トピックス
2004年4月〜2005年3月

<目次> 2004/4月〜2005/3月
第7回商工会青年部全国大会(1/27・28) ●平成17年新年交礼会(1/17) ●平成16年度視察研修旅行(9/24〜27) ●海上町商工会青年部(9/6) ●平成16年度通常総会(4/27) ●松村よしふみ氏との懇談会(4/4)

2002/2〜9月分のページへ
2002/10〜2003/3月分のページへ
2003/4〜2004/3月分のページへ
◆2004/4〜2005/3月分のページへ
2005/4〜2008/3月分のページへ
2008/4〜のページへ

トピックス全体のもくじへ

トップ帰還


●第7回商工会青年部全国大会 及平成16年度青年部員代表者視察研修

 平成16年度、第7回商工会青年部全国大会(熊本大会)が1月27・28の両日行われ、同年度の代表者視察研修と併せ26日(水)〜29日(土)の日程で参加して来ました。全青連・松村会長の地元開催となった今回の全国大会には約3000人が参加、北海道からは35名(ぐらい)、後志管内からは私を含め5名が同行しています。

グランメッセ熊本
初日の会場入り。背中に「北海道」の半纏を常時着用していました。
 開催地である熊本市は人口約66万人を抱える九州第3の都市。第3といっても、北海道で2番目の旭川市(約36万人)と比較すると人口が倍近くもある大都市です。それだけに、驚かされたのは歓楽街の大きさで、3000人の青年部員が集まったとはいえ十分に飲み込めるだけのキャパシティがあったように感じられました。
 まあ歓楽街の話を最初からするのもなんなので後回しにするとして(といいつつ最後まで書かない)、この熊本市、就任3年目の幸山市長は39歳の若さです。またJR熊本駅は九州のほぼ中央に位置しているのだそうで、そこを基点に市内には緑・茶・黄色などに色分けされた市電が走っています。しかしながら郊外の熊本空港は森を切り拓いて造られた風情があり、周囲は森に囲まれ、聞けばやっぱり熊本市は夏目漱石をして「森の都」と言わせたマチなのだとか。ちなみに「杜の都」といわれるのが仙台市。

 さて、さんざん熊本市のことを書いて来ましたが、同市は“なんちゃって開催地”であり、実は全国大会のメイン会場となったのは同市隣接の益城町にある「グランメッセ熊本」であります。この会場で2日間にわたり、主張発表全国大会・パネルディスカッション・分科会などの大会日程が消化されました。一方で、大会前後に道青連の視察研修も行われ、熊本城、NEC九州、阿蘇火山博物館などを回っております。


☆全国大会

加藤清正の入場 開会宣言
開会宣言は馬で入場した加藤清正。
 大会スローガンは「温故知新−きっかけの瞬間(とき)−」。自主自立の精神を忘れず、時代や環境が変わろうとも軸足を固めて、「この『火の国』熊本をRe Start〜新たなる出発の地とする」...という主旨が大会宣言に盛り込まれています。
 このスローガンに沿って、パネルディスカッション、分科会などが行われたわけですが、これに先立ち大会顕彰として人づくり部門・ネットワークづくり部門・まちづくり部門でそれぞれ6商工会青年部が表彰を受け、続いて各ブロックの代表6名による主張発表全国大会が行われて、富山県井波町商工会青年部の高木副部長が最優秀賞を受賞しました。高木副部長の発表は、地元の伝統芸能である木槍踊りの町流し復活を目指して練習に取り組み、忘れかけた町の姿を再興した、というものであります。まさに「温故知新」にマッチした内容だったといえましょうか。


あきんどネットワーク
「あきんどネットワーク」
サブ会場での商談コーナー。
 パネルディスカッションは2部構成で行われ、第1部は「故きを温ねて」をテーマに初日の全体会議で、第2部は「新しきを知る」をテーマに2日目の分科会(第2分科会)で討議されています。第1部では全青連の歴代会長・副会長3名に現在の松村会長・小川副会長を含めた5名がパネラーとなって、青年部連合会の草創期(昭和42年)から現在までの時代ごとの課題や部員数の増減に伴う盛衰ぶりが語られました。

 全国の青年部員数は現在約68000人ですが、最大を数えたのは昭和56年当時で約12万人だったとか。その頃を境に、部員数が年々減少することは人口推計でも明らかだったので、昭和62年の20周年式典では最初で最後の1万人規模の大会をしようと計画し、親会や事務局の反対を押し切りながらも、結局日本武道館に9000人を集めて成功させることができた、との回顧がありました。当時の幹部もそれだけ熱意を持っていたのでしょうが、思い起こせば6年前に札幌パークホテルで行われた第1回全国大会にも(確か)7000人が参加しています。部員数が減ったとはいえ動員力はさほど劣っていない(というか動員率は上がっている)という気もします。
 なお2日目の分科会に組み込まれた第2部には出席していないため、内容まではわからないのであしからず。


情報担当者連絡会議
「第2分科会」
情報担当者連絡会議。
 大会2日目の分科会は5つのテーマに分かれ、@兜沒c農場ワイナリーの福田社長による講演会、Aパネルディスカッションの第2部「新しきを知る」、Bネット戦略委員会、C全国情報担当者連絡会議、D商人ネットワーク商談会、の各分科会が実施されています。私はとりあえず管内の情報担当者でもあるので、第4分科会に出席(オブザーバーですが)しました。出席者は80人ぐらいだったでしょうか。

 この会のサブテーマは「コミュニケーションツールとしてのインターネット」。冒頭、全青連情報委員会からチャットを利用したネット会議(パソコンを利用した文字と映像による会議)の試行状況や問題点・展望などが説明された後、沖縄県の県青連HP活用例と、熊本県天明商工会のアンテナショップ「よかばい」による店舗販売とネット販売の紹介が、それぞれ担当の地元委員から先進事例として説明されました。
 またこの分科会では、メールマガジン「月刊青年部」の推進キャンペーンの表彰も行われ、今年1月現在の登録数(874件)、昨年1年間の登録増減数(+537件)でいずれも北海道青連がトップとなり、表彰されています。ちなみに表彰者は道青連の小川会長(全青連の情報担当副会長)、授与者が阿戸IT委員長でした。ほかに、普及率の部門は香川県青連(46%)で、“鎌田浩二”副会長が授与されています。


☆熊本城

熊本城
私と百武氏(鷹栖)と阿戸氏(大滝)と金子氏(上富良野)と添乗員さんと熊本城です。
 全国大会の会場入りする前、旅程2日目の午前中は肥後54万石のシンボル・熊本城を見て来ました。
 戦国末期の猛将・加藤清正の築城による熊本城は、周囲5.3q、面積98万uに及ぶ城郭を誇っていましたが、明治10年(1877年)の西南戦争で焼失。その後、広く一般から復元整備基金を募る「一口城主」制度(平成15年度末で7億6千万円)を設けて平成10年から工事が進んでおり、既に大手門や各種櫓門が復元されていて、現在は本丸御殿の再建工事が行われています。この復元整備計画の完成目標は平成19年度(築城400年目)だそうです。
 個人的には、昨年の視察研修で大阪城を、今回熊本城を訪れて日本3名城の2つを見ることができたので、あとは姫路城を残すだけとなりました。
 感想としては、かつて見た上山城や大阪城よりもロケーションが良く、写真撮影などもしやすい城、といった印象を受けます。お城の中に入ってしまえば、たいていは順路に沿った展示館と化しているのでこれといった感慨はありませんね。できれば内部構造まで再現されていれば・・・と思いますが。


☆NEC九州

NEC九州熊本工場
NECでのお勉強の様子。
 旅程3日目、全国大会終了後にNEC九州熊本工場を視察しています。
 ここはNEC(日本電気)最大規模の工場で、資本金10億円、平成15年度の売上高は692億円、従業員は2450名。アテネオリンピック女子バドミントン代表の吉冨桂子選手などが所属しています。
 実は、工場内の視察に先がけて担当の方から概要をレクチャーしていただいたのですが、せっかくとったメモを施設内で紛失してしまいました(^ー^) ...したがって、あまり詳細な報告はできません。確か、国内外の各工場は精密製造を扱う頭脳行程と組立作業を扱う組立工程とに色分けされており、ここは(というか国内工場の大部分は)前者に分類され、シリコンウエハ(ICチップの製造に使われる薄い基板)を製造している、というようなことだったと思います。
 作業はすべてロボットによって行われ、人間はほとんど監視しているだけ。遮断された扉の外から眺めただけですが、ロボットの非常に柔らかい関節の動きと、塵をシャットアウトしているだけに作業室の中がとても澄んで見えたことが印象に残ります。


☆阿蘇火山博物館

阿蘇中岳
噴煙の上がる阿蘇中岳。
 世界最大級のカルデラ型活火山・阿蘇山はいくつかの火口丘群からなっており、その標高は最高で1592m(高岳)。ほぼ中央に位置する中岳からは常に噴煙が上がっています。阿蘇火山博物館はそれらを眼前に一望できるところにあり、この日は快晴だったこともあって、展望バルコニーからの眺めは気持ち良いものでした。
 阿蘇火山の形成過程を再現するジオラマや大型スクリーンによる阿蘇の紹介は、お決まりの設備とはいえ、やはり初めての見学になくてはならないものです。館内のお土産品コーナーには木組みの健康指圧棒があったので思わず買ってしまいました。

 熊本入りして、前2泊は市内のホテル泊でしたが、3日目は阿蘇町にある阿蘇内牧温泉「蘇山郷」で道青連一行による意見交換会?(というより交流会)などを行っています。この蘇山郷さんは阿蘇町商工会青年部員の方が専務を務める旅館で、交流会のほか旅館外での二次会・三次会までセッティングいただいており、同青年部の方たち4名とともに阿蘇の夜を過ごさせていただきました。


                 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


 3泊4日で滞在した熊本はとても良い街、との印象を受けました。街並みは整っているし繁華街も大きく天気も良かった。雪が降りそうな寒い日(27日)もありましたけどね、その後は暖かったです。過去に参加した全国大会は札幌・宜野湾(沖縄)・浦安(千葉)・金沢(石川)といつも寒い目に遭っていたのですが、今回初めて暖かいと感じることができました。次回第8回大会は、年度が変わって今年11月、岡山県で行われるようです。

 ただ、毎回感じることですが、全国大会にかこつけてお祭り的に集まり、実はほとんど中身に関心がない、という輩が多いのが気になります。開幕時は席が埋まっていても、休憩時間を挟むと会場がガラガラになり、逆にロビー等に人が集まっている、というパターンですね。これはよっぽど興味深い内容になるか、自覚のある人間だけが参加するか、でなければ改善はされないでしょうし、初日終了後の交流会やサブ会場で行われている商談会に力点を置いているメンバーが多いことも事実でしょう。それはそれで意味はありますが、本大会に限っていえば、今後も続ける意味はあるのだろうか、という疑問はあります。
 また今回気になったのは、休憩終了後の“再開アナウンス”がほとんどなかったことと、開会中の場内の音が会場外に流されていなかったこと。そのため、再開されていることに気づかずにいたことが、実は私もありました。


 最後に、一緒に参加した方々のパーソナル情報です。

蘇山郷
蘇山郷での集合写真。
 一昨年、ニセコ町に視察に来られたえりも町の山中部長は、今回は我々道青連一行の団長として参加しています。山中部長には、来町されたご縁で昨年「ニセコ町商工会だより」9月号に「外から見たニセコ」のテーマで寄稿していただいたのですが、そのニセコの「商工会だより」そのものが地元でたいへん役立ったと話されていました。えりも町商工会でも3か月に1回、同様の会報を発行しているのですが、山中部長にお送りした記事掲載号を編集担当者に見せたところ、それまでは報告や連絡事項ばかりだった会報に記事が載るようになり、つくり方が変わったのだそうです。他町の編集方針に影響を与えるニセコの編集委員の皆さんに敬意を表します!

 同じく一昨年視察に来られた枝幸町の清水部長ともご一緒しました。実は行きの飛行機の中で、「一昨年お世話になりました、枝幸です」と声をかけられたのですが、「一昨年てなんでしたっけ?」と一向に思い出せなかった無礼なワタシ。「エサシ」と聞いた瞬間、道南の「江差町」が頭にイメージされ、「江差町と何があったかなー??」と必死に考えたけどどうしても解らなかったのでした。熊本到着後、清水部長とは移動のバスの中でずっと隣に座らせていただいています。

 当別町の安藤部長と千葉監事とは、3日目の旅館・蘇山郷で同室でした。当別さんも一昨年視察に来られていて、そのときは大津前部長が対応の中心だったのですが、今回ご一緒したお2人も同道されています。“橋の下にある金属オブジェ”を見学したことが特に印象に残っていたようで、さすが綺羅街道の看板を事前研究されて来ただけに納得。あのときはラム工房さんに突然お邪魔し、お世話になったのでした。
 ちなみにこの3日目の夜は、最後の最後に私たち3人の部屋に8人ほどが集まり、5次会だか6次会だかわからない会が繰り広げられて散々な目に遭いました(^ー^)(千葉監事は我関せず寝ていた)。

 当商工会の佐藤指導員の郷里・北桧山町の菊地部長ともご一緒しています。同部長は現在2期目だそうなので、指導員が北桧山にいた当時から青年部長だったわけですね。「浩ちゃんお酒が好きだから、飲ませてやってね」と頼まれて来ています。皆さん、心得ておいてください。


 私ごとですが、お陰さまで今回、5度目の全国大会に参加させていただきました。
 予算が縮減され、管内での巡り合わせもあることですが、7回開催のうち5回も行けたのは幸せなことだと思います。私なりにこの大会の流れを見て、開催主旨や現状を考えると問題点はあるものの、参加することによって得るものは多かったと思います。その第一は人脈であり、第二は外に向けた視野、であります。中でも「主張発表」に関しては、一見バカバカしく思えるものの、様々な事例ややり方、考え方を“知識”としてインプットできるだけでも相当タメになるものです。アウトプットしなけりゃ意味ないですけどね。
 私が参加するのはこれが最後になると思いますが、今後も機会があれば、ニセコ町からもどんどん参加するべき、と思うものであります。

●平成17年新年交礼会

豪華な食事に箸も進みました 平成17年の新年交礼会は1月17日(月)、プチホテル&レストラン・東山エッグシェルで行いました。

 この集まりは例年、町内のホテルで泊まりがけでゲームなどをしながらアットホームに過ごしていましたが、昨年から日帰りで実施しています。そして今回は初めて、ペンションを利用させていただいたのですが、エッグシェルさんには自慢の地ビールはもとより、予算にそぐわない超豪華な料理を用意していただき、感謝の念に耐えません。

逢坂町長からは青年部にはやることがたくさんある、と檄を飛ばされました 当日は部員17名のほか、逢坂町長、田中農業観光課参事、樫原商工会長にご来賓として出席いただき、事務局も含め総勢25名の参加で舌鼓を打ちました。また、昨年管内の広域振興事業として札幌のコミュニティFMに出演した際、ご協力いただいた役場の盛川主事も(わざわざ会費を払って)出席してくださって、部員と懇親を深めていただいています。

 商工会は今春から、ニセコを含む羊蹄山麓6商工会の広域連合化が実現される方向で進んでおり、青年部も一般部員も含めた地域間交流が求められるように思います。しかしその基礎となるのが地元の和であり、なかでもこうして多数の部員が会食することは新年会と総会ぐらいしかないので、今後も貴重な機会となるはずです。

 部員数は現在30名と増えており、会合等に参加する年齢層も2〜3年前に比べると飛躍的に若返っている、、、というわけで、世代間の距離も飛躍的に縮めたいところであります。今回も仕事の合い間を縫って途中から駆けつけてくださった逢坂町長からは、「青年部にはやるべきことがたくさんある」と、激励というよりも檄を飛ばされました。
 やるべきことができる素地は整いつつあるので、まずは周りに活力を与えられるような組織を目指し、1年のスタートとさせていただきます。

●平成16年度視察研修旅行

かぐや姫まつりのステージでPR
かぐや姫まつりのステージでPR
 平成16年度の視察研修は9月24日(金)〜27日(月)、奈良・韓国3泊4日の日程に9名の参加で行いました。研修目的は奈良県広陵町での「かぐや姫まつり」の視察と物販・同町商工会青年部との交流をメインに、韓国・ソウル市での南大門市場の視察、などであります。

 広陵町では昨年に続いてニセコ町の物産販売をしていただき、ステージ上でニセコを紹介する時間もつくっていただいたほか、イベント期間中の忙しい時間を割いて地元青年部の方々と会食・懇談する機会も得ることができました。私たち役職者だけでなく、参加した若い部員にとっても貴重な体験になったことと思います。
 ソウル市では、路地沿いの店舗から露店まで、町の一画がすべてマーケットと化した南大門市場の活気を体感でき、また外国で行動し地元とのコミュニケーションをとることで、これまた貴重な体験をすることができました。

<新千歳空港→関空→上本町→難波→上本町(都ホテル)>
大阪城
大阪城
 初日は大阪に入り、翌日広陵町入りするまでの時間を利用して軽く市内観光もしております。
 初日の食事は市内のお好み焼き店で舌鼓をうち、特に太麺の焼きそば入りにすると風味よく関西流の味を堪能することができましたが、道頓堀地ビールはちょっと口に合わず。水の違いかどうかはわかりませんが、これに比べるとニセコビールがいかにウマイか、と再認識した次第であります。
 翌日は朝のうちに通天閣、大阪城なども見て広陵町に向かいました。


<上本町→五位堂→広陵町(グリーンパレス)>

イベント会場
イベント会場
ステージ
ステージ

 2日目は研修のメインである奈良県広陵町でのイベント視察と交流。日中はイベント会場の視察組と奈良市内視察組の2班に分かれ、夕方から合流して地元青年部の方々と交流・意見交換などをしました。

 広陵町は靴下の生産量日本一のマチであり、柔道オリンピック3連覇の野村忠宏選手の出身地でもあります。また全国に7つある“かぐや姫伝説の地”のひとつで、これにちなんで毎年9月に「かぐや姫まつり」が行われています。会場の竹取公園には地元の業者や団体を中心に約300軒の露店が並び、ステージでは各種団体やサークルによるショーがひっきりなしに続いて、土日2日間の開催で数万人が訪れる大規模なイベントです。

 同町商工会青年部では昨年8月、視察でニセコ町を訪れた際にこのイベントでニセコの物産展を行ってくださることになり、スイートコーン500本・じゃがいも200kg・のむヨーグルト200本を初日1日で完売しました。そこで今年はさらに量を増やし、スイートコーン(キャンベラ)800本・じゃがいも(男爵&キタアカリ)600kg・のむヨーグルト600本を用意すると同時に、ニセコ町からもイベント視察・物販と部員交流のためお邪魔することにしたものです。

 会場ではステージ近くに置かれた商工会のブースで、女性部のご飯ものや青年部のかき氷と一緒にニセコ町のコーナーを設けていただいており、「北海道味便り」の看板を掲げて青年部の方々が精力的に販売されていました。
 聞けば、スイートコーンやじゃがいもも前売りの段階でかなりの量が売れているとのこと。こうした重量野菜はイベント会場で捌くのはなかなか難しいのですが、前売り発売する発想も凄いけどそれで捌けてしまう地元の皆さんの購買意欲にも感謝いたします。

ニセコ町のコーナー
ニセコ町のコーナー
じゃがバター
じゃがバター
 また、生野菜だけでなく釜を用意して“ゆできび”“じゃがバター”としても販売しており、さすがに商売のうまさを見せていただきました。加工してその場で食べると味の良さを解ってもらえ、食べたお客さんが今度は生の方を買ってくれる、というパターンもあるのです。

 昨年は用意した物産が初日で完売してしまったため、今年は2日目に売るものがなくならないよう、会場には全部を持ち込まず、一部を事務局内に残して来た、とのことでした。私たちは日が暮れて間もなく、途中で会場を引き上げましたが、やはりその頃には持ち込んだ物産のほとんどが捌けていたようです。

 一方、ステージでは歌や演奏、踊りやクイズのほかオリジナル演芸まで多種多彩な出し物が間断なく演じられていましたが、実行委や広陵町商工会さんの計らいで、合い間に私たちが登壇しニセコ町を紹介させていただく機会(しかも手話通訳つき!)を得ました。
 時間は10分間ほど、広陵町の大橋部長と東副部長、それに私と藤本副部長の4人がステージに上がり、ニセコ町の紹介とPR、来訪の経緯やブースの紹介をしたのですが、事前の打ち合わせもせず、ステージ上でマイクを手渡しながら勝手に分担して良くやったものです。

出かける前はまばらだったブースが
出かける前は
まばらだったブースが



ステージ上でPRして戻ってみたら
ステージ上でPRして
戻ってみたら



こんな状態になってました
こんな状態に
なってました
 それにしてもメインステージからのPR効果は抜群で、ブースに戻ってみるとニセコ町のコーナーに人だかりができており、担当の部員さんが大わらわの状態でした。隣の女性部の方々も「あんたたち大変なことになってるよ!」と言いながら手伝ってくださり、ありがたいことです。

 実はステージ上では、東副部長がスイートコーンを生のまま1本食べ尽くすパフォーマンスをしてくれたり、客席最前列にいらした地元選出の奥野衆議や吉川商工会長がその場でのむヨーグルトを10本単位で購入してくださったりと、地元の皆さんに大変ご協力をいただきました。

 夕方、奈良市内視察組が会場に合流してからはブースの中で休ませていただき、周囲の方々と1時間ほど懇談(というか談笑)の時間を得ることができたのですが、野村前部長をはじめ青年部の方々が入れ替わり相手をしてくださり、感謝にたえません。

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆

 この日のイベントは午後8時まで。広陵町青年部は翌日も早朝から準備があるとのことでしたが、既に交流会の場をセッティングしていただいており、これが今回の研修の大きな目的の1つでもありましたので、喜んでご一緒させていただきました。
 私たちはお言葉に甘えて早めに上がらせていただき、しかも1日の追い込みと片付けで忙しい時間帯にもかかわらず、バスを借り上げホテル・浴場・交流会場と部員の運転付きで送迎していただくに至っては、もはや恐縮するにもこれ以上縮みようがありません。

「和味」さんでの交流会
「和味」さんでの交流会
 交流会場は青年部の方が経営する「和味(なごみ)」さんで、片付けを終えた部員さんたちが続々と駆けつける中、結局当方9名、先方も10数名で2時間ほど懇親することができました。
 ところでここまで、お互いに顔も名前も知らないでいたメンバーがほとんどでしたので、他町交流の研修の一環として、PR付き自己紹介をしてみたのですがいかがだったでしょうか。こうした他青年部との交流に初めて参加した部員にとっては、とりあえず経験の1つとして研修の成果に加えてほしいところであります。

 それにしても、大橋部長・吉川指導員をはじめ広陵町の皆さんにはお世話になりっ放しで、こちらからは何もお返しするものがないまま、現地を後にすることになりました。また、旅行会社を経営する部員の綾井さんには、旅程企画からチケット等の手配までお世話になっています。
 何から何まで、ありがとうございました。


<広陵町→高田市駅→関空→仁川空港→乙支路>

 広陵町を早朝に出て、韓国・ソウル市には3日目の午後に到着。
 今回の海外研修は、大規模な屋台村を視察してみたい、という発想がきっかけの1つで、シンガポールや台湾も候補ではあったのですが、やはり近場の韓国に落ち着きました。

 到着したホテルからは、ソウルの一大マーケットである南大門市場まで歩いて15分ほどの距離です。滞在時間も短い(約24時間)ため、一休みした私たちはさっそく市内探検を兼ねて視察に出かけました。


 南大門はソウル観光のベース地点であり、一帯には主に日本人用の観光案内所が点在しています。特に目立つのはカメラ店の多さで、一見して居並ぶ店舗の半分以上がカメラ店ではないか、と思われるほど。
 そうした目抜き通りを路地に入ると、入り組んだ小路のすべてが市場となっており、道の両脇には革製品や小物などの店舗が、路上には衣類や食料品などの露店が、数え切れないほどびっしりと並んでいます。

衣類の露天商
衣類の露天商
野菜の露天商
野菜の露天商
辛〜い軽食の屋台
辛〜い軽食の屋台
 衣類の露天商は商品を並べた縁台の上で掛け声を上げ、野菜や魚介類の露天商は皮をむきながら品物を揃えて行き・・・こうした手法は、道行く観光客に見せるためのパフォーマンスもあるのでしょうが、市場に活気をもたらす大事な要因ともいえるようです。
 ただ、路地脇に並ぶカバンや衣料品店の店員が、腕をつかんで(もちろん軽く、ですが)引っ張って行こうとしたり体に触って来る行為はどうもいただけません。同種のお店が多いので懸命なのかもしれませんが、確か日本では、客引きの際に体に触れると暴力行為とみなされる場合もある、と聞いたように思います。

 前者のパフォーマンスは“客寄せ”ですが後者の行為は“客引き”、ということになるでしょうか。商売をする側はこの点を間違ってはいけない、と感じられる一件でした。

<乙支路→東大門→乙支路(ロッテホテル)>
東大門はどこだ!
東大門はどこだ!

 夜。こんどは南大門とはホテルから反対方向の東大門に向かいました。
 見知らぬ異国の地で、読めない文字を解読しながら地下鉄を利用しての移動となります。

 東大門は近年、南大門にとって代わり“ファッションの街”として若者が集まるようになった新しい繁華街で、一画には観光客向けではない本物の市場があり、そこを抜けると市場というよりもショッピングモールとなっています。こちらは小路ではなく、メインストリートに沿って歩道に屋台が並んでいて、こういってはなんですが屋台の質や衛生面では南大門より上、という気がします。

大型スクリーン前
大型スクリーン前
 一帯は、大通を挟んで両側が大規模施設群とビル群に分かれていて、施設側には野球場やサッカー場がそびえ立ち、ビル側には大型スクリーンやステージなどが集まっており、当日は日曜日とあって歩道は身動きがとれない状態でした。

 大型スクリーン前の広場には、一見してサッカー観戦とわかる人々が鳴り物付きで応援している場面に遭遇したのですが、ちょうどこの時間帯はアジアユース選手権の韓国−イラク戦が行われており、その試合が中継されていたようです。
 また、いかにもファッションビルといった様子の建物下にあるステージでは、ラジオの公開放送らしきこともやっていました。思うに、あれだけ各所でイベントをやるには歩道が狭すぎるのではないでしょうか。


<乙支路→仁川空港→関空→新千歳空港>

 このほかソウルでは、カジノを体験したり、南大門市場に4度も通った人もいたようです。
 見知らぬ土地では、見るものすべてが経験と学習になる、といって良いかと思います。

 また今回の研修旅行では、広陵町の方々に“おもてなしの精神”も教えていただきました。
 参加した9名にとっては貴重な経験と体験の連続で、楽しみも多かったけれど学ぶことも多かった、と感じています。
 改めてお世話になった皆様、ありがとうございました。


●海上町商工会青年部

 平成16年9月6日(月)、千葉県海上町(うなかみまち)商工会青年部の方々がニセコ町を視察に訪れました。
 ご一行は同青年部の椎名・浪川両副部長のほか、事務局の寺嶋指導員を含め17名の皆さん(多い!)。この大所帯による並々ならぬ視察意欲に対応して、当町からは私と藤本副部長のほか硲事務局長に佐藤指導員、久保補助員と総動員で懇談させていただきました。
硲局長による綺羅街道の概要説明
 海上町は千葉県の北東部、銚子市と隣接する人口約1万1千人の“滝のさと”。今回は1泊2日の研修旅行日程の中、初日に札幌ドーム視察を兼ねて野球観戦をした後、2日目にニセコ町に移動し綺羅街道などまちづくりの視察に来られたそうです。

 商工会会議室で行われた研修と懇談では、硲局長から綺羅街道の概要から花フェスタの実施までを説明したあと懇談に入りましたが、街やイベントへの取り組みはもちろんのこと観光への関心も高く、“観光のマチ”として捉えたニセコの現状などにも質問がありました。
 市町村合併については、海上町も周辺1市3町による法定協議会に加わっているとのことで、新市に移行する可能性もあるようです。いかに地元意識を継続させ、またマチに特徴づけをして行くか、それもお互いの共通課題といえるかもしれません。

●平成16年度通常総会(写真なし)

 平成16年度のニセコ町商工会青年部通常総会が4月27日(火)、商工会館で行われました。
 総会には町農業観光課の田中参事と平田係長のほか、樫原商工会長、女性部の日野浦部長と高山・住吉両副部長を来賓に迎え、部員18名(ほか委任状4名)が出席。15年度の事業報告と収支決算、16年度の事業計画と収支予算を原案通り承認いただいています。

 さて今回の議案で1つ例年と違っていたのは、連合会案として青年部員の資格緩和をするのに伴い、当青年部でも規約を変更して、部員資格の条文から「男子」という言葉を削除した点であり、今後は女子でも正部員となり得ることになりました。
 また、この総会を機に3名の方が新たに入部され、部員数は30名となっています。様々な事業・活動に皆様のご協力をいただいている中で心強い限りであり、在籍部員にとっても新部員にとっても、新たな人脈形成と学習の場になれば、と思います。

 なお議案審議の中で、狩太神社祭でのビール会中止に関するご意見と、視察研修計画、備品購入基金の取り扱いについての質問をいただきました。
 ビール会は昨年から協力実施を取りやめたもので、これは協力部員の負担軽減や部全体の運営負担を考慮したもので、神社祭の盛り上げを欠く一因になることは重々承知していますが、その一方で女性部主催の踊り山への協力参加が増える結果ともなりました。そのことを踏まえ、今年も昨年同様の方針で、踊り山などの別視点で祭りを支える方向で行きたい、と考えています。
 視察研修はアジア圏をターゲットとした研修を検討中のこと、備品購入基金は一般会計予算に編入することも検討すること、などをお答えしています。質疑の中でも示唆いただきましたが、基金の一般会計編入には慎重な対応が必要と認識しています。

 以上のような報告ですが、写真を撮るのをすっかり忘れていたのでテキストのみになってしまったことをお詫びします。こんなケースもたまにあることをご承知ください。

松村よしふみ氏との懇談会

松村全青連会長との懇談 平成16年4月4日(日)全国商工会青年部連合会松村祥史会長がニセコ町商工会を訪れ、管内から集まった商工会(商工政治連盟)関係者との懇談をしました。
 松村会長は全国の商工会員を代表して今夏の参議院議員選挙(全国区)に出馬することになっており、この時期、挨拶と懇談を兼ねて全国を回っています。4月3,4の2日間は北海道内を回っていたところで、この日は後志管内の仁木・共和の両町に続いてニセコ町に立ち寄り、集まった方々と20分ほどの懇談をしました。

 日曜日の夕方、何かと用事の多い時間帯だったと思いますが、町内外の各商工会長・会員、青年・女性部員など約60名にお越しいただいたことは、会場を提供し呼びかけた側にとってもありがたいことです。
 松村会長からは、商工会の置かれている立場、これから成すべきことなど、我々には及ばぬ切れのある語り口でお話しをいただき、一同納得いたしました。全国行脚する同会長のパワフルな行動にも頭が下がりますが、今回同行された道青連の小川会長、管内青連の向井会長ともども、皆様ありがとうございました。




先頭に戻る