2006年2月12日掲載
『列車まかせの旅』第19弾(2003年10月11日)


 今回の「旅」のメイン列車は、古いキハ181系特急型気動車で運行される特急『いそかぜ』。出
雲市←→東京間を走る寝台特急『出雲』。常磐線経由で上野←→仙台間を走る特急『スーパーひたち』
です。

 その他にも「抱き合わせ乗車」として、JR仙山線、左沢線の乗り潰し。山形新幹線が走るJR奥
羽本線の改軌区間の普通列車乗車。東北新幹線の、ちょっとこだわりの列車などにも乗るつもりです。

 都合、行程中に寝台列車に2本乗るため、0泊3日で大阪→小倉→出雲市→東京→仙台→山形→福
島→東京→大阪と言う何とも支離滅裂な行程となりますが、それこそが「列車まかせの旅」の真骨頂
なのです。(^^;

 で、「旅」当日。新大阪発の博多方面初列車となる『ひかり341号』に乗るべく、まだ暗い内に
自宅を出ました。

 早朝の新大阪駅から発車して行く高槻行・普通560
Mです。
【大阪府・新大阪駅】
 新大阪駅に停車中の博多方面初列車となる『ひかり3
41号/レール・スター』です。
【大阪府・新大阪駅】

 今回の「旅」でも各列車の切符は事前に購入していたのですが、『ひかり341号』の指定席車に
乗り込んでみると何とそれは喫煙車でした。

 私はタバコを吸わないのでいつもは禁煙車にしているのですが、今回は「みどりの窓口」で何も聞
かれなかったので渡された切符の券面をチェックしていなかったのです。ま、別に喫煙車でも構いま
せんがね。

 6時ちょうど、『ひかり341号』は定刻に新大阪駅より発車しました。我が車両の乗車率は20
%程度でしたが、発車後の案内放送によると今日は指定席は完売だそうで変更は不可との事でした。

 今日は自由席が混んでいるのでしょうか、姫路駅に停車中にようやく検札が来ました。その後はず
っと寝て過ごしている内に下関を通過し関門トンネルに入りました。

 トンネル通過中に小倉の到着案内の放送がありました。トンネルを抜けて間もなく、『ひかり34
1号』は小倉に到着しました。今回はここで降ります。

 小倉駅の新幹線改札は博多と同じく有人改札でした。改札を出て在来線改札の横を通る時に見てみ
ると在来線の改札は自動改札でした。

 小倉駅の広大な改札前自由通路の上を見ると、何とモ
ノレールが停まっていました。
【福岡県・小倉駅】
 小倉駅は途方もなく大きな建物でした。ちなみに駅の
上は小倉ステーション・ホテルです。
【福岡県・小倉駅】

 小倉駅の撮影を終えた私は、さっそく特急『いそかぜ』が出るホームに降りました。


第1部:「ちょっとこだわりの列車」その32/特急『いそかぜ』

 特急『いそかぜ』は、小倉と山陰本線・益田駅間を結ぶ特急であり1日1往復が運行されています。
この列車をこだわりとして選んだ理由は、同列車が国鉄時代に製造された旧型のキハ181系特急型
気動車で運行されている貴重な列車だったからです。

 JR6社の中でキハ181系を運行しているのは、もはやJR西日本だけであり、この「旅」当時
において同車両が使用されていた特急は『はまかぜ』、『いなば』、『いそかぜ』の3列車だけとな
っていました。

 そしてこの記事を書いている時点では『いなば』は新型のキハ187系に置き換えられ、この『い
そかぜ』は廃止となり、もはや『はまかぜ』のみが孤塁を守っていると言った状況です。

 特急『いそかぜ』の指定席特急券です。3両編成の内
1号車が指定席、2、3号車が自由席となっています。

 ホームに降りてみると、『いそかぜ』はすでにホームに停車していました。

 小倉駅に停車中の益田行・特急『いそかぜ』です。特
急型気動車としては最古参車両となるキハ181系の3
両編成です。
【福岡県・小倉駅】
 『いそかぜ』の方向幕です。小倉←→益田間1往復だ
けなので往復表示になっています。
【福岡県・小倉駅】
 車体は国鉄色の塗装を纏っていましたが、側面前面に宮本武蔵の
ラッピングが施されていました。これは当時NHKの大河ドラマで
放送されていた宮本武蔵とタイアップしている関係でしょうが、
『いそかぜ』が走る路線には「ゆかり」の地はないと思うのですが
・・・。ひょっとしてこの車両は『いなば』で使っていたものなの
かな?
【福岡県・小倉駅】

 約1ヶ月前に実施した旅行記第16弾で乗った特急『いなば1号』では、途中で経由した第三セクタ
ーの智頭急行線に宮本武蔵と言う駅があり、タイアップのためでしょうが同駅に臨時停車までしてい
ましたが、それでも車両にラッピングはされていませんでした。

 ま、JRとしては「ゆかり」のある路線であろうがなかろうが宣伝する意味はあるのでしょうが、
個人的にはラッピングは余計ですな。

 『いそかぜ』の外周りを写していると隣のプラットフ
ォームに東京からの寝台特急『さくら/はやぶさ』が到
着しました。『さくら』は2005年3月のダイヤ改正で
『いそかぜ』と共に廃止されてしまい、結局、乗車を果
たす事が出来なかった列車です。さっさと乗っておけば
良かったと今でも悔やんでいます。
【福岡県・小倉駅】

 『さくら/はやぶさ』を見送った後で私は『いそかぜ』に乗り込みました。

 『いそかぜ』の車内です。キハ181系には特急『い
なば1号』ですでに乗っているので今さら目新しいもの
はありませんですが・・・。
【特急『いそかぜ』車内】

 特急『いそかぜ』は定刻の9:04に小倉駅から発車しました。指定席の1号車の乗車率は50%と言
うところでした。

 小倉を出た所には広大なヤードがありましたが線路には雑草が生えていて現在は使われていない様
子でした。続いて機関車が多数止まっている北九州貨物ターミナルが見えて来ました。

 それから間もなく門司を通過。同駅のホームには鉄道ファンらしきカメラマンがいて『いそかぜ』
の写真を撮っていました。

 すぐに在来線の関門トンネルに突入。数分で列車はトンネルを通過して本州側に出ました。ここま
で列車は控えめなスピードで走っていました。

 ここで案内放送があり、曰く、この列車には車内販売も食堂車もないので、間もなく着く下関のホ
ームにあるうどん屋を御利用下さいとの事でしたが、停車時間2分ではテイクアウトも無理じゃない
スかね?

 下関では20人ほどが1号車に乗って来ました。また、小倉から乗って来た人の中にはホームに弁
当を買いに行く人がいました。

 同駅を出たところで検札がありました。車掌は切符をチェックすると返す時に下車駅の到着時刻を
告げていました。実に親切です。また、車掌は検札しながら宮本武蔵のオレンジ・カードの販売もし
ていました。

 列車のスピードは未だに上がらず、後ろに座っていた客が「遅いね。スピード乗らないね」とボヤ
くのが聞こえました。確かに特急らしい走りとは言えませんな。

 山陽本線を走っていた『いそかぜ』は幡生を通過すると単線非電化の山陰本線に入りました。山陰
本線に入ってひと駅目となる綾羅木では、下関へと向かう普通列車と交換しました。

 ちなみに山陰本線の下関←→益田間は『いそかぜ』以外は普通列車しか走らないマイナーな区間に
なっています。

 これは九州方面から益田以東の山陰エリアに行く場合は、新幹線で小郡(現・新山口)まで出てか
ら山口線経由で米子/鳥取方面に行く特急に乗った方が便利であり、そちらがメイン・ルートになっ
ているからのようです。

 マイナーな山陰本線・下関←→益田間ですが、下関←→小串間は区間運転が行われており、朝夕は
30分間隔、昼間は60分間隔程度で列車が運行されています。

 綾羅木を過ぎた列車が谷間を抜けるとちょこっとだけ左手に海が見えました。この区間の山陰本線
沿線は緑の多い郊外と言った趣でした。

 下関から20分ちょいで山陰本線の最初の停車駅となる川棚温泉に停車。同駅ではひとりが降りま
した。次の小串には停まりませんでしたが下り列車との交換がありました。

 滝部の停車を経て10:36に長門市に到着。下関を出て以来、久々の大きな街です。同駅では数人の
乗降がありました。

 長門市では山陰本線と、厚狭から来る美祢線が交わっていますが、単線2路線の乗換駅にしては、
ずいぶんと広い構内を持っており、キハ120系を含む気動車が留置されていました。

 同駅を出ると左にまた海が見えました。

 長門市を出たところで左手に見えた日本海です。残念
ながらオーシャン・ヴューと呼べる区間は無く、ちらほ
らしか見る事が出来ませんでした。
【特急『いそかぜ』の車窓より】

 それにしても『いそかぜ』は中速程度のスピードしか出しておらず、持ち前の能力を持て余してい
るような印象でした。これはこの区間の線形が良くないからなのでしょうか?

 11:05に焼き物で有名な萩の最寄り駅である東萩に停車。同駅ではさすがに10人程度が降りて行
き、同じぐらいの人数が乗りました。

 東萩の手前に萩駅があるのですが、なぜ同駅に停まらないのかと後で地図を調べたところ、街の東
に隣接する東萩に対して萩駅は市街より南の郊外に位置しており市街地へのアクセスが不便そうでし
た。たぶんそれが停まらない理由なのでしょう。

 東萩を出たところで次は終点の益田との案内放送がありましたが、まだまだ54分ほど時間が掛か
ります。

 最後の区間は交換停車もなく11:59に終点の益田に到着しました。小倉を発ってから2時間55分
の乗車でした。

 さてと、それでは次の目的列車である寝台特急『出雲』に乗るべく出雲市に向かいましょう。8分
の連絡で鳥取行の特急『スーパーまつかぜ10号』に乗り換えます。

 益田始発の鳥取行・特急『スーパーまつかぜ10号』
の指定席特急券です。2両編成で自由席が1両しかない
ので念のため指定席を確保しました。
 益田駅に停車中の特急『スーパーまつかぜ10号』で
す。車両は新鋭のキハ187系です。
【島根県・益田駅】

 『スーパーまつかぜ』は、旅行記第16弾で乗った特急『スーパーくにびき』の名を2003年10月に改
称したものですが、実はその歴史は古く、国鉄時代に福知山線経由で山陰本線を縦走し、大阪←→博
多間を結んでいた特急『まつかぜ』の後身なのだそうです。

 その後の効率化によって『まつかぜ』は米子を境に運転区間が分割され、米子以東が『まつかぜ』、
以西が先に乗った特急『いそかぜ』となりました。

 さらに1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で福知山線が電化されると共に大阪←→米子間の『まつ
かぜ』は廃止され、米子以西の旧『まつかぜ』のルートは、特急『おき』、『くにびき』そして『い
そかぜ』によって継承される事となったのです。

 そして2003年のダイヤ改正を経て「旅」当時の状況に至っているのですが、その後の2005年3月の
ダイヤ改正で『いそかぜ』は廃止となり、最終的に残った特急は『スーパーおき』と『スーパーまつ
かぜ』の2本だけとなった次第です。

 旅行記第16弾では名称が消滅する『スーパーくにびき』をこだわりの列車に選びましたが、今回の
『スーパーまつかぜ』は名称も車両も新しい列車なのでこだわりからは外しました。

 『まつかぜ』の指定席車に乗り込み自分の席に行くと、通路側席に何と『いそかぜ』でも相席だっ
たオバさんが座っており、「あら、またいっしょですね」と声を掛けられました。

 間もなく定刻の12:07が来て『スーパーまつかぜ10号』は益田から発車しました。指定席の乗車
率は30%と言うところでした。

 新型車両であるのに加えて線形が良くなったのか、ターボ音を響かせながら『まつかぜ』はみるみ
る加速して高速走行に入り特急らしい走りっぷりを見せてくれました。

 と、思ったら減速してひと駅目の石見津田で交換のため停車。益田から東の山陰本線は特急や快速
も走るれっきとした幹線ですが単線なので運転停車は避けられないのです。鉄道業界で「偉大なるロ
ーカル線」と揶揄されている由縁ですな。

 益田行の快速『アクアライナー』と交換して走り出したと思えば、次の鎌手でまたしても交換停車。
案内放送によると交換相手の特急『スーパーおき3号』が遅れているとの事でした。

 遅れている『おき』と交換して発車。この辺りは左手に日本海がよく見えました。目を車内に転ず
ると何やらトイレが大盛況で、ひっきりなしに出入りがありました。

 振り子装置を備えた新型のキハ187系は車体を傾け
ながら高速でカーブをクリアして行きます。
【特急『スーパーまつかぜ10号』車内】

 その後は運転停車もなく5分遅れで最初の停車駅である浜田に到着しました。同駅では乗降はあり
ませんでした。

 さらに14分走って江津に停車。同駅ではふたりの乗車がありました。対面ホームを見ると、何と
山陰本線の浜田行・普通と三江線の列車が同じホームに停まっていました。

 江津から26分で大田市に停車。同駅では相席していたオバさんが降りて行きました。大田市を出
てふた駅目の波根で交換停車。益田行の『スーパーまつかぜ3号』と交換しました。

 波根から先は運転停車もなく出雲市に到着しました。『まつかぜ』は、この先も2時間近く走って
鳥取まで行きますが、私はここで降ります。

 山陰本線の出雲市駅です。JR駅としては出雲大社の
最寄り駅となります。かつては出雲大社へ向けて同駅か
ら大社線が延びていたそうです。
【島根県・出雲市駅】

 出雲市駅の北側駅前は、右手に一畑百貨店のビルがあるものの、それ以外に大きな建物はなく、綺
麗に整備されているものの人影も少なくて閑散としていました。

 さて、次の目的列車は寝台特急『出雲』ですが、発車まで4時間近くインターヴァルがあるので、
その時間を利用して地元の私鉄、一畑電鉄に乗って出雲大社を尋ねるつもりです。

 駅前の観察を終えた私は、JR出雲市駅に隣接する一畑電鉄の電鉄出雲市駅に向かいました。

 JR線の高架と一畑百貨店の間の通路を進むと一畑電
鉄の真新しい電鉄出雲市駅がありました。
【島根県・一畑電鉄・電鉄出雲市駅】

 一畑電鉄は、電鉄出雲市から宍道湖の北岸を巡って松江市街地にある松江しんじ湖温泉駅に到る全
長33.9キロの北松江線と、途中の川跡駅から分岐して出雲大社前駅に到る全長8.3キロの大社線の2
路線を持つ私鉄です。

 電鉄出雲市駅に入って列車の発車時刻を見ると、何と次の列車は1時間後でした。見れば1時間に
1本しか列車がありません。私が駅前の写真を撮っている内に『まつかぜ』と接続する列車は出て行
ってしまったのです・・・。

 関西に住んでいると、私鉄イコール列車本数が多いと言うイメージを持っているのですが、地方の
ローカル私鉄は、こんなものなんでしょうな。なにぶんにも地方の私鉄に乗るのは、これが初めてな
ので私も勉強不足と言わざるを得ません。

 さてと、どーしましょうかねぇ・・・。このまま1時間待ってもいいのですが、持参した地図を検
討して見ても駅周辺にはこれと言って見るべきものはありません。

 かと言って出雲大社まで歩くと9キロ以上もあるので、それはちとやめておきましょう。あれこれ
考えた結果、駅前から北に延びる県道を3キロほど行くと一畑電鉄・大社線の高浜駅があるのを見つ
けました。

 3キロならば歩いても1時間も掛かりません。出雲市街を散策しつつ高浜駅まで行き、そこから列
車で出雲大社に行くとしましょう。

 整備された広い歩道を北へ向かって歩き始め、出雲市役所の前を通過して500メートルほど進ん
だところで案内標識を見つけました。

 出雲市駅から1キロほど北へ歩いたところにあった案
内標識です。右の県道278号線を行くと目的の高浜駅
だったのですが・・・。
【島根県・出雲市】

 案内標識を見たのがいけませんでした。後で後悔する羽目になるのですが、ここまで来たのなら出
雲大社まで行っちまえ、と、無謀にも左の県道276号線を歩き始めてしまったのです。

 それから1キロちょい歩いたところで右前方に何やら巨大なドームみたいなものが見えて来たので、
次の大きな交差点を思わずドームの方向に曲がってしまいました。それから800メートルほど歩く
とドーム前に到着しました。

 出雲ドームです。巨大な建築物なのですが何と日本初
の木造ドームだそうで、中は各種競技が行えるグランド
になっているそうです。折しも出雲全日本大学選抜駅伝
の前日であり、出雲ドームは、そのゴールになっていた
そうです。
【島根県・出雲市】

 ここで地図をチェックしたところ、出雲大社への道から外れている事が判明しました。ドーム前の
道を北へ進むと一畑電鉄の線路に出ますが、ちょうど高浜駅と遥堪(ようかん)駅の中間地点だった
ので、とりあえず北西に進んで遥堪駅に出て見る事にしました。

 そろそろ喉が乾いて来たので缶ジュースでも買いたいのですが、今日びたいていの市街地なら50
メートル間隔ぐらいで設置されている飲料水の自販機がここではまったく見当たりません。これは出
雲市の方針によるものなのでしょうか?

 さらに2キロほど歩いて遥堪駅に辿り着いて見ると、小さな無人駅には電車に乗るつもりなのかど
うかわからない中学生ぐらいの子供が数人たむろしていました。

 小さな、駅舎と言うより待合室に入って出雲大社前方面の時刻を確認すると、まだまだ時間があっ
たので、結局、出雲大社まで歩いて行く事にしました。

 駅から北へ700メートルほど歩くと東西に走る国道431号線に出ましたので左の出雲大社方面
へと曲がりました。

 それにしても、何キロぐらい歩いたんだろう?(後に調べたところではこの時点で約8キロ)ぼち
ぼち残り時間が心配になって来ました。

 国道431号線を西に向かって歩いていると、ようやく商店の軒先に飲料水の自販機を見つけたの
でジュースを購入しました。

 そのまま歩き続けると左手にあったドライブ・イン風の建物(島根ワイナリー?)の駐車場の敷地
内にテレビ局が鉄パイプの櫓を組んでその上にカメラを据え付けているのが見えました。駅伝の中継
用でしょうな。

 駅伝本番を明日に控え最後の走り込みするランナーが
チラホラ見受けられました。
【島根県・出雲市】
 沿道には、参加各大学の学校名が書かれた「ノボリ」
がたくさん立てられていました。
【島根県・出雲市】

 再び殺風景になった風景を横目にさらに歩き続け、ようやく出雲大社の入口を示す巨大な石柱と鳥
居前に着いてみれば、出雲市駅を出てから2時間近くが経っていました。

 寝台特急『出雲』の発車時間までもう2時間を切っており、まだ出雲市駅まで電車で戻らねばなら
ない事を考えるとゆっくり出雲大社を見ている暇はありません。

 とりあえず鳥居を潜って本殿へ向かって歩き始めましたが、これまた参道の長いこと・・・。10
分の遅れが致命傷となりかねない状況なのですが・・・。

 出雲大社の本殿です。小学校か中学の遠足で一度訪れ
ているのですが、まったく記憶がありません。今日も大
勢の参拝者の姿が見えました。
【島根県・出雲大社】
 入口の鳥居から本殿までの参道沿いには、何とも風情
のある庭園風の場所がありました。
【島根県・出雲大社】

 本殿の写真を撮っただけで出雲大社を後にしました。時間にして5分もいなかったと思います。さ
ぁ、一畑電鉄の出雲大社前駅に急ぎましょう。

 出雲大社前駅の場所は知りませんでしたが、鳥居前の道を南に向かって歩くと400メートルほど
先の左手に駅がありました。

 一畑電鉄の出雲大社前駅です。小振りですが何とも瀟
洒な建物であり、電車の姿が見えなかったら駅とは気付
かないところでした。
【島根県・一畑電鉄・出雲大社前駅】
 出雲大社前駅の券売機で買った電鉄出雲市駅までの切
符です。
 一畑電鉄の出雲大社前駅に停車中の16:36発・川跡行
・普通です。3000系と呼ばれる車両で、元南海電鉄
の21000系を購入した物です。大社線には、北松江線の
松江しんじ湖温泉からの急行が1本乗り入れていますが
基本的には普通列車による出雲大社前←→川跡間の区間
運転となっています。
【島根県・一畑電鉄・出雲大社前駅】

 さっそく川跡行の普通に乗り込んで見ると、すでに20人ほどの乗客がいました。見れば女性連れ
の旅行者らしき人々の姿も見受けられました。女性は連れ立っての旅が好きなんですなぁ。

 間もなく列車は発車しました。縦揺れが激しく、車両はピョンピョン跳ねていました。なんだか昔
ながらのコイル・バネっぽい跳ね方ですな。

 記憶は定かではないのですが、この元南海21000系と言う2ドア・ロング・シートの車両には、1
0年以上前に仕事で高野山方面に行っていた頃に南海・高野線で乗ったような気がします。

 列車は途中、浜山公園北口、遥堪、高浜の3駅に停車し、出雲大社前から11分で終点の川跡に到
着しました。同駅で北松江線の電鉄出雲市行に乗り換えます。

 川跡駅ではプラットフォーム間を移動しましたが、陸橋はなく構内踏切を渡りました。ホームには
短い上屋しかありませんでした。

 一畑電鉄・川跡駅に到着する北松江線の16:50発・電
鉄出雲市行・普通です。2000系と呼ばれる車両で元
京王電鉄の5000系を購入して2ドア化改造した物だ
そうです。左側に停まっているのは、ここまで乗って来
た大社線の3000系です。
【島根県・一畑電鉄・川跡駅】

 川跡を出た電鉄出雲市行・普通は、途中、武志、大津町、出雲科学館パークタウン前の3駅に停車
し、10分足らずで終点の電鉄出雲市に到着しました。

 寝台特急『出雲』が出るまで約40分、出雲大社にいる時は少々やきもきしましたが、ちょうど良
い待ち時間となりました。


第2部:「夜行列車愛好家への道」その14/寝台特急『出雲』

 寝台特急『出雲』は、出雲市←→東京間を結ぶ列車で1日1往復が運行されています。この列車の
特徴は、北海道連絡の列車以外では唯一のディーゼル機関車牽引列車だと言う事です。

 非電化の山陰本線経由で京都まで行く『出雲』は、出雲市←→京都間はDD51型のディーゼル機
関車で牽引されます。ちなみに京都←→東京間の東海道本線はEF65型電気機関車で牽引されます。

 寝台特急『出雲』の特急券・A寝台券です。今回はA
寝台個室シングル・デラックスをチョイスしました。

 ホームに上がると、すでに『出雲』は入線していました。ディーゼル機関車牽引列車の乗車は、こ
れが旅行記初となります。

 出雲市駅に停車中の寝台特急『出雲』です。京都まで
の山陰本線は、このディーゼル機関車で牽引されます。
【島根県・出雲市駅】
 このDD51型ディーゼル機関車は、本線筋から蒸気
機関車を淘汰するために製造された機関車でしたが、路
線電化の進行と客車列車の減少により、定期旅客列車の
牽引で活躍しているのは今や山陰本線の出雲市←→京都
間と、函館本線・室蘭本線・千歳線経由の函館←→札幌
間のみとなっています。
【島根県・出雲市駅】
 東京から遠く離れた駅で東京行の文字が見られるのも
夜行列車ならではです。
【島根県・出雲市駅】
 旅行記第3弾の寝台特急『日本海1号』以来2度目に
なるA寝台個室シングル・デラックスです。室内の調度
品は『日本海1号』のものと異なり何となく古さを感じ
ました。
【寝台特急『出雲』車内】
 操作パネルは、左から電灯スイッチ2つ、冷房、暖房
の温度調整ノブ、非常通報用ボタン。パネルの下は読書
灯(左)と温度計(右)です。
【寝台特急『出雲』車内】
 テーブルを上に開けるとステンレス製の洗面台が現れます。ちな
みに『日本海1号』では洗面台はテーブル兼用ではなく単独の収納
式でした。
【寝台特急『出雲』車内】

 室内の観察を終えて落ち着いていると案内放送が聞こえて来ました。それによると、出雲市止めの
特急が遅れており発車が4分ほど遅れるとの事でした。

 ほどなく、その特急とやらが到着するのが窓越しに見えましたが、それは岡山発・出雲市行の特急
『やくも15号』でした。

 新幹線の通っている岡山から来る特急を、わざわざ『出雲』と連絡させても意味はないと思うので、
連絡待ちの遅れと言うより交換待ちの遅れでしょうな。

 それから間もなく『出雲』は出雲市駅から出発しました。部屋のキーは部屋の中には置かれていま
せんでしたが、おそらく検札の時に車掌が渡してくれるはずです。

 どうもこの時点でA寝台個室車に乗っているのは私ひとりのようでした。案内放送によると、今日
の『出雲』は11両編成で、5号車に食堂車を連結しているものの営業はしていないとの事でした。
この食堂車はサロン代わりのフリー・スペースとして開放されています。

 あと、鳥取までは立席特急券で乗車出来るとの事でした。立席特急券での乗車では空いているB寝
台下段に座る事になります。

 最初の停車駅である宍道の停車を経て松江に到着。同駅では6分停まるとの事でした。時刻表では
8分停車になっていましたが遅れた分を取り戻すために短縮したんでしょうな。

 松江ではA寝台に2人が乗って来ました。停車中に車掌が現れて検札がありました。

 検札の際に渡されたタオルです。JR東日本の「びゅ
う」のロゴと寝台特急のヘッド・マークがプリントされ
ておりA寝台個室利用者のみに配られます。言うなれば
特典ですが、『日本海1号』の時はポーチに入ったアメ
ニティ・セットだったのでタオルだけと言うのは少々が
っかりしました。
【寝台特急『出雲』車内】
 同じく渡された部屋のキーです。ちなみに『日本海1
号』の時はカード・キーで記念に持ち帰れましたが、こ
のキーは下車する時に返却しなければなりません。
【寝台特急『出雲』車内】

 松江を出て30分で米子に停車。同駅では12分停まるとの事でした。案内放送曰く、車販は無い
のでここで弁当をお買い求め下さいとの事。

 米子から先は寝て行く事にしました。ベットに潜り込んでうとうとしている内に倉吉、鳥取、浜坂、
香住、城崎、豊岡と山陰本線の主要駅に停車し、豊岡を出たところで夜行列車お約束の放送休止とな
りました。再開は横浜到着前からだそうです。

 22時半ごろにトイレに立って戻って見ると、オバさんが部屋の鍵が開けられずに困惑していまし
た。キーを鍵穴に差して回すだけなのに何を悩む事があるんだろう?

 通路を通りながら各個室の状態を確認すると5つの部屋のドア窓のカーテンが閉まっていました。
つー事は少なくとも5人は乗っているんですな。

 再びうとうとしている内に0:32に京都に到着。

 0時半の京都駅です。まだ後発の一般列車があるので
対岸のホームにはそれを待っている客がいました。
【寝台特急『出雲』の車窓より】
 停車中に野洲行の快速が後着し先に発車して行きまし
た。こっちはこの先、米原の運転停車までノン・ストッ
プなのですが、この先各停になる野洲行を先行させるん
ですな。
【寝台特急『出雲』の車窓より】

 ふと見ると数線向こうのプラットフォームにブルトレの姿が見えました。後で時刻表を調べたとこ
ろ九州へ向かう寝台特急『さくら/はやぶさ』でした。15時間半前に小倉で出会った列車とまた出
会ったわけですな。

 京都を出た『出雲』は翌朝の静岡までノン・ストップとなりますが、50分ばかし走って1:22に米
原で停車しました。この停車は運転士がJR東海の社員に交代するための運転停車であり乗客は乗り
降りする事は出来ません。

 起きているつもりはなかったのですが、いつものように熟睡できぬまま2:20頃に名古屋で運転停車。
いつになったら寝台車で眠れるようになるのだろうか・・・。

 名古屋停車中には隣のプラットフォームに高松と出雲
市を目指す寝台特急『サンライズ瀬戸/出雲(併結)』
の姿が見えました。同列車は客車ではなく新しい285
系の寝台特急型電車です。
【寝台特急『出雲』の車窓より】

 個室の気温は少々涼しかったのですが布団を被るとちょうど良い感じになりました。

 寝たのか寝なかったのかわからない内に6:18に放送が再開され叩き起こされました。それによると
列車は定時運転に戻っているとの事でした。

 『出雲』は6:33に横浜に停車したあと、6:57に終点の東京に到着しました。出雲市を発ってから1
3時間18分の乗車でした。

 東京駅に到着した寝台特急『出雲』です。機関車は京
都でEF65型電気機関車に代わっています。
【東京都・東京駅】
 ホームで『出雲』の写真を撮っていると、同じプラッ
トフォームの対面ホームに出雲市を『出雲』より1時間
27分後に出発した寝台特急『サンライズ出雲』と高松
からの『サンライズ瀬戸』の併結列車が到着しました。
【東京都・東京駅】

 これで『出雲』の乗車は完了です。出雲市←→東京間には上の画像にある寝台特急『サンライズ出
雲』も走っているので、いずれは乗らねばなりませんな。

 後日談となるのですが、悲しいかな、この記事を書いている時点で、来る2006年3月18日のダイヤ
改正で寝台特急『出雲』は廃止される事が決まりました。

 原因は平均乗車率が3割にも満たないと低迷していたせいですが、これでまた貴重なブルー・トレ
インがひとつ姿を消してしまう事になりました。実に悲しい限りです・・・。

 2005年に廃止された『さくら』、『あさがぜ』、『彗星』に続いて、わずか1年間で4本目の廃止
となり、こうなるとブルー・トレインの行く末を案じざるを得ません。

 が、しかし、この「旅」当時の私がそれに思いを馳せる事はもちろんありませんでした。

 さてと、いささか睡眠不足ですが、お次は仙台へ向かう特急『スーパーひたち7号』です。それで
は上野に移動しましょう。続きはまた次回と言う事で・・・。

 第3部につづく・・・。


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