内放送での駅到着時刻の案内では、「本日は岡山まで御乗車の
方がいます。岡山の到着時刻は・・・」と実に親切な放送をしていました。

 2号車に飲み物の自販機があるとの事なので、記念にネッスルの『アーモンド・オーレ』を買いま
した。さすがに特別価格の150円です。

 列車は『ソニック29号』で来たばかりの路線を逆向きに走っていますが、『ソニック』に比べる
と何とも優雅なスピードです。

 沿線風景は、すでに堪能済みなので、熊本から来る『はやぶさ』と併結する門司までの道中は、寝
台に横になってのんびりと過ごす事にしました。

 別府、宇佐と停車し、大分から1時間16分で中津に到着。同駅で7分停車して後着の『ソニック
46号』を先に行かせました。中津ではふたり乗ったようです。

 さらに行橋、小倉と停車したあと、大分から2時間10分で列車は門司駅に到着しました。ここで
編成の前に熊本から来る寝台特急『はやぶさ』を併結します。それでは降りて見に行きましょう。

 編成の前に行くと、ここまで『富士』を牽引して来た
EF81形機関車が解放されるところでした。
【福岡県・JR門司駅】
 ほどなく、『はやぶさ』が逆進で入って来ました。い
つものようにたくさんのギャラリーが見物しています。
【福岡県・JR門司駅】
 併結され堂々たる12両編成となった『はやぶさ/富
士』。先頭には別のEF81形機関車が連結されていま
したが、ヘッド・マークは取り付けられていませんでし
た。この機関車は次の下関まで列車を牽引します。
【福岡県・JR門司駅】

 ちなみに、関門トンネル通過列車に、このEF81形交直流両用電気機関車を使うのには訳があり
ます。それはJR九州側が交流電化、JR西日本側が直流電化と両者で電源方式が異なり、門司←→
下関間で電源が交流から直流に変わるため、その両方に対応出来るEF81が使われているのです。

 門司で隣の停車線に停まっていた415系。塗装が復
元された旧国鉄色だったので、とりあえず撮りました。
【福岡県・JR門司駅】

 門司では17分停車してから発車。約3分で関門トンネルに入り、5分掛けてトンネルを通過して
から下関に到着。ここで再び機関車を付け替えますが、停車時間が5分しかないので、見に行くのは
パスしました。

 ふと見ると、南福岡行の415系普通列車が出て行くところでした。本州←→九州の連絡列車はJ
R九州が運行しているのです。ちなみに415系も交直流両用電車です。

 下関で乗務員が交代しました。車内放送によると、岡山→名古屋間はノンストップになる事、車販
は名古屋から乗車するとの事でした。

 下関を出たところで私は浴衣に着替えました。列車は、20:03に宇部、20:25に新山口、20:40に防府、
21:04に徳山に停車し、21:12に下松に到着。同駅を出たところで放送休止の放送がありました。再開
は浜松からとの事です。

 下松を出たところで私は寝る事にしました。その後、列車は21:35に柳井、22:02に岩国、22:35に広
島、23:48に尾道、0:04に福山に停車。

 うとうとしていた私が、ふと気づくと列車は岡山に着くところでした。同駅のホームでは工事が行
われていました。どうやら橋上駅舎化するようです。

 1:50頃に姫路に運転停車。ここで運転士が交代するのでしょう。3:00頃には大阪に運転停車。見れ
ば特急用の10番線に帯泊している列車があります。駅構内は灯りはついているものの人影はありま
せんでした。こんな大阪駅は、めったに見られませんな。

 なかなか寝付けず、ぼんやりと外を眺めていると、普段、見慣れている駅を次々と通過して行きま
す。3:33頃には、何とびっくり京都駅を通過。

 4:20には米原に運転停車。見れば空がうっすらと明るくなっています。同駅を出たところで記憶が
なくなっているので、たぶん眠れたのでしょう。

 ふと気がつくと車内販売の売り子の声が聞こえて来たので名古屋は出た後だったのでしょう。ドア
越しに聞こえる様子では、車販は好調のようです。

 6:30に浜松に到着。ここで車内放送が再開されました。7:28に静岡、8:01に富士に停車。富士から
先は起きて行く事にしました。車窓から見ていると、スレ違う列車が湘南色や湘南色帯の車両ばかり
になっています。

 起きて行く事にしたとは言え、いつものように睡眠不足で意識は行ったり来たりししていました。
その後は特にイヴェントもなく、8:16に沼津、8:34に熱海、9:35に横浜に停車し、列車は9:58に終点
の東京に到着しました。大分からは15時間5分の乗車でした。

 東京駅に到着した寝台特急『はやぶさ/富士』。機関
車は下関でEF66形電気機関車に換わっています。
【東京都・JR東京駅】
 間もなく、回送準備のためEF66が切り離されて出
て行くと、『はやぶさ』編成の先頭車が現れました。
【東京都・JR東京駅】

 これで『富士』の乗車は完了です。長時間の寝台特急乗車を終えると、いつも祭りの後みたいな寂
しさを感じます。今回は『富士』に乗りましたが、いずれは併結の「相方」である『はやぶさ』にも
乗りましょう。

 今回は東京での乗車予定はないため、私は大阪へ戻るべく東海道新幹線のホームへと向かいました。
ホームに上がると、そこには乗車予定だった『のぞみ117号』の姿はなく回送列車がいました。

 隣の停車線には『のぞみ117号』の7分後に出る『のぞみ73号』が停まっていましたがドアは
閉まっています。見れば117号の前には乗車待ちの列が出来ていましたが73号の方には誰も並ん
でいません。

 ほどなく、回送列車が出て行って『のぞみ117号』の入線が告げられると同時に隣の73号のド
アが開きました。

 東京駅に停車中の新大阪行『のぞみ117号』。車両
は700系です。
【東京駅・JR東京駅】

 列車の写真を撮ると、私は指定席の13号車に乗り込んで自分の席に行きました。今回は3人掛け
の窓側A席です。

 ほどなく、6人の外人グループが私の前の席に来ると、座席を向かい合わせに回して座ってから私
の方に向かって思い切り背もたれを倒しました。何とも外人らしいですな。

 『のぞみ117号』は定刻に東京駅から発車。そこで私は東京駅で買った缶コーヒーでモーニング
・コーヒーにしました。

 ジェイアール高崎商事の缶コーヒー『名水・大清水セレクト・コ
ーヒー/ビター・テイスト』です。甘さ控えめ、コクがあり、適度
なミルク感あり、後味はスッキリでした。関東に来ないと買えない
銘柄です。

 出発時、車内のふたり掛けの席は比較的空いていたのですが、品川に着くと大勢乗って来ました。
同駅から乗る場合は指定席を取っておかなければ座れる可能性が低いですからな。

 道中、車内では例の外人グループが外人らしく大声の会話で盛り上がっていました。英語なので、
もちろん何を言ってるのかさっぱり分かりません。

 そこへ車内販売のカートがやって来て外人グループに呼び止められました。売り子の女の子は英語
は話せないようでしたが、まったく動じる様子もなく、手際よく応対していました。さすがですな。

 列車が名古屋に着く直前、左手の旧国鉄笹島(貨物)駅跡に、何やらテーマ・パークっぽい施設が
あるのが見えました。

 私は、この施設の事を知らなかったのですが、後に調べたところ、これは「愛・地球博」の、ささ
しまサテライト会場として設けられた『デ・ラ・ファンタジア』でした。

 名古屋に着くと、例の外人グループが降りて行き車内は静かになりました。見れば、ちゃんと背も
たれは元に戻してあります。そーゆーところは、ちゃんとしとるんやな。

 その後は特に「イヴェント」もなく、13:02に『のぞみ117号』は終点の新大阪に到着しました。

 新大阪駅に到着する新三田行の普通1159Bです。車両は
207系。
【大阪府・JR新大阪駅】

 普通1159Bは13:14に大阪駅に到着。これで今回の「旅」は終了です。

 今回、お持ち帰りした『名水・大清水・ヘルシー・ベリー』。
「大清水・セレクト・コーヒー」と一緒に東京駅で買いました。ヨ
ーグルト風味のベリー・ドリンクであり、ベリーならではの軽いコ
クがありました。缶には「保健機能食品(栄養機能食品)」と書か
れています。

 『列車まかせの旅』第31弾、おわり。



旅行記
第31弾

第30弾 第32弾
パート1
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