「旅」の目的 |
今回の目標は、富山県内に鉄道線と軌道線の両方を有する富山地方鉄道と、当時、廃止が懸念され
ていた第三セクターの神岡鉄道に乗りに行きます。
第1部:「夜行列車愛好家への道」その21/急行『きたぐに』(3回目) |
今回の「旅」は北陸と言う事で、お約束の『きたぐに』利用と相成りました。同列車に乗るのは、
これで3回目となりますが、1回目がB寝台、2回目が座席のグリーン車だったので、今回は自由席
のボックス・シートに乗る事にしました。
ちなみに、急行『きたぐに』のプロフィールについては、旅行記第7弾の冒頭に書いてありますの
で、そちらを御参照下さい。
23時に大阪駅に行くと、『きたぐに』の自由席乗車位置には乗客が並んでいましたが、後ろ寄り
の車両位置には行列が出来ていたのに対し、前よりの車両には数人しか並んでいません。
どうやら後ろの禁煙車の方が人気があるようですな。出来れば禁煙車に乗りたいのですが、並んで
いる人数的に微妙です。私は人数の少ない喫煙車前に並びました。
大阪駅に入線する急行『きたぐに』です。車両は国鉄 時代に製造された古い583系で、今や常設列車でこの 車両を使っているのは『きたぐに』のみです。 【大阪府・大阪駅】 |
583系の自由席のボックス・シートです。583系 のウリであるB寝台/一般座席両用席の座席形態がコレ です。同ボックス・シートには、余剰となった583系 を近郊型化改造した車両である419系で、すでに乗車 済ですが、やはり「本物の」583系のやつに乗りませ んとね。 【急行『きたぐに』車内】 |
座席の通路側の肘掛けには収納式のミニ・テーブルが 付いていました。こんなに小さいと、弁当を置くと何も 置けなくなります。特急型車両の座席テーブルとしては いささかお粗末ですな。 【急行『きたぐに』車内】 |
荷物棚の上には、収納状態の中段/上段寝台が見えま す。かつては、これを引き出したり収納したりして運用 していたのでしょうが、『きたぐに』では、座席使用車 と寝台使用車は、それぞれ固定して運用しているのでは ないでしょうか? 【急行『きたぐに』車内】 |
長時間の乗車となる夜行列車はリクライニング・シートでもキツいものですが、583系のボック
ス・シートで行ける事に私は嬉々としていました。ずっとボックスをひとりで占有出来るといいので
すが・・・。
見れば右側の席に座っているオジさんは、さっそく缶チューハイとおつまみで一杯やっています。
お酒が飲める人は、飲んでさっさと寝るのが定番と言うところでしょうか?
席で発車を待っていると早くも検札が来ました。これは夜遅く発車する『きたぐに』ならではの配
慮であり、乗客に少しでも早く休んでもらうためです。
検札に来た若い車掌は手つきが不慣れだったものの、にこやかに応対しており、ひとりひとりに切
符を返す際に到着時刻を告げていました。
私の切符をチェックした車掌君は、「富山は4時と32分に着きます」と教えてくれました。なん
ぢゃそりゃ?
それはともかく、他の乗客を検札しているのを聞いていると、どうやら金沢で降りる人が多いよう
ですな。
近くにいた2人組のビジネス・マンが検札を終えたあと「急行は安いよね」と話すのが聞こえまし
た。彼らがどこまで乗るのかは分かりませんが、仮に新潟まで行くとしたら、東海道/上越新幹線経
由で行くと2万2,360円掛かるのに対し、『きたぐに』の自由席なら1万2,090円で行けますからな。
発車5分前になると、すべてのボックス席にひとり以上が座りました。そこへスーツ姿の男性が入
って来ましたが、相席するのを嫌ってか後ろの車両に行きました。
が、男性はすぐに戻って来て、今度は前の車両に行きました。前には寝台車とグリーン車しかない
のだが・・・。
案の定、男性は戻って来ると、よりによって私の席に来て、相席するため「すみません」と声を掛
けて来ました。断る分けにも行かず、私はうなづきました。くそっ!
『きたぐに』は、定刻の23:27に大阪駅から発車しました。列車が新大阪に着くと3人が乗車。同
駅を出ると再び車掌が検札に来ました。
車掌が我が席に来ると、相席のスーツさんは何と京都までの急行券(530円)を求めました。京
都やったら、わざわざ『きたぐに』に乗らんでも7分後に出る野洲行の快速があるし、京都に着く時
間だって11分しか変わりません。
この人は、列車を乗り間違えたのかとも思いましたが、『きたぐに』は、大阪駅では特急用のホー
ムから出るし、ましてや列車案内板には新潟行と表示されているので、乗り間違える事は、まずない
はずです。不思議だ・・・。
あれこれ考えてみたものの、ひょっとしたら阪急や京阪の「ノリ」で急行に乗ったら有料やったと
言う間抜けなオチかも知れんな・・・。
京都に着くと、相席のスーツさん以外にも、もうひとり降りました。他にもおるんやなぁ、京都ま
で乗る人って。
同駅では5人乗って来ました。その中の若い兄ィちゃんが私の席に来ると「ここ空いてますか?」
と尋ねました。くそっ!
大津でもひとり乗車。車内の温度は少し涼しいぐらいでした。0:30に放送休止。寝台車は減光され
ますが座席車は、そのままです。
米原に着くと数人が降り、入れ替わりに7〜8人が乗りました。同駅では11分停車。停車中に左
に2線向こうのホームに当駅止めの快速836Mが着くと、スーツ姿の男性ひとりが我が車両に乗り
換えて来ました。
米原を後にし、1:12に着いた長浜では3人下車。同駅を出ると列車はデッド・セクションを通過し
交流電源エリアに入りました。
ちなみに、この記事を書いている時点では、直流電源エリアが敦賀まで延長され、デッド・セクシ
ョンも敦賀の先に変わっています。
ふと見れば私の席の若い相棒は爆睡しており、検札に来た車掌も起こすのを諦めて素通りしました。
では、私も寝る事にしましょう・・・。
寝たかどうか分からない内に金沢到着。同駅では7〜8人が降りました。ここでは33分の長時間
停車をします。
下車客の喧騒が収まってから5〜6分後、スーツ姿の男性が、ガバっと起き上がるとドタバタと降
りて行きました。どこか途中の駅で降りそびれたんかな?
トイレに行った際に洗面台をふと見ると温度調整ツマ ミがありました。車内で温水が使える車両は、これまで 寝台特急の客車でしか見た事がありません。ま、583 系も寝台の特急型車両ですからな。 【急行『きたぐに』車内】 |
金沢停車中に席でうとうとしていると、2線左の停車線を赤いEF510形電気機関車に牽かれた
貨物列車が追い抜いて行きました。
さらに停車中に上り下りの貨物列車が2本ずつ通過して行きました。日本海側を走る北陸本線、信
越本線、羽越本線、奥羽本線は、ひとまとめにして通称「日本海縦貫線」と呼ばれており、関西以西
←→北日本間を結ぶ貨物列車の大動脈になっているのです。
ふと車内を見渡すとガラガラになっていました。いつの間に降りたんだろう? 大阪を出て約4時
間、やっぱ長時間の座席はキツいな・・・。
3:52に金沢を後にした『きたぐに』は27分で高岡に到着。同駅では2人降り3人乗りました。乗
って来たひとりはマフラーをしています。おいおい、ひょっとして外は寒いんか?
外を見ると、ようやく夜が明け始めていました。高岡から12分で列車は富山に着きました。さぁ
降りましょう。
富山駅に到着した急行『きたぐに』です。時間は朝の 4:32、まだ夜は明けていません。 【富山県・富山駅】 |
未だ夜の明けやらぬ富山駅です。同駅を訪れるのは旅 行記第16弾以来ですな。 【富山県・富山駅】 |
さぶっ!4月とは言え、富山の朝の気温は、さすがに低いですな。私は持参していたジャンパをカ
バンから取り出して着込みました。
まずは神岡鉄道に乗るので高山本線に乗り換えて猪谷まで行きますが、列車は6:08までありません。
時間つぶしに駅の周囲をブラつく事にしました。
モーニング・コーヒー用に、自販機でお気に入りの銘柄である『ジョージア/テイスティ』を買い、
ちびちびと飲りながら、余り馴染みのない駅の北側を歩いてみました。
富山駅の北側は、後から開発されたのか、広い目抜き通りがあり、その両側には整然とビルが建ち
並んでいました。いかにもオフィス街といった雰囲気です。
駅周辺には、これと言って見るものもなく、私は5:40に駅に戻りました。地方の初発列車は早々と
入線する場合があるので早めに戻る事にしたのです。
猪谷行が出る1番線に行って見ると、まだ列車の姿はありませんでしたが、対面プラットフォーム
との間にある中間線に猪谷の方向幕を掲出したキハ120が停まっていました。たぶん、アレがそう
でしょう。
ホームで待っていると、まず5:51発の小松行・普通列車が入線して来ました。車両は、私のお気に
入りである急行型のひとつ475系です。
続いて対面の2番線に金沢行の寝台特急『北陸』が到着。目の前の小松行が出て行くと、中間線に
いたキハ120が転線して1番線に入って来ました。
富山駅に停車中の高山本線・猪谷行・普通840Dで す。車両はキハ120形の単行。どうやら高山本線の富 山←→猪谷間の乗客は少ないようですな。ちなみに、右 に写っているブルー・トレインは金沢行の寝台特急『北 陸』です。 【富山県・富山駅】 |
普通840Dの写真を撮っている内に『北陸』は出て行きました。列車に乗り込んで待っていると、
『北陸』が出て行ったホームに急行『能登』が到着。
『能登』を見送ってからしばらくして、我が840Dは乗客12人で富山から発車。各ボックス・
シートにはひとり以上が座っていたので私はロング・シートに座りました。
列車はワンマン運行でしたが、なぜか車掌が乗っています。途中、速星で下りの841Dと交換。
同駅で私は空いたボックス・シートに移りました。
笹津でも843Dとの交換がありました。車内では、おばあちゃんが車掌に「列車で高山に行けな
いの?」と尋ねていました。
ところが高山本線は、2004年10月22日に来襲した台風23号がもたらした災害により猪谷←→
角川間が不通になっていたのです。
この「旅」当時、同区間は代行バスで輸送が行われていましたが、猪谷←→高山間は元々列車が少
ない区間であり、代行バスも、そのダイヤに合わせて運行されていました。
車窓から見えた立山連峰(?)の頂付近は未だ雪を被 っています。4月も3週目ですが、上の方は、まだ寒い んでしょうな。 【高山本線・普通840Dの車窓より】 |
笹津を出た列車は山間に入り、楡原の停車を経て富山から47分で終点の猪谷に到着しました。到
着時の乗客は5人でした。
猪谷駅で対面の停車線に停まっていた富山行の列車は 何とキハ120の4両編成でした。軽快気動車の4連な ど、そうそう見られるものではありません。確かに通勤 /通学の時間帯ですが、これほど「長編成」にするほど 乗車があるとは思えないので、たぶん回送を兼ねている のでしょう。 【富山県・猪谷駅】 |
第2部:「ちょっとこだわりの路線」その29/神岡鉄道 |
それでは神岡鉄道に乗りましょう。同鉄道は、1984年に旧国鉄・神岡線を転換開業した第三セクタ
ー鉄道であり、猪谷←→奥飛騨温泉口間19.9キロの路線を持ちます。
列車の運行本数は少なく、猪谷←→奥飛騨温泉口間で1日7往復、これに加え神岡鉱山前←→奥飛
騨温泉口間の区間列車が2往復あります。
同鉄道の沿線には400年以上の歴史を持つ神岡鉱山があり、かつては鉱石輸送の貨物列車で賑わ
っていたそうですが、鉱石輸送がトラックに切り替えられてしまうと、元々旅客が極めて少なかった
せいもあり旧国鉄・神岡線は廃止対象路線に選ばれてしまったのでした。
しかし、鉱石と共に鉄道で運ばれていた硫酸はトラック輸送するのが危険と言う事で、鉄道輸送を
存続させるために三井金属鉱山が筆頭株主となり、岐阜県、富山県、神岡町、上宝村などが出資して
神岡鉄道が設立されたのでした。
その神岡鉄道の存在意義たる1往復の硫酸輸送列車も2004年10月にトラック輸送に切り替えられ
て廃止となり、その収入で何とか存続していた同鉄道も存亡の危機を迎えたのでした。
神岡鉄道の年間旅客輸送人員は全国の鉄道でワースト1であり、経営面で改善を行える余地も無く、
鉄道業界では、同鉄道は役目を終えたと言われていました。
この「旅」の時点では、同鉄道の廃止の話は聞こえてなかったものの、もはやいつ廃止されてもお
かしくない状況なので、この機会に乗っておく事にした次第です。
猪谷駅で列車から降りると、ホームの高山寄りにあった欠け取り式の停車線に神岡鉄道の列車が停
まっていました。
猪谷駅に停車中の神岡鉄道・奥飛騨温泉口行・普通2 01Dです。車両は気動車のKM-100形。同車には「おく ひだ1号」の愛称が付けられています。 【富山県・猪谷駅】 |
このKM-100形は、ほとんどの第三セクター鉄道が採用 している軽快気動車ではなく、新製した車体に、新品の エンジンと旧国鉄キハ20形の廃車車両から流用した台 車と機器を組み合わせて製造された車両です。 【富山県・猪谷駅】 |
見ると、840Dから降りた旅行者っぽい女の子がひとり201Dに乗り込んで行きました。KM-
100の写真を撮った私も彼女に続いて乗りました。
KM-100形の車内です。垂直背もたれのボックス・シー トに二段式の窓。まさに国鉄型車両の内装ですな。 【神岡鉄道・普通201D車内】 |
普通201Dは、定刻に猪谷駅から発車しました。乗客はたった3人で鉄道ファンらしき人もいま
せん。まだ朝早いからでしょうか?
出てすぐにトンネルに入りました。さらにふたつトンネルを潜ってから飛騨中山に到着。神岡鉄道
は「奥飛騨の地下鉄」の異名を持つほどトンネルが多く、実に路線の6割がトンネルなのです。
同駅を出て第4中山トンネルを潜ると茂住に着。地図によると同駅の北東近くには東大の宇宙線研
究所・神岡宇宙素粒子研究施設があります。
同施設には、かつて『カミオカンデ』と呼ばれるニュートリノ粒子検出施設がありましたが、現在
は神岡鉱山内に1996年に完成した『スーパー・カミオカンデ』にその役割を譲って解体され、その跡
には『カムランド』と呼ばれる新たなニュートリノ検出施設が造られています。
細かい理論の事は分かりませんが、何でも、同施設は『スーパー・カミオカンデ』を上回るニュー
トリノ検出能力があるそうです。
ちなみに、『スーパー・カミオカンデ』の事は、私も何かのテレビ番組で見て知っていました。ま
ぁ、知っていたところで気軽に見せてもらえるような施設ではないでしょうが・・・。
列車からは左手の眼下に国道41号線が見えました。この辺りの神岡線は斜面の中腹に線路が敷設
されているんですな。
沿線風景は猪谷手前の高山本線から見えた風景にそっくりであり、まるで同線の列車に乗り続けて
いるような錯覚に陥ります。
茂住駅を出て長い茂住トンネルを抜けると漆山に着。同駅のホームには、飛騨中山駅と同じ待合室
がありました。
漆山駅のホームにある待合室です。同駅には駅舎はな く、ホームに、この待合室があるのみです。冬季には極 寒となるこの地方では、締め切りの出来る待合室は必須 でしょうな。 【神岡鉄道・普通201Dの車窓より】 |
漆山駅を出て左手に見えた高原川の中には大量の岩が コロがっていました。 【神岡鉄道・普通201Dの車窓より】 |
短かめのトンネルをいくつか潜り、ちょっと長い割石トンネル、それに続いて船津トンネルを潜る
と列車は神岡鉱山前駅に着きました。
同駅の構内には小さなヤードがあり、半年前まで、近くにある神岡鉱業所用の硫酸輸送貨物列車が
着発していましたが、今は貨車も入換機関車の姿も無くガランとしています。
神岡鉱山前駅の構内には、貨物列車廃止により役目を 終えたKMDD130形ディーゼル機関車が1両だけポツンと 留置されていました。エンジン部分にブルー・シートが 被せられているのは売却するためでしょうか? 【神岡鉄道・普通201Dの車窓より】 |
神岡鉱山前駅は、ヤードの他に車庫もある神岡鉄道の主要駅ではありますが、付近には神岡鉱業所
関連の工場や施設しかなく、同駅での乗降はありませんでした。
神岡鉱業所は都市部から離れた山奥にあるため、おそらく従業員の多くは地元の神岡町に住んでい
て神岡鉄道を通勤に利用している人は、ほとんどいないのではないでしょうか・・・?
神岡鉱山前を出ると左手に神岡の町が広がり、飛騨神岡に到着。同駅ではひとりが降りました。沿
線では桜が満開です。ここは平地と比べて気温が低くて桜の開花が遅いのでしょう。
短いトンネルを潜ってすぐに神岡大橋に着。同駅では、旅行者風の女の子が降りました。あの娘は
地元の娘やったんかな? それとも神岡観光に来たんかな?
神岡大橋から2分で列車は終点の奥飛騨温泉口駅に到着。結局、最後まで乗り通したのは、私だけ
でしたな・・・。
ホームに降りて駅舎に入ってみても人影はありませんでした。今日は土曜日なので、神岡鉄道の社
員も運転士を覗いては出勤していないのかも知れませんな。
神岡鉄道の末端、奥飛騨温泉口駅です。平屋ですが神 岡鉄道の本社も兼ねた立派な駅舎で、中には広い待合室 があります。 【岐阜県・神岡鉄道・奥飛騨温泉口駅】 |
駅名が示す通り同駅は奥飛騨温泉郷への最寄駅となっていて同地への路線バスも運行されています
が、温泉郷までは20キロ以上離れている上に、同地を訪れる旅行者の多くはJR高山本線の高山駅
からバスに乗るため、残念ながら同駅の駅名は温泉利用者誘致の役目を果たせていないようです。
駅前に静態保存されている神岡鉄道のKMDE10形ディー ゼル機関車です。1991年にJR四国のDE10形機関車 を購入したもので、神岡鉱山前←→猪谷間で貨物列車を 牽いていましたが、1996年のダイヤ改正で、JR貨物の DE10が神岡鉱山前まで入線するようになると職を失 い廃車になりました。 【岐阜県・神岡鉄道・奥飛騨温泉口駅】 |
駅前の様子です。商店はなく、民家が建ち並んでいる だけでした。何とも寂しい眺めです・・・。 【岐阜県・神岡鉄道・奥飛騨温泉口駅】 |
さすがにここまで来ると気温が下がって吐く息が白くなり、足元が冷えました。ここからは折り返
しの列車に乗りますが、29分のインターヴァルがあるので、近場を少しブラつきましょう。
とは言え、私は奥飛騨温泉口駅付近の地図を持参していませんでした。とりあえず駅前の道路まで
出ると左手に橋があったので、そちらに向かって歩きました。
奥飛騨温泉口駅の脇にある釣瓶橋の上から見た高原川 です。渓谷チックでなかなか良い景色ですな。すぐ近く には滝なんかもあります。 【岐阜県飛騨市神岡町】 |
人影のない道を東に向かって歩いていると、左手に少し大きな公園がありました。辺りを見回して
も、これと言って興味を引くようなものも見当たらなかったので、私は公園に入りました。
同公園は飛騨市が管理する坂巻公園で、園内にはナイター照明を備えた本格的な野球場や、舗装さ
れたテニス・コートがあり、一見して運動公園のように見えましたが、その傍らには趣のある庭園も
整備されていました。
坂巻公園内の庭園です。桜も咲いていましたが、園内 に人影は、ほとんどありませんでした・・・。つーか、 土曜日の朝7時台から公園で憩ってる人なんか、そうそ ういねーわな。 【岐阜県飛騨市神岡町】 |
私は坂巻公園内をしばし散策して、傍らの高原川に注ぐ小さな滝などを見て時間を潰してから駅に
戻りました。
奥飛騨温泉口駅に停車中の猪谷行・普通204D。こ こまで乗って来た201Dの折り返し列車です。同駅に は、以前、右手にも停車線がありホームは1面2線だっ たようですが、今は埋められています。 【岐阜県・神岡鉄道・奥飛騨温泉口駅】 |
ホームの上屋の支柱に取り付けられていた駅名標は、 飛騨らしく木で造られていました。文字のところがくり ぬかれており、中の照明で文字を光らせる事が出来るよ うです。 【岐阜県・神岡鉄道・奥飛騨温泉口駅】 |
KM-100形の車内には、囲炉裏(いろり)を備えたサロ ン・コーナーがありました。車内には暖房が利くはずで すから、この囲炉裏は乗客同士が落ち着いて語り合える 場として備えられているのでしょうか? 【神岡鉄道・普通204D車内】 |
何やらモニターも設置されています。神岡鉄道線はト ンネルが多くてテレビは映らないと思うので、たぶんヴ ィデオ用でしょう。 【神岡鉄道・普通204D車内】 |
座席に座って発車を待っていると、運転士と長々と話している乗客がいました。たぶん地元の方で
しょう。
ほどなく定刻となり、204Dは乗客3人で奥飛騨温泉口駅から発車しました。神岡大橋での乗降
はありませんでしたが、次の飛騨神岡では、ひとりずつの乗降がありました。
神岡鉄道では、神岡町内の移動客に配慮して末端部となる奥飛騨温泉口←→神岡鉱山前間で区間運
転列車を運行していますが、町内移動で利用する客って本当にいるんですな。
神岡鉱山前駅から見えた工場です。同駅の東側には、 神岡鉱業の金属粉工場と亜鉛工場があります。 【神岡鉄道・普通204D車内】 |
神岡鉱山前駅では、運転士が駅員からタブレットのような物を受け取るのが見えました。結局、列
車は乗客4人で終点の猪谷に到着しました。
ホームに降りるとKM-100の写真を撮っている鉄道ファンらしき人がひとりいました。ようやくお出
ましか・・・。
猪谷に到着した204Dです。KM-100形の側面スナッ プを1枚。軽快気動車とは異なる重厚な車両です。 【富山県・猪谷駅】 |
猪谷駅です。高山本線が通るほか、神岡鉄道の起終点 駅でもあります。同駅は高山本線におけるJR西日本と JR東海の境界駅で、普通列車は、ここで乗り換える事 になります。駅前には角川行の代行バスが待機中。 【富山県・猪谷駅】 |
これで神岡鉄道の乗車は完了です。もはやすぐにでも廃止になるかと思われていた同鉄道でしたが、
結局、廃止されたのは翌2006年の12月1日でした。
廃止後も民間会社により同鉄道を再生させる模索が行われていたようですが、その話は立ち消えに
なってしまったようです。
現在は地元自治体により観光鉄道としての活用が模索されているようであり、鉄道施設は撤去され
ずに残されています。
鉄道ファンとしては、いかなる形でも存続を願うばかりです。存続が決まり運行が再開された暁に
は支援を兼ねて、また乗りに来たいものです。
さて・・と、お次は富山地方鉄道の乗車です。とりあえず富山に戻りましょう。
猪谷駅に停車中の高山本線・富山行・普通253Dで す。車両はキハ120の2両編成。 【富山県・猪谷駅】 |
夜行列車明けで寝不足の私は、猪谷を出た253Dの車内で、さっそくウトウトし始め、気がつけ
ば列車は富山に着くところでした。車内は乗車率110%と混んでいました。
さて、まずは富山地方鉄道の軌道線から乗りましょう。その話は、また次回と言う事で・・・。
第3部につづく・・・。
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