2007年10月27日掲載
『列車まかせの旅』第25弾(2004年9月10日)


「旅」の目的

 今回は、群馬県の信越本線横川駅近くにある『碓氷峠鉄道文化むら』を訪ねるのと、千葉県の木更
津から内陸へと延びる非電化路線であるJR久留里線に乗りに行きます。


第1部:「夜行列車愛好家への道」その19/寝台急行『銀河』(3回目)

 今回は東京までのアクセスに寝台急行『銀河』を使います。私は金曜日の夜、仕事がヒケてから大
阪駅に向かいました。

 今回は事前に切符を用意していなかったので、22時頃に大阪駅の、みどりの窓口に行くと、窓口
氏は横川の場所がわからず、発券するのに10分ほど掛かりました。

 駅舎内のコンビニで夕食を仕入れてから『銀河』の出る10番線に上がると、いつものように人で
ごった返していました。多くは隣の9番線から出る新快速の乗客です。

 大阪駅に停車中の寝台急行『銀河』です。同列車に乗
るのは旅行記では3回目、通算では4回目になります。
【大阪府・大阪駅】

 入線した『銀河』に乗り込んで自分の寝台に行くと、端っこのブースでした。通常のブースは両側
に上下2段の寝台がありますが、端っこは片側だけしかないので、対面寝台に気を遣う必要がありま
せん。よしよし。

 見ると隣の寝台にもすでに客がいて、早くも浴衣に着替えて缶ビールを飲っています。まだ『銀河』
は発車しておらず、ホームには大勢の通勤客がいる中で、寝台列車の中は、まさに別世界です。

 『銀河』は定刻に大阪駅から発車。新大阪駅に進入した際には、ホームにコンビニ袋を手にした待
ち客の姿がパラパラ。

 新大阪を出てから検札。我が『銀河』は急行ですが、京都到着前に何と普通列車に抜かされました。
急行とは言え機関車牽引の客車列車なので電車と比べて加減速が悪いため制限速度が低くされている
のでしょうか?

 京都でも何人かが乗り込みました。『銀河』は馴染みの列車なので、今さら珍しいところも無いの
ですが、何やらデッキに立っている人がいたり、通路の折り畳み椅子で寝ている人がいました。

 車掌と何やら言い合いしている声も聞こえて来ました。どうもカードがどうこうと言っています。
飛び込みで乗ってカードで支払いでもしようとしとるんか?

 ウトウトしていたので定かではありませんが、名古屋あたりで乗って来た女性二人組みが寝台に入
ってほどなく、小声で「おやすみ」と言い合っていました。

 そこからは本格的に寝る体制に入ったのですが、例によって寝られたかどうかわからない内に東京
に着きました。

 さて、まずは横川に向かいますが、途中、高崎までの移動は、上野発の特急『草津1号』に乗るの
で、とりあえず上野に行きましょう。

 東京駅に到着する山手線の205系です。同線の列車
も今は新鋭のE231系通勤型で統一され、205系は
他の線区へと転出して行きました。
【東京都・東京駅】

 まだ早朝の7時前とあって山手線の車内には寝込んでいる人がたくさんいました。土曜朝の列車に
は金曜に夜更かしして家に帰る人々も多くいるものです。10分ほどで上野に到着。それでは乗り換
えましょう。

 次に乗る『草津1号』は吾妻線の万座・鹿沢口行の特急で、上越線の水上行の特急『水上1号』と
の併結列車であり、両列車は新前橋駅で分割されます。

 高崎までの移動で乗る特急『草津1号』の指定席特急
券です。
 上野駅の特急用ホームに停車中の特急『草津1号/水
上1号(併結)』です。車体にはブロック・パターンの
印象的な塗装が施されています。
【東京都・上野駅】
 特急『草津1号/水上1号』の車両は185系です。
同車には旅行記第5弾の特急『踊り子101号』で乗り
ました。
【東京都・上野駅】
 185系の普通車の車内の様子です。国鉄型の特急然
とした内装ですが、座席はリクライニング・シートに換
装されています。また特急車では、唯一、窓が開くのが
特徴です。
【特急『草津1号』車内】

 『草津1号』の車内に乗り込んで見ると、我が車両の乗客は女性グループと私だけでした。おいお
い、どーなっとるんや?

 この女性グループは、やはり草津温泉にでも行くのでしょうか? この列車で同温泉に行く場合は、
吾妻線の長野原草津口駅で降りてバスに乗り換える事になります。まぁ女性は旅や温泉が好きですか
らなぁ・・・。

 私がマゴついている内に、放送も無しで出し抜けに発車。乗客は20人ほどです。とりあえず東京
駅の自販機で買った缶コーヒーでモーニング・コーヒーにしました。

 ジェイアール高崎商事の『大清水セレクト・コーヒ/スタンダー
ド』です。コクは控え目のまろやかな味で、少し甘めでした。この
大清水シリーズの飲料はJR東日本の駅か、その付近でしか買えま
せん。

 車内では女性グループが話に花を咲かせており、案内放送がよく聞こえません。しかしまぁ、仲良
しグループで、いつも顔を合わせているやろうに、よく話すネタがあるもんやな。

 上野を出ると宇都宮線(東北本線)/高崎線の線路を走る特急『草津1号/水上1号』は、日暮里
を通過し田端を過ぎると山手線と分かれ、その先の尾久を過ぎると右に京浜東北線が並びますが、王
子、東十条の2駅には京浜東北線だけホームがあり、宇都宮/高崎線の線路は、その脇を通過します。

 京浜東北線は列車本数が多いので、宇都宮/高崎線の列車まで同じ駅に停めても余り意味はなく、
都心では、両者は近距離用と中/長距離用に使い分けられているのですな。

 上野を出た我が列車は赤羽に停車。同駅は、新宿、池袋方面からの埼京線が合流する要衝の駅です。
同駅では数人が我が車両に乗りましたが、この程度の混み具合だと自由席でも座れたんかな・・・?

 赤羽着前に検札が来ましたが、例の女性グループは、車掌から「品川からの切符か定期はあります
か?」と聞かれていました。何のこっちゃ?

 浦和を出たところで右の京浜東北線列車としばし併走しました。この区間で宇都宮/高崎線の列車
に乗っていると、よくある光景です。

 列車が大宮に着いてみると、右隣のホームに特急『ビュー踊り子』専用に使われる251系が停ま
っていました。何で251系がここにいるんだ?

 大宮では、そこそこの乗車があり乗車率は50%ほどになりました。乗って来た客の大半は、おっ
ちゃんで、これで男は私だけではなくなりました。

 大宮で京浜東北線は終点となり、同駅を出ると宇都宮線、川越線とも分かれて高崎線のみとなりま
した。国鉄時代に製造された我が185系は旧型モーターを唸らせながら高崎へと向かいます。

 途中、上尾で信号停車。同駅のホームでは、都心の駅と比べて待っている客がぐっと減り、沿線の
建物もビルから住宅がメインとなり、首都圏から離れたのを実感します。

 桶川で再び信号停車。同駅を出ると沿線には緑が目立つようになりました。そして上野から51分
で熊谷に到着。

 熊谷は思い出深い街です。かつて長期出張で横浜を拠点にして仕事をしていた際、車で横浜を朝発
って熊谷の客先に向かった事がありました。

 横浜→熊谷間の距離から判断して私は余裕を見て3時間半の移動時間を見込んでいたのですが、移
動ルートに選んだ国道16号線の渋滞がハンパでない事など関西人である私が知る由も無く、結果、
約束の時間に何と2時間半も遅れて大目玉を食ったのでした。曰く、

 客先「いったいどこ通って来たんだよ」

 私「国道16号線です」

 客先「16号じゃダメだ、3時間半で来れるわけねぇじゃん!」

 私《こっちゃ地元やないんや。そんなん知らんがな・・・》

 そして次の日からは、横浜から第三京浜で都心に出て環八で練馬まで行き、そこから関越道経由で
熊谷まで通う毎日となったのです。(←なぜか熊谷には泊まらせて貰えなかった・・・)

 そんな思い出に浸りつつ、熊谷から31分で高崎に到着。私はここで降りますが、特急『草津1号』
は、この後、さらに1時間17分走って吾妻線の万座・鹿沢口まで行きます。

 標高が上がったせいでしょうか、高崎の気温は肌寒く感じました。見ればホームの少ないベンチに
横になって寝ている馬鹿オヤジがいました。こーゆー輩は、自分さえ良ければそれでいい手合いなん
でしょうな。

 信越本線に乗り換えるべく陸橋を登り駅舎に入ると、何と通路に「開運だるま」と看板を掲げ、ダ
ルマを祭った神社風のコーナーがあり、ちゃんと賽銭箱まで置かれています。駅構内で、こういった
「施設」を見るのは初めてのような気がします。

 高崎駅に停車中の信越本線・横川行・普通129Mで
す。車両は通勤型の107系。同車は、社員の車両製造
技術力の維持・向上を目的とし、廃車になった急行型1
65系の発生品を活用して大井、大宮、大船の各工場お
よび新津車両製造所で造られたそうです。
【群馬県・高崎駅】
 107系の中でも、この100番台の車両は、耐雪ブ
レーキと横軽対策を備えた車両なんだそうです。
【群馬県・高崎駅】

 かつての信越本線は、高崎から軽井沢、長野、直江津を経由して、はるばる新潟県の新津までを結
んでいた路線でしたが、長野新幹線の開業と共に、不採算となる新幹線平行在来線廃止の方針により
横川←→篠ノ井間は廃止となりました。

 廃止区間について、軽井沢←→篠ノ井間に関しては、長野県が主体となって設立された第三セクタ
ーの、しなの鉄道が継承したものの、特殊な運行形態の "横軽" 間は鉄道ファンに惜しまれつつも廃
止となったのです。

 横川行・普通129Mは定刻に高崎から発車。かつては特急も走っていた信越本線ですが、"横軽"
が分断されてからは高崎←→横川間は普通列車が30〜40分間隔で走るのみであり、他線区からの
乗り入れ列車もありません。

 普通129Mの乗車率は90%以上と高くハイカー姿の人が目立ちました。碓氷峠の廃線跡は整備
されてハイキング・コースにもなっているので、そこを歩きに行くんかな?

 横川へと向かう列車は勾配を登っているようであり、少々耳が痛くなって来ました。高崎から32
分で終点の横川に到着。

 横川←→軽井沢間の廃止により信越本線の高崎←→横
川間の末端となった横川駅です。本線の一般的な大きさ
の駅ですが、かつてここには "横軽" 越えのためのEF
63形やEF62形電気機関車が集う横川運転区があり
ました。
【群馬県・横川駅】

 駅前の広場では、初老のおじさんがワゴンで『峠の釜めし』を売っていました。何と言っても横川
と言えば『峠の釜めし』です。

 横川駅周辺には釜めしを売る店は、たくさんあるでしょうし、駅の売店でも売っていましたが、か
つての駅弁売りを彷彿とさせる、このおじさんから買ってあげたくなり、釜めしと『もみ出し茶』を
購入しました。

 ここでは2時間のインターヴァルを取っています。碓氷峠鉄道文化むらも見に行きますが、まずは
駅の周辺を観察しましょう。

 横川駅前に停車中の軽井沢行連絡バスです。"横軽"
廃止後に運行が始まりました。
【群馬県・横川駅】
 横川駅の駅舎から最も離れた4番線には、廃車された
EF63形電気機関車が保存されていましたが、手入れ
をしていないのか車体は、かなり痛んでいました。
【群馬県・横川駅】

 駅を出て、のっけから出くわしたEF63ですが、同機関車はEF62形電気機関車と共に "横軽"
とは切っても切れない存在です。

 66.7パーミル(1000メートル毎に66.7メートル登る)と言うJR最急勾配の碓氷峠越えは、貨物列
車はもちろんのこと、身軽な電車にとっても超難所であり、単独では峠をクリアする事が出来ません
でした。

 そこで採用されたのが急勾配対応に製造されたEF62/EF63形機関車であり、これらを電車
と併結して運行すると言う全国でもここだけの珍しい運行形態となりました。

 急勾配をクリアするとなると、問題となるのは勾配を登るためのパワーだけと考えてしまいがちで
すが、実はヤバいのは登りより降りの方であり、ブレーキを連続使用すると制輪子が加熱してブレー
キが効かなくなるのです。

 そこで、EF62/EF63では、勾配を登るための牽引力向上に加え、ブレーキにも数々の工夫
が凝らされ、圧縮空気が無くなっても緩まないブレーキや、停電しても使用可能な抑速ブレーキなど
を装備しています。

 両機関車の用途としては、EF62が本務機として東京の田端から "横軽" を経由して新潟県の黒
井駅までの間で貨物列車を牽き、EF63は補機専用機として横川←→軽井沢間でのみ列車に連結さ
れていました。

 つまり両機関車の中でもEF63は、言うなれば「"横軽" 専用機」であり、"横軽" ファンにとっ
ては特別に思い入れのある機関車なのです。

 ちなみに、1986年のダイヤ改正以降は "横軽" 越えの貨物列車はなくなり、晩年は両機で旅客列車
の牽引に従事していたそうです。

 EF63の後ろには、かつて信越本線を走っていた特
急『あさま』に使われていた189系特急型電車のフル
編成(?)が保存されていましたが、やはり車体は相当
に痛んでいました。ちなみに同特急車は、EF63と協
調運転が行える特別装備を備えた「横軽スペシャル」の
車両です。
【群馬県・横川駅】

 後日、ネットで調べたところ、この4番線の保存車両は展示されていたのではなく、元々は "横軽"
廃止後に路線途中にある丸山信号所に(おそらく廃車前提で)留置されていた車両でしたが、機関車
の貫通扉が盗難に遭い、保安上の理由からここに移動させて来ただけなんだそうです。

 現在では、2両のEF63は、189系2両と共に鉄道文化むらに引き取られ、残る189系7両
は解体されたそうです。

 189系の右側にはジョイフル・トレインの『くつろ
ぎ』車4両が留置されていました。12系客車を改装し
たジョイフル・トレインで、1983年から1999年まで使用
されたそうです。廃車から5年が経過していましたが、
それほど痛んでいるようには見えず、まるで一時留置さ
れている現役車両のように見えました。
【群馬県・横川駅】
 保管中のEF63から鉄道文化むら方向を見たところ
です。かつてこのアングルには横川運転区の構内が広が
っていました。何と線路が残されており、その先は文化
村の構内線に繋がっています。線路はアスファルトで埋
められてはいるものの、その気になれば、すぐに復活さ
せられそうでした。
【群馬県・横川駅】


第2部:碓氷峠鉄道文化むら

 碓氷峠鉄道文化むらの正面ゲートです。横川運転区の
跡に造られた施設で、運転区の一部の施設は、そのまま
転用されています。
【群馬県・横川】

 碓氷峠鉄道文化むらは、"横軽" と共に廃止された横川運転区の跡地に建設された体験型鉄道テー
マパークです。

 1999年4月18日に開園し、運営は財団法人・碓氷峠交流記念財団が行っています。園内には碓氷
峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両、国鉄時代のレアな車両などが展示されているほか、ア
トラクションとして小型SLが牽く列車や、ミニSLなども走っています。

 そしてこの文化むらの真髄と言えるのが、園内にある旧信越本線の一部を利用して行われているE
F63形電気機関車の体験運転です。

 EF62とEF63は、"横軽" の廃止と共に役目を終えて全車廃車となりましたが、文化むらで
は旧国鉄OBなどの手により何両かのEF63が動態保存されており、有料での運転体験コースを行
っているのです。

 チケットを購入し、園内に入った私は、とりあえず正面に見えた旧検修庫らしき建物に向かいま
した。

 鉄道文化むら引き継がれた旧横川運転区の検修庫の中
に静態保存されているEF63形電気機関車です。運転
室に入る事が出来ます。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 生まれて初めて入った電気機関車の運転台です。座席
に座ってみると、けっこう窮屈でした。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 EF63の奥に保管されているEF62形電気機関車です。"横
軽" 越えの貨物列車牽引の本務機として製造された機関車であり、
"横軽" 間ではEF63とペアを組んで運用されていました。1986
年以降、"横軽" 越えの貨物列車がなくなると余剰となったEF6
2は老朽化したEF58の置き換え目的で東海道/山陽本線の貨物
牽引に転用されたそうです。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 検修庫の奥に保存されていたED42形電気機関車で
す。急勾配を登るための手法として、2本のレールの中
間に歯型のラック・レールを敷いた「アプト式」対応の
機関車で、車体中心線上にラック・レール用の歯車車輪
を備えています。横軽越え専用の機関車で、1934年から
1948年にかけて28両が造られました。1963年に同区間
がEF62/EF63による粘着運転の新線に切り替え
られアプト式が廃止されるに至り廃車となりました。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】

 機関庫裏の一段高くなった場所には、旧国鉄時代の車両が多数保管されていました。お次は、それ
らを見に行きましょう。

 SLの代名詞ともなっている「デゴイチ」ことD51
形蒸気機関車です。なぜか『銀河鉄道999』のヘッド
・マークが取り付けられていました。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 DD53形ラッセル機関車です。前面の巨大なラッセ
ル・ヘッドを外すとディーゼル機関車として使用する事
が出来ます。ディーゼル機関車では珍しい箱型車体をし
ているのが特徴です。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 ソ300形操重車です。橋桁架設用のクレーン車の一
種で、全長は27.5メートル、自重は153トンもある巨大
な車両です。基本的には機関車牽引で移動しますが、自
前のディーゼル・エンジンを備えており時速20キロで
移動する事も可能です。現在では橋桁の架設は道路を走
るクレーン車で行うため、操重車はすべて廃車となりま
した。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 キハ35系気動車です。通勤路線用に製造された気動
車で、2001年までは山陽本線の支線である「和田岬線」
でも運用されていました。同線での運用終了と共に全車
が退役となりました。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 キニ58形荷物気動車。キハ58形急行型気動車を改
造して造られた車両です。荷物電車の存在は私も知って
いましたが、その気動車版があったとは・・・。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 スニ30形荷物車です。1927年から1929年にかけて製
造された日本初の鋼製車体荷物車なんだそうです。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 キハ20形一般型気動車です。JRからは、すべて退
役しましたが、一部の私鉄では譲渡車両が今でも活躍し
ています。同車の急勾配対応形であるキハ52形は、現
在でもJR東日本やJR西日本で運用されています。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 茶色塗装のEF62形電気機関車(左)とEF15形
電気機関車(右)です。EF15は戦後の鉄道輸送力の
不足を補うために製造された貨物用機関車で、1947年か
ら1958年にかけて202両が製造されたそうです。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 オシ17形食堂車です。余剰となっていた展望車や一
等客車を改造して製造された食堂車で、1956年から1961
年にかけて30両が造られたそうです。かつて客車列車
が主力だった頃は、この車両が編成中に組み込まれてい
たのでしょう。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 EF70形電気機関車です。連続勾配が続く北陸トン
ネルで1200トン貨物列車の牽引を実現するために製造さ
れた車両です。文化村で保存されているのは2次車の
1001号機で、高速列車牽引用の改造が施されているそう
です。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 EF30形電気機関車(左)とEF58形電気機関車
(右)です。EF30は関門トンネル専用牽引機として
1960年から1968年にかけて22両製造された機関車で、
海水による腐食を防ぐためステンレス製の車体を持つの
が特長です。EF58は、EF15と共に戦後の輸送力
増強を目的に製造された旅客用機関車で、EF15と部
品の共通性を持たせているそうです。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】

 園内には、子供向けの「乗り物」として小型のSL「あぷとくん」が小型客車を牽く列車と、ミニ
SL列車が運行されており、その乗り場がありました。

 文化村の園内では5インチ・ゲージのミニSL列車が
運行されていました。料金は大人200円、子供100
円です。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】

 ブーンと言う電気機関車特有の音が聞こえてきたので振り向くと、EF63らしき機関車の重連が
構内線上をゆっくり移動して来るのが見えました。

 文化むらの構内線では、ピカピカに整備されたEF6
3の重連が運転されていました。同文化むらでは、有料
予約制で本物のEF63が運転出来る体験コースがあり
ます。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】

 短い区間を往復するだけの運転ですが、重量108トン、機関出力2550キロ・ワットの大型機関車
重連を動かすのは、さぞかし緊張するでしょうな。

 それにしても、これほど大型の機関車を整備するには、例えスタッフが揃っていても大掛かりな整
備施設が必要です。

 ここには機関車を整備するための設備を備えた検修庫もありましたが、今は展示施設に改装されて
おり、使用する事は出来ないはずです。いったいどうやって整備したのだろう?

 それに、機関車を何両も整備するには、かなりの費用が必要になるはずです。それらをどうやって
賄っているのだろう?

 客車を3両牽いて園内をぐるりと一周する小型SLの
「あぷとくん」です。料金は大人400円、子供200
円です。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】

 旧車両群を、ひと通り見終えたので、旧機関庫裏にあった、ひと気のないベンチに座り『峠の釜め
し』で昼食にしました。

 横川名物の『峠の釜めし』です。器は本物の陶器で、
ずっしりと重量があります。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】
 容器を開けたところです。漬物のパックが入っていま
した。要するに炊き込み御飯ですが、大変、おいしく頂
きました。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】

 さてと、釜めしも堪能したし、文化むらも、ひと通り見終わりました。次に乗る予定の列車まで、
まだ時間があるので、ここから先の信越本線配線跡の遊歩道を少し歩きに行きましょう。

 文化むらの園内には、アプト式レールの一部が保存さ
れていました。従来のレールの間に歯形のラック・レー
ルが敷かれており、ED42形電気機関車に備えられた
歯車をラック・レールに噛み合わせて急勾配を登り降り
していました。
【群馬県・碓氷峠鉄道文化村】

 ふと園内を見渡すと、そこそこの人数の来園客がいました。私が入った時は人影はまばらだったの
ですが、これからが入場者が増える時間帯なのでしょう。ゲートを出ると、目の前の駐車場には、た
くさんの乗用車がとまっていました。

 鉄道文化むらを訪れるのならば鉄道で来て欲しいところですが、ともあれ、ここが賑わっていれば、
"横軽" 復活の灯火も消える事はないような気がします。

 鉄道文化むらを出た私は、文化むらの北側を通る旧中山道に出ると線路に沿って、途中、碓氷関所
跡などを見つつ軽井沢方面に歩いて行きましたが、文化むらの西側にあった旧踏切の所で工事が行わ
れていて、そこから先の廃線跡には入れなくなっていました。

 後に知ったのですが、鉄道文化むらを始め、"横軽" の復活を願う人々により再び列車を走らせる
ための活動が行われていましたが、鉄道として復活させるには鉄道事業者としての免許やら法律上の
面倒な付帯事項が色々と必要となります。

 そこで鉄道ではなく鉄道文化むらのアトラクション施設として復活させようとしているのですが、
そうなると文化むら西側にある踏切が問題になります。公道を横切る踏切は鉄道事業者しか所有を許
されていないのです。

 鉄道文化むらが諸関係機関と協議した結果、踏切が無ければアトラクションとして扱うのは可能と
の判断がなされ、踏切部分を立体交差化するための工事がこの時行われていたのです。

 そして工事が完成した後、2005年3月より鉄道文化むらから、温泉施設『碓氷峠の森公園交流館・
峠の湯』(鉄道文化むらと同じく碓氷峠交流記念財団が運営)に至るまでの間でトロッコ列車が運行
されています。

 それはともかく、廃線跡の遊歩道散策はあきらめる事にして国道18号線に出て横川駅方面に戻り
ました。沿道には、釜めしの製造元である『おぎのや』が経営する「釜めしの里」があり、マイカー
がたくさん停まっていました。

 かつては駅での売上げがメインだった釜めしですが、今は車で来て買い求める客がメインになって
いるのでしょう。さてと、ぼちぼち時間が来たので横川駅に向かいましょう。

 "横軽" についての後日談ですが、後に実施した旅行記において軽井沢に行った際、軽井沢駅のホ
ームから横川方面を見たところ、構内の線路の多くは切断されていたものの、1本のレールは、その
まま山手に延びているように見えました。

 通常、廃止された線路は直ちに撤去されるのですが、廃止からかなりの年月が経っているにも関わ
らず線路が残されているのは、"横軽" 復活を願う人々の熱意が、そうさせているのだろうかと思っ
たものです。

 さらに後日、この記事を書くためにインターネットで "横軽" について調べたところ、何と外資系
開発会社の手により、軽井沢駅東側の信越本線跡地に駅併設型商業施設の建設計画が進んでいるとの
事でした。

 これに対して、"横軽" 復活に前向きな姿勢を示し、線路用地の買収までもを考えていた軽井沢町
が開発会社に線路1本分の用地を残すように要請したそうです。

 結局、軽井沢町は「具体的な計画がない案件に税金は使えない」との理由で用地買収は実現しなか
ったものの、開発会社は線路1本分の用地を残す事に同意したそうです。

 外資系企業は冷徹とのイメージがあったのですが、何とも粋な計らいではないですか。ともあれ、
未だ具体的な計画はないものの、"横軽" 復活への希望は残されたのでした。

 横川駅前にあった『おぎのや』です。看板には「日本
最古の駅弁屋・峠の釜めし発祥の地・信越本線横川駅」
とありました。
【群馬県・横川駅】

 11:40頃に横川駅に戻りました。何やら女の子のグループがいます。ここら辺りで女性グループと来
れば軽井沢を連想しますが、首都圏から彼の地に行くのであれば長野新幹線を使えば早くて簡単です。

 となると、この女の子のグループは、よほどの節約家か、旅の "通" か、それとも単に鉄道文化む
らに立ち寄るために来たのかのいずれかでしょうか。

 改札を抜けホームに入ると、待ち客の姿は、ほとんどなく、ホームにいた駅弁売りも手持ち無沙汰
の様子でした。かつて信越本線の特急や普通列車が往来していた頃とは駅弁の売り上げも雲泥の差な
のでしょうな。

 それでも駅弁売りをやめないのは、やはり駅弁屋としてスタートした『おぎのや』さんの意地なの
でしょうか?

 そんな事をぼんやり考えていると、私が乗る列車の折り返し列車が着きました。同列車からは30
人ほどが降りました。

 横川駅に停車中の高崎行・普通142Mです。107
系の4両編成でした。
【群馬県・横川駅】
 107系の車内です。通勤型なのでオール・ロング・
シートです。
【信越本線・普通142M車内】

 たった5分の停車で普通142Mは定刻に横川から発車。私は先頭車に乗りましたが、乗客は私を
入れてたったの二人でした。

 横川を出て右手車窓に見えた奇妙な形の山です。これ
は妙義山でしょうか?
【信越本線・普通142M車内】

 31分の乗車で高崎に到着。次の目的地は千葉の木更津なので、東京から京葉線に乗って向かいま
すが、高崎から東京へ直接行く列車がないため、いったん上野に向かいます。

 高崎駅に停車中の上野行・快速『アーバン』3928Mで
す。車両はJR東日本が首都圏の主力車両とすべく大量
増備中であるE231系の近郊型です。私がE231系
に乗るのは、この時は、まだ2度目でしたが、今では山
手線はE231系の通勤型、湘南新宿ラインや高崎線は
同系の近郊型で占められ、東京メトロ・東西線の乗り入
れ車両も同系の地下鉄乗入型である800番台車に置き
換わりました。
【群馬県・高崎駅】

 E231系に関しては、この「旅」の時点では、私は中央本線で(総武線直通の)通勤型に1度乗
った事があるだけで近郊型に乗るのは、これが初めてでした。

 新型車両に乗る時は、いつも心が躍るもので、この時の私も乗れた事を喜んでいましたが、今では
大量増備されたE231系が国鉄型車両を続々と淘汰しており、鉄道ファンとしては複雑な心境です。

 1形式のバリエーションで3つの用途車両をカヴァーすると言う手法は、車両の運用効率面で実に
優れたやり方ですが、色々な車両に乗るのも楽しみのひとつである私としては、面白みに欠けてしま
いますな・・・。

 ちなみに、高崎←→上野間を結んでいた、この快速『アーバン』は、この「旅」の翌月、2004年1
0月のダイヤ改正における湘南新宿ラインの大増発で日中の列車が湘南ラインの列車に置き換えられ、
朝夕のみの運行になりました。

 ともあれ、乗車待ちの列に並ばず、悠長に写真なんか撮っている内に席は埋まり、上野まで立ち乗
りで行くハメになりました。

 定刻に高崎を出た快速『アーバン』は、熊谷までは各駅に停まります。そこから先は快速運転に入
り、鴻巣、桶川、上尾、大宮、赤羽、尾久の6駅に停まりつつ、高崎から1時間35分で上野に到着
しました。

 では東京駅に向かいますが、それはまた次回と言う事で・・・。

 第3部につづく・・・。


トップ・ページに戻る← 第24弾に戻る← →第3部に進む