2005年12月5日掲載
『列車まかせの旅』第18弾(2003年10月4日)


「私鉄/公営鉄道・古今東西の旅」第1部

 ある日、ふと思いました。関西を基点として、JRを使わずに、私鉄/公営鉄道だけで東西どこま
で行けるだろうか?と・・・。

 さっそく調べて見ると、西は山陽電鉄・網干線の山陽網干駅。東は豊橋鉄道・東田線の赤岩口電停
と判明しました。

 つー事で、ほとんど思いつきで、小旅行記第6弾に続く私鉄/公営鉄道の「旅」第2弾の発動と相
成りました。

 予定乗車ルートは、西端の山陽網干から山陽電鉄に乗り飾磨へ。飾磨から阪神電鉄直通特急で梅田
へ。梅田から大阪市営地下鉄で難波へ。難波から近鉄の特急『アーバンライナー』で名古屋へ。名古
屋から名鉄の特急で豊橋へ。豊橋から豊橋鉄道・東田線で東端となる赤岩口となりました。

 行程全体の、おおざっぱな所要時間を知るためにいちおう予定列車は決めましたが、今回は5社の
路線を乗り継ぐため各駅での乗り換え所要時間が分からないため、たぶん予定通りには乗れないでし
ょう。

 予定列車によると、予想される全体の所要時間は7〜8時間程度でした。まる1日掛かるものと思
っていたのですが、特急3本を乗り継ぐので意外と早く着くようです。

 で、「旅」当日。まずは出発駅である山陽網干まで移動しなければなりませんが、山陽電鉄で行っ
たのでは同じ路線を往復する事になるので面白くありません。

 そこで大阪駅発の一番列車でJRで網干まで行き、そこから歩いて山陽網干まで行く事にしました。
ただし、同じ網干駅ながら両駅の間は3キロほど離れています。眠気覚ましの散歩にゃ手頃な距離で
すな。

 大阪駅に停車中の西向きの一番列車となる5:02発の普
通・西明石行です。JR西日本の京阪神エリアの主力通
勤型車両となりつつある207系です。
【大阪府・大阪駅】

 まだ暗い早朝とあって車内は空いていましたが、徹夜仕事明けとおぼしき職人さん達の姿が目立ち、
中には座席に横になって寝ている人もいました。207系の座席はソファーみたいに柔らかくて座り
心地は抜群です。

 道中、眠っている内に6時過ぎに終点の西明石に到着。201系や207系などの通勤型列車の運
行エリアは、ここが西端であり、ここから先は近郊型の縄張りとなります。

 次の網干行列車まで約20分の待ちとなりますが、9月とは言え早朝とあって外は少々冷え込んで
いました。

 先にも書きましたが、西明石は京阪神エリアと、それ以西の運行境界となる駅であり、通勤型列車
は同駅が着始発、もしくは折り返しとなります。

 そのため、西明石より東(大阪)向きは、昼時間帯で平均して1時間に16本もの列車が出ますが、
西(姫路)向きは半分の8本となっています。

 そのため、私がホームで待っている間にも東方面の列車は頻繁に着発していましたが、西向きの列
車の姿はありませんでした。

 20分の列車待ちなど、地方に行けば長い内には入りませんが、列車が頻発している京阪神エリア
にいると、なぜか長く感じてしまいますな。

 西明石駅に入線する、6:23当駅始発の普通321M・
網干行です。歴戦の近郊型である湘南色塗装の113系
でした。
【兵庫県・西明石駅】

 網干行はガラガラで、私はボックス・シートにひとりで座りました。最初の停車駅である大久保を
出たところでブルトレとすれ違いました。時間から察するに、これは寝台特急の『あかつき/彗星』
でしょうか?

 西明石から15分ほどで加古川に到着しました。久方ぶりに訪れた加古川駅は、真新しい高架駅に
変わっていました。加古川は、かつては仕事で年に数回は訪れていたのですが、その当時は平屋の地
平駅でした。
 列車が姫路に着くと、乗客はあらかた降りてしまいました。姫路からさらに10分で終点の網干駅
に到着しました。

 網干駅です。京阪神エリア←→岡山エリアの運行境界
駅であり、京阪神間を走る快速、新快速は同駅が西端と
なります。ここでは、これまで何度か列車を乗り継いだ
事があります。
【兵庫県・網干駅】

 網干駅では、これまで岡山方面から大阪へ向かう際に何度か列車を乗り継いだ事があります。同駅
は、京阪神エリアの快速、新快速の始発駅なので、岡山発の列車を姫路まで乗り通すよりも、ここで
降りて乗り換えた方が大阪まで確実に座れるのです。

 ホームの横には留置線がいくつもあり、京阪神を快速、新快速として走っている221系や223
系が停まっていました。

 乗り継ぎでは何度か訪れた駅ですが、網干自体には公私共に来る用事がなかったので、駅から出る
のは、これが初めてです。

 JRの運行上は主要駅である網干ですが、駅前は商店街もなく実に殺風景でした。とりあえず山陽
電鉄の山陽網干駅に向かおうと歩き出したところ、駅前にある駐車場の外周フェンスの中に何やら小
型の保線車両みたいな車両が静態展示されているのを発見しました。

 後日、ネットで調べてみたところ、この車両は北沢産業のグループ会社である貨物専業の北沢産業
鉄道が所有していたDB2型の入替用ディーゼル機関車だそうで、かつては南の浜田港まで延びてい
た同社の路線で運用されていたんだそうです。

 同線は1989年に廃線となったので、その記念として北沢産業が経営する駐車場の一角で保存する事
にしたのでしょう。

 思いがけず見掛けた入換機関車を後にして私は山陽網干駅への道を歩き始めました。この辺りは沿
道に家や店舗が建ち並ぶものの人影は少なく、典型的な郊外の趣でした。

 山陽網干へと続く県道27号線で直線が何キロも続く
区間です。徒歩行で、この長大な直線を見せられると、
少々うんざりしますな。
【兵庫県・網干】

 約40分歩いて山陽網干駅に到着。こちらの駅前は閑静なJR網干駅と比べて少し賑やかでした。

 山陽電鉄・網干線の山陽網干駅です。小じゃれたデザ
インの小さなビル駅舎でした。かつては乗降客の多く山
陽姫路駅への直通列車もあったそうですが、利用客の減
少に伴い1991年から休止になったそうです。かつては本
線からここが今回のスタート地点となります。
【兵庫県・山陽電鉄・山陽網干駅】

 相互乗り入れを行っている阪神電鉄・梅田駅までの連絡切符を買って改札を通ると、2つあるホー
ムの両方に列車が停まっていました。先発の7:55発の列車は、もう出るところだったので、パスして
次発の8:11発に乗る事にしました。

 山陽網干駅に停車中の8:11発・普通・飾磨行です。山
陽電鉄の3000系と呼ばれる通勤型の車両3両編成の
列車でした。
【兵庫県・山陽電鉄・山陽網干駅】
 山陽電鉄3000系の車内です。ごく普通の通勤型の
車内ですが、上昇式の分割窓が少し古い型である事を物
語っています。シートは柔らかくて座り心地はなかなか
良好でした。
【山陽電鉄・網干線・普通・飾磨行車内】

 列車は定刻に着席率30%程度で発車しました。2分で平松に到着。同駅では下り列車との交換が
ありました。

 3駅目の広畑は工場で有名なところですが、駅から工場は見えるものの歩くと遠そうです。これで
は電車で通勤するには自転車が要りそうですな。

 次の夢前川で再び交換。そして山陽網干から15分ほどで終点の飾磨駅に着きました。途中駅で徐
々に乗客が増え、90%程度で飾磨に着きました。同駅で本線の梅田方面行・特急に乗り換えます。

 飾磨駅の網干線ホームは、本線の上下線ホームに挟ま
れた行き止まり式のホームでした。これならば本線の両
方向の列車からの乗り換えが容易に出来ます。
【兵庫県・山陽電鉄・飾磨駅】
 飾磨駅に到着する8:34発の阪神・梅田行の直通特急で
す。車両は阪神電鉄の新鋭車両9000系でした。
【兵庫県・山陽電鉄・飾磨駅】

 阪神・梅田←→山陽姫路間の直通特急は両社の車両で運行されています。出来れば、特急用にクロ
ス・シート化改装された山陽電鉄の3000系に乗りたかったのですが、まぁ仕方ないでしょう。

 阪神の9000系の座席はクロス・シートではなく、バケット・タイプのロング・シートでした。
停車駅の少ない特急ですからクロス・シートの方が良いのですが・・・。

 最初の停車駅となる大塩では、ホーム長の都合で最後尾の1両のドアが開かないとの事でした。同
駅では隣のホームに阪神方面行の普通列車が停まっていました。

 直通特急の走りは、JRの新快速ほどではありませんが特急らしい走りっぷりでした。とは言え、
大阪←→姫路間で競合関係にあるJRの新快速の所要時間が約1時間なのに対して、阪神/山陽の直
通特急は1時間半ほど掛かるため、利用客獲得に関しては苦戦を強いられているようです。

 高砂停車を経て東二見に到着。同駅では、隣のホームに阪神・梅田行の各停がいました。90%程
の着席率で山陽明石に到着。とある鉄道雑誌の記事によると、ここから東方面に向かう人々は明石で
JRに乗り換えるのだそうです。

 明石を出た列車は、山陽垂水、山陽須磨の停車を経て板宿の手前で地下線に降り、板宿に停車した
あと新開地に到着しました。この時の乗車率は110%ほどになっていました。

 新開地は、神戸電鉄、阪急電鉄との乗り換え駅です。この時も右隣のホームには阪急の梅田行・特
急が停まっていました。

 神戸←→梅田間において阪神と阪急は競合関係にあるので、両社の列車が同じホームに並んでいる
のは何とも不思議な眺めです。

 なぜそのような状況があり得るのかと言いますと、実は新開地は山陽電鉄の駅ではなく、第3セク
ターの神戸高速鉄道の駅なのです。

 神戸高速は、東から来る阪急、阪神、西から来る山陽電鉄、北から来る神戸電鉄の4社を連絡する
ために建設された路線を運営する会社であり、神戸高速鉄道自体は車両を所有していません。

 路線は2本あり、東西を結ぶ東西線は、山陽電鉄との接続駅である西代から始まり、途中、神戸高
速駅で分岐して阪急方面は三宮で、阪神方面は元町で各社の路線と接続しています。

 南北を結ぶ南北線は、新開地からひと駅北の湊川までで、ここで神戸電鉄と接続しています。ちな
みに、東西線と南北線の線路は繋がっていません。

 東西線の運行形態は、相互乗り入れしている阪神と山陽電鉄は神戸高速線を経由して東西に向かい、
阪急は新開地止めで乗り入れしています。南北線では、神戸電鉄の列車は、事実上、新開地を起終点
として運行されています。

 かつては、阪急も山陽電鉄に乗り入れを行っていたそうですが、今は休止となり、山陽電鉄の特急
が阪急・三宮まで乗り入れを行っているのみです。

 説明が長くなりましたが、そう言った背景により、ライバル会社である阪神と阪急の列車が同じホ
ームに並ぶ事になっているのです。

 新開地を出た列車は、高速神戸、元町に停車し、同駅から阪神電鉄の路線に入りました。3分で三
宮に到着。同駅では、初めて阪神電鉄の普通列車を見ました。

 次の春日野道を通過して地上に出ました。その後、御影、魚崎、芦屋、西宮に停車し、続いて阪神
タイガースのフランチャイズ球場である甲子園球場の最寄り駅甲子園にも停まりました。

 甲子園では昼間に一度だけ降りた事がありますが、特に大きな駅でもなく、他の駅と比べても乗降
者数が多いわけでもありませんでした。

 印象的だったのは、甲子園球場への乗降客をサバく為の広い臨時改札と通路があった事でした。臨
時改札の方が正規の改札より大きかったのです。

 甲子園の次に停車した尼崎は、西九条方面へと延びる西大阪線との乗換駅です。車内放送では、U
SJ方面は乗り換えとの案内がありました。

 阪神電鉄線に入ってからも徐々に乗客が増え、200%程度の乗車率で終点の阪神・梅田駅に着き
ました。

 阪神電鉄・梅田駅に到着した直通特急です。次は山陽
電鉄の車両が停まっている画が撮りたいものですな。
【大阪府・阪神電鉄・梅田駅】

 さて、次は大阪市営地下鉄・御堂筋線に乗り換えて近鉄の近鉄難波駅に移動します。改札を出ると、
すぐ左手で阪神電鉄の職員が電車のおもちゃを販売していました。何処の鉄道会社でも、少しでも売
上げを上げようと努力していますな。

 大阪市営地下鉄・梅田駅に到着する10:09発の天王寺行
です。10系と呼ばれる車両です。
【大阪府・大阪市営地下鉄・梅田駅】

 10分ほどで、なんば駅に着きました。ここで近鉄の特急に乗り換えです。


「ちょっとこだわりの列車」その31/近鉄・特急『アーバンライナー』

 「私鉄/公営鉄道・古今東西の旅」の途中ですが、「ちょっとこだわりの列車」です。(^^;

 今回、名古屋への移動に乗る近鉄の特急『アーバンライナー』は、近鉄難波←→近鉄名古屋間を結
ぶノン・ストップ特急で、特急王国の近鉄にあっての看板列車です。

 1時間に1本が運行されており、近鉄難波では毎時00分に発車します。「ノン・ストップ特急」
と謳っていますが、実際には上本町、鶴橋、大和八木の3駅に停車します。

 『アーバンライナー』での難波←→名古屋間の所要時間は約2時間と、新幹線と比べて倍かかりま
すが、安価な運賃が売りです。

 地下鉄から降りた私は、まず特急券販売窓口に行きました。

 近鉄難波駅の特急券販売窓口です。近鉄の特急は、す
べて有料の座席指定なので特急券を買わなければなりま
せん。
【大阪府・近畿日本鉄道・近鉄難波駅】

 普段ならば特急券は窓口で買うのですが、見ると特急券の自動券売機があったので、今回は券売機
で買う事にしました。

 券売機を操作していると、座席選択の画面に「デラックス・シート」なるものを見つけました。ど
うやらこれはJRで言うところのグリーン車に相当する座席のようですな。

 これまでにも『アーバンライナー』は何度か利用した事がありましたが、「デラックス・シート」
の存在は知りませんでした。試しに今回は、これで行きましょう。

 近鉄難波11:00発の名古屋行・特急『アーバンライナ
ー』の特急券/デラックス券です。運賃は乗車券込みで
4560円、これは新幹線の自由席利用の運賃5670円よりも
格安です。

 切符は買いましたが、発車時刻まで時間があったので車内で飲むコーヒーを調達する事にしました。
しかしながら、手近に自販機が見当たらなかったため、地下通路を歩いて探しに行きました。

 しかし、行けども行けども自販機は見当たりません。そこで地上に出て探す事にしましたが、やは
り近場にはありません。普段なら自販機などすぐに見つかるのに・・・。

 ようやく自販機を見つけて缶コーヒーを買いましたが、路地などをウロついている内に戻る道が分
からなくなってしまいました。

 まぁ、地下に降りれば案内看板があるでしょう。私はとりえず近くにあった地下街への階段を降り
ました。

 案の定、地下通路には「近鉄→」の看板があったので、それに従って歩いていると、やがて前方に
改札と列車の姿が見えて来ました。よしよし。

 しかし、改札まで辿り着いて見ると、そこにあった駅名は近鉄難波ではなく近鉄日本橋でした。あ
りゃりゃ、ひと駅歩いちまったのか?なんちゅー間抜けな・・・。(^^;

 時間を確認すると難波まで戻っている暇はなさそうです。始発駅から乗りたかったのですが仕方が
ありません。この駅から乗る事にしましょう。

 近鉄難波→近鉄名古屋の乗車券で改札を入り地下ホームに出ました。しかし、ホームの列車案内板
には『アーバンライナー』の案内が出ていません。何で?

 壁の時刻表を見ても、やはり特急の時刻は掲載されていません。これは・・・、ひょっとして日本
橋は通過するのか?

 くそっ! 泣きっ面に蜂とはこの事やな。こうなったら次の上本町まで行くしかありません。私は、
やって来た大和西大寺行の準急に飛び乗りました。

 近鉄・上本町駅から発車して行く準急・大和西大寺行
です。「シリーズ21」と呼ばれる新鋭車両でした。こ
の列車に乗る予定じゃなかったのですが・・・。(^^;
【大阪府・近畿日本鉄道・上本町駅】

 上本町で降りて2分後、乗車予定の『アーバンライナー』がやって来ました。

 上本町駅に到着する名古屋行・ノンストップ特急『ア
ーバンライナー』です。近鉄の21000系と呼ばれる特急
型車両で、『アーバンライナー』専用として使用されて
います。
【大阪府・近畿日本鉄道・上本町駅】
 近鉄21000系のデラックス・シート車の車内です。J
Rのグリーン車に相当する車両で座席は3列です。
【近畿日本鉄道・特急『アーバンライナー』車内】
 デラックス・シート車の座席です。電動式のリクライニング・シ
ートでした。ヘッド・レストの「枕」は上下に動かせます。また、
ヘッド・レストにはLEDの読書灯が内蔵されており、点灯すると
手元を照らせます。JRのグリーン車の座席と比べて見た目は華奢
ですが快適さではヒケを取りません。
【近畿日本鉄道・特急『アーバンライナー』車内】
 テーブルは肘掛けに収納されています。二つ折りタイ
プで、完全に出すと座席を横切るように設置されます。
【近畿日本鉄道・特急『アーバンライナー』車内】
 デッキ・ドアの上には情報ディスプレイが備えられて
いました。このディスプレイでは、列車の案内や駅着情
報、イヴェント案内等が流される他、時々、走行中の車
両前方の画が流されていました。
【近畿日本鉄道・特急『アーバンライナー』車内】

 上本町を出た列車は、ほどなく鶴橋に停車しました。鶴橋を出ると次は名古屋までノン・ストップ
との放送がありました。この列車は大和八木には停まらないようですな。

 鶴橋を出たところで私と同列の左側の席に座っていたオヤジが空いている前の席を自分の方に回し
て「わがまま体勢」に入りました。

 確かにノン・ストップだから、この先、客が乗って来る事はありませんが、デラックス・シートで
そーゆー事をするかね?

 間もなく検札を始める旨の案内放送があり、ほどなく車掌が検札に現れました。ちなみに、現在は
近鉄特急の車内検札は行われなくなっています。

 列車が奈良盆地を通過して山間部に差し掛かる手前で、車内に備えられているカード式公衆電話が
使用出来なくなる旨の放送がありました。

 山間部のローカル風景がしばらく続いたあと、列車は伊勢中川の手前にある三角分岐を通過して大
阪線から名古屋線に入りました。

 この時の私は、あまり車窓風景を観察すると言う事をしていなかったためメモを取っておらず、そ
の先は、ただ呆然と車窓を眺めながら過ごしていました。

 四日市、桑名を通過して名古屋の市街地に入り、JRの関西本線が横に並ぶと間もなく名古屋です。
スピードを落として黄金駅を通過したところでJRの車庫が見えました。

 JR東海の車庫なので、コーポレート・カラーであるオレンジの帯を纏ったステンレス・ボディの
車両が数多く停まっていましたが、どれもこれも似たようなデザインの車両なので見分ける事は出来
ませんでした。

 それらステンレス車両に混じって、気動検測車のキヤ95やジョイフル・トレイン客車『ユーロラ
イナー』の姿も見えました。

 ほどなく『アーバンライナー』は地下線に入り、終点の近鉄名古屋駅に到着しました。さて、それ
では名鉄に乗り換えましょう。

 近鉄名古屋駅と名鉄の新名古屋(現・名鉄名古屋)駅は共に地下駅で隣接しています。小旅行記第
3弾でも書きましたが、仕事で知多半島の半田に行く際に私は名鉄をよく利用していたので新名古屋
は馴染みの駅です。

 今回は豊橋までの移動で特急に乗る予定ですが、名鉄の特急は全席指定列車と一般車併結の両方が
あり、豊橋行の特急はどちらなのか分からなかったので指定席を買う事にしました。

 地下駅である名鉄の新名古屋(現・名鉄名古屋)構内
にある発券窓口です。特急券の自動券売機は無く、手売
りのみでした。
【愛知県・名古屋鉄道・新名古屋駅】
 新名古屋→豊橋の特急券/乗車券です。名鉄では特急
券の事を「ミュー・チケット」と呼んでいます。有料の
特急車は全席指定となります。

 新名古屋駅は、おそらく名鉄で最大の乗降数の駅だと思うのですが、実は名古屋本線の途中駅であ
り半数ぐらいの列車は他方面から来て途中停車して行きます。

 時刻表を見ると当駅始発の列車もあるようですが、私がこれまでに乗った河和方面行の列車は、す
べて途中停車であり、ほとんど座る事が出来ませんでした。

 同駅には3面で4線のホームがありますが、線路は上下線の2本しかなく、各線の両側にホームが
ある形です。

 4つあるホームは、1番が北/西方面行、「中州」にある2番、3番が両方面の降車用、4番が東
/南方面行となっていますが、今のところ私は4番からしか乗った事がありません。

 何とこの4番ホーム1線で、豊橋方面(本線)、常滑方面(常滑線)、河和方面(河和線)、碧南
方面(三河線)、吉良吉田方面(西尾線)、豊川稲荷方面(豊川線)の6路線もの列車をサバいてお
り、うっかり乗り間違えると、あさっての方面に行ってしまいます。

 乗客が列車を間違えないようにする工夫として、方面毎に列車が停車する位置を変えており、ホー
ム対面上方の壁には点灯式の行先表示灯があり、乗客たちは自分が行く方面の表示灯の前に並んで待
ちます。この行先表示灯は、次に来る列車のところが点灯するようになっています。

 この工夫と言うより苦肉の策とも見えてしまう乗車方法は名鉄初乗車の者には難解至極であり、か
く言う私も、半田市に行くために初めてこのホームから乗った時は見事に乗り間違えてしまいました。

 今回も、いつものように4番ホームに降りたのですが、どうも特急の指定席に乗るのはホームが違
うようです。

 柱に掲げてあった案内によると、どうやら特急の特別車(指定席)の乗客は、「中州」の2、3番
ホームから乗るようです。これは特別扱いと言うより一般客が乗り間違えるのを防ぐためなんでしょ
うかね?

 「中州」の3番ホームから一般車の乗客が待つ4番ホ
ームを眺めたところです。人の少ない2、3番ホームに
比べて4番ホームでは大勢の人々が待っています。
【愛知県・名古屋鉄道・新名古屋駅】

 3番ホームで豊橋行の特急を待っていると、嫌がおうにも目を引いてしまう7000系の一般列車
が入って来ました。

 新名古屋駅から発車して行く名鉄の7000系です。
先頭車の前面展望を売りにした名鉄特急「パノラマ・カ
ー」の元祖であり、1998年までは特急として運用されて
いたそうです。現在は急行、普通として余生を送ってい
ます。
【愛知県・名古屋鉄道・新名古屋駅】

 7000系には仕事での移動で一度乗った事がありますが旅行記では未乗車です。1964年登場の古
い車両ですし、全車が引退してしまう前に旅行記でも乗っておきたい車両です。7000系を見送っ
てほどなく豊橋行の特急が到着しました。

 新名古屋駅に到着する豊橋行の特急です。名鉄の10
00系と呼ばれる特急型車両で「パノラマ・スーパー」
と言う愛称が付けられています。先頭車両は運転席が1
階で客席が2階にあり前面展望を売りにしている名鉄自
慢の車両です。
【愛知県・名古屋鉄道・新名古屋駅】
 名鉄1000系特別車(指定席)のリクライニング・シートです
座り心地は並でした。
【名古屋鉄道・特急・豊橋行車内】
 シートのヘッド・カヴァーは紙製でしたが、ちゃんと
「パノラマ・スーパー」のロゴ・マークがプリントされ
ていました。
【名古屋鉄道・特急・豊橋行車内】
 足下の壁側には何と小ぶりなゴミ箱が備えられていま
した。大した気配りですが清掃員の人たちからすると、
さぞかし手間が掛かるでしょうな。
【名古屋鉄道・特急・豊橋行車内】

 車内に乗り込むと何とも言えない不思議な臭いがしました。これは消毒薬か何かでしょうか? 何
にせよ余り良い臭いとは言えませんな。

 我が車両はガラガラの状態で新名古屋を出た列車は、すぐにJRとの乗り換え駅である金山に到着
しました。同駅では5人ほどが我が車両に乗って来ました。

 続いて神宮前に停車。同駅を出たところで女性車掌が検札に入って来たのですが・・・、何と言い
ますか、これが何とも素朴な容姿の若い女性車掌でした。

 彼女は背が低く、スリー・サイズがほとんど同じように見え、髪型は、ぼさっと膨らんでいて眼鏡
を掛けていました。

 もちろん容姿と能力は関係ありませんから、たぶん彼女は優秀なのだと思いますが、これまで見て
来た若い女性の乗務員は、ルックスは別にしても洗練された印象を受ける容姿ばかりだったので、思
わず「えっ?」と思ってしまったのです。

 デッキ・ドアの上に備えられたLED表示器では、走
行速度が常に表示されていました。
【名古屋鉄道・特急・豊橋行車内】

 LEDの速度表示を見ていると、最も速かった時で119キロでした。おそらく車両性能上の最高
速度は120キロなのでしょう。

 神宮前から15分ほどで知立に到着しました。同駅は、北の豊田/猿投方面および南の碧南方面へ
と延びる三河線の乗換駅です。

 知立から10分ほどで東岡崎に到着。何と同駅では2人が乗って来ました。ここから豊橋までは急
行に乗っても所要時間で特急と3分しか変わらんのに、わざわざ乗らんでも・・・。ひょっとして一
般車併結特急と勘違いしたのか?

 列車が豊橋に着く前に再び検札がありました。そして新名古屋から64分で終点の豊橋に到着しま
した。

 豊橋駅に到着した名鉄の特急です。豊橋はJRとの共
用駅であり、同じプラットフォームの対面にはJR飯田
線の普通列車が停まっていました。
【愛知県・豊橋駅】

 豊橋駅は仕事で何度も訪れていましたし、旅行記第6弾でも飯田線に乗って到着した事がありまし
たが、名鉄が駅を共用しているとは知りませんでした。

 JRと名鉄のホーム間には仕切も中間改札もなく、そのまま乗り換える事も可能でした。駅の様子
を観察し終えた私は名鉄の切符をJRの自動改札機に通して外へ出ました。

 さて、お次は、この「私鉄/公営鉄道・古今東西の旅」の最終ランナーとなる豊橋鉄道・東田線の
乗車です。それはまた次回と言う事で・・・

 第2部につづく・・・。


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