2007年8月12日掲載
『列車まかせの旅』第24弾(2004年8月7日)


 今回は、旅行記第6弾において、私が一般列車では日本最長運行距離列車と勘違いしていた山陽本
線の下関→岡山間を走る快速『山陽シティライナー』5342Mよりも長い距離を走る列車があるのを我
がのHPを見て下さった「旅行好きの人」さんから教えて頂き、乗りに行く事にしました。(「旅行
好きの人」さん、教えて頂き、ありがとうございましたm(_._)m)


第1部:「ちょっとこだわりの駅」その5/JR鹿児島本線・門司港駅

 日本最長距離を走る一般列車、それは私がそれと勘違いしていた快速『山陽シティライナー』の別
の列車である5364Mでした。ちゃんと時刻表を「読め」っつー事ですな。(^^;

 私が勘違いしていた『山陽シティライナー』5342Mが下関→岡山間(運行営業キロ363キロ)の運行
であるのに対し、この5364Mは下関→三石間(営業キロ404キロ)で、これぞまさしく日本最長距離な
のです。

 つー事で、再び下関に行かねばなりません。旅行記第6弾では快速『山陽シティライナー』5342Mが
下関6:39発と早かったため、わざわざ前夜に寝台特急『あかつき』に乗って下関まで移動したのです
が、今回は12:01発なので当日移動でイケます。

 単に乗りに行くだけではつまらないので、今回は下関と門司間を結ぶ関門トンネルの人道トンネル
を歩いてみたいと思います。と、言う事で門司まで移動しましょう。

 梅田駅に到着する5:20発の千里中央行です。車両は新
20系です。
【大阪府・梅田駅】

 新大阪に着いて新幹線の改札に行くと、改札も横の券売機も閉まっていました。仕方がないので、
とりあえずトイレに寄ってから戻ると改札は開いていましたが券売機は半分しか販売していませんで
した。

 券売機の上に設置されている空席案内板を見ると、乗る予定の6:00発・博多行『ひかり341号』
の指定席は何と△になっていました。おいおい。

 券売機で同列車の指定席を選ぶと、やはり窓側は一杯になっており、やむなく通路側のC席を選択
しました。ま、今さら車窓風景を見たい分けでもないので構いません。

 切符を買って改札を通り、5:35頃にホームに上がると『ひかり341号』は入線していましたがド
アは閉まっていました。

 新大阪駅に停車中の博多行『ひかり341号レール・
スター』です。車両は専用の700系7000番台車です。
【大阪府・新大阪駅】

 ホームで待っていると5:45にドアが開いたので乗車。そして定刻の6時ちょうど、我が指定席車の
乗車率は40%程度で新大阪駅から発車しました。

 関西では新幹線構内でしか買えないJR東海系飲料メーカー製の『J'sブルーマウンテン・ブレン
ド』でモーニング・コーヒーを楽しんだり、うとうとしている内に小倉駅に到着しました。

 小倉駅で在来線ホームに降りると、博多行の特急『ソニック6号』が到着し、『ひかり341号』
から降りた乗客の多くが乗り換えて行きました。

 どこか途中の停車駅で降りるんでしょうが、わざわざ特急に乗らんでも次の快速で行きゃいいよう
な気がするのですが・・・。

 小倉駅に到着する鹿児島本線の門司港行・普通2380M
です。車両は今回が初乗車となる国鉄型のひとつ415
系です。交直流両用の近郊型で、交流の九州側から直流
の本州下関への乗り入れ列車にも使用されています。
【福岡県・小倉駅】

 到着した列車には大勢乗っていましたが、ここであらから降りて車内はガラガラになりました。

 オリジナルの415系はセミクロス・シートですが、
この車両はオール・ロング化改造されていました。これ
はやはり乗車率の高い博多近郊区間に対応するためでし
ょうか?
【鹿児島本線・普通2380M車内】

 わずか8人で発車。列車は途中、門司、小森江の2駅に停車し、小倉から14分で終点の門司港駅
に到着しました。

 鹿児島本線の北側の終点となる門司港駅は頭端式のホ
ームとなっていました。歴史ある駅だけに構内の施設は
古びた印象がしました。
【福岡県・門司港駅】
 門司港駅の留置線には急行の種別表示と「はんだ」な
るヘッド・マークを掲げた国鉄色の謎の列車が停められ
ていました。車両はJR九州しか使用していない国鉄型
のキハ67系でした。何だこりゃ?
【福岡県・門司港駅】

 この "急行『はんだ』" は臨時列車でしょうか? 見ればホームには『はんだ』に向かってカメラ
を構えるファンらしき兄ィちゃんが数人いました。

 後に調べたところ、急行『はんだ』は、急行『日田』と共に、かつて門司港←→湯布院間で運行さ
れていた列車だそうです。

 この時、見掛けた『はんだ』は、九州鉄道博物館の開館1周年を記念して運行されたリバイバル列
車であり、しかも団体ツアーの専用であったため、飛び込みで乗る事は出来なかったそうです。

 とは言え、この「旅」当時の私は、そんな事は知る由もありませんでした。九州でしか走っていな
いキハ67には、まだ乗った事がなかったし、そのうえ今や風前の灯火である「急行」となるとレア
度は跳ね上がります。

 急行『はんだ』を前にした私は、まさに「ネコマタ」状態でしたが、発車時刻も分からないし、そ
もそも今日走るのかすら不明なのです。諦めた私は写真を何枚か撮ると関門トンネルに向かうため、
後ろ髪を引かれつつ改札に向かいました。

 門司港駅構内は実にレトロな雰囲気で、比較的新しそうな駅のトイレも古い駅舎に合わせたレトロ
調のデザインになっていました。

 門司港駅です。歴史のある大きな駅舎が今でも現役で
使用されています。この駅舎は1914年に駅が現在の位置
に移転した際に建てられたものだそうです。
【福岡県・門司港駅】

 1891年(明治24年)に初代門司駅として開業した当駅は、九州の鉄道の玄関口として対岸の下関
との間で運行される鉄道連絡船が着発して賑わっていたそうです。

 1942年に関門トンネルが開通すると門司港駅に改称。1988年には駅舎が重要文化財の指定を受け現
在に至っています。

 今や本州←→九州間の幹線ルートからは外れ、支線の終着駅みたいになっている同駅ですが、その
堂々たる駅舎が往時を偲ばせますな。


第2部:関門人道トンネル

 さて、それでは関門人道トンネルを通って下関に向かいましょう。トンネルの入口までは2.8キロほ
どありますが散歩するには手頃な距離です。

 門司港の岸壁からは対岸の下関の街が見えました。直
線距離では2キロほどでしょうか。
【福岡県・門司港】
 門司港の街中には歴史のありそうな建物がチラホラ見
受けられました。
【福岡県・門司港】
 街の雰囲気に合わせるためでしょうか、新しい建物も
レトロ風な造りになっていました。こりゃ金が掛かっと
るやろなぁ・・・。
【福岡県・門司港】

 この周辺は「門司港レトロ地区」と呼ばれており、観光スポットとすべく駅周辺の建造物やホテル、
商業施設をすべてレトロ調のデザインで揃えているそうです。

 建ち並ぶ立派な建物群に目を奪われつつ、門司港駅から伸びる貨物線らしき線路も気にしながら歩
いて行くと、1.2キロほどで関門トンネルの車道口に着きました。

 関門トンネルの車道口です。高速道路である関門橋と
比べて料金が安いためでしょうか、料金所には車が並ん
でいました。トンネルの坑口にフグを模したペイントが
施されているのが面白いですな。写真左には「人道入口
1.6km」の看板が見えます。
【福岡県・門司】

 車道口から左にそれ、門司東本町線を歩いて行くと、道路を跨いで和布刈神社の鳥居があり、その
向こうには木々に覆われた丘が見え、その上には関門橋の巨大な橋桁が跨いでいました。さらに歩い
て行くと、その先には貨物線の踏切がありました。

 門司港駅から田野浦方面に伸びる貨物線が古城山の下
を潜る和布刈トンネルです。線路はすでに使用されてい
ないようですが、坑口には通行禁止の看板以外は進入防
止の設備は何も設置されていませんでした。(現在は両
方の坑口にフェンスが設けられています)
【福岡県・門司】

 後に調べたところ、この貨物線は「田野浦臨港線」だそうで、この「旅」で訪れた5ヶ月前の2004
年3月までは、第三セクターの平成筑豊鉄道の金田駅からやって来る、DD51形ディーゼル機関車
に牽かれたセメント列車が着いていたそうですが、列車は廃止となり、貨物線自体も2005年10月1
日をもって廃線になったそうです。

 廃線になったとは言え、なぜかレールは、ほとんど残されており、2006年5月のゴールデン・ウィ
ークには、地元の観光推進団体「門司港レトロ倶楽部」のスタッフにより『海峡トロッコ・しおかぜ
号』なるトロッコ列車が走ったそうです。

 もっとも、トロッコ列車と言っても本格的な鉄道車両ではなく、車輪が付いた箱みたいな自作のト
ロッコを人力の軌道自転車で牽く、ささやかな「列車」ですが、それでも線路が撤去されずに活用さ
れているのは喜ばしい限りです。

 踏切を過ぎると左手の海側には「ノーフォーク広場」がありました。ノーフォークと言えばアメリ
カの港町ですが、そこと何か関係があるのでしょうか?

 後に調べると、案の定、北九州市は、アメリカのバージニア州にあるノーフォーク市と姉妹都市の
関係にあるそうです。

 私は広場の中には入りませんでしたが、アメリカの港町にある岸壁を模した異国情緒ある造成にな
っているそうです。ちなみに、この広場の敷地に隣接して海上保安庁の巡視船基地があります。

 「ノーフォーク広場」を過ぎると道の両側は木々で覆われていました。ここはもう和布刈公園のは
ずれです。ほどなく、関門橋の真下に着きました。

 自動車専用の関門橋です。写真では分かりにくいと思いますが圧
巻の大きさです。開通は1973年。橋の長さは1,068メートルです。
ちなみに、上を走る道路は中国自動車道でも九州自動車道でもなく
「関門自動車道」なんだそうです。
【福岡県・門司】

 関門橋を潜って100メートルほど行くと「関門トンネル人道入口」と看板を掲げた建物がありま
した。

 関門トンネル人道出入口のある施設です。この下に関
門トンネルが通っているのでしょう。
【福岡県・門司市・関門人道トンネル出入口】
 建物の1階には、大小のエレベータが1基ずつありま
した。左側の大きいやつは、たぶんバイクや自転車と共
用なのでしょう。
【福岡県・門司市・関門人道トンネル出入口】

 それでは、さっそくトンネルに降りましょう。私は開いていた小さい方のエレベータに乗りました。
操作パネルには「地上」と「地下」の2つのボタンしかありません。

 エレベータを降りると、そこにはロビーみたいな広い
場所があり、支柱の周りには石か陶器で造られた椅子が
並べられていました。
【関門人道トンネル】

 地上はうだるような暑さでしたがトンネル内は適温でした。いったい何メートルぐらい降りて来た
んだろう?

 これが関門人道トンネルです。横坑部分の全長は78
0メートル。この真上を車道が通っているのですが車の
騒音は聞こえませんでした。
【関門人道トンネル】
 トンネルの途中には照明がブラック・ライトになって
いる部分があり、天井にはブラック・ライトで光る星?
が描かれていました。単調なトンネルに変化をつけるた
めの配慮でしょうか?
【関門人道トンネル】

 トンネル内は意外にも自転車より歩行者のほうが多く通っていました。トンネルの両端は市街地か
ら離れているのに、いったいこの人々は、どうやって出入口まで来るのだろう? 見れば観光客らし
き姿もポツポツありました。

 トンネルの中央にあった福岡/山口の県境。ここを過
ぎると山口県に入ります。海底の下にある県境、なんか
ちょっと感動ですな。
【関門人道トンネル】

 県境の脇の壁には関門トンネルの紹介パネルがありました。それによるとトンネルの開通は1958年
(昭和33年)で、毎日4,800トン(ドラム缶2万4000本分)もの漏水があり、それを絶えず排水し
ているそうです。

 排水ポンプが止まるとトンネルは水没してしまうため、万が一の停電に備えて一般家庭1,000軒に給
電可能な能力を持つ自家用発電機を備えているそうです。

 人道トンネルの延長は780メートルですが、海底の下を歩いている実感は、ないまま下関側の地
下フロアに辿り着きました。

 そこには門司側と同じような休憩できるフロアになっていましたが大して疲れていなかったので、
そのままエレベータで地上に出ました。

 エレベータ前にはトンネルの通行料を入れる料金箱が置かれてい
ました。人は無料ですがバイクと自転車は20円の通行料を入れま
す。係員が見張っている分けではないので、料金は、あくまで自主
的に入れます。バイクは50cc以下の原付のみ通行可。
【山口県・下関市・関門人道トンネル出入口】
 関門人道トンネルの下関側出入口です。門司側と同じ
く大きな建屋があります。
【山口県・下関市・関門人道トンネル出入口】
 下関側出入口の目前の海は、何と壇ノ浦の古戦場跡で
した。1185年に、ここで源氏と平家の最後の合戦が行わ
れたのですな。
【山口県・下関市】

 私は下関駅を目指して海沿いの国道9号線を西に向かって歩き始めました。400メートルほど行
った右手の斜面に赤い鳥居が立ち並んでいました。

 この鳥居群は立石稲荷のもので、西下した平家がこの地を訪れた際に京都は伏見稲荷の分霊をこの
神社に祀ったそうです。見れば、鳥居群の目の前の海中に注連縄がしめられた何やら大きな岩が立っ
ています。

 立石稲荷前の海中に立つ岩です。烏帽子(えぼし)岩
と呼ばれているそうで、海難防止の守り神として地元の
漁師から敬われているとか。
【山口県・下関市】

 立石稲荷からさらに700メートルほど行くと、右手に立派な赤門が見えました。

 赤間神宮の水天門です。同神宮は、壇ノ浦の合戦で入
水した安徳天皇を埋葬した阿弥陀寺に1191年に御影堂が
建立されたのち、明治の神仏分離に伴って神社となり
1940年に赤間神宮と改称したそうです。太平洋戦争で社
殿が焼失し、新社殿が建立され現在に至っています。
【山口県・下関市】
 赤間神宮を過ぎた所の右手の石垣に、道路から見える
ように「世界一の、ふくの像・下関ふく連盟」なる横
断幕が掲げられており、その上にはフグ(?)らしき像
が見えました。下関と言えばフグですが、何で「ふく」
なんかな?
【山口県・下関市】

 赤間神宮から700メートルほど行った辺り、下関商港付近の沿道には歴史的建築物が3つ固まっ
てありました。

 旧英国領事館です。1906年(明治39年)竣工の煉瓦造
りの建物で、現在は市民ギャラリーとして使われている
そうです。
【山口県・下関市】
 下関南部郵便局です。1900年(明治33年)竣工の煉瓦
造りの建物です。郵便局にしては、えらく立派ですが、
元は赤間関郵便電信局だったとの事です。
【山口県・下関市】
 南部郵便局の右隣に立つ旧秋田商会ビルです。1915年
(大正4年)竣工のコンクリート造りの建物で、和洋折
衷のユニークなデザインが特徴なんだそうです。現在は
1階が改装されて下関観光情報センターとして使われて
います。
【山口県・下関市】

 さすがに昔から港町として栄えてきただけに、こういった古い建物があるわけですな。写真を撮っ
た私は先に進みました。

 左手の海側にある市立しものせき水族館の巨大な建物を見つつ、先に進み街中に入ると、左手前方
に何やら高いタワーが見えて来ました。これは海峡ゆめタワーでしょうか?

 タワーに昇ったりする気はありませんでしたが、何気にそちらの方に進むと、何やら音楽が聞こえ
て来ました。

 見るとタワーの先にある海峡ゆめ広場内のステージでロック・フェスティバルが開かれていました。
スケジュールが掲示してあったので見てみると、

 10:05〜11:00 心/シモカワテツヤ/がけっプチ
 11:00〜12:30 Shine Stock/ALLMIGHTY ROOKIES/THE JET BILLY
 12:40〜14:35 Re-Birth/弘中タケシ/トキオ/音音音/光井章/SWORD DANCER
 14:40〜15:30 INFECTION WORD/ダンス数組

いずれも私が知らないミュージシャンばかりでした。今は女性ヴォーカルのグループがステージで演
っていましたが、上のどのグループがすら分かりません。

 じっくり聞いている時間もないので駅へ向かいました。100メートルも歩くと、下関駅前にある
広大な空中通路が見えました。ようやく駅に到着です。

 下関駅前にある、長さが200メートル以上もある広
大な空中通路です。何だか知りませんが、たくさんのカ
ラスが手摺りにとまっており、おっちゃんが棒で手摺り
を叩いて追い払っていました。
【山口県・下関駅】


第3部:「ちょっとこだわりの列車」その3RV/
    快速『山陽シティライナー』5364M

 11:25に駅に到着。いつ改装したのでしょうか改札は自動改札になっていました。例によって、みど
りの窓口に行き大阪までの乗車券を求めると、窓口氏はソラで金額を言い、それ以上は何も訪ねませ
んでした。私と同じ事をする物好きが結構いるのかも知れませんな。

 前回、対応してくれた窓口氏は、新幹線の特急券は持っているのかと尋ねたのち、私が普通で行く
と応えるとニヤリとしていましたが、今回の窓口氏は、たぶん興味がないんでしょう。

 得意の大阪までの乗車券です。在来線の一般列車だけ
で行けば8,510円で大阪まで帰れるのです。

 ホームに上がると、まだ乗車予定の列車の姿はありませんでした。ホームには新山口行の普通列車
が停まっていましたが、なぜか車両は気動車のキハ40であり、その列車の写真を撮っている男性が
いました。「同業者」か?

 待つことしばし、11:43に岡山行の普通3364Mが入って来ました。車両は115系の4両編成です。

 下関駅に入線した三石行の普通3364Mです。車両は1
15系のノーマル車でした。前回は転換クロス・シート
のリニューアル車でしたが、今回はオリジナルのボック
ス・シートで行く事になります。
【山口県・下関駅】
 この普通3364Mは、徳山から先は列車種別が快速『山
陽シティライナー』5364Mに変わり、岩国→西条間は快
速運転となります。また、行先表示が岡山になっていま
すが、岡山から先は再び列車種別が普通724Mに変わ
り三石まで行きます。
【山口県・下関駅】

 列車は定刻の12:01に下関から発車しました。私が乗る車両の乗客を数えてみると全部で12人いま
した。

 さあ、いよいよ日本最長運行距離一般列車での「旅」の始まりです・・・、と、言っても、旅行記
第6弾の行程を、そのまんま辿るだけなので真新しい事は何もありません。

 道中、徐々に客が増えて下関を出てから1時間6分で新山口に到着。同駅では乗客が入れ替わりま
した。乗車率は50%程度かな?

 富海の手前で海沿いに出ました。前の席では若いカップルがイチャついています。周りに乗客がい
るってのに、よーやるわ。

 車内は冷房が効きすぎていました。確かに外は暑かったんですがねぇ。13:49に徳山に到着。ここ
では3分の1ぐらいの乗客が降りました。徳山では11分も停車します。

 山陽本線は全線複線だから列車交換もないし、快速以上の優等列車は寝台特急ぐらいしか走ってい
ませんから追い越す列車もないはずです。何のための長停車なんやろ?

 ここから列車種別が快速『山陽シティライナー』5364Mに変わって出発。14:39に柳井に到着。ここ
では5分停車しました。さらに31分走って岩国に到着。

 岩国駅には第三セクター鉄道の錦川鉄道の列車が停ま
っていました。同鉄道の路線は岩徳線の川西駅から分岐
し錦町に至る間ですが、列車は、すべて岩国←→錦町間
で運行されています。
【快速『山陽シティライナー』5364Mの車窓より】

 岩国からは快速運転となり、大竹、玖波、大野浦、前空の4駅をパスして15:26に宮島口に停車。
同駅は日本三景のひとつ宮島への連絡船への乗換駅です。

 さらに3駅パスして4駅に停車し、15:48に広島着。例のカップルがここで降り、代わりに大勢が
乗車しました。我がボックスにも3人が相席し窮屈な体制になりました。

 広島で車掌が女性に代わりました。女性車掌は案内放送で「三石行」と言っていましたが方向幕は
岡山になっています。この辺りで乗る人々に三石行と言っても地名を知らないでしょうから岡山と掲
出しているんスかね?

 広島を出て "セノハチ" の登りを越え、16:06に西条に到着。同駅からは再び各駅停車になります。
16:58に三原を出ると次に糸崎に停車。同駅には、むかし機関区があり、今はその跡が電車の留置線
になっています。

 糸崎駅では隣の線にクハ115の1234号車が停まって
いました。何かちょっと嬉しかったので写真をパチリ。
【快速『山陽シティライナー』5364Mの車窓より】

 糸崎を出て検札。17:28に福山に到着。同駅では5分の接続で岡山行の快速『サンライナー』があり
大勢の人が降りました。皆さん乗り換えるのでしょう。

 福山→岡山間は快速だと約50分ですが、普通列車でも約1時間程度であり、10分しか変わらな
いのなら私だったら確実に座れる普通で行きますけどねぇ・・・。

 17:44、岡山県に突入。女性車掌は、しばしば車内に現れましたが、その仕事ぶりはテキパキしてい
て気持ちがいいものでした。

 話は変わりますが、長距離の一般列車に乗ると、必ずと言って良いほど長い距離を乗る人たちがお
り、中には何らかの目に付く行為をする人もいて、私はそれらの人たちに頭の中で「アダ名」を付け
たりします。

 今回の列車では、私は進行方向右側のボックスに座っていたのですが、私の左側には、ボックスじ
ゅうに荷物を広げた若いお姉ちゃんがおり、その前の席には頻繁にトイレに行く黒服の兄ィちゃんが
いました。

 私は心の中で彼らに「ボックスねぇちゃん」と「黒服」とアダ名を付けました。まぁ車内は冷えす
ぎているので、「黒服」さんが何度もトイレに立つのはわからんでもありません。

 「ボックスねぇちゃん」の方は、車内が空いている内は座席に荷物を広げていても安泰だったので
すが、混み始めると荷物のやり場に苦労していました。

 このおねぇちゃん、ひとりで乗っているのはともかくとして、荷物の量からして長旅ではありそう
ですが、何で新幹線に乗らんのやろ?ひょっとして「青春18きっぷ」での節約旅なんやろか?

 この二人は、どっかり腰を据えていたので、てっきり三石まで乗り通すのかと思ったのですが、列
車が18:29に岡山に着くと降りて行きました。ありゃりゃ?

 元々岡山で降りるつもりだったのか、この列車が岡山行と表示を出していたので、ここまでと思っ
て降りたのかは分かりません。

 ともあれ、岡山でほとんどの乗客が降りました。ここから先は列車の本数も1時間に2〜3本と減
るので、たぶんガラガラで行くだろうと思っていたら、何とドっと乗り込んで来てラッシュ並の混雑
になりました。こりゃ意外・・・。

 こんなに混むんやったら、もっと本数を増やしゃいいのにと思いましたが、4駅目の瀬戸で9割方
の乗客が降り、車内は一気に閑散となりました。

 そして瀬戸から23分で列車は終点の三石駅に到着。12:01に下関を発ってから7時間10分、走
行距離は427.6キロの乗車でした。これでようやく旅行記第6弾での勘違いをリカヴァリーする事が
出来ました。(^^;

 私は晴れて乗る事が出来たのですが、実は今回乗った下関発・三石行の列車は、現在では岡山→三
石間の運転は行われなくなり、もう乗る事は出来なくなりました。

 皮肉な事に、現在における日本最長運行距離の一般列車は、下関←→岡山間で運行される列車とな
ってしまったのです。ほんと、乗れて良かった・・・。

 ホームに降りてから、記念に列車の写真を撮っていると、おっちゃんがひとりやって来ました。後
ろからは奥さんらしい女性がついて来ます。その奥さんに向かって、

 旦那「どう?7時間乗った感想は?」

 奥さん「もう、うんざり!

そのやり取りを聞いて、私は思わずニヤリとしてしまいました。

 そりゃそーでしょうなぁ。座り心地の悪いボックス・シートで7時間も揺られて来て達成感を感じ
るのは鉄道ファンぐらいなもんだわな。

 なんせ7時間もあれば、博多から山陽/東海道新幹線の『のぞみ』に乗って東京まで行き、東北新
幹線の『はやて』に乗り継げば仙台まで行ける時間なのです。今回の乗車などは「普通の人」からす
れば時間の無駄以外の何者でもありませんわねぇ・・・。

 終点の三石に到着した普通724Mです。右側では五
十代くらいの夫婦の旦那が列車の写真を撮ろうと準備中
です。
【岡山県・三石駅】
 かつて三石行の列車を何度か見て、いったいどんな駅
か見てみたかったのですが、山間の小さな町にあるロー
カル駅でした。
【岡山県・三石駅】

 写真を撮ってから列車に沿ってホームを歩いていると、車内では運転士がゴミ集めをしていました。
そして到着してからわずか4分後、列車は折り返し糸崎行の普通731Mとなり、交代した女性運転
士の運転で岡山方に出て行きました。

 次に乗る姫路行の普通1332Mまで25分のインターヴァルがあります。ホームの待合室を覗いて見
ると12〜13人の人々がいました。皆さん姫路行の列車を待っているのでしょう。さて、とりあえ
ず駅舎と駅前を見に行きますか。

 三石駅の駅舎です。木造モルタル造りだそうですが、
夜なのでじっくり観察出来ませんでした。7:00〜18:00
は駅員がいるとの事です。駅舎前の階段を降りるとセン
ター・ラインのない町中の小道に出ます。駅前広場もな
く向かいは民家です。
【岡山県・三石駅】

 あまりうろうろするような時間は無かったので、私はホームに戻りました。

 三石駅に到着する姫路行の普通1332Mです。車両は湘
南色の115系でした。
【岡山県・三石駅】

 到着した普通1332Mの乗車率は90%程度と混んでいました。ここまで乗って来た724Mが空いて
いたのは三石止めだったからであり、姫路方面に行く人は、けっこういるんですな。

 この列車は姫路行ですが、姫路まで行ってしまうと、大阪まで戻る新快速で座れるかどうか分かり
ません。いつもならば網干で降りて同駅始発の新快速に乗るのですが、この時間帯には網干始発の新
快速がありません。

 そこで時刻表を検討した結果、相生で降りて播州赤穂始発の新快速に乗り換える事にしました。普
通1332Mは三石から23分で相生に到着しました。

 相生駅に到着する播州赤穂発・米原行の新快速3528M
です。車両は223系。今回乗る最後の列車です。
【兵庫県・相生駅】

 列車が三ノ宮駅に着くと大勢が乗り込み車内はラッシュ並の混雑になりました。私は知らなかった
のですが、この日は「みなと神戸花火大会」の開催日だったそうです。

 満員の列車に揺られ21:29に大阪駅に帰着。これで今回の「旅」は終了です。改札へと向かいなが
らふと見れば、列車案内盤に長野行の夜行急行『ちくま』の表示が出ていました。

 同列車には2002年8月に実施した旅行記第5弾で乗りましたが、高速バスに乗客を奪われて乗車率
が低迷しており、2003年10月1日のダイヤ改正で臨時列車に格下げとなってしまい、車両もJR東
海の新鋭特急車である383系から国鉄形の381系へと変更されました。

 廃止にはならなかったとは言え、現在では繁忙期にも設定はなくなり、実質的には廃止されてしま
ったのも同然なんだそうです。常設の夜行列車が、また減ってしまったのは鉄道ファンとしては悲し
い限りですな・・・。

 しかしながら、この「旅」当時の私が『ちくま』の行く末を知るはずもなく、2年ぶりに同列車の
名前を見て懐かしさを覚えつつ大阪駅を後にしたのでした。

 『列車まかせの旅』第24弾、おわり。


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