2008年4月13日掲載
『列車まかせの旅』第28弾(2005年4月23日)


 さて、お次は富山地方鉄道の乗り潰しです。同社は、富山県内に鉄道線と軌道線の両方を有してお
り、鉄道線は本線(電鉄富山←→宇奈月温泉間)53.3キロ、立山線(寺田←→立山間)24.2キロ、上
滝線(南富山←→岩峅寺間)12.4キロ、不二越線(稲荷町←→南富山間)3.3キロの4路線、軌道線
は富山市内の大学前←→南富山駅前間で6.4キロの1路線を擁します。

 今回は、行程の都合により、まず軌道線で富山駅前←→南富山駅前を往復。次に鉄道線で特急『う
なづき3号』に乗って宇奈月温泉へ。

 宇奈月温泉から特急『うなづき8号』で再び電鉄富山に戻ったのち、普通列車で立山に向かいます。
立山から普通列車で折り返し、途中の岩峅寺で上滝線列車に乗り換えて電鉄富山に戻り鉄道線を完乗。

 最後に軌道線の富山駅前←→大学前間を往復して富山地方鉄道の完乗となります。軌道線の乗車を
2回に分け、間に鉄道線の乗車を挟んだのは、特急『うなづき』のダイヤとのカラミのためです。

 富山駅前電停に到着する南富山駅前行です。車両は8
000形。1993年から運用されている車両で、VVVF
インバータ装備の同社軌道線における最新鋭車両です。
【富山県・富山地方鉄道・富山駅前電停】
 8000形の車内です。新しい軌道線車両ならではの
明るくて開放感のある車内ですが、利用者の減少に応じ
て、車体は先代の7000形より小型で乗車定員数も少
なくなっているそうです。
【富山地方鉄道・軌道線・南富山駅前行車内】

 富山駅前を出た電車は、200メートル走って次の地鉄ビル前に着。同電停では数人が乗りました。
下車する乗客の様子を見ると、ここの路線では、駅着前に運賃を運賃箱に入れておくのが流儀のよう
ですな。

 電気ビル前、桜橋、荒町、西町と乗降なし。次の上本町では残り5人となりました。路面電車路線
の常として沿線は街中であり、これと言って目につくものもありません。

 広貫堂前での乗降なし。西中野でひとり降りて残り4人。小泉町乗降なし。堀川小泉でひとり降り
て残り3人。

 次の大町でもひとり下車。前方に見えた鉄道線の線路手前で右に曲がると、乗客ふたりで電車は終
点の南富山駅前に到着しました。

 南富山駅前電停のホームは、鉄道線の南富山駅のホー
ムと構内踏切で繋がっており容易に乗り換えが出来るよ
うになっていました。手前から奥に延びる線路は軌道線
のもので、その向こう側に鉄道線のホームと、停車して
いる10020系電車が見えます。
【富山県・富山地方鉄道・南富山駅前電停】

 私が乗って来た電車は、降車ホームから乗車ホームに転線すると、鉄道線からの乗換え客を乗せ、
乗車率80%ほどで発車して行きました。なるほど、郊外から鉄道線で来て、ここで路面電車に乗り
換えて市内に向かう分けですな。

 南富山駅です。鉄道線の上滝線、不二越線の境界駅で
あり、軌道線の末端駅でもあります。同駅には軌道線の
車庫と研修センターがあります。
【富山県・富山地方鉄道・南富山駅】
 南富山駅の北側にある鉄道線、軌道線併用踏切です。
手前の線路が鉄道線、奥側の線路が軌道線です。写真左
奥には南富山駅の駅舎が見えます。
【富山県・富山地方鉄道・南富山駅】

 当初の予定では、ここでは8分で折り返す事にしていました。私は、駅周辺をざっと撮ると電停に
戻りました。

 南富山駅前電停の乗車ホームに停車中の大学前行。車
両は7000形です。1957年から1965年にかけて製造さ
れた車両で、現在でも富山地方鉄道・軌道線の主力車両
です。
【富山県・富山地方鉄道・南富山駅前電停】

 大学前行は乗客4人で発車しました。鉄道線からの乗換え客がなければ、ここから乗る人は、こん
なもんなのでしょう。

 7000形は、「コォーーーーン」と言う古いモーター音を響かせながら走り、途中の電停で乗客
をふたり増やして富山駅前に着きました。それでは鉄道線に乗り換えて宇奈月温泉に向かいましょう。

 富山地方鉄道の電鉄富山駅です。商業ビル『エスタ』の1階に駅
があります。同ビルには富山地鉄ホテルも併設されています。
【富山県・富山地方鉄道・電鉄富山駅】


第3部:「ちょっとこだわりの列車」その34/
    富山地方鉄道・特急『うなづき3号』

 宇奈月温泉までは、特急『うなづき3号』に乗ります。富山地鉄の特急は有料であり、特急料金が
必要です。私は自動券売機で宇奈月温泉までの乗車券と特急券を買いました。

 電鉄富山→宇奈月温泉の乗車券です。乗車距離53キ
ロで1,760円は、JRと比べると割高ですな。
 電鉄富山→宇奈月温泉間の特急券です。同じ距離をJ
Rの特急に乗ると、B特急料金でも900円以上取られ
ますから、こちらは格安ですな。とは言え、リクライニ
ングしない座席などの居住性を考慮すると200円は妥
当な金額かもね。

 地方の駅では、JRも私鉄も発車時間が近づかないと改札を行わない事がよくあります。それは、
ここ富山地鉄でも同じでした。改札が開くまで、しばし待機。

 電鉄富山駅に停車中の宇奈月温泉行・特急『うなづき
3号』です。車両は14760系。1979年から製造された車
両で、富山地方鉄道で初の冷房車だったそうです。
【富山県・富山地方鉄道・電鉄富山駅】
 14760系の車内です。26年前に製造された車両だけ
に内装も古びてますな。
【富山地方鉄道・特急『うなづき3号』車内】
 14760系の座席です。転換クロス・シートで座り心地は柔らかく
て良好でした。
【富山地方鉄道・特急『うなづき3号』車内】

 列車は2両編成で、1号車は自由席、2号車は何と指定席でした。指定席は、とうぜん指定料金を
取られるのでしょうが、座席は自由席と同じでした。それにしても、指定席車が設定されていると言
う事は、時期によっては混むんやろか?

 自由席車の車内で発車を待っていると、乗り合わせていた熟年カップル2組がトロッコ列車に乗る
話をしていました。

 宇奈月温泉からは黒部峡谷を走り欅平に至る観光鉄道である黒部峡谷鉄道が出ており、トロッコ列
車が運行されているのです。

 特急『うなづき3号』は定刻に電鉄富山から発車。しばしJR北陸本線と平行した後、右へとカー
ブしました。その先にある稲荷町駅は本線と不二越線の分岐駅ですが特急は通過します。

 発車して5分ほどで検札が来ました。検札している青年は背中に「富山地鉄」と書かれた蛍光色の
ジャンパーを着ており、どう見ても正規の車掌とは思えません。

 特急『うなづき3号』はワンマン運行ですが、富山地
鉄の社名入りスタッフ・ジャンパーを着た車掌係(?)
が乗っていました。どう見ても地鉄の職員には見えませ
ん。バイトでしょうか?彼は検札と発券は行いますが、
ドア扱いはしません。
【富山地方鉄道・特急『うなづき3号』車内】

 車掌係(?)君は、挨拶が丁寧で非常に好感が持てました。しかし、バイトの男性車掌ってのは、
この記事を書いている時点でも見た事がないような気がします。

 列車は、何だか知りませんが揺れに揺れました。果たして線形が悪いせいなのか、それとも旧型車
両ならではのサスペンションのせいか・・・?

 電鉄富山から10分ほどで最初の停車駅となる寺田に到着。同駅は、富山地鉄における2大幹線で
ある本線と立山線の分岐駅です。

 同駅の駅舎は田舎にありがちな古くさいボロ駅舎でした。当時の私は列車以外には入れ込んでいな
かったので、その駅舎を見ても何とも思わなかったのですが、古い駅舎を訪ねる「いい駅めぐり」を
始めた現在の価値観で見ると、寺田駅の駅舎は、ここを訪れるだけでも富山に来る値打ちがある素晴
らしいものでした。

 この古い駅舎が残されているのは、たぶん改築するための資金がないからだとは思うのですが、後
に調べたところ、富山地鉄には、このような古い駅舎がゴロゴロしており目移りするほどでした。

 それらを巡るために、フリーきっぷを買って、もう一度乗りに来るだけの値打ちがある路線だと個
人的には考えています。

 寺田駅を出た列車は、越中泉、相の木の2駅をパスし、なぜかホームが頭端式になっている上市駅
に到着。

 同駅でスイッチバックして進行方向が変わりましたが誰も座席を反対側に倒そうとしません。面倒
だからだろうか?

 上市から線路は北に向かいます、進行方向右手には立山連峰の山並みが見えましたが、山頂付近に
は、まだ雪が残っています。あそこは、さぞかし寒いんやろなぁ・・・。

 西滑川駅を過ぎると線路は大きく右にカーブして海岸線と平行になり、左側にJRの北陸本線が並
びました。

 その先で中滑川に停車。同駅では4人降りてひとり乗りました。中滑川は滑川市役所の最寄り駅で
すが、JRの方には駅がありません。

 西滑川から新魚津の先まで富山地鉄とJRは寄り添っていますが、この間にあるJRの駅が3駅な
のに対して富山地鉄は8駅もあり、私鉄ならではの地元密着ぶりが伺えます。

 越中中村駅を過ぎると北陸本線をアンダークロスし、富山地鉄の方が海側に出ました。そのすぐ先
で徐行したと思ったら、西魚津駅通過中に上り列車と交換しましたが、何と両列車とも停車せずに通
過しながら交換しました。おいおい、マジかい!

 この記事を書いている時点で、私は82回の正規「旅」と30回の小旅行をこなしていましたが、
両列車が通過しながら交換するのは見た事がありません。

 こんな芸当をするには、両列車の通過タイミングがドンピシャになるように調整し、列車通過後の
ポイント切り換えを遅滞なく確実に行わなければなりません。

 もしそれらをひとつでもしくじれば、即、衝突や脱線事故に繋がるのです。富山地鉄は、よほど列
車運行管理が出来ているのでしょう。

 その先で線路の高さがJR線と同一レベルになったと思ったら、北陸本線上を新潟へと向かう特急
『北越』が追い抜いて行きました。

 『北越』に使用されている車両は国鉄時代の485系であり、私が乗る『うなづき』の14760系より
も古いのですが、同じ有料特急同士とは言え、あちらは正規の特急型車両なのに対して、こちらは近
郊型であり格の違いを感じました。

 追い抜かれてすぐに列車は電鉄魚津に停車。同駅ではひとり乗りました。さらに2分走って新魚津
に到着。

 同駅はJRの魚津駅と隣接しており、魚津の中心部にあります。新魚津では10人以上が乗って来
ました。中には指定席車に乗った人もいましたが、すぐに自由席車に移って来ました。間違えたんで
すな。

 新魚津を出て間もなくJR線は右へと曲がって行きました。経田、電鉄石田の2駅をパスし、その
先で北陸本線をオーバークロスして電鉄黒部駅に停車。同駅では2人降りてひとり乗車。

 僅か500メートル走って次の東三日市に停車。同駅の方が電鉄黒部より黒部市役所に近いのです
が乗降はありませんでした。

 9分走って浦山駅に停車。同駅ではホーム長が足りないのか1両目のみのドア扱いとなり、ひとり
が降りました。

 さらに5分で最後の途中停車駅となる愛本に到着。同駅では5人降りました。同駅は黒部市宇奈月
庁舎(旧宇奈月町役場)の最寄り駅で、宇奈月温泉へと続く谷の入口にあります。

 愛本を出た『うなづき3号』は山間に入り、8分で終点の宇奈月温泉に到着。電鉄富山からは1時
間7分の乗車でした。

 宇奈月温泉駅です。駅舎はログ・ハウス風の立派な建
物で、文字通り宇奈月温泉街の中にあります。
【富山県・富山地方鉄道・宇奈月温泉駅】
 山間部にある宇奈月温泉の背後には2000メートル
級の山々が迫っています。いかにも山岳部に来た気分に
なりますな。
【富山県・富山地方鉄道・宇奈月温泉駅】

 宇奈月温泉には、かつて仕事で富山に1ヶ月程度滞在した際に何度か(仕事で)訪れました。私は
当時を懐かしく思いながら思い出の場所を巡りました。

 富山地方鉄道の宇奈月温泉駅に隣接する黒部峡谷鉄道
の宇奈月駅構内には機関車や客車の姿がありました。こ
の写真に写っているのはEDM30形電気機関車のよう
です。
【富山県・宇奈月温泉】
 宇奈月温泉駅のホームから見た黒部峡谷鉄道のヤード
です。たくさんの客車が停まっていました。
【富山県・富山地方鉄道・宇奈月温泉駅】

 黒部峡谷鉄道は、宇奈月温泉から欅平間で20.1キロの路線を有します。元々は黒部ダム建設の資材
輸送用に敷設された専用鉄道でしたが、当初から登山客や観光客からの要望により「便乗」の形で客
扱いを行っていたそうです。

 その後、乗客の増加や地元からの強い要望により、鉄道免許を得て正規の鉄道として営業を開始し
現在に至っていますが、現在でもダム関連の人員や資材輸送は行われています。

 路線末端の欅平から先も黒部ダムに至るまで線路は敷かれていますが、こちらは同ダムを所有する
関西電力の黒部専用鉄道の路線であり、一般客は乗車する事が出来ないため、黒部ダムへの観光ルー
トとしては利用出来ません。

 この「旅」当時の私は、黒部峡谷鉄道を乗車対象にしていなかったのですが、全国の鉄道乗覇を目
指している今から思えば、この時、同鉄道に乗っておけば良かったと後悔しています・・・。

 さて、お次は立山線を乗り潰すべく立山へと向かいますが、まずは乗って来た列車の折り返しとな
る特急『うなづき8号』に乗って、いったん電鉄富山まで戻ります。

 宇奈月温泉駅に停車中の特急『うなづき8号』です。
ここまで乗って来た特急『うなづき3号』の折り返し列
車です。
【富山県・富山地方鉄道・宇奈月温泉駅】

 特急『うなづき8号』は、私の乗る車両の乗客5人で宇奈月温泉から発車しました。いつもこんな
乗車率なのか、それともまだ時間が早いから客が少ないのかは分かりません。

 車での移動が便利になった時代とは言え、宇奈月温泉は鉄道の便が良く、県外の遠隔地から訪れる
のであればJRと富山地鉄を乗り継いだ方が車より楽だと思うのですが・・・。

 富山へと向かう車内では、例の車掌係(?)君が乗客から何かを尋ねられ、「アルバイトです」と
答えるのが聞こえました。やっぱりね。

 愛本の次に停車した駅では、いかにも「特急」と言わんばかりの仰々しい外観をした 車両と交換
しました。たぶん、元西武の特急『レッドアロー号』だった16010系でしょう。

 特急『うなづき8号』は、途中駅で若干、乗客を増やして13:44に終点の電鉄富山駅に 到着しまし
た。さて、立山線に乗り換えです。

 電鉄富山駅に停車中の立山線・普通329列車です。
車両は10030系。同車は元京阪の特急車3000系を譲
り受けたものです。
【富山県・富山地方鉄道・電鉄富山駅】
 10030系の転換クロス・シートです。本家京阪で唯一残っている
3000系の方は座席が新しいものに換装されているため、この座
席こそがオリジナルなのかも知れません。
【富山地方鉄道・立山線・普通329列車車内】
 10030系の車内です。特急『うなづき』で乗った14760
系よりは新しい車両なんですが、内装は似てますな。
【富山地方鉄道・立山線・普通329列車車内】

 本当は立山線も特急に乗りたかったのですが、ちょうど良い時間の列車がなかったため普通列車で
の移動となりました。

 ま、もっとも、乗る路線をじっくり観察するのであれば、特急より普通列車の方が都合は良いので
すがね。

 普通329列車は、私の乗る車両の乗車率30%ほどで電鉄富山から発車しました。同列車は途中
の寺田までは本線を走ります。特急『うなづき』では通過した駅にひとつひとつ停まり、各駅ごとに
乗降がありました。

 越中荏原駅では、旧『レッドアロー』との交換がありました。出来れば、あの車両にも乗りたいの
ですが、今回はその機会はなさそうです。

 ワンマン運行の普通329列車は、無人駅ではワンマン乗降を行いました。見れば富山地鉄の駅舎
は古い物が多くありました。

 と、思っていたら舟橋駅は新しい駅舎でした。ここは立て替えられて村立図書館との合造駅舎にな
っているそうです。

 次に停車したのは立山線の起終点駅でもある寺田駅。同駅では本線と立山線のホームが別々になっ
ていて両ホームはV字型を成していました。

 寺田を出て立山線の乗り潰しが始まります。稚子塚と田添の2駅は棒線駅でした。榎町では中学生
らしき子供たちが15人ほど乗車し車内は一気に賑やかになりました。

 立山連峰を左に見つつ不二越線との乗り換え駅である岩峅寺に到着。同駅では中学生が降り、再び
車内はガラガラで静かになりました。

 岩峅寺を出ると沿線の家屋が減り、路線は山間へと入りました。

 
 横江駅の駅舎です。古くて何ともいい感じの駅舎です
が、後に調べたところ富山地鉄は古い駅舎の宝庫だった
のです。
【富山地方鉄道・立山線・普通329列車の車窓より】

 沿線の風景は一気に山線っぽくなりました。車窓からの風景を何気に眺めていると、あるトンネル
を出たところで左側の斜面に鹿がいるのを見つけました。

 すると前の席に座っていた男の子が、もう1頭、鹿を見つけたと騒いでいましたが私は見つけられ
ませんでした。何はともあれ、鉄道に乗っていて野性の鹿を見たのは、これが初めてです。

 有峰口では列車交換がありましたが、なぜか双方の列車とも右側のホームに停車しての交換となり
ました。同駅を出ると残雪がチラホラ見えるようになりました。

 常願寺川に架かる立山大橋です。2000年に開催された
富山国体冬季大会のメイン会場である立山山麓スキー場
へのアクセスルートとして1999年に完成したそうで、ア
ーチの長さは県道橋としては日本一なんだそうです。
【富山地方鉄道・立山線・普通329列車の車窓より】

 そして普通329列車は、電鉄富山を出て1時間2分後に終点の立山駅に到着。列車から降りた乗
客は全部で6人でした。

 立山線の末端となる立山駅です。宇奈月温泉駅と同様
駅舎はログ・ハウス風のデザインです。同駅には立山開
発鉄道・立山ケーブルの立山駅が隣接しています。
【富山県・富山地方鉄道・立山駅】

 ちなみに、富山地鉄の立山線は黒部ダム観光ルートを構成する路線のひとつです。JRが発売して
いる「立山黒部アルペンきっぷ」では、電鉄富山駅→(富山地鉄・立山線)→立山駅→(立山ケーブ
ル)→美女平駅→(立山高原バス)→室堂→(立山トロリー・バス)→大観峰駅→(立山ロープウェ
イ)→黒部平駅→(黒部ケーブル・カー)→黒部湖駅→黒部ダム→(関電トロリー・バス)→扇沢→
(路線バス)→JR大糸線・信濃大町駅と言ったルートになっています。

 私と共に列車から降りた客は6人でしたが、駅舎を出て見ると前の駐車場には、すごい数の乗用車
と観光バスが停まっていました。

 どうやら、黒部ダム観光ルートは大盛況のようですが、ここ立山までは列車より車で訪れる人々が
多いようです。

 何と言っても車やバスならば他の観光地と組み合わせて自由にコースが設定出来ますから列車より
も便利ですわな・・・。

 立山駅の近くにある道路橋には大型観光バスがずらり
と並んで停まっていました。駐車場の空き待ちをしてい
るのでしょうか?
【富山県・立山】
 立山駅の近くには国土交通省の立山砂防事務所があり
その敷地内には立山砂防工事専用軌道の車両基地があり
ます。
【富山県・立山】

 立山砂防工事専用軌道は鉄道雑誌のスイッチバック特集に登場していたため、その存在は、かねて
から知っていました。

 同線は常願寺川の砂防ダム建設用に敷設された鉄道であり、砂防事務所から上流にある水谷出張所
まで18.2キロの路線を擁しますが、工事用の専用線のため一般の旅客輸送は行っていません。

 ちなみに、同軌道は路線中に合計42ものスイッチバックがあり、これは世界一の多さなんだそう
です。また、路線途中の樺平には連続18段のスイッチバックがあり、連続スイッチバック数として
は、これも世界一なんだそうです。

 路線的に面白そうですし、同軌道には作業員輸送用のトロッコ客車もあるので、有料で観光客を運
べば良い収入源になりそうな気もするのですが、鉄道雑誌で見た同軌道の写真では、仮設に毛が生え
た程度の軌道であり、安全面で旅客輸送には適さないのでしょうな。

 立山駅←→美女平間を結ぶ立山ケーブルの軌道です。
この写真には写っていませんが、ケーブル・カーが台車
を牽いて登って行くのが見えました。
【富山県・立山】

 この「旅」当時の私は、鉄道以外の交通機関には、ほとんど興味がなかったため、黒部ダム観光ル
ートは旅行記の対象と見なしてはいませんでした。

 ところが、全国鉄道乗覇を目指し始めた過程でトロリー・バスも法律上は鉄道と見なされている事
を知り、現在では、この黒部ダム観光ルートも旅行記の対象に含まれる事となりました。

 しかし、このバスや車の数は尋常ではありません。観光客の数は相当なものでしょうが、果たして
アルペン・ルートの各交通機関は乗客をサバけとるんかいな・・・?

 ここでの滞在時間は36分しか見ていません。立山駅周辺をサクっと見た私は、早々に駅に戻りま
した。

 さて、お次は富山地鉄・鉄道線では最後の乗車路線となる上滝・不二越線に乗ります。まずは同線
の乗換駅である岩峅寺まで戻りましょう。

 電鉄富山行・普通334列車は乗車率70%ほどで立山駅から発車。その車中で次に乗る列車をチ
ェックしていた私は何と行程表にミスがあるのを見つけてうろたえました。くそっ!

 急遽、車中で行程の練り直しを行い、ほぼ終わったところで列車は岩峅寺に到着し、私は大慌てで
飛び降りました。

 岩峅寺駅の上滝線ホームに停車中の電鉄富山行です。
車両は特急『うなづき』と同じ14760系です。
【富山県・富山地方鉄道・岩峅寺駅】

 電鉄富山行は、私の乗る2両目は乗客5人で岩峅寺から発車しました。最初の停車駅である大川寺
はコンクリート製のシェルターの下にホームがある駅で、周辺は田んぼとまばらに家屋がある風景で
した。

 道中、小杉駅に至るまでに2両目に乗車はありませんでした。上滝・不二越線てのは利用者が少な
いんかな?

 そこから先、私は不覚にも寝込んでしまい、気がつくと列車は乗客が5〜6人増えた状態で終点の
電鉄富山に到着しました。岩峅寺から30分ほどの乗車でした。

 それでは最後に、富山地鉄・軌道線の富山駅前←→大学前に乗りましょう。

 富山駅前電停に到着する大学前行です。車両は700
0形。
【富山県・富山地方鉄道・富山駅前電停】

 到着した大学前行は満員でしたが、ここであらから降りてしまい、発車した時に車内にいた乗客は
9人でした。

 道中、安野屋で交換停車があり、同電停を出ると線路は単線になり、すぐに神通川に架かる富山大
橋を渡りました。

 道路は渋滞していましたが、我が路面電車は、それを尻目にスイスイ走ります。これが路面電車の
強みなのです。

 しかし、路面電車の良さが何処でも理解されている分けではなく、岐阜市内を走っていた名鉄の軌
道線などは利用者が低迷していた上に交通渋滞の元凶として地元から疎まれ、廃止されてしまったの
です・・・。

 この記事を書いている時点で、私は函館市電と東京の東急・世田谷線、都営交通局を除く全国の路
面電車(軌道線)14路線に乗って来ましたが、現在、残っている路線で利用者が少なかったのは阪
堺電車の堺エリアと富山の万葉線ぐらいなもので、後の路線は地元の足として十分に活躍しているよ
うに見えました。

 運行本数が多くて運賃も安い路面電車は、市内外を移動するのに手軽で良いと思うのですが、都市
の規模や道路の幅、交通量などとのバランスが取れていなければ生き残れないようですな。

 ともあれ、我が電車は富山駅前から11分で終点の大学前に到着しました。

 富山地方鉄道・軌道線の大学前電停です。道路の両側
に渡れるよう陸橋が整備されています。写真右手には野
球場や競技場を備えた五福公園が広がります。
【富山県・富山地方鉄道・大学前電停】

 大学前電停の名前の由来となっている富山大学のキャンパスは電停の北西側に広がっており、電停
から校門までは300メートルほどしか離れていません、学生達にとっては路面電車は通学の足にも
ってこいでしょう。

 電車から降りた私は、周辺に何となく見覚えがあったので、県道44号線に沿って北西に向かって
歩きました。かつて富山で仕事をした際は、車で市内をあちこち移動したので、ここも通ったかも知
れませんな。

 その先で、かつて仕事で通ったと思しき場所に出ましたが、思い出の現場までは徒歩で行ける距離
ではなかったので行くのは諦めました。

 見ればそこに公園があったので入って見ました。園内に人影は少なく閑散としています。何やら遊
歩道らしき道がトンネルを潜っていたのでそちらへ歩いて行くと、その道は登りになり森の中へと入
って行きました。

 何やら遊歩道があったので歩いて見ました。ここは富
山の街中なんですが、まるで田舎の山道みたいな雰囲気
ですな。
【富山県・富山市・呉羽丘陵】

 後に調べたところ、それは幅は狭いものの長大な長さを持つ呉羽丘陵の一角でした。同丘陵は、延
長22キロにも及ぶ呉羽山断層の西側が持ち上がって出来たものであり、西側はゆるやかな斜面にな
っているのに対し東側は急斜面になっているそうです。

 呉羽丘陵によって富山平野は2分されており、東側は「呉東」、西側は「呉西」と呼ばれ、それぞ
れ異なる文化が育まれて、東側は関東文化圏、西側は関西文化圏になっているとか・・・。

 同じ平野の中で、最高地点でも標高145メートルしかない狭い丘陵地帯を挟んで異なる文化圏が
形成されるとは、何とも面白い話しですな。

 ちょっとした田舎の山歩きを楽しんだ(?)私は、再び県道44号線に降りて大学前電停へと戻り
ました。

 大学前電停に到着する富山駅前方面行です。電停のホ
ームには、富山大学の学生と思しき若者が大勢待ってい
ます。富山地鉄の軌道線は、彼らの通学の足として活用
されているようですな。
【富山県・富山地方鉄道・大学前電停】

 富山駅方面行きの電車は、満員で大学前電停から発車しました。見ればホームには、まだ学生の姿
があります。彼らは乗れなかったと言うより混雑を嫌って1本後の電車に乗る事にしたのでしょう。
10分ほど待てば次の電車が来ますしね。

 我が電車は15分ほどで富山駅前電停に帰着。これで今回の「ミッション」は完遂です。それでは
大阪に帰りましょう。

 富山駅に停車中の大阪行・特急『サンダーバード50
号』。車両はJR西日本で最新鋭の特急型電車である6
83系です。
【富山県・富山駅】

 駅の構内放送では、『サンダーバード50号』が大阪行の最終特急である旨の案内が流れていまし
た。この列車に乗らないと、列車では本日中に大阪へと戻る事は出来なくなります。

 19:47に私は『サンダーバード』に乗り込みました。車内で待っていると、右手のホームから特急
『はくたか』が出て行くのが見えました。

 定刻の19:54、『サンダーバード50号』は富山駅から発車しました。今回の「旅」で唯一となる
リクライニング・シートは、なんとも快適に感じますな。

 列車が金沢に停車した際には、第三セクター鉄道の北越急行の塗装が施された681系とJRの同
形車の混結編成が停まっているのが見えました。

 北越急行は、信越本線の犀潟駅と上越線の六日市駅間を結ぶ第三セクター鉄道で、同線を経由して
金沢←→越後湯沢間でJR西日本が特急『はくたか』を運行しています。

 車両はJR西日本の681系が使用されていますが、北越急行も『はくたか』用に自社で681系
を購入しており、JRの車両と共通運用が行われているのです。

 金沢では、我が列車の後方に3両増結しました。増結した車両は、能登半島の和倉温泉駅から来た
『サンダーバード50号』の和倉温泉編成です。ここでは車掌も女性車掌と交代しました。

 同駅を発って2時間9分後に京都に到着。ここでは大勢が降りました。同駅を出た『サンダーバー
ド』は快調に飛ばし始めましたが、普段から新快速の130キロ運転に慣れているので、そんなに速
くは感じません。

 23:12に新大阪に到着。しかし、もはや乗り換えようにも新幹線は走っていない時間帯です。それ
から3分後に大阪駅に帰着。

 大阪駅で特急から降りると、ホームの列車案内板には
寝台特急『はやぶさ/富士』の名前が出ていました。
【大阪府・大阪駅】

 列車が着いた3番線は、改装されて真新しくなっていました。ふと見ると、構内の10番線には急
行『きたぐに』が停まっていました。今回の「旅」は『きたぐに』に始まり『きたぐに』で終わりま
したな・・・。

 『列車まかせの旅』第28弾、おわり。


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