雪の科学者「中谷宇吉郎」

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 石川県金沢市で行われた商工会青年部連合会の全国大会(2002/11/14,15)終了後、私は同行の方々と別れて加賀市にある「中谷宇吉郎 雪の科学館」を訪れて来ました。
 “雪と氷の科学者”といわれ、「雪氷学」を確立した世界的権威である中谷氏は、1942(昭和17)年からの3年間、ニセコ町(当時狩太村)で樹氷観測・着氷研究を行っており、また、1945(同20)年には家族とともに疎開先として再訪し、当地で終戦を迎えるなど、ニセコ町と縁の深い方です。
 今回、同科学館の神田館長にもお話をうかがいながら、中谷氏の実績やニセコ町との関わりなどを改めて確認させていただきましたので、ここにまとめてみました。


中谷宇吉郎 略歴表
1900(明治33)年 現在の石川県加賀市生まれ 中谷氏は東大理学部物理学科を卒業後、
「天災は忘れた頃にやって来る」の
言葉を残した物理学者・寺田寅彦氏に師事。

後に北大に赴任して
十勝岳で雪の結晶の研究、
ニセコで着氷研究、
グリーンランドでアイスキャップ(氷冠)の研究
などを続けました。

世界で初めて人工雪の生成、
雪の結晶の分類、
氷単結晶の力学的性質の発見
などを成しています。

グリーンランドでの氷冠研究半ばで病に倒れ、
骨髄炎のため東大病院で亡くなりました。
1925(大正14)年 東京帝国大(現東京大)卒
1930(昭和5)年 北海道帝国大(現北海道大)助教授
1932(昭和7)年         〃        教授
1935(昭和10)年 北大常時低温研究室開設
1936(昭和11)年 人工雪の製作に成功
1941(昭和16)年 北大低温科学研究所開設
帝国学士院賞
1942(昭和17)年 ニセコで樹氷観測
1943(昭和18)年 ニセコで着氷実験
1946(昭和21)年 (財)農業物理研究所所長
1957(昭和32)年 国際雪氷委員会副委員長
米・グリーンランドで氷冠研究開始
1962(昭和37)年 骨髄炎のため死去





ニセコ町との関わり

 中谷氏は、1942(昭和17)年にニセコを訪れ、以後3年間にわたって、ニセコアンヌプリ山中において零式艦上戦闘機(ゼロ戦)へのプロペラ着氷状況について実験・研究をしました。その際、当家に宿泊し、建物裏で雪の観測をするのと併せて、隣接して資材倉庫などを設け、着氷研究のため山中への運搬に当たったと聞いています。
 運搬に際しては、当時の地元青年団が多数協力したとの記録がありますが、終戦のため研究は中止となり、機体は谷底に落とされたそうです。50年の時を経て、私たち商工会青年部はアンヌプリ山中での機体捜索を試みましたが、発見することはできませんでした。しかし後に、新聞社の取材機によって朽ちた機体の一部が発見されています。

ニセコでの研究に関する記述
随筆「鳥井さんのことなど」から ニセコ観測所前での写真
アンヌプリ山頂の観測所前
後列左から3人目が中谷氏
 私は北海道のニセコ山頂で、飛行機の着氷防止の研究をすることになった。国家総動員法による戦時研究である。ニセコの山頂は、着氷の発生に最も適した気象条件になっている。即ち、寒さと強風と濃霧と、三拍子揃ったところである。人間の生活には最悪の条件が、着氷の研究には最良の条件なのであるから話は厄介である。気温零下20度、風速40メートルがそう珍しくないこの山頂で、私たちは三冬を過ごした。


ニセコに残された足跡
エッセイ「イグアノドンの唄」から
 私たち一家は、この冬を、羊蹄山麓の疎開先で送った。ここは有島(武郎)さんの『カインの末裔』の土地であって、北海道の中でも、とくに吹雪の恐ろしいところである。「吹きつける雪のためにへし折られる枯枝がややともすると投槍のように襲って来た。吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れくるった」というのは、有島さんの有名な描写である。この荒涼たる吹雪の景色は、今日も少しも変らない。そしてこの無慈悲な自然の力に虐げられている人間の姿もまた、往年の名残りをとどめている。
「ニセコ観測所跡」の碑
 1964(昭和39)年、ニセコアンヌプリ山頂付近にあった旧観測所の風洞コンクリート台座跡に、「ニセコ観測所跡」「昭和十七年より終戦までここで北大中谷宇吉郎教授指導の下に航空機の着氷防止の研究が遂行された」と記された記念碑が建てられました。
 当地は国定公園内のため個人の記念碑建立は認められず、登山者用指導標としての役割も兼ねてつくられたそうです。


(私には登山の趣味がないので写真はありません。申し訳ない)
中谷氏ご一家は1945(昭和20)年にニセコを訪れ、疎開されていました。しかしその後、ご子息が幼くして亡くなられ、彼を偲んでエッセイ「イグアノドンの唄」がまとめられています。





中谷研究と雪の科学館

「雪は天から送られた手紙である」
上空の気象情報が、さまざまな形の雪の結晶となって地上に送られ、その暗号を解くことこそが雪の研究であり、
「雪は資源である」
私たちの生活を脅かす雪が、冷房・貯蔵・用水など、現代の利雪技術に応用できることを示唆した中谷氏の研究の一端を、つまみ食いで紹介します。

雪の結晶の一般分類
 従来、雪の結晶の一般的な形と思われていた六花状のもの(食品メーカー「雪印」のマークとなっているあの形)が、実は全量の中のごくごく一部であることを確認し、
 詳細な分類として「針状結晶」「角柱状結晶」「板状結晶」…など7種に大別。さらに分類して40種以上の結晶の形状をまとめました。
 また、この間に雪の結晶を人工的に作り出すことに成功し、これをもとに、どんな条件でどの結晶ができるかを「氷の飽和度」と「気温」のグラフ上に表した「中谷ダイヤグラム」をまとめて、1941(昭和16)年、帝国学士院賞の受賞につながりました。
グリーンランド
 1957(昭和32)年からアメリカ・グリーンランドに渡り、万年雪が固まった厚さ2km以上のアイスキャップ(氷冠)の中で氷の研究に当たりました。
 ここで、氷の耐久度が横に強く縦に弱い、という「氷単結晶の力学的性質」などについて成果を上げましたが、ここでの仕事は実験の3分の1ほどを残して病に倒れ、完成することはできませんでした。
「グリーンランド氷河の原」
雪の科学館中庭に造成された
「グリーンランド氷河の原」

グリーンランド北部・チューレ近くの
氷河モレーン(堆石)から運んだ石が
敷き詰められ、人工霧がたっています。
中谷宇吉郎 雪の科学館
 中谷氏の生誕地である片山津温泉地域は、その後の合併などで現在は加賀市の一部となっており、1994(平成6)年、生家近くの柴山潟湖畔に「中谷宇吉郎 雪の科学館」が開館しました。
 同館では、足跡をまとめた25分間の映画上映、中谷氏が携わった各種研究の資料・写真・体験ゾーンのほか、家族・同志を含めた“中谷ファミリー”の記録が集められ、広大な旧有島農場を背景にした当時のニセコの写真も収められています。
「中谷宇吉郎 雪の科学館」
「中谷宇吉郎 雪の科学館」

石川県加賀市潮津町イ106番地
<JR加賀温泉駅から車で10分>
<小松空港から車で15分>
<片山津インターから車で5分>

開館時間9:00〜17:00
(ただし入館は16:30まで)

水曜(祝日を除く)・年末年始休館
一般500円・団体420円
70歳以上250円
高校生以下および身障者は無料
お墓
 雪の科学館から車で約10分、加賀市中島町の田園地帯の一角にある共同墓地内に、中谷氏のお墓があります。
 ここからほど近い片山津温泉地域には生家跡(現在は加賀信用組合)もあり、碑が置かれているそうです。
中谷宇吉郎氏のお墓
中谷宇吉郎氏のお墓
隣に立っているのは亡霊ではありません。
私です。




このページの作成に当たり、「中谷宇吉郎 雪の科学館」のほか、
各種関連書籍を参考にさせていただきました。


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