2002年10月27日
『列車まかせの旅』第6弾


【訂正記事】
 この「旅行記」の第2部では、私は日本最長運行時間の普通列車の「乗覇」を目指し、自分なりに
時刻表を調べた上でJR飯田線を走る普通列車544M(運行時間6時間37分)が、その列車である
と判断して乗って来たのですが、後日、本記事を読んで下さったHOFUさんよりメールにて、日本最長
運行時間の普通列車は北海道のJR根室本線の滝川→釧路間を走る2429D(運行時間7時間45分)
である旨を教えて頂きました。何とも恥ずかしい話なのですが、勘違いを元に書かれている本「旅行
記」の文面は今さら訂正すると不自然になってしまうので、冒頭にこの訂正記事を表記し本文を直す
のはやめる事にしました。予め御了承下さい。(^^;
(HOFUさん、情報提供をありがとうございました。m(_._;m)


プロローグ

 これまでの「旅」においても、私は自分でも「よーやるわ」と思う事をけっこうしでかして来まし
たが、今回の「旅」第6弾では、それをも凌ぐバカをやりました。(^^;

 自分で言うのも何ですが、まさに今回のは極めつけです。今回の「旅」を越える大馬鹿な企画は、
今のところ思いつく事が出来ないほどです。

 ま、なんちゅーか・・・、見て下さい。(^^;;


第1部:「夜行列車愛好家への道」その4/快速『ムーンライトながら』

 ある日、ふと私は考えました。夜行列車愛好家を目指す者として、「これは外せない」と言う列車
は、どの列車だろうかと・・・。

 世間一般の方が夜行列車と言って真っ先に思い浮かぶのは、やはり寝台列車でしょう。しかし、夜
行列車と言わず、あらゆるカテゴリーにおいて世間一般的にメジャーと見なされているものは、「そ
の筋」のマニアやファンにとってはマイナーな存在である事がほとんどです。

 つまり、夜行列車「通」にとっての寝台列車の乗車経験は、寿司屋にマグロがあるのと同じぐらい
「あって当たり前」なのだと思います。

 これが夜行の急行となると世間で知っている人はグっと少なくなり、やや「通」の域に入って来る
とは思いますが、夜行列車愛好家を語るには、その乗車経験では、まだまだヌルいのではないかと思
います。

 そして私なりに考えた結果、愛好家として「これは外せない列車」として挙げたのは「夜行快速」
でした。

 夜行快速とは、その名の通り夜行の快速であり、現在、常設列車として運行されているのは、東京
←→大垣(岐阜県)間を走る『ムーンライトながら』と、新宿←→村上(新潟県)間を走る『ムーン
ライトえちご』のわずか2本のみです。

 そこで今回は、この2本の中で、いちばん身近となる大垣発・東京行の『ムーンライトながら』に
乗る事にしました。

 夜行快速には、上記の2本以外にも、臨時列車として『ムーンライト高知』(京都←→高知)、
『ムーンライト松山』(京都←→松山)、 『ムーンライト八重垣』(大阪←→出雲市)、『ムーン
ライト九州』(京都←→博多)、『ムーンライト山陽』(京都←→下関)、『ミッドナイト』(札
幌←→函館)などがあるのですが、これらを「乗覇」するとなると、もはやマニアの領域ですら免許
皆伝級になると思われます。

 これら臨時列車は、単なる愛好家に過ぎない私にとってはレヴェルが高すぎる列車なので、私とし
とましては、りあえず常設列車の「乗覇」を目標にして行くつもりです。

 前置きが長くなってしまいましたが、まだ前置きが続きます。(^^; 実はわたし、この『ムーン
ライトながら』の名前は「旅行記」を始める前から知っていました。

 「旅行記」以前の話なのですが、東京で友人の結婚式に出席した後、大阪に帰る際に、ふと思いつ
いて寝台列車に乗る事にしました。

 時間的に、まだ最終の新幹線には充分間に合ったのですが、一度は寝台列車に乗ってみたかったの
で、東京発・大阪行の寝台急行『銀河』のB寝台の切符を買って発車の1時間以上も前にホームに
上がって待っていました。

 その時には、もちろん『銀河』は、まだホームにはいませんでしたが、列車の案内表示に『ムーン
ライトながら』なる列車の表示が出ていたのです。

 その時は、「なんともけったいな名前の列車やなぁ」程度にしか思わなかったのですが、後日、会
社で課長相手に『銀河』に乗車した事を自慢をしていると、「お前、なんで『ムーンライトながら』
に乗らんかったんや」と言われました。

 「そー言えば、そんな列車が『銀河』より後で出るようになってましたね。でも課長、なんでその
列車の事を知ってるんです?」

 すると、なんでもお金がなかった大学生の時分に、東京←→大阪間を移動するのに同列車を利用し
ていたとの事でした。

 「ながら」は、全席指定列車とは言え、ただの快速なので、運賃と座席指定券だけで乗車する事が
出来るのです。

 そこでさっそく『YAHOO』で検索してみると、いやはや大したもんですな、同列車ファンの個人開
設HPが見つかりました。ほんっっと、インターネットって何でもあるもんですねぇ。(^^;

 そこの情報を見たところ、同列車が全座席指定の「快速」である事。特急用の車両を使用している
事。倹約旅行家や学生、青春18切符族などに人気がある列車である事。休み時期にはすぐに満席に
なってしまうほど人気が高い事。などが分かりました。

 これらの情報を見て私が惹かれたのが、「特急車両を使用した夜行の快速」と言う何とも特異な点
でした。

 そして、「旅行記」が企画化される以前に実施した「山形新幹線に乗りに行こう!」(後日、「旅
行記」第1弾とする)の際に、東京への移動の為に同列車に乗ろうとしたのですが、残念がら満席で
した。それ以後、この列車は手強いものとして、私はアプローチするのをためらっていました。

 それからしばらくして、函館への「旅」をきっかけとして「旅行記」企画が発動され、今年の8月
初旬から私は再び同列車へのアプローチを再開しましたが、何度席を予約しようとしても1ヶ月先ま
で満席となっており、まったくお手上げでした。

 おかげで夏休み時期の同列車の人気の高さを思い知るハメになりましたが、私も仕事の都合があっ
て金曜日か土曜日の夜の列車にしか乗れない為、それがさらに予約を困難なものにしていたと言わざ
るを得ません。

 それから毎日のように予約をしようとしましたが、9月の第1週までは満席で取れなかったものの、
とうとう9月13日(金曜日)の夜の列車を予約する事が出来ました。やれやれです。

 ようやく取れた9月13日大垣発・東京行の『ムーン
ライトながら』の切符です。通路側のC席でしたが乗れ
るだけでも満足です。

 しかし、今回の「旅」は出発前から不穏な雲行きになって来ました。ある先輩が責任者を務める仕
事先が火の車になりつつあり、出発前日の木曜日より、私はそこへ応援に行く事になりました。

 先輩曰く、「木、金の2日間は遅くなるのを覚悟してくれ。金曜日の方が遅くなると思う」でした。
うーむ・・・。

 この調子だと、今回の「旅」は諦めねばならなくなりそうです。まぁ遊びを優先する分けにも行か
ないので仕方ありません。

 しかし諦めの悪い私は、木曜日の作業中に、「今日は何時まででもやりますから、明日は夜8時ぐ
らいには帰らせてもらえませんかね?」と先輩に懇願しましたが、これは先輩と、一緒に行っていた
同僚の両方から却下を食らってしまいました。うーむ・・・。

 そして金曜日。未だに諦めていなかった私は、とりあえずカバンに「旅」グッズを詰めて仕事先へ
と向かいました。

 残りの仕事量は夜8時までに片づけられるかどうか微妙なところでした。結局、その日じゅうには
終わらず、残りは明日の土曜日にやる事になり夜8時ぐらいに撤収となりました。

 応援の私が能力的に出来る範囲の事はすべてやってしまったので、明日はその仕事のエキスパート
と交代して貰う事になり、少々後ろ髪引かれつつ、私は仕事先の最寄りのJR駅から『ムーンライト
ながら』への最終連絡となる列車に乗りました。先輩、すんません。(^^;

 私が乗ったのは、22:15に米原駅に到着する東海道本線の各駅停車でした。乗車した列車はクロス
シートの221系で、乗り込んだ時にはシートは満席で乗降口付近に3〜4人が立っている程度の混
み具合でした。

 京都で座れるかとも期待したのですが、それほど降りなかったどころか逆にドカっと乗ってきて乗
降口付近はラッシュ並の混雑になってしまいました。まぁ週末だし、ちょうど一杯やって帰る人々が
乗る時間帯でもあるので仕方ないでしょう。

 米原方面行の列車は、京都を出ると徐々に客は減って行くので、それほど待つことなく座れるはず
です。ほどなく、草津駅で座る事が出来ました。

 その後、野洲駅では後着の野洲止めの新快速列車を待ち、その乗り換え客たちを乗せて列車は出発
しました。このころには車内は空席が目立つようになり、米原到着前には、私が乗る車両には私を入
れて5人程度しか乗っていませんでした。こっち方面の各停の乗車率は、いつもこんな調子です。

 米原駅到着前の車内の様子です。乗客は5人程度しか
乗っていませんでした。
【東海道本線・米原行・普通列車816T】

 ほどなく、列車は米原駅に到着しました。この駅は、新幹線や在来線で通過した事は無数にありま
すが、ホームに降りるのは今回が初めてです。

 米原駅に到着した姫路発・米原行の各駅停車816T
です。関西ではお馴染みの221系と呼ばれる車両で、
主に快速や新快速に使用されています。
【滋賀県・米原駅】

 米原駅はJR西日本とJR東海の境界にある駅であり、ここから先、大垣までは、JR東海が運行
する普通列車に乗り替えます。ホームには、数十人程度の乗客が待っていましたが、そのほとんどは
行楽に行くような格好をしています。何と言っても明日からは3連休です。皆さん「ながら」に乗る
のかな?

 ほどなく、駅のアナウンスが聞こえてきました、何でも私が乗る大垣行の列車の到着が遅れている
との事ですが、遅れている理由と時間は告げられませんでした。

 なるほど、出発時刻になっても列車は現れませんでしたが、しばらくすると「列車は貨物列車が通
過後に入線して来ます」とのアナウンスがありました。

 それからいくらも経たない内に貨物列車が通過して行ったので、続いて大垣行が入ってくるものと
思いカメラを準備して待っていたのですが、一向に列車のライトは見えてきません。いったいどうな
っているのでしょう?

 肩すかしを食ったような気分で待っていると、何線か向こうのホームに国鉄色の塗装のままの特急
列車が入って来るのが見えました。先頭車両前面の列車表示を見ると『加越』となっています。米原
発・金沢行のL特急ですな。

 またしても列車遅れのアナウンスがあり、「『ムーンライトながら』ご利用のお客様は、大垣駅で
接続します」との案内がありました。ま、そりゃそうでしょう。

 結局、大垣行は10分以上も遅れて米原駅に到着しました。最後まで遅れ時間のアナウンスはありま
せんでした。

 10分以上遅れて米原駅に到着した大垣行き普通列車2
40Fです。
 左上方に見える灯りは、新幹線のホームです。
【滋賀県・米原駅】

 大垣行普通列車240Fは、JR西日本では使用されていない313系と言う車両で編成されてい
ました。座席は転換式クロス・シートであり、一見すると米原まで乗ってきた221系とそっくりの
車内でしたが、こちらの方が少しだけシートの造りがマシなように感じました。(気のせいかも知れ
ませんが・・・)

 列車がどちらに向いて発車するのか分からなかったのですが、同じ車両に乗った地元風の人が座席
を反対方向に倒し始めたので、私もそれに習いました。

 米原発・大垣行の普通列車240Fの車両内部の様子
です。すでに時間も遅く車内はガラガラでした。
【東海道本線・大垣行・普通列車240F】

 大垣行は、予定より15分遅れて米原駅を出発しました。当初、大垣駅での「ながら」との接続時間
は9分でしたから、これで「遅刻」が決定です。

 どこかの途中の駅から二人連れの女の子が乗って来ました。車掌が通り掛かった際、その女の子は
「ながら」に乗車したいと告げました。車掌は、「少々、お待ち下さい」と言うと、そのまま前の車
両へと移って行きました。

 乗りたいと言われても、「ながら」は全席指定なので無線か何かで空席の問い合わせをしないと分
からないでしょう。私ですら1ヶ月前にようやく取れたのに、果たして当日に言って空いてますかね
ぇ・・・。

 それからちょいの間経つと、駅の到着アナウンスをするため車掌が慌てて戻って来ました。列車は
各駅停車なので駅間走行時間が短いのに車両を6両も連結しているので車掌は行ったり来たりで大忙
しです。

 何度目かに車掌が乗務員室から現れると、前の車両から入ってきた女の子が車掌に「ながら」に乗
りたいと告げていました。なるほど、「ながら」は人気がありますな。

 しばらくして車掌は乗務員室に戻って来ましたが、今度は出て来なくなりました。どこかに問い合
わせをしているのかも知れませんが、もう間もなく大垣駅に着いてしまいます。

 ほどなく、「『ムーンライトながら』は大垣駅でお待ちしています。ご乗車が終わり次第出発致し
ますので、ご利用の方は1番線にお急ぎ下さい」みたいな放送がありました。

 結局、その後、車掌は姿を現さないまま列車は大垣駅に着いてしまい、先の女の子達は「ながら」
の切符を買えないまま列車を降りて行きました。

 列車を降りるなり駅のアナウンスが耳に飛び込んで来ました。

 「『ムーンライトながら号』は、1番線でお待ちしています。乗車が終わり次第出発致しますので、
1番線にお急ぎ下さい。名古屋方面にお越しの方は、「ながら号」で岐阜までご乗車下さい」

 見ると、「ながら」は、隣の「島」のホームに停車していました。さすがに走る人はいませんでし
たが、皆さん急いで階段やエスカレーターを登って行きます。

 大垣行の普通列車から降りて「ながら」に急ぐ乗客達
です。人々が固まっている向こう側、隣の「島」のホー
ムには「ながら」が停車しています。
【岐阜県・大垣駅】

 私も人々の流れに付いて「ながら」が止まっているホームへと急ぎました。階段を降りていると、
下で駅員と話をしている乗客が何人か見えました。

 乗る前に列車の写真を撮るつもりだったのに、乗車を促すアナウンスや駅員の肉声が飛び交い、子
走りで列車に乗り込む人々がいる中では、とてもそんな事をしている暇はなさそうです。ったく!

 私が乗車し、席に着いてから2分と経たない内に『ムーンライトながら』は大垣駅を出発しました。
何とも慌ただしい。

 『ムーンライトながら』の車内の様子です。車両は
「こだわりの列車」その1で乗った特急『東海3号』と
同じ373系なので、これと言って物珍しいところはあ
りません。大垣駅を出た時点では、私が乗った車両はガ
ラガラでした。
【快速『ムーンライトながら』車内】

 大垣駅を出発した時には、私が乗った最後尾の車両は10人程度しか乗っておらず、私の列の「相方」
(窓側席)もいませんでした。たぶん、名古屋あたりから大勢乗ってくるのでしょう。

 ふと車両の中を見回すと、乗降口付近のデッキ部分に何人かの人達が立っていました。はて? この
列車は全席指定のはずですが・・・?

 そー言えば大垣駅の構内放送で名古屋方面へ行く方は「ながら」に乗れとかどうとか言ってました
な。時刻表を調べてみると、大垣発・岡崎行の最終普通列車が「ながら」より4分先に発車する事に
なっており、米原→大垣行の列車が遅れたせいで、その列車への乗り換え客は置いてけぼりを食って
しまったようです。

 時刻表通りに運行されていれば、「ながら」は岐阜駅で同普通列車に追い付くことになっていたの
で、大垣行の普通列車が遅れた救済措置として岐阜までの乗車を認めたのでしょう。見ると、置いて
けぼりを食ったらしき酔っぱらいのサラリーマンが、座席に座らせて貰えないのが気に入らないので
しょうか車掌にぶつぶつとボヤいていました。

 岐阜駅を出ると車掌が検札に来ました。私の切符をチェックした後、車掌が検札を進めていくと、
どうやら指定券を持っていない「とりあえず乗車」の女の子がいたようです。(普通列車に乗ってい
た女の子とはまた別の娘)

 この手の列車の「とりあえず乗車」は珍しくも何ともありませんが、問題は、この「ながら」が人
気が高いことです。たぶん、満席ではないでしょうか?

 すると、車掌は「予備席」と言う言葉を口にした後、女の子を車両最前列の座席へ連れて行き、発
行した指定券を渡しました。へー、予備の座席なんかあるんだ。

 名古屋駅に着くと、予想通り大勢の乗客が乗って来ました。我が「相方」である小太りのおっちゃ
んもこの駅で登場しました。

 名古屋駅では、隣の3番ホームに東京発・下関行の寝台特急『あさかぜ』が停車しているのが見え
ました。いずれはこの列車にも乗ってみたいですね。

 名古屋を出ると車内放送で満席が告げられ、座席変更や「とりあえず乗車」が不可な事が伝えられ
ました。やはり満席だったのです。

 しかし、見ると依然としてデッキに立っている人達がいます。全席指定とは言え、この列車は快速
ですし、立ち乗りはオッケーなのかも知れませんね。

 大府駅では、私が乗る車両からもサラリーマン風の男性が二人降りました。名古屋から乗った乗客
のようですが、「ながら」の後にも、最終までにはまだ普通列車が2本出ていると言うのに、510円の
指定料金を払ってまで「ながら」に乗るとは何か理由があるのでしょうか?

 大府駅を出たところで、突然、「相方」のおっちゃんが話し掛けて来ました。

「あのー、良かったらこっち(窓側)と席を替わって頂けませんか? わたしトイレが近いもんで、
 しょっちゅう出たり入ったりするとご迷惑でしょうから・・・」

 もちろん私に異論はなかったので、おっちゃんと席を交代しました。

 浜松駅到着前に、夜行列車得意の車内放送休止のアナウンスがありましたが、車内灯の減光はされ
なかったような気がします。

 浜松駅を出た頃から私はうとうとし始め、沼津駅到着時にちょっとだけ目が覚めましたが、その次
に目覚めた時には、すでに川崎駅を出たところでした。

 途切れ途切れですが、3時間程度は眠ったようです。前回の「旅行記」の急行『ちくま』で、初め
てリクライニング・シートの夜行列車に乗った時には、ほとんど眠る事が出来なかったのですが、私
もちったァ「進歩」したのでしょうか?

 隣の席を見ると、我が「相方」は爆睡していました。新橋駅を出てからも「相方」は目覚める気配
が無かったので、肩に触れて「東京駅に着きますよ」と告げて起こしました。

 そして『ムーンライトながら』は、大垣駅出発時の遅れを取り戻し、定刻の4:42に東京駅に到着し
ました。大垣駅から約5時間半の乗車でした。

 東京駅7番ホームに到着した快速『ムーンライトなが
ら』です。
 本来は特急用に使用される373系と呼ばれる車両で
運行されています。
【東京都・東京駅・04:42】

 東京駅に降りた私は、余りの寒さに震え上がりました。どーなってんだこりゃ? まだ9月中旬で
すし、その週のウィーク・デーの関西は、けっこう暖かかったので、今回の「旅」当日の私は下着と
得意の長袖棉シャツだけの格好だったのですが、なんか涼しいを通り越した気温です。こりゃひょっ
としてシクったかな・・・?

 ま、何はともあれ、これでまた「夜行列車愛好家」(見習い)としての「撃墜マーク」がひとつ増
えました。今回の「ながら」乗車では途中で眠り込みましたが、乗れただけで目的を達した列車なの
で、元々、細かい乗車レポートはするつもりは無く、ハナから寝るつもりでいましたので・・・。

 さてと・・・。これで「夜行列車愛好家への道」その4は終わりなんですが、第2の目的の列車に
乗る為、これから中央本線の上諏訪駅まで行かなければなりません。


第2部:「ちょっとこだわりの列車」その2/JR飯田線・普通列車544M

 第2目的の列車・・・、それは長野県の辰野駅と愛知県の豊橋駅間を結ぶローカル路線である飯田
線を走る普通列車です。

 なぜローカル線を走る普通列車が「こだわり」の対象になったかと言いますと、この列車が普通列
車としては日本最長の運行時間(6時間37分)を誇っていたからです。

 今や私の愛読書と化している『JR時刻表』で全国各所の路線を調べてみても、この飯田線を越え
る運行時間の普通列車は見当たりませんでした。

 でと、「最強」の類の言葉に弱い私は、『ムーンライトながら』に乗って東京まで行く機会を利用
して、今回の「旅」の第2目的として、この飯田線の列車に乗りに行く事にしました。

 しかし、飯田線を走るすべての普通列車が同線の全区間を通じて走る訳ではありません。豊橋←→
辰野間で営業キロ205.2キロの飯田線は、豊橋←→豊川間、豊川←→本長篠間、本長篠←→天竜峡間、
天竜峡←→岡谷間の4セクターに分けられ、ほとんどの列車は各セクター内を往復するように運行さ
れています。

 私が乗ろうとしている列車は、中央本線の上諏訪を始発として豊橋まで飯田線の全区間を通じて走
る列車ですが、この列車は、日に上り2本、下り1本の計3本しか運行されていません。その中で今
回チョイスしたのは、9:17上諏訪発・15:54豊橋着の上り列車です。

 この列車に乗る為には、9:15頃までには上諏訪駅に着かなければなりません。当初は、「ながら」
を降りた後、2時間ばかし暇つぶしをしてから新宿7:00発・上諏訪9:13着のL特急『スーパーあずさ
1号』に乗るつもりだったのですが、出発1週間前に同列車を予約しようとした時には、何とグリー
ン車に至るまですでに満席となっていました。どうもこの路線の特急は乗車率が高いようですね。

 早めに並んで自由席に座ると言う手もありますが、夜行列車明けの睡眠不足の状態で数十分も立っ
て並ぶのも面倒ですし、もしお年寄りが後から大勢並んだりすると席を譲らなければならなくなるの
で、ヘタをすると2時間以上も立ちっぱなしの乗車となる可能性もあります。

 同路線を普通列車で行くと上諏訪まで4時間近く掛かってしまうのですが、早朝なので座れるでし
ょうし、寝る事も出来るでしょうから普通列車で行く事にしました。

 ただし、そーなると東京駅で、すぐに乗り換えなければなりません。「ながら」は4:42に東京駅に
着きますが、すぐさま4:58東京発の中央本線の高尾行普通列車に乗らなければ飯田線の列車に間に合
わないのです。

 東京駅で『ムーンライトながら』から降りた私は、いったん改札を出た後、自動券売機で近距離切
符の最長距離である1620円の切符を買ってすぐに構内に引き返しました。この切符では上諏訪までは
行けませんが、向こうで精算するつもりです。

 4:58東京発・高尾行の中央本線の普通列車です。始発
の次の列車なんですが、さすがにこの時間だとガラガラ
ですな。
【東京都・東京駅・4:58】

 東京駅を出た時、列車はガラガラだったのですが、何とお茶の水駅でドカっと乗って来て座席は埋
まり、何人かは立っていました。まだ朝の5時だっちゅーのに、よほど金曜日の晩、遊び明かした人
々がいるんですな。

 新宿駅出発以降は次々と客も降りて、車内はまたガラガラになって行きました。そして列車は6:13
に高尾駅に到着しました。

 ここまでの中央本線の普通列車は近郊型列車で運行されており運行本数も多いのですが、ここから
先は長距離型列車の縄張りとなり運行本数も20〜30分に1本と一気に減ります。

 高尾駅でいったん降りて、同じ「島」の対面ホームに停車している6:15発の松本行普通列車に乗り
換えます。後は、この列車で上諏訪まで行く事になります。

 高尾駅で対面のホームに停車していた松本行普通列車
は、歴戦の長距離輸送列車である115系でした。
【東京都・高尾駅】

 高尾駅では、私と同じ列車に乗ってきた乗客で、松本行に乗り替える僅かな人々がダッシュで同列
車に向かって行くのが見えました。

 松本行は同じ「島」の対面ホームに止まっていますし、乗客も少なそうだし、乗り換え時間だって
まるまる2分もあるのに、何で走る必要があるのか私には理解できませんでした。

 悠々と歩いて松本行列車に乗り込んで見ると、人々が走っていた訳がようやく分かりました。車内
は、昔ながらのボックス・シートであり、私の予想通りガラガラではあったのですが、何と乗客の人
達は、4人掛けのボックスを、ひとり(もしくは二人組)でひとつずつ占有していたのです。

 見ると、ボックス内で対面の座席に足を延ばして座っている人は当たり前のようにいて、その他に
も座席に荷物を積み上げている人はいるわ、4〜5本の釣り竿を立て掛けている二人組はいるわと、
空いているのをいい事にやりたい放題です。

 なるほど、これがこの路線の「流儀」ってやつなんですな。こーゆー事を知るのも「旅」の醍醐味
ですね。(^^;

 さて、どうしましょうか。車内を一通り見渡しましたが、各座席には、見事にひとり以上の乗客が
収まってくつろいでいます。

 何処の座席も非常に相席しづらい雰囲気だったのですが、かと言って20人も乗っていないガラガラ
の車内で立つのもアホらしかったので、その中で、足を前の座席に投げ出して眠りこけている男子高
校生がひとりだけいるボックス・シートの通路側に座りました。

 それ以上、乗客が増える事もなく列車は高尾駅を出発しました。それにしても寒い! 同席の男子
高生などは白い半袖シャツ姿ですが、よく平気でいられるもんです。

 高尾駅を出ると、車窓からの景色は一気に山間のものに変貌しました。列車の乗客は、2〜3駅も
行かない内に減り始め、私はすぐに隣のボックスをひとりで占有する事が出来ました。

 高尾駅を出ると、中央本線の沿線の景色は一気にロー
カル線っぽくなります。
【中央本線・松本行・普通列車427Mの車窓より】
 中央本線の115系のボックス・シートです。シートの生地がチ
ェック模様になっていますが、どうやら新しい物に張り替えたよう
ですね。
【中央本線・松本行・普通列車427M車内】

 やがて隣のボックスにいた男子高生も降りて行き、乗客は高尾駅を出た時の半分ぐらいに減ってし
まいました。

 それはともかく、この気温の低さはヤバいです。かつて同じ格好をしていて函館で経験した時の寒
さを完全に上回っています。

 列車はどんどん登って行くようですし、気温はこれからも下がっていきそうな雰囲気です。この調
子だと上諏訪に着く頃には体調を崩してしまいそうです。

 今回の「旅」の旅程は、まだ3分の1も来ていないのです。こんなところで体調を崩しては、「旅」
を完遂出来なくなってしまいます。つくづく上着を持って来れば良かったと後悔しました。

 私はカバンの中から、出発前の仕事先で着ていた会社の制服(と、言っても薄い夏用の作業服です
が(^^;)を取り出し、隣の席に人がいない事を幸いに棉シャツを脱いで作業服を着て、その上に再び
棉シャツを着ました。

 重ね着した事で、寒さは「風邪ひく!」から「風邪ひくかな?」程度にはなりましたが、快適には
ほど遠いものでした。

 ふと見ると、途中の駅から乗り降りしてくる人々の中には、ハイカー風の格好をした人が、けっこ
ういました。この路線の沿線には日本アルプスに連なる山々の登山コースがあるようですね。

 ハイカーの人々の服装を見ると、皆さん厚手のシャツやパーカーの上着を着て暖かそうにしていま
す。やはり私の服装は軽装過ぎたのです。

 両腕を抱えるようにしながら肩をさすりつつ乗っている内に、何とか寒さには慣れて来ましたが、
上諏訪までの乗車時間は途方もなく長く感じられ、まるで我慢比べをやっているようでした。

 高尾駅を出発してから約2時間半後、茅野(ちの)駅手前あたりから景色は開けて都会らしくなり、
8:56にようやく上諏訪駅に到着しました。やれやれです。

 目的の飯田線の列車が出るまでは20分ほどインターヴァルがあったので、いったん改札を出て豊橋
までの切符の調達と、上諏訪駅前の見学をする事にしました。

 乗り越し精算を済ませて改札から出た後、「みどりの窓口」へと向かいました。窓口では、私の前
にはお坊さんひとりだけがいて、新宿まで特急『あずさ』の指定券を買おうとしていましたが、指定
席もグリーン席も満席と告げられ戸惑っていました。やはりこの路線の特急は乗車率が高いのです。

 ほどなく、お坊さんが行って私の番が来ました。

私「飯田線経由で豊橋まで」

係員氏「飯田線経由ですか?」

私「はい」

係員氏「飯田線経由豊橋ね?」

私「いっ! そうです」

 何やら念を押されてしまいました。

 まぁそうでしょうねぇ。上諏訪から豊橋まで行くには、ここからいったん松本まで出て、そこから
中央本線の特急で名古屋まで行き、新幹線に乗り換えて豊橋まで行けば3時間足らずで着けるのです。
わざわざ6時間半も掛けて飯田線の各駅停車で行くような物好きは、そうそうおらんでしょうな。

 上諏訪から豊橋までの乗車券です。「経由:川岸・飯
田線」と、しっかり印刷されていました。ふっふっふ。

 切符を買った後、駅舎から出てみました。上諏訪の駅舎は中ぐらいの大きさで、駅前には、これま
た中ぐらいのロータリー(と、言ってもロータリーの形状にはなっていませんが)がありました。

 中央本線の上諏訪駅です。この駅についてはよく知ら
ないのですが、約1キロ南には有名な諏訪湖があり、遊
覧船乗り場もあるようです。
【長野県・上諏訪駅】
 上諏訪駅前の様子です。画像では右手に駅前ロータリ
ーがあります。駅前には正面に百貨店みたいなビルがあ
りました。
【長野県・上諏訪】

 駅前の百貨店みたいなビルでは朝市が開かれており、売り子の人々が表の通りまで出て呼び込みを
していました。

 余り時間も無かったので駅に戻り、改札の中のトイレの洗面台で顔でも洗おうと思ったのですが、
先客がいて、ひとつしかない洗面台を占有していました。

 仕方がなかったので、トイレの「大」の方に入って切符の写真などを撮りつつ洗面台が空くのを待
ちましたが、何をやっているのやらやっこさんはなかなか出て行きません。

 たっぷり5〜6分は待ったでしょうか、ようやく人が出て行く音が聞こえたので、「大」の所から
出て洗面台で顔を洗いトイレを出ました。東京駅で『ムーンライトながら』から降りて以降、乗り換
えの時間が無かったのでずっと顔を洗えずにいたのです。

 目的の列車が出るホームへ行くため陸橋の階段を登りながら、ふと腕時計を見ると、もう9:17では
ないか!!! 確か列車の出発時間は9:17だったはず! いかん!!

 私は思わず走り出しました。降りの階段から下を見ると、それらしい列車が停車しているのが見え
ましたが、もしその列車なら今にもドアが閉まってしまう!

 脱兎の如く階段を駆け下りて列車に飛び込んだところで時計を見ると、時間はすでに9:19になって
いましたが列車は発車する気配がありません。

 くそっ! この列車は違うのか? ひょっとして目的の豊橋行の列車は、もう出てしまった後なのだ
ろうか?

 なんてこった! 東京からはるばる4時間も掛けて来たというのに、顔を洗っていて目的の列車に
乗り遅れてしまうとは、なんちゅー間抜けな・・・。これで今回の企画はパーだ!

 私が自分の愚かさに腹を立てていると、車内放送が聞こえてきました。「遅れております豊橋行の
普通列車です。間もなく発車致します」・・・って、え?

 私が唖然としていると、プシューっとドアが閉まり列車は発車しました。「豊橋行の普通列車です。
発車が遅れました事をお詫び申し上げます」とのアナウンスに続き、当面の停車駅の到着時刻の案内
が始まりました。この列車は、間違いなく目的としていた飯田線経由の豊橋行だったのです。なんだ
か知りませんがラッキーっ!(^^;

 9:17上諏訪発・豊橋行普通列車544Mの座席です。この列車は高尾
から乗って来た列車と同じ115系でしたが、車体の塗装はオリジ
ナルの緑とオレンジのツートンで、座席もオリジナルのブルー地の
生地でした。
 ただし。窓は開けられないように取っ手が外されていました。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車内】

 列車は3両編成でした。私が乗った最後尾の車両内を見渡してみると、乗客は私を入れてもたった
の4人しかいませんでした。

 この列車では嬉しいことに暖房が入っていました。すでに寒さに慣れていたとは言え、身体は芯ま
で冷え切っていたので、大変、ありがたい事です。ここからは快適な「旅」が出来そうですな。

 列車が岡谷駅に着くと、熟年の団体ハイカーが大勢乗り込んで来て、あっと言う間に座席が埋まっ
てしまいました。この手の人々には異様に元気な人が多く、静かだった車内は一気に騒がしくなりま
した。くそっ!

 飯田線の起点である辰野駅では中学生らしき女の子がひとり乗って来ましたが、車内の混雑ぶりを
唖然として見回しながら乗降口付近に立ちつくしていました。たぶん、普段はガラガラで座れるんで
しょうね。

 車掌室から車掌が現れるとハイカー達は、「暑いねぇ、暖房入れてるの?」、「なんで暖房なんか
入れてるの?」と口々に文句を言い始めました。

 「今日は気温が低いですから・・・」との車掌の説明に、「でも暑いよねぇ」と仲間同士で相槌を
打ち合っていました。そりゃあんたらは厚着しているから暑いでしょうよ! でも世間一般的にゃ今
日は寒いんだよ! ・・・ったく、わーわーとうるさいし、さっさと降りてくんないかな。

 辰野駅を出てからの飯田線の沿線風景です。ここら辺
は、川沿いの平地部分に家々がけっこう見られます。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】

 我慢すること約1時間。熟年ハイカーの団体は駒ヶ根駅でようやく降りて行きました。やれやれ。
乗客は再び10人以下となり、車内には再び静寂が戻ってきました。

 嵐のような熟年団体が去ってひと息ついたところで現在地を確認しようと時刻表を取り出して路線
図を見ると、駒ヶ根から4つ目に飯島と言う名前の駅を発見しました。

 私はシンガー・ソング・ライターの飯島真理さんの大ファンだったので、何となく嬉しくなり、記
念に駅の看板の写真を撮る事にしました。(土地と地名は、たぶん真理さんとは何の関係もないと思
いますが・・・(^^;)

 タマげた事に、その飯島駅の1コ手前の田切駅で「車内販売」が登場しました。と、言っても、キ
ヨスクやNREの職員ではなく、どっから見ても普通の物売りのおばちゃんです。

 おばちゃんは、サンドイッチもしくは巻き寿司、おにぎり系の軽食と飲み物が入っていると思われ
る「カゴ」を手に提げ、少ない乗客ひとりひとりに「どうですか?」と声を掛けていました。

 私も声を掛けられましたが、どうもうさんくさかったので手を振って断りました。おばちゃん、ち
ゃんとJRの許可取って商売してるんかいな?

 それはともかく、おばちゃんが前の車両に移って行って間もなく飯島駅に到着しました。

 飯島駅の駅名標です。列車が停車した位置からは見え
なかったので、発車した際の通過時に撮ったのですが、
ブレて分かりませんな。(^^;
 列車左手には駅舎も見えず、小ぢんまりした無人駅に
見えたのですが、実は反対側に、ちゃんとした駅舎があ
り「みどりの窓口」もある駅だったようです。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】

 飯島駅を出てからの飯田線はカーブが多く、列車は比較的ゆっくりと走っていました。ちなみに、
この普通列車はワンマン式ではなく車掌が乗っていました。

 駅に停車してもドアは開きませんでしたが、手動で開ける事が出来ます。ただし、ドアはボタン開
閉式ではなく手でドアを横に引いて開ける旧来のタイプであり、この手のドアは少し重かったはずで
す。女性やお年寄りにとっては少々難儀なドアでしょうね。

 飯田線には無人駅が数多くありましたが、それらの駅では下車した車掌がホームで切符を集めてい
ました。

 段々と山手に入っていく飯田線の沿線風景です。画像
には写っていませんが、飯田線は天竜川に沿って走って
います。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】

 あと、乗っていて気づいたのが、トイレの利用率が非常に高い事です。トイレは私が乗る最後尾の
車両に付いていたのですが、次から次へとひっきりなしに人が出入りしていました。やっぱ皆さん冷
えるんでしょう。

 て、言うか、いつの間にか暖房が止められていて、車内の気温が下がり始めていました。たぶん、
あの熟年ハイカー団に文句を言われて車掌が暖房を止めたに違いありません。ぐぞ〜〜〜。

 しばらくすると「車内販売」のおばちゃんが私の乗る最後尾の車両に戻って来ました。おばちゃん
は車掌室に顔を出すと車掌と仲良さそうに話し始めました。

 どこの駅だったか忘れましたが、その駅で降りた「車内販売」のおばちゃんは、列車が発車するま
でホームで車掌や駅員と世間話をしていました。

 どうやらこのおばちゃんは、JRの職員に何らかの形で認められているようですね。それだったら、
おばちゃんを見た記念に何か買っとけば良かったなぁ。

 天竜峡駅の近くの天竜川では、川面でカヌーを漕いでいる人々が見受けられました。その付近は流
れが緩やかそうであり、カヌーをやるには最適のようですね。カヌーは、機会があれば一度、やって
見たいと思っています。

 同駅を出ると風景は一気に峡谷の趣となります。また、駅の密度が異常に高くなり、トンネルがや
たらと多くなりました。

 田本駅なんかは、トンネルを出た所に駅があり、駅を出た途端にトンネルに入りました。いやはや
なんとも・・・。

 為栗(してぐり)駅の近くでは吊り橋が見えましたが、あいにく峡谷は列車の右側で、私は左側に
座っていたため木に覆われた山肌しか見えませんでした。ここらの景観を楽しむならば、右側にのら
ねばなりませんな。

 どこの駅だったかは忘れましたが、10人ぐらいの、いかにも運動部といった格好の男子高校生が乗
ってきてわワイワイやり始めましたが、やがて平岡駅で降りて行きました。

 途中で乗ってくる人々は、たいてい何駅か先で降りてしまいます。おそらく、その駅間がここらの
人々の通勤/通学/生活圏なんでしょうね。

 ふと車内を見渡すと、上諏訪〜辰野間で乗って来た乗客は、もはやおっちゃん一人以外は見当たり
ませんでした。やはりこの列車で豊橋まで行こうなんて考える暇人は私ぐらいなもんで、他の人々は、
途中で降りてしまったんですねぇ。

 飯田線は単線なので、時々、駅で対向列車待ちをします。伊那小沢駅で対向列車待ちをした時なん
かは、対向列車3分遅れとのアナウンスがありました。

 飯田線の主要駅のひとつである中部天竜駅に到着する直前、何気なく列車右側の窓の外を眺めてい
ると、旧式な電気機関車に連結されたトロッコ列車が待機線に止まっているのが見えました。

 それから間もなく列車は中部天竜駅に到着しました。ここで長時間停車し、対向列車を待つとの事
でした。乗客の中には、ホームに降りてタバコを喫ったりジュースを調達しに行く人々がいました。

 私は降りずに駅の周りを観察していると、駅の放送で中部天竜発・豊橋行の臨時列車『トロッコフ
ァミリー号』の案内がありました。さっき見た列車がそうだったんですな。

 聞くと、ほんの20分後に出発するとの事です。思わずトロッコ列車に乗り換える誘惑に駆られまし
たが、あくまで今回のテーマは、この日本最長運行時間の普通列車を「乗覇」する事です。

 それに、上諏訪を出てからすでに4時間半も乗り続けているのです。東京から上諏訪まで乗った分
を加えると乗車時間は8時間半に及びます。ここで乗り換えては、それが水の泡になってしまいます。
私は乗り続ける事にしました。

 決意を固めたところで、待っていた対向列車が対面のホームに入って来ました。それは特急の『伊
那路3号』でした。

 中部天竜駅では豊橋発・飯田行の特急『伊那路3号』
と会合しました。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】

 特急『伊那路』は、豊橋→中部天竜間を約1時間で走りますが、私が乗る普通列車は、この駅から
豊橋まで、まだまるまる2時間も掛かるのです。うーむ、長い・・・。

 中部天竜駅を発車して3つ目に止まった浦川駅では、線路端に列車から見えるように何やら看板が
置かれていました。

 見ると「歌舞伎発祥の地」と書かれており、その看板の周囲の柵には、歌舞伎小屋の周囲に立てら
れる物と同じデザインの「のぼり」が立ててありました。へー、そうなんだ。

 中部天竜駅を出ると、車窓から見える景色は、再び森に変わりました。

 中部天竜駅を出ると、車窓から見える景色は典型的な
山間のそれとなります。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】
 線路際まで迫る森です。しばらくはこのような景色が
続きます。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】
 東栄駅です。森の中にある無人駅で、フェンスをまた
ぐと、その向こうはすぐ森です。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】

 気が付くと何と冷房が入っていました。おいおいマジかい! まだ寒いっちゅーに!!

 三河槙原駅付近では列車は川岸を走りますが、木が多
くてなかなか川面が見えませんでした。
【飯田線・豊橋行・普通列車544M車窓より】

 どこか途中の駅から、3歳ぐらいの子供を連れた若い夫婦が乗って来ました。例によって子供が騒
ぎ始め、長時間の乗車で少々疲れていた私の耳には耳障りな事この上ありませんでした。

 列車はやがて飯田線の主要駅のひとつである本長篠駅に到着しました。列車はここで10分間も停車
しましたが、対向列車が現れるわけでもなく、何の為の停車だったのかは分かりませんでした。

 例の子供は依然として騒ぎ続け、車内を行ったり来たりしていました。元気なのは結構な事ですが、
私は少々イラついていました。

 その両親はと言うと、座席に座ったまま何かの冊子を見ながら夫婦で話をしていました。ようやく
取れた旦那の休みの日に、日帰りで「うまいもの」を食べに家族で出掛けるところのようです。

 「この店、今日空いてるかなぁ」とか「ここは、ちょっと高いなぁ」などと実に庶民的な会話を聞
いていると、私のイラつきは徐々に薄れて行きました。

 新城駅手前からの景色は、ようやく建物が増え都会らしくなってきました。そして列車は豊川駅に
到着しました。豊橋までは、あと一息です。ふ〜〜〜っ(-_-;

 豊川駅では、隣の「島」のホームに豊橋←→豊川間を往復する列車が到着するのが見えました。こ
の列車は、飯田線の主力車両である119系で編成されていました。

 豊川駅を出て11分後、我が列車は、よ〜〜〜やく終点の豊橋駅に到着しました。上諏訪駅を出てか
ら6時間半、停車した駅は、上諏訪と豊橋を勘定に入れると、何と96にも上ります。いやー、それに
しても長かった・・・。

 豊橋駅1番ホームに到着した上諏訪発・豊橋行普通列
車544Mです。6時間37分の長きに渡る走行、お疲れ
さまでした!
【愛知県・豊橋駅】
 2番ホームに停車している飯田線の主力車両119系
と1番線に停車する我が普通列車544M(115系)
のツー・ショットです。
【愛知県・豊橋駅】
 豊橋駅です。訳あってここんトコ馴染みの駅になって
ます。新幹線が20〜30分に1本しか止まらないのが難点
です。
【愛知県・豊橋駅】

 今回、飯田線の全区間を走る普通列車に乗って感じた事は、この列車がいくつもの生活圏を通り抜
けて来たと言う事です。

 人々は、自らが暮らす生活圏内の駅から乗車して来ては、同じ生活圏、もしくは隣の生活圏の駅で
降りて行きました。その為、生活圏を越える度に車内の顔ぶれはすっかり変わっていました。

 私が乗った列車の運行目的は、生活圏と生活圏の間を結ぶシティライナーだったのではないかと思
います。

 ま、何はともあれ、これで日本最長運行時間の普通列車は「乗覇」しました。しかし、今回の「旅」
は、ここまでで、まだ旅程の半分に過ぎないのです。

 私は次の目的地へ向かうべく、東海道新幹線の新大阪行『こだま423号』に乗りました・・・。

 第3部につづく・・・。


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