2002年11月06日
『列車まかせの旅』第6弾


【訂正記事】
 第2部に続いてのヘマをやらかしてしまいました。(^^; 本「旅行記」の第4部では、今度は日本
最長運行距離の普通列車の「乗覇」を目指し、その列車は山陽本線を走る快速『山陽シティライナー』
5342M(運行営業キロ363キロ)であると判断したのですが、本記事を読んで下さった「旅行好
きの人」さんよりメールにて、最長運行距離列車は下関→三石間を走る快速『山陽シティライナー』
5364M(運行営業キロ404キロ)である旨を教えて頂きました。またしても恥ずかしい話なので
すが、この訂正記事に代えまして、文面の訂正は割愛させて頂きます。予め御了承下さい。(^^;(結
局、この「旅行記」は半分無意味になってしまったなぁ・・・(-_-;)
(「旅行好きの人」さん、情報提供をありがとうございました。m(_._;m)


第3部:「夜行列車愛好家への道」その5/寝台特急『あかつき』

 豊橋から新大阪行『こだま423号』に乗った私は京都駅で降りました、時間は18:04です。これ
まで東海道新幹線には回数を覚えていないぐらい乗りましたが、東京から大阪方面へ戻る際に京都で
降りたのは、これが初めてかも知れません。

 京都駅から出発して行く新大阪行『こだま423号』
です。京都駅で大阪方面に向かう新幹線を見送ったのは
これが初めてかも知れません。
【京都府・京都駅】

 京都駅は馴染みの駅であり、かつては仕事で年に10回以上は訪れていましたが、ここのところは都
合によりずっと阪急を利用していた為、駅ビルが完成してから京都駅で降りるのはこれが初めてです。
にしても、「初対面」の "ザ・キューブ" こと京都駅ビルの巨大さには圧倒されるばかりです。

 "ザ・キューブ" こと京都駅ビルです。京都駅は駅ビ
ル建設中以前にはしょっちゅう訪れていましたが、駅ビ
ルが完成してから来たのはこれが初めてです。
 ともかくデカい!
【京都府・京都駅】

 にしても京都は暑い! 飯田線に乗っていた時とは気温が全然違います。地域によって、こうも気
温が違うんですな。とりあえず私はトイレに入り、重ね着している作業服を脱ぎました。

 さて、なぜ私はホーム・ベースである大阪を目前にして京都で降りたのでしょう? それは、これ
から乗りに行く「こだわりの列車」の出発時間に関係があります。

 この列車の詳細については後述の第4部を見て頂くとして、とりあえず同列車に乗るには、朝の6
時半までに下関まで行かねばなりません。

 しかし、出発前に時刻表を検討した際、当日の列車移動で6時半までに下関まで行くのは不可能で
ある事が判明しました。

 となると、単純に考えれば前日移動で下関のホテル泊となるのですが、それじゃ面白くありません。
列車好きが「泊まる」と来れば、なんつっても夜行列車じゃないでしょうか?

 時刻表を調べてみると、4:37に下関に着く夜行列車がありました。20:20京都発・長崎/宮崎行の
寝台特急『あかつき/彗星』(併結)です。私は、何の躊躇もなく同列車に乗る事に決めました。

 併結列車である『あかつき/彗星』は門司駅で切り離されますが、下関までならば、どちらの列車
に乗っても同じです。

 どっちでも構いませんでしたが、『あかつき』の方が連結車両数が多かったので良い席が取れるか
と思い『あかつき』にしました。

 今回は移動のために利用するだけなのでB寝台で充分です。で、B寝台で予約したのですが、上段
寝台になってしまいました。やはり3連休とあって少々混んでいたようですね。

 寝台特急『あかつき』の特急券・B寝台券です。残念
ながら今回は上段寝台でした。

 と、言う事で、『あかつき』に乗るために私は京都で降りた分けです。同列車が出るまで2時間近
くインターヴァルがあったので、とりあえず初めて訪れる "ザ・キューブ" の中を軽く巡った後、地
下鉄に乗って京都市内の想い出の場所を見に行って来ました。

 20時過ぎに京都駅に戻り、夕食用の弁当を買ってからホームに上がりました。

 京都駅に1番ホームに入線して来る寝台特急『あかつ
き/彗星』(併結)です。平板なマスクが多い電気機関
車の中で特異な形状のマスクを持つ数少ない機関車であ
るEF66型に牽引されていました。
【京都府・京都駅】

 列車の編成は、6両から成る『彗星』が前、8両から成る『あかつき』が後ろに連結されており、
機関車を入れると15両の編成となります。

 今回は7号車のB寝台でした。B寝台と言えば、これまでに下段には2度乗った事がありますが、
上段に乗るのは、これが初めてです。

 別段、上でも下でも寝心地に大した差はないと思いますが、上段寝台だと、夜中にトイレに行きた
くなった時、音を立てないように昇降するのに気を遣う事になるのが面倒です。

 上段B寝台の様子です。ベッドの通路側に枕が置かれ
ています。手前にはハンガーと浴衣も置かれています。
【寝台特急『あかつき』車内】
 ベッドの窓側です。シーツと掛け布団が置かれています。悲しい
事に上段寝台には窓がありません。
【寝台特急『あかつき』車内】
 上段寝台に昇降するための梯子です。折り畳み式になっていて、
ラダーを中央の「柱」に納める事が出来ます。
 梯子を出したままだと、下にある机が使いづらくなるのですが、
収納されてしまうと上段利用者が出入り出来なくなるので、収納さ
れる機会はほとんどないでしょう。
【寝台特急『あかつき』車内】

 あと、今回乗った上段寝台には荷物置き場が無かったので、ベッドの足下に荷物を置かざるを得ず、
ただでさえ狭いベッドがますます狭くなってしまいました。

 ブース内対面の上段寝台には通路側に荷物置き場があるので、その分、ベッドをまるまる使えるは
ずです。今回は、ブースの中でいちばん「ハズレ」の寝台に当たってしまいましたね。

 もっとも、かつて2度乗った下段寝台にも荷物置き場は無く、同じようにベッド足元に荷物を置い
て乗ったので、この狭さには慣れちゃいますが・・・。

 同じブース内の対面の上段寝台には、通路側に充分広い荷物置き
場があるのですが・・・。
【寝台特急『あかつき』車内】
 私がいる方の上段寝台の通路側はパネルで塞がれており、意味不
明の「業務用」の文字が描かれています。なんだそりゃ?
【寝台特急『あかつき』車内】

 寝台に潜り込むと、私はさっさとカーテンを閉めました。結局、ブース中の4つの寝台で京都で乗
ったのは私ひとりだけでしたが、たぶん、大阪からドッと乗って来るでしょう。

 京都駅を出て間もなく検札が来ました。車掌に切符を渡すと、「下関ですね?」と確認されたので、
「はい、そうです」と答えました。おそらく、下関で降りる人間は少ないのでしょう。

 大阪駅に着くと、予想通り大勢の人達が乗って来ました。私がいるブースの残り3つの寝台にも人
が入ったようです。(いちいちカーテンを開けて確認したりしませんので・・・)

 ブース内対面の、上、下段寝台には、夫婦なのかどうかよく分からない熟年の男女が入りました。
寝るにはまだ早い時間なので、荷物を片づけると二人とも下段の寝台に座り、ビールか何かを飲りな
がら仲良さそうに話をしていました。

 私は寝台の中で夕食の弁当を食べると、早々に寝る態勢に入りました。時間はまだ夜の9時過ぎだ
ったので、多くの人々は起きていておしゃべりをしたり車内をウロついたりしていましたが、私は4
時には起きて下関で降りなければならないので、今から寝ても早過ぎる事はないのです。

 列車が三宮駅を出ると、夜行列車得意の車内放送休止のアナウンスがあり、車内灯が減光されまし
た。今回は途中の駅で降りるので、服は着たままにして寝台に横になり、目覚まし代わりに携帯電話
をマナー・モードにして胸ポケットに入れました。

 車内灯が減光されると、さすがに車内は静かになり、会話をしている人々もヒソヒソ声で話すよう
になりました。

 ようやく本格的に眠れる雰囲気になりましたが、実はわたし、これまで寝台列車で熟睡できた事が
一度もありません。

 夜行列車愛好家を目指す者としては情けない話なのですが、硬めのベッドや枕に身体が馴染めない
上に、客車式寝台列車が発停車する際に発生する「ガクン」と言う大きな衝撃で、うとうとしていて
も目が覚めてしまうのです。

 毎回、熟睡すべく色々と工夫を凝らしてはいるのですが、未だに良い方法が見つけられずにいまし
た。今回も私服を着たまま横になっていたため、身体がリラックス出来ず、結局、ロクすっぽ眠れな
いまま下関到着時刻を迎えてしまいました。うーむ・・・。

 下関到着予定時刻の約10分前に、そっとベッドから降り、乗降口のデッキへと向かいました。時間
は朝の4時過ぎ、車内は寝静まっていました。

 下関駅到着約10分前のB寝台車内の様子です。さすがに起きてウ
ロついている人はいませんな。
【寝台特急『あかつき』車内】

 私がデッキに出るのとほぼ同時に、すぐ横にあった車掌室から車掌が姿を現しました。車掌は私を
見ると驚いたような顔をして「あと9分で下関に着きます」と告げると、再び車掌室に戻りました。

 どうやら車掌は私が下関で降りる事を憶えていて、私を起こしに行くつもりで出て来たところ、そ
の私にいきなり出くわしたので驚いたようですな。

 これまでの乗車においても寝台列車の車掌は親切な人が多かったのですが、この列車でもそれは同
じだったようです。

 車掌が車掌室に引っ込んだところで、ふと車両間通路を見たところ、開け放たれドアの下の方に寝
台列車『彗星』のマークを発見しました。

 そう言えば、いま私がいるデッキは『あかつき』と『彗星』の連結部分なのです。折角なので、両
寝台列車のマークを撮っておく事にしました。

 7号車(あかつき)と6号車(彗星)の連結部分です。末端車両
同士の連結部なので、このように開け放たれたドアがあります。
【寝台特急『あかつき』車内】
 上の画像の位置から前方車両側のドア下部を写したと
ころです。寝台特急『彗星』のマークがあります。門司
駅で『あかつき』と『彗星』が切り離されると、このド
アは閉じられ、最後尾車両となります。
【寝台特急『あかつき』車内】
 6号車側に移り、7号車側のドア下部を写したところ
です。寝台特急『あかつき』のマークがあります。
 門司駅で切り離されると、このドアは閉じられ、前に
機関車が連結されます。
【寝台特急『あかつき』車内】

 間もなく、列車は下関駅に到着しました。乗降口のすぐ横の窓から車掌が顔を覗かせていたので、
私は「お世話になりました」とひと声掛けてホームに降りました。

 下関駅は初めてなので、列車から出たところで出口が左右どちらにあるのか分かりませんでしたが、
とりあえず右(列車前方/下り方向)に向かいました。どのみち、下関から出発して行く『あかつき
/彗星』の写真を撮るつもりだったので、しばらくはホームに留まるつもりだったのです。

 ホーム中程にあるトイレの手前まで歩いたところで、降りた乗降口の方を振り返ると、車掌が怪訝
な面持ちでこちらを見ていました。

 何を見ているのかと思えば、私はホームの出口とは反対方向に歩いていたようです。見ると下関駅
のプラットフォームの出口は、上り方向の末端に下へ降りる階段があるのみで、下り方向は行き止ま
りになっており、プラットフォームの途中には陸橋も階段もありませんでした。

 私はいったん、駅務室とトイレの間にある隙間に入り、車掌の視界から外れました。駅務室の角か
らそっと覗くと、車掌は未だにこちらを見ていました。ひょっとして不審者にでも思われたのかな?

 勘違いされるのも面白くないので、とりあえず私はトイレに入りました。「小」の方をしたかった
のは確かなのですが、いつ列車が発車するか分からなかったので、カメラを持ったままトイレの中で
待機しました。

 しかし、1分経っても2分経っても列車は動きません。いったい何をしているのでしょう? 5分程
度が経過し、そろそろ出ないとますます怪しまれると思い始めた頃、ようやく列車が動き始めたので
トイレから出て写真を撮りました。

 下関駅から出発して行く寝台特急『あかつき/彗星』
(併結)です。最後尾のけったいな外観の車両は、『あ
かつき』のレガート・シート車です。
 ちなみに、画像左端に見える白い壁は、私が「隠れて
いた」トイレの壁になります。
【山口県・下関駅】

 『あかつき/彗星』が出ていってしまった後、ホームを見回してみると、駅員が3人、階段に向か
って歩いているのみでホームは閑散としていました。

 朝4時半の下関駅です。私以外にホームにいたのは駅
員が3人だけでした。
 広大な幅と長大な長さを持つプラットフォームが3線
あり、パっと見で「だだっ広いなぁ」と言う印象を受け
ました。
【山口県・下関駅】

 再びトイレに入り「小」を済ませた後で、プラットフォームの上り側末端にある階段を降り、改札
に向かいましたが、そこには誰もいなかったので私は切符を置いて外に出ました。

 改札を出たところのコンコースも歩いている人は皆無であり、僅かにベンチで居眠りしている人が
二人ほどいるだけでした。

 下関駅の改札を出たところのコンコースです。もちろ
ん構内の店は全て閉まっていました。歩いている人はい
ませんでしたが、画像左にあるベンチでは、二人ばかし
寝込んでいる人がいました。たぶん、始発の列車を待っ
ているのでしょう。
【山口県・下関駅】

 とりあえず東口から外へ出てみました。外はまだ真っ暗であり、駅前には広大なロータリーとバス
・ステーションがありましたが、誰もいませんでした。

 下関駅東口の駅舎です。こちらが駅の「正面」側にな
ると思います。広大なホームに比べると駅舎はややコン
パクトですな。
【山口県・下関駅】
 東口を出ると正面にあるバス・ステーションです。バ
スも人もおらず、なんとも寂しい眺めです。
【山口県・下関駅】

 バス・ステーションを左に見ながらロータリーに沿って歩いていると登りの階段があったので登っ
て見ました。

 そこはテラスのようになっていましたが、よくよく見ると長大な歩道橋を連結した構造になってお
り、見渡す限り通路が広がっていました。暗かったので全体像はよく分かりませんでしたが、こんな
に広大な空中通路は見た事がありません。

 空中通路の国道を横断する部分の通路上から国道9号
線(?)方向を写したところです。さすがに朝の5時前
では車もほとんど走っていませんな。
【山口県・下関駅】

 とりあえず駅の周囲を回って見ようと思い、空中通路を降りて国道沿いに駅の反対側(西口)に向
かいました。

 その途中で、駅の方向から作業服を着た4〜5人の男性が現れ、国道を渡って対面にある下関郵便
局へと入っていくのが見えました。郵便局の関係者は、こんな時間から働いているんですな。

 JRのガードを潜り、その先にある交差点を左に曲がると下関駅の西口駅前に出ました。広大なロ
ータリーのある東口と違い、西口駅前は、車が4〜5台止められるスペースがあるだけで目の前は道
路になっていました。

 下関駅の西口です。駅前には小ぢんまりした停車場が
あるだけで目の前は、すぐ道路になっています。
【山口県・下関駅】
 西口駅前の道路の南方向を写したところです。やっぱ
し車はほとんど走っていませんでした。
 画像左端、やや上にある光の筋は、下関駅のホームの
灯りです。
【山口県・下関駅】

 目的の列車が下関から出るまでには、まだ1時間半以上のインターヴァルがあります。下関を訪れ
るのはこれが始めてだったので、列車が出る時間までの暇つぶしを兼ねて駅周辺を散策するつもりで
したが、ここいらで「朝の一杯」を飲りたくなったので、西口駅前の道路の反対側にあったコカコー
ラの自販機でコーヒーを買いました。

 今回の1本、コカコーラ・ボトリングの缶コーヒー『ジョージア/テイステ
ィ』です。実はこの缶コーヒー、私の一番のお気に入りだったのですが、いつ
の間にか関西の自販機から姿を消していたので、てっきり銘柄が消滅したもの
と思っていました。
 ところが、朝の一杯を飲ろうと下関駅西口駅前にあった自販機へコーヒーを
買いに行ったところ、この懐かしき「テイスティ」を発見したので慌てて購入
しました。
 後日、缶コーヒー通の人に聞いたところでは、関西人の口に合わなかったの
か関西圏の自動販売機からは姿を消してしまったものの、他の地域では今でも
売られているとの事でした。
 久々に飲んだ「テイスティ」は、やっぱ旨かったっス。(^^)
【山口県・下関駅】

 さて、とりあえず下関駅の周囲を「左回り」に巡って見ましょう。私はコーヒーをちびちび飲りな
がら、西口駅前の道路を南方向へと歩き始めました。

 その先にあった、闇夜に煌々と電気を灯したファミリー・マートの前を過ぎて5分も歩くと、左手
に車両ヤードが見えてきました。せっかくなのでヤードの写真をパチリ。

 さらにその先へ進むと、ヤードの片隅に、鉄道の素人である私ですら凄く旧式と分かる機関車が止
まっていました。そこでまた写真をパチリ。

 立ち止まって、いま写したばかりの画像を再生して見ると、暗闇に弱い私の旧式なデジカメでは、
増幅度を最高に上げても機関車は黒い影にしか写っていませんでした。

 次にストロボを使って写して見ましたが、今度は手前にあったフェンスだけが写ってしまい、機関
車は影も形もありませんでした。

 予備のバッテリーは所持していなかった(と、言うか、予備のバッテリーは元々買っていなかった)
ので、これ以上の無駄遣いは出来ないと思い、機関車の写真は諦めて先に進みました。

 その先の道路は彦島へと渡る石彦橋に向かって登りになっていましたが、私はヤードに沿って下の
側道を進み、ヤード南西の角で東へと曲がりました。

 ヤードを左に見つつ、ガードを潜ると、その先の左手には日通のコンテナ・ヤードがありました。
その先の交差点で北に曲がり、さらに200メートルほど進んだところで空が明るみ始めました。

 そこで私はふと立ち止まりました。明るくなって来れば、さっき撮り逃した古い機関車の写真が撮
れる・・・。

 目的の列車が出る時間まであと1時間。ここで機関車の写真を撮りに引き返してしまうと下関駅を
一周する時間的余裕は無くなってしまいます。

 今度は、いつ来れるか分からない下関の散策と、いつ廃車になって姿を消すか分からない旧式機関
車の写真撮影を天秤に掛けた結果、私は機関車の写真を撮りに引き返す事にしました。まぁ下関が無
くなる事ァありませんしね・・・。

 下関の車両ヤードの末端に止められていたEF59型
なる旧式機関車です。後日、鉄道関連HPで調べたとこ
ろ、EF59型は全車両廃車となった型式との事でした
が、この写真に写っている10号機だけは展示用に保存
されているそうです。
【山口県・下関駅隣接の車両ヤード】
 下関駅の南側にある車両ヤードです。113系らしき
電車やブルーの客車が何編成か止まっていました。
【山口県・下関駅隣接の車両ヤード】

 駅周辺一周を諦めた私は来た道を引き返しましたが、途中にあった「大和町1」と言う名称の大き
な交差点で東へ曲がり、下関駅の門司側末端の下を通るガードを潜りました。

 ガードを出た所で線路が道路を横断していましたが、
踏切はなく、その先の線路も草に覆われていました。
 地図によると、この線路は下関港の第二突堤に通じて
いるようですが、今は使用されていないみたいですね。
【山口県・下関市・東大和町1付近】

 その先にある『シーモール下関』のビルを左に見つつ歩いていると、かつてテレビで見た事がある
建物が前方に見えて来ました。それは韓国・釜山行のフェリーが発着する下関国際ターミナルだった
のです。

 韓国・釜山との間を結ぶ関釜フェリーが発着する下関国際ターミ
ナルです。さすがにこの時間だと人はいませんな。
【山口県・下関市・東大和町1】

 目的の列車が出る時間まであと45分。30分前には切符を買って乗車準備を済ませておきたかったの
で、私は駅へと戻る事にしました。

 国際ターミナル前の道路を北へ歩くと、空中通路が見えて来ました。どうやら駅前で見た通路の末
端のようですね。私は通路への階段を登りました。

 階段を登り切ると下関駅が見えました。そこの空中通路の手摺りには、おびただしい数のカラスが
とまっていました。別に生ゴミが置かれている分けでもないのに、こんなトコにとまって何してるん
だろ?

 いくら何でもカラス達が私を襲って来るとは思えなかったのでそのまま歩いて行くと、カラスは1
羽、また1羽と飛び立って行きました。

 やがて右手から「カン、カン、カン」と手摺りを叩く音が聞こえてきたのでそちらを見ると、平行
して掛けられている北側の空中通路を歩いているおっちゃんが棒で手摺りを叩きながらカラスを追い
払っていました。

 駅前まで戻ったところで空中通路から降り、私は東口から駅の中に入りました。さて、では次の目
的の列車の話へと進みましょう。


第4部:「ちょっとこだわりの列車」その4/
    快速『山陽シティライナー』5342M

 今回の「旅」の最終目的、それは山陽本線を走る快速『山陽シティライナー』に乗る事でした。

 『山陽シティライナー』は、『ムーンライトながら』みたいな固有の特別列車ではなく、山陽本線
の岡山地区以西で運行される、主要駅間を結ぶ一般の長距離快速の愛称です。

 運行区間は単一ではなく、上り方面は下関→岡山間、小郡→岡山間、小郡→糸崎間、岩国→岡山間、
岩国→三石間、岩国→瀬戸間、岩国→糸崎間、広島→岡山間、広島→播州赤穂間など9区間、下り方
面は万富→岩国間、岡山→岩国間、岡山→広島間、糸崎→広島間、糸崎→岩国間、白市→小郡間、広
島→小郡間、広島→小倉間、広島→徳山間、広島→岩国間など10区間が運行されています。

 この中で、今回私が乗ろうと決めたのは、6:39下関発・13:03岡山着の5342Mです。この列車
は、『山陽シティライナー』中で最長の距離を走る列車なのです。

 この5342Mの運行時間は何と6時間24分。先に乗った飯田線普通列車544Mの6時間37分に
は13分ほど及ばないものの、その運行営業キロ363キロは飯田線544Mの213.7キロより150キロ近く
も長く、私が知る範囲では普通列車日本一です。

 そうなんです。飯田線の544Mが「普通列車・日本最長運行時間」を誇るのに対し、『山陽シテ
ィライナー』5342Mは「普通列車・日本最長運行距離」を誇る列車なのです。そしてこの両列車
を「乗覇」する事こそが今回の「旅」最大の目標だったのです。(←アホや(^^;)

 ま、ともあれ、駅に戻った私が切符売場へ向かってコンコースを歩いていると、「みどりの窓口」
の電気が灯いており、中に駅員がいるのが見えました。

 時間はまだ6時前、私はてっきり窓口が始まるのは、もっと遅くなってからだと思っていたので、
少々驚きました。ま、これで岡山までの切符を買って乗る事が出来ます。

 比較的小ぢんまりしたカウンターがひとつだけの「みどりの窓口」の部屋に入ると、奥でウロウロ
していた、眼鏡を掛けた人の良さそうな駅員が応対に出て来ました。

私「岡山までの乗車券をお願いします」

駅員氏「岡山ね・・・。新幹線の特急券はお持ちなんですね?」

私「いえ、普通で行くので・・・」

駅員氏「あ、そうですか・・・」

 駅員氏は切符を私に渡すと、奥へ戻るため席から立ち上がりましたが、私の方を見ながら何か言い
たげに微笑んでいました。

 30分と経たない内に岡山行の『山陽シティライナー』が出るところへ、私が岡山までの切符を買い
に来たのですから察しはつくでしょうな。駅員氏の心中は、「物好きだねぇ〜。あんたも鉄道マニア
さんかい? それともお金を節約したいのかな?」と、言うところでしょうか?

 下関駅の「みどりの窓口」で買った下関→岡山の乗車
券です。
 「普通の人」は、新下関駅で新幹線に乗り替えるんで
しょうなぁ、ふっふっふ。

 さっそくホームに上がって見ましたが、まだ列車は入線していませんでした。ホームは閑散として
いましたが、2〜3人の乗客がベンチに座って待っていました。

 私が乗車前の最後のトイレを済ませてからホーム中程のベンチに座って待っていると、6:20頃に岡
山行『山陽シティライナー』が入線して来ました。

 下関駅9番ホームに入線した6:39発・岡山行『山陽シ
ティライナー』5342Mです。車両は、ヴェテランの
長距離輸送型である115系でした。
【山口県・下関駅】
 行先表示は電光式に換装されており、「山陽シティラ
イナー・FOR OKAYAMA」の文字が表示されて
いました。
【山口県・下関駅】
 車両は旧式な115系でしたが、シートは転換式クロ
スシートに換装されていました。ひょっとしてこの車両
は、「シティライナー」用に改造された車両なんでしょ
うか?
【『山陽シティライナー』5342M車内】

 発車までにはまだ時間がありましたが、私は最後尾の車両に乗り込みました。発車4分前には隣の
ホームに黄色と白のツートンに塗装されたキハ47系で編成された長門市発・下関行列車が到着し、
その列車から降りた人の何人かが我が5342Mに乗って来ました。

 列車は定刻の6:39に下関を出発しました。私が乗った車両には、私を含めてたった二人しか乗って
いませんでした。さぁ、昨日の飯田線に続いて、また約6時間半の「旅」の始まりです。我ながらよ
−やるわ・・・。(^^;

 今回の下関駅では、列車マニアらしき人をひとりも見掛けませんでしたが、このような馬鹿げた
「企画」を思いつくのは私ぐらいなもんなのでしょうか?

 列車が下関から二つ目の新下関駅に着くと、我が車両にも何人かの人が乗ってきました。私は車両
右側列のシートに座っていたのですが、私と同列の左側のシートにも30代ぐらいの男性が座りました。

 この辺りでブルトレとすれ違いました。どの列車かと思い時刻表を調べてみると、東京発・大分行
の寝台特急『富士』だったようです。

 小月駅到着前の風景です。このあたりの山陽本線は内
陸部を走っているので、平坦な地形が延々と続きます。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 この辺りの駅では乗降は余り無く、乗客の数は10人もいなかったと思います。嘉川駅では、またブ
ルトレとすれ違いました。今度は東京発・熊本/長崎行の寝台特急『はやぶさ/さくら(併結)』で
した。

 ちなみに、『さくら』は常設列車の中では日本一の運行時間を誇る列車であり、寝台列車愛好家を
目指す者としては、ぜいとも「乗覇」せねばならない列車です。

 小郡駅では、何かのスポーツ・サークルの小学生がドドっと乗って来ました。例によってキャーキ
ャーと大騒ぎが始まり、車内は「勘弁してくれ〜」の状況になりました。

 見ると、どうやら引率の大人が付いていないようでしたが、リーダーらしき男の子がいてグループ
を仕切っていました。

 車掌が通りかかると小学生全員が乗り越しの切符を買い始めましたが、余りに数が多いので発券し
ている最中に次の駅の到着時刻が来てしまい、車掌は「ちょっと待ってね」と告げると乗務員室に戻
りました。

 駅を出て再び車掌が現れた時にすべての発券が終わり、小学生達は席に収まってワイワイやってい
ましたが、ほどなく防府駅で降りていきました、良かった・・・。防府駅ではそこそこの客が乗って
きて、座席はほぼ埋まりました。(私の席の通路側は空いていましたが・・・)

 富海駅の手前では瀬戸内海が見えました。もっとも、
海が見えた区間は短かったのですが・・・。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 富海(とのみ)駅の次の駅は、戸田と書いて「へた」と読む駅でした。ま、それが珍しかっただけ
なんですが・・・。(^^;

 福川駅では、またブルトレとすれ違いました。この列車は東京発・下関行の寝台特急『あさかぜ』
です。すれ違うブルトレは、この『あさかぜ』が最後となります。

 これですれ違ったブルトレは計3本。5342Mが走る時間帯は、ちょうど本州から九州/下関方
面へ向かう寝台列車のラッシュ時間だったようですね。

 新南陽駅の構内には、異様に多くの待機線がありまし
た。後日、インターネットで調べたところでは、この駅
は荷役がメインの駅なんだそうです。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 5342Mは、8:31に徳山駅に到着しましたが、乗ってくる客は意外と少なかったです。徳山の二
つ先は下松と書いて「くだまつ」と読む駅でした。同じ文字でも色々と読み方があるもんですな。

 この頃の車内の乗車率は70〜80%程度でした。柳井港駅を出ると、列車は海沿いに出ました。なか
なかいい景色です。

 大畠駅では、私の座席の通路側におばちゃんが座りました。下関から乗ってきて通路側に人が座っ
たのは、これが初めてです。

 大畠駅を出たあたりの車窓から見える瀬戸内海です。
柳井港←→藤生間の山陽本線は海沿いを走っているので
しばらくはこのような景色を楽しむ事が出来ます。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 列車が岩国駅に着いても、あまり乗客は降りませんでした、これは意外ですな。岩国までのすべて
の駅に停車して来た5342Mは、ここから西条までの間は快速となります。

 宮島口駅では、「相方」のおばちゃんが降りて、代わりにおばあちゃんが座りました。この頃の車
内は、ほぼ100%近い乗車率でした。

 ちなみに宮島口駅は、かの有名な厳島神社がある宮島へ渡る船が出ている宮島口桟橋から徒歩3分
の距離にある駅です。

 そして下関を出てから3時間42分、我が5342Mは広島駅に到着しました。さすがにこの駅では、
乗客が大幅に入れ替わりました。

 広島駅です。構内には、黄色と白のツートンに塗装さ
れた気動列車が数多く停車していました。この方面の気
動列車は、この塗装で統一されているようですな。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 広島駅を出発したところで検札がありました。広島を出た列車は海沿いから離れ、山間を登り始め
ました。

 八本松駅手前では登り勾配がきつくなり、列車のモーターの唸りが大きくなりました 。いかにも
重そうに走っています。

 八本松駅手前は登り勾配になっていました。列車のモ
ーター音が大きくなり、いかにも重そうでした。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 三原駅では、対面のホームに岡山行の列車が止まっていました。よーやく岡山との近距離列車が出
るエリアまで辿り着いたようですね。

 三原駅を出ると久々に瀬戸内海が見えました。その次の糸崎駅を出たところで、西瀬戸自動車道の
因島大橋らしき橋が彼方に見えました。

 糸崎駅の先で見えた橋です。たぶん、西瀬戸自動車道
の因島大橋だと思います。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 尾道駅です。急坂で有名な尾道は、実に旅情を誘う街
です。かつて仕事で1度だけ車で通過した事があるのみ
で、残念ながら訪れた事はありません。しかし、いずれ
は散策してみたい街です。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 福山駅では乗客がドカっと降り、車内にはいくらか空席が出来ました。福山は、ここいらの主要都
市であること意外はよく知らない街なのですが、何かあるんでしょうね。

 笠岡駅では、対面のホームに快速『サンライナー』が
入って来るのが見えました。『サンライナー』は、岡山
←→福山間を結ぶ近距離快速です。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 笠岡から三つ目の金光駅では、583系の車両で編成された貸切列車が2編成も止まっているのが
見えました。

 金光には、全国に43万人の信者と1500カ所の教会を抱える金光教の本部があります。この貸切列車
も金光教がチャーターしたものなのでしょう。スゴいなぁ。

 新倉敷駅では、後から到着した福山発・岡山行の快速『サンライナー』が先に発車して行きました。
『サンライナー』が到着すると、我が『山陽シティライナー』5342Mからもかなりの乗客がこの
列車に乗り替えたので、車内はすっかりガラガラになってしまいました。

 おいおい、こちとらはるばる下関から走って来た列車なんやぞ。それを近距離の快速なんぞに先に
行かせるとは、どーゆーつもりや! などと、私は思わず意味不明な苛立ちを覚えてしまいました。

 倉敷駅です。倉敷は、江戸時代の町並みを保存した美
観地区で全国的に知られた街ですね。駅の構内も美観地
区の雰囲気に合わせて、壁が「なまこ壁」風に塗られて
います。
 倉敷は、観光スポットをざっと案内出来るぐらい何度
も訪れた事のある街です。
【『山陽シティライナー』5342Mの車窓より】

 倉敷駅を出た5342Mは、中庄、庭瀬と停車した後、終点の岡山駅に到着しました。下関を発っ
てから6時間24分、停車駅67カ所の旅でした。あ〜疲れた。

 13:03、終点の岡山駅に到着した我が『山陽シティラ
イナー』5342Mです。約6時間半の走行お疲れさま
でした!
 しかし、何とこの列車は、折り返し13:11発の岩国行
『山陽シティライナー』1359Mとして3時間21分の
旅に出るのです。なんともはや、頭が下がります。
【岡山県・岡山駅】
 岡山駅です。この駅は、山陽新幹線、山陽本線が通る
ほか、伯備線、津山線、吉備線、赤穂線、瀬戸大橋線の
各列車の起点駅でもあります。
【岡山県・岡山駅】

 さて、ここから大阪までどうやって戻りましょうか・・・。新幹線で帰れば1時間足らずですが、
それじゃ芸が無さ過ぎます。

 ちゅー事で、このまま在来線で帰る事にしました。在来線で帰ると3時間も掛かってしまいますが、
東京→上諏訪→豊橋の10時間半と、下関からの6時間半の乗車をこなした後では屁みたいなもんです。

 とりあえず13:21発の姫路行普通列車に乗る事にしましたが、途中の網干駅で降りて同駅始発の
14:44発・米原行快速に乗り替えて大阪まで行く事に決めました。

 岡山発・姫路行の列車に乗って上郡駅を出て間もなくの所で特急『スーパーはくと5号』とすれ違
いました。

 兵庫県の上郡と鳥取県の智頭間を結ぶ第三セクター・智頭急行が運行するこの特急は、前々から乗
ってみたかった列車です。(余談ですが・・・)

 網干駅の1番ホームから出発して行く岡山発・姫路行
の普通列車1416Mです。
 このまま姫路まで乗って行くと、向こうでその先の列
車に座れなくなる可能性がある為、この駅で降りて当駅
始発の列車に座って行く事にしました。
【兵庫県・網干駅】
 網干駅3番ホームに入線して来る、14:44当駅始発の
米原行快速784Tです。
【兵庫県・網干駅】

 そして下関を発ってから約9時間半後、私は大阪に帰り着きました。あー疲れた・・・。

 しかしまぁ、夜行快速に寝台列車、6時間半級の普通列車2本の乗車たァ・・・、我ながら今回は
よく乗ったと思います。(^^;

 さて、次の「旅」は1週間後の3連休です。切符はすでに購入済み。その話はまた次回です。(^^;

 『列車まかせの旅』第6弾、おわり・・・。


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