トピックス
2002年10月〜2003年3月分

<目次> 2002/10〜2003/3月分
えりも町青年団体連盟(3/22) ●先進地視察研修in富良野(2/14〜16) ●ゆふいんの桑野さん(2/12) ●平成15年新年交流会(1/19) ●電気のふるさとじまん市(11/22〜24) ●商工会青年部全国大会(11/14,15) ●シェラトン札幌「ニセコ大収穫祭」(10/1〜31) ●ひら・カナ市町村サミット(10/18,19) ●当別さんと大鰐さん(9/29,10/8)

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●えりも町青年団体連盟

研修会。このときはまだお互いにマジメでした 3月22日(土)〜23日(日)えりも町青年団体連盟の方々がニセコ町を訪れ、まちづくりなどについて視察して行かれました。同連盟は、農・漁業、観光、商工など広い範囲の有志からなる“異業種団体”で、お互いが道内のひら・カナ町村という縁があり、また同町商工会青年部の山中部長とのご縁もあって、今回はニセコ町商工会青年部との間で研修・懇談をさせていただいたものです。えりも町からは「えりも岬観光青年クラブ」会長もされている南会長をはじめ7名の方が来られ、当方は青年部三役と事務局で対応させていただきました。

 ご一行は、最初に町内を散策された後で交流研修にお越しくださり、特にテーマは設けずフリートークで意見交換をしたのですが、先方には軽種馬生産をされている牧場のご夫妻もおられて、会場は熱っぽい“競馬談義”で大いに盛り上がりました(^x^)地方競馬界ではかの有名なワタシノデバンや、中央ではG1:安田記念2着馬ダスゲニー(道営記念馬カイソクミクロの妹)などを生産されている牧場です。
 また、えりも町は「風極の町」とも呼ばれる風の強い土地柄で、風力発電や風のテーマ館「風の館」などが知られていますが、近年は背面の道路整備が進んだことで、通過ポイントとなり得ない同町は観光客の取り込みに苦戦しているようです。漁業の面では、アザラシの数が増えて漁獲被害も出ていること、最近ではラッコの姿も見られること、など地元ならではの悩みや話題も聞かせていただきました。今回の交流で、えりもさんにとって何かの糧かヒントにつながるものがあったかわかりませんが、ぜひえりも町を良い方向に導いていただきたいと思います。

 さらに研修終了後は、場所を移して懇親会をさせていただいております。
 これは大変でした。なにしろ二次会は2班に分かれて、カラオケはともかくススキノに行くという話もまとまってしまったので。。。
 そこで、仕方がない(^^)のでえりもさんの事務局と女性の方は副部長以下におまかせして、私は勇気あるその他の方々と一緒に、10時間前に下って来たはずの中山峠(前日は別件で札幌泊まりでした)を再び登るハメになりました\(^x^)/帰宅したのは午前4時(札幌で泊まるときより早いという突っ込みは不可)。こういう経験もありかなということで、とても面白かったです。


●先進地視察研修in富良野

 2月14日(金)〜16日(日)、ニセコ町商工会青年部は平成14年度の先進地視察研修として富良野市に行ってまいりました。参加者は8名とやや少なめでしたが、藤本副部長と鎌田前部長にワゴン車を出していただき、2台に分乗して内容ある旅行をして来ております。私は前日から管内IT担当者ネットワーク推進会議で札幌にいたため、14日朝に小樽駅で拾ってもらうという意味不明の行程でした。
 富良野市は、アルペンスキーのワールドカップが毎年開催されるなど、かつては冬のイメージが強かった街ですが、今はラベンダー畑やアウトドアスポーツなど夏の観光がそのイメージを上回っています。そうした点はニセコ町とも似ており、今回は、冬の巻き返しにつながるような富良野の様子や考え方を研修することが目的でした。対応していただいたのは、(社)ふらの観光協会の会田専務理事、富良野まちづくり事務所の近内所長など4名の方です。
 そこで詳しく説明いただいたのは、5年前から開催している「わいわい祭り」。毎年2月に行っているものですが、市内にある4つの商店街の共通商品券を発行するなど、夏の「北海へそ祭り」や「ワインぶどう祭り」とは一味違った市民向けイベントとして定着しているようです。

「拾って来た家」 しかし研修として特に参考となったのは、夏冬にかかわらず各イベントで用いられる運営方式でした。特定の団体が音頭をとるのではなく、すべて個人参加による実行委員会方式をとっており、何十人というスタッフに個人のつながりができるので、そのネットワークが年々広がりを見せているようです。「イベントは、まずスタッフが楽しめるものを」という理想像の好例といえるかもしれません。
 また、当地では天候に恵まれ、初日のナイター・2日目の午前中とスキーを楽しんだメンバーもいます。余談ですが、スキー場周辺はゲレンデに向かって坂道が延びる小タウンのようになっていて、その様子は「ひらふスキー場」に良く似ていました。一方別組は、市内観光の定番ということでドラマ「北の国から」のロケ地に行っております。あまり時間もなかったので最新(最終)の観光ポイントである「(五郎の)拾ってきた家」を見て来ただけですが。

 いま富良野市では、「駅前地区まちづくり計画」として区画整理が始まっています。全体構想では平成20年をメドとし、総事業費は約60億円を見込んでいるそうで、倉庫や空き地を利用した多目的施設の整備などが計画されているようです。そこでの活性化のテーマは、「住む人」がたくさんいるだけでなく「目的を持って集まる人」もたくさんつくる、ということなのですね。きっと、数年後には富良野駅周辺の様子はガラリと変わるのだと思います。
 なお、今回の研修では、当初ほとんど無計画だったところに、役場の折内係長から助言をいただき、先方の観光協会に口添えをしていただくなどお世話になっております。また当地でも、たいへん親切に応対していただきました。この場を借りて(自分のサイトだけど)お礼申し上げます。

※実はあまりに研修に集中していたため(本当に)、研修中の写真を撮り忘れました(謝)


●ゆふいんの桑野さん

 2月12日(水)、ニセコ町職員研修講師として大分県湯布院町の桑野和泉氏が来られ、「ゆふいんの町づくり」と題した講演と、関係者を交えた懇親会が行われました。桑野氏は地元温泉宿(玉の湯)の専務取締役であると同時に、由布院温泉観光協会の専務理事も務められ、“ゆふいんの町づくりと人づくり”に中心的な活躍をされている方です。この日の研修は、役場職員の方たちを対象としたものですが、懇親会にはリゾート観光協会の木下事務局長と私も呼んでいただき、講演会から参加させていただきました。
 湯布院町(の観光総合事務所)は、ニセコ町との間で人事交流も行っており、“まちづくり”においてはニセコの大先輩に当たる町です。「観光」をベースに、また人を育てることを命題として一大温泉街を築いて来た精神には、学ぶべきものがたくさんあります。桑野氏の講演の中に、「観光とは人を幸せにする産業である」との言葉がありましたが、同じ言葉を、昨年テレビの旅番組で中谷健太郎氏(現在の由布院温泉の基礎を築いて来られた方です)が言っておられたのを思い出しました。きっと、長い年月をかけそうした精神を受け継ぎながら今日に至っているのだと思います。もう1つ、新しい響きを持って聞いたのは、「観光が新しい産業を興す」という言葉です。私たちも、“観光は産業の1つなのではなく、すべての業種の総合体”という認識は持っていました。しかし桑野氏の言葉からは、“観光は単なる集合体ではなく新しいものを生み出す出発点でもある”という意味もあるように思え、なんだか果てしない奥深さを知らされたような気がします。
 この講演は、職員研修としての役割だけでなく、できることなら商工会関係者や、場合によっては町民にも開放して聞くべき内容であった、と思います。

町長にシャッターを押させた無謀なショットです 講演会終了後、場所を移して10名ほどの懇親会が行われ、逢坂町長・野村助役以下役場の方々に混じって、木下事務局長と私も出席させていただいております。桑野氏は、書いていいのかどうかわかりませんけど私たちと同年代の方であり、非常に気さくなこともあってすっかりお友達になってしまいました(つもり)。私は翌日、道青連関係の会議で札幌に向かうことになっていたのですが、町長のご好意もあって桑野氏の帰りの車に同乗させていただいております。(町長公用車でした。たいへん恐縮しております)
 湯布院町には、ニセコ町からも何度か視察団が訪問し、昨年は当青年部から若手部員も同行させていただいていますが、私は行ったことがありません。機会があれば、お邪魔させていただきたく思います。

※ゆふいんは町名が「湯布院」、温泉名が「由布院」となっております。
※写真左から木下事務局長・吉村課長・私・桑野氏・井尾主事。


●平成15年新年交流会

 1月19日(日)、ニセコ町商工会青年部の新年交流会をホテルレイトンニセコで行いました。
 新年もこの時期になると、そろそろ飲み疲れの方も多数おられたことと思いますが、会場には部員17名(在籍28名)と事務局のほか、ご来賓として逢坂町長、樫原商工会長と役場の中塚商工観光課長、井尾主事にも来ていただき、確か総勢24名?で、せっかくの日曜の夜を潰したのであります(o*x*)o=パタッ
 昨年は花フェスタなどの新しい取り組みもあり、当青年部にとっても例年に増して忙しい夏となりました。今年もどのような苦難・楽難が待ち受けているかと思うと、思わず口元がほころんで、、いや引き締まります。

部員17名が出席しての新年交流会 多忙を縫って逢坂町長(左)にもご出席いただきました

  さて、当日逢坂町長は相変わらずのお忙しさで、2件、3件の用事をこなして来た中でわざわざ当宴会に立ち寄っていただき(終了後は倶知安町長選の当選祝いに向かわれたと聞いております)、開宴時にご本人がおられないのをいいことに、町長の物真似を交えて部長挨拶をさせていただきました。といってもツカミの部分だけなのですが、それがえらく気に障ったらしく、「もう1度やってみせろ(`´メ」と凄まれました。真似たのは挨拶だけで、中身は何もしていませんのでご容赦ください。

 ともかくそうした訳で、最初に滑るとその後も制動が効かずあまりにも場を白けさせたので、実は喋ろうと思っていたことの後半部分を割愛して途中で挨拶を切り上げました。
 ここで言いたかったのは、年が明けてこの冬もやってみようかと思っていることや予定行事がある(雪像づくりや「ゆきまつり」など)ことと、今後は綺羅街道そのものにこだわらず、その両端からつながる道路にも、通行者の目を魅くような工夫をして行くべきではないか、ということであります。たとえば街道と隣接するニセコ大橋をイルミネーションで彩ったり、その先のスキー場へと続く道道にも何か特徴付けをしたり、あるいは反対側の道の駅につながる無味乾燥な“連絡道路”を改装して国道から車を誘い込む工夫をしたり、行く行くは山麓を巻き込んで中山峠まで何らかの特徴を持った道路が連続する“金太郎飴ロード”のようなものに…なんて。

 当日は、出席部員のほとんどが同ホテルに宿泊させていただき、これは地元に住む人間にとっては普段経験することのない貴重な機会でもありますし、ホテル側の方々にも大変お世話になりました。
 交流会そのものは賑やかに、有意義に過ごすことができましたが、当青年部も若手・先輩間の年齢差が大きくなっている(確か25歳差があります)ので、もっとお互いの意思疎通を図る機会をつくることも必要かな、と感じているところです。というか、30代前半の人がほとんどいないので、その意味で“つなぎの世代”が不在といえましょうか。別の言い方をすれば、数年後には(いや今年からでも)部の中心世代がぐっと若返ることができる、ということになります。
 そうした課題・希望もそれぞれに併せ呑んで、ともあれ今年もよろしくお願いいたします。


●電気のふるさとじまん市

 電気をつくる市町村の物産・観光展電気のふるさとじまん市が、11月22(金)〜24(日)の3日間、千葉県・幕張メッセ(千葉市)で開かれました。このじまん市は(財)電源地域振興センターが主催しており、13回目を迎える今年は発電所を抱える全国228の市町村が出展しています。
 ニセコ町からも農産物販売促進委員会のメンバーを中心に、逢坂町長やニセコ高校生、役場インターンや農業実習などでニセコに関わりのある関東圏に住む人たちも含め、30人近くのスタッフが入れ替わり協力しながら3日間を完走しました。

階上の入り口付近から見た会場
会場の四半景ぐらい
常連のニセコファンもたくさん来ていただきました
ニセコ町のブース
手の空いてる人は皆“運び屋”になります
「お買上の方は、駐車場まで
無料で運びます」
「荷物あずかりします」
居並ぶソフトクリームの中でもよく売れました
幕張初登場のミルク工房の
ソフトクリーム
フライドポテト・スライスだんごなどを出しました
ブース裏は休憩室兼調理場


 じまん市が行われたのは、“幕張新都心”の中でもJR京葉線「海浜幕張駅」寄りのメッセ9〜11ホール。というか実はこの会場はメッセ駐車場から果てしなく離れて(いるように感じる)おり、私たちとしても重い買い物をしていただいたお客様には駐車場までの配達サービスをして感謝の気持ちを表しましたが、なかなかタイヘンな仕事でした。メッセ各ホールでは、このほかにも「全国海産物展」や「ジュニア吹奏楽コンクール」「全日本マーチングフェスティバル」なども同時開催され、また最終日の24日には「国際千葉駅伝」も行われて、メッセ駐車場付近が中継点となっていました。

 地元千葉マリンスタジアムがすっぽり入るぐらい(ぎりぎりかな)の会場には、3日間で2億人ほどの来場者があったでしょうか(嘘)。
 ニセコ町で用意したのは、じゃがいも(キタアカリ2300kg、男爵1000kg、レッドアンデス150kg、とうや150kg)、かぼちゃ(冬至100個)、ゆりね50kg、大豆30kg、小豆40kg、みそ6.5kg、(ほしのゆめ20kg、あいがも米25kg)、いももちかぼちゃもち200本、ゆりねようかん150本、トマトジュース90本、のむヨーグルト1340本、ソフトクリーム1000個、、、などなど。
 このうち、とうや・みそ・大豆・あいがも米は初日で完売、その他の出展物も含めて最終日の午後3時15分に、用意したものすべてが完売しました。

 特に、ミルク工房のソフトクリームは今回が幕張初登場。というのも各市町村ともソフトクリームは定番で、会場内を20歩あるくとアイス売り場にぶち当たるという凌ぎの様相であります。そうした中でも、味はもとよりテレビなどで紹介されネームバリューもあるニセコのアイスは、順調に売れました。機械の調子が良ければもっと捌けたかもしれません。
 また、常連ファンもいて飛ぶように売れるのは、やはりミルク工房の「のむヨーグルト」です。どこに行っても感じることですが、これの人気は尋常ではありません。

 その一方で、他の即売会でも感じることですが、じゃがいものような重く大きな“原型野菜”は結構苦戦します。今回は他の市町村との競合がほとんどなく、来場者には最初からこうした産直素材を目当てに来られる方も多かったようなのでよく捌けましたが、やはり人が群がって来るのはその場で食べられる加工品です。ニセコ町でも、キタアカリや男爵のフライドポテトを試食用に出すと、あっという間になくなります。
 もっとイモの甘みや感触がよくわかる「こしイモ」などを販売用に出せば、売れ行きも良く味も知っていただけるのかもしれません。その際は、地元の水で調理できればさらにいいのですが。

 また、ブース前には15kgほどもある大玉キャベツを2つ、展示用に持ち込みました。こうした珍しいものは、“客寄せ効果”も抜群です。興味を持って人が寄って来れば、話のタネにもなります。会話の糸口となるディスプレイは、“客寄せ”以上の効果がありますし、その意味ではディスプレイに気を遣うことも大事かと思います。

     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 さて土日は人で溢れ、広い会場も熱気でいっぱいとなりました。他のブースでもそれぞれに活気があり、またお互いに偵察・買い物をして歩くのは当然であります。

 ニセコの斜め向かいで出展していた鵡川町は、全国的に評判の高い“本物ししゃも”を売りまくりました。最終日の開店早々に完売し、11時前には撤収されたようです。開店中は試食用の炭焼きししゃももいただき、なぜかニセコのソフトクリームとちゃんぽんでおいしくいただきました。こんどは“ししゃもアイス”を開発してみてはいかがでしょう。
 ブースが背中合わせだったのは上川町です。当方で仕切り壁を振動させたところ、何やら壁の向こうで崩れ落ちる音がしたとのことですが、ご迷惑をおかけしなかったでしょうか。地域プランナー伊東徹秀氏と開発したという上川ラーメンは、またまた今回もタイミングが合わず、いただくことができませんでした。
 北海道・東北エリアの出口近くでは、青森県十和田市のブース前で大きな馬の着ぐるみ「駒松(コマツ)くん」が常に人に囲まれていました。着ぐるみの大変さは、この夏いやというほど体験しました。ご苦労さまでした。
 広い会場内で、ニセコと対角線上の一番遠い位置(お互いに角の隅っこでした)で出展していた愛媛県松山市からも、わざわざ差し入れをいただいております。ありがとうございました。
 ブースにお越しくださった富山県新湊市のキャンペーンレディM山さんには、記念写真を撮らせていただきました。写真お送りしましたのでこれからも仲良くしてください。
 この夏、綺羅街道オープンカフェで一緒に酒盛りをした東京の吉野様ご夫妻にも、わざわざ顔を出していただきました。しかも一人一人にお土産までいただき、恐縮しております。ありがとうございました。


 期間中、私たちは幕張メッセ近くの「幕張プリンスホテル」に宿泊し会場に通いましたが、さすがに昼間、“新都心”や海浜公園の様子をゆっくり見て回る暇はありませんでした。夜は歩きましたよ、手伝っていただいた地元の方々も一緒にゾロゾロと。
 幕張プリンスは、単独ホテルとしては日本最高層の建物で、地上50階の展望窓からは富士山や日本アルプスも眺望できるのだそうで(ということを帰りの機内誌で知った)、そうと知っていれば最上階まで昇ってみるんだった、とも思ったりして。「国際千葉駅伝」出場の外国選手も宿泊していて、なかなか国際色豊かでした。ニセコから一緒に行ったある女性スタッフの目撃談によると、「酔っ払いは万国共通」、だったそうです。




●商工会青年部全国大会

金沢市観光会館
大会会場

 商工会青年部連合会の全国大会11月14(木)・15(金)の両日石川県金沢市で開催されました。今回参加したのは全国から約3000人、北海道から70人ほど、後志管内からは私を含め7名の部長、であります。
 この全国大会は、札幌で開かれた第1回を皮切りに、沖縄・千葉・広島と開催されて今回が5回目であり、私は2年ぶり4度目の出場(高校野球みたいだ)となりますが、いつも、どこへ行っても寒いです。例年は2月の開催ですが今年度は初めて11月に行われており(ということは年次では4年連続参加)、さすがにコートはいらないだろう、と思って車の中に置いて行ったんですけど、あまりに寒くて現地でコートを買っちゃいました。空港でレンタルコート屋を始めたら商売になりそう、と思ったりなんかして。。。
 参加人数でいうと規模は年々小さくなっているようで、確か札幌のときは全国から7000人、沖縄のときは北海道から500人行ったような記憶があります。

 行程は、道青連の「代表者視察研修」を兼ねていますので、前後泊を含めて3泊4日。全国大会は14日午後から15日午前中の日程ですが、その前後に3班に分かれての「同業種・異業種交流実践企業等の視察」が組まれ、それぞれ2件の研修を行いました。

松村全青連会長の挨拶
全国大会
地元青年部らによる物産展
会場外の地元物産展会場

 大会では、全国6ブロックの代表による主張発表が行われ、関東ブロック・栃木県粟野町商工会青年部の関口弘副部長が最優秀賞。ほかに今回は、初めての試みとして「あきんどネットワーク商談会」と屋外でのバンケット(立食交流会)が実施され、「あきんど〜」では青年部関連の全国36の個店や団体が出展して販路拡大などをアピールし、初日終了後のバンケットは大会会場(金沢市観光会館)近くの金沢城公園で行われています。

 最後の夜である3日目は山中温泉泊まりとなり、CX系(UHB)のドラマ「はるちゃん2」の舞台ともなった旅館「翠明(桂御園)」で、研修報告会も兼ねた宴会が催されました。道青連単位での宴会は人数も多く、壮観といえば壮観ですが、それにしても脱ぎ好きの方は随分いらっしゃいます(^ー^) 盛り上がるのも激しいですけど、ケジメというのかメリハリというのか、終わったら粛々と引き上げる態度はなかなか潔いものだと感心しました。潔いといっても一次会場を引き上げただけ、ですが。

「翠明(桂御園)」
「はるちゃん2」の舞台「翠明」

 また、この時期の北陸地方は天候が不順とのことで、私たちの滞在中も連日“降ったり止んだり“の雨模様でした。さすがに雪が積もる時期ではないようですけど、紅葉のピークは過ぎ、夜ともなれば震えながら街を歩くことになります。
 金沢城公園では大河ドラマ「利家とまつ」にちなんだ「加賀百万石博」が来年1月まで10ヵ月間の開催中でしたが、さすがにそれらを見て回る余裕はなかったですね。金沢は、私にとっては高校生の頃からずっと一番行きたかったマチで、兼六園とか武家屋敷とか金沢城とか金沢競馬場など、いろいろと興味はあるのですが、今回は最初からあきらめてました。またの機会にします。
 そういえば石川県庁が移転するそうで、田んぼの隣にトリプルタワーの新県庁が建っていました。これは決して田んぼの中に街があるのではなくて、街の中に田んぼがある、という感じで、それにしてもちょっと不思議な光景ではありました。

 総括としては、大会自体は内容が工夫され、徐々に中身はできて来ていると思うのですが、いかんせん日程がつらいです。ほかの予定との絡みや個人的な理由もありますけど、前後泊つきの3泊4日はちょっときつい、というのが実感であり、せめて前泊か後泊のみにとどめていただきたいものです。そうはいっても、朝の出発や夜の到着となれば、道内でも遠方から来る方々は結局札幌か千歳でもう1泊することになるんですよね。それはわかりますが。。。
 運営に当たった地元の方々も大変だったことと思いますが、最大の疑問を挙げるとすれば、バンケットを外で行うのはあまりにも無謀かなと。気候を考えていただきたいです。南国から来る人、などもいるわけですし。といいつつ私はその場にいなかったのですが(謝)

 当地では、お世話になっている方、ニセコと関係のある方とも何人かお会いしました。先立って「ひらカナサミット」を開催したびわ町の中川部長、3月に視察に来られた上川町の原田部長、10月に来られた大鰐町の相馬前部長、競馬予想ラリー(私だけだけど)の静内町の平野井部長、など。原田部長とは同じ班で行動しましたが、あまりの研修熱心さゆえか、計測不能の遅刻のバッケンレコード。弟さんさながらの大ジャンプを見せていただけました(^ー^)
 次回は、全国6ブロック一巡の最後となる近畿ブロック・滋賀県開催だそうです。


●シェラトン札幌「ニセコ大収穫祭」

 10月1日(火)〜31日(木)の1ヵ月間、新札幌駅近くにあるシェラトンホテル札幌「ニセコ大収穫祭」が催行されました。同ホテルは今年からニセコ町と友好提携を結び、ホテル内のレストランやベーカリーではニセコ産の食材を使ったスペシャルメニューを提供するなど、ニセコファンの拡大にも大いに貢献いただいています。
即売会場のディスプレイ
1Fロビーのディスプレイ。
手作りのジャッコランタンは
蝋燭を灯して
パーティ会場に飾られました。
“活け花教室”
しなびたダイコンの葉を
カボチャの頭に植毛する
O道・農販会長。

   

 そうした中、大収穫祭はホテルと町がタイアップして実施した“実りの秋のフェスティバル”で、期間中は「ニセコ町農産物販売促進委員会」のメンバーが出向いての農産物宅配や産直即売会(上・中・下旬の合計6日間)、ニセコにまつわるクイズに答えて応募する「お楽しみ抽選会」(31日)、ニセコじゃがを使った「わが家のアイデア料理コンテスト」(13日)などが行われました。
 即売では、都合6日間で用意したもののうち、「のむヨーグルト」大小合わせて1040個、「いももち」136個は完売。また、この夏に提供した「ニセコの玉手箱」の秋版として、A(もちもちセット),B(じゃがじゃがセット)各セットのシェラトン限定版も取り扱い、それぞれ37セットずつの注文をいただいています。

 最終日の31日は最後の即売会と抽選会のほか、同ホテル主催の「第2回オータムチャリティーナイト」を“ニセコ大収穫祭フィナーレ”の冠付きで実施いただきました。チャリティーナイトはハロウィンにちなんだ仮装パーティで、その収益金は北海道社会福祉協議会に寄贈されます。
原始人に仮装した副総支配人
主催者あいさつ。
ホテルスタッフも
仮装しました。
ニセコ産食材のメニュー
「ニセコ産タマネギを
使った豚フィレ肉の
甘酢ソース」
 もちろん、パーティには当日即売を行っていた農販促メンバーも参加。しかも仮装が条件とあって、準備していなかったメンバーは即売の合い間に街へ繰り出し、仮装グッズを仕入れて来たのでした。そのコスチュームはスーパーマン・サンタクロース・牛・戦闘員・・・など。いずれも“撮影厳禁”のお達しがあったため、ここでは紹介できません。現地からは仮装要員として着ぐるみのニッキーが用意され、アルプホルンを披露するため「ポテト共和国音狂隊」の皆さんも招待されていましたが、いつもは目立つ音狂隊のユニフォームも、この日ばかりは普通の服装に見えました。

 ホテル側からは「来年もよろしくお願いします」とのお言葉をいただき、今後も友好関係を保って行けそうですが、さらなる友好を深めるためには、町民こぞってコスプレに磨きをかける必要がありそうです。



●ひら・カナ市町村サミット

竹生島の石段。この階段に国道も通っています 平成14年度(第13回)の全国ひらがな・カタカナ市町村サミット10月18(金)・19(土)の両日、滋賀県びわ町で開催されました。サミットは、初日の町内視察とレセプション、2日目の総会と青年部長会議・物産交流会などの日程で行われております。昨年までの加盟12市町村のうち、今年は11市町村と13商工会及び商工会議所から104名(レセプション出席者)が集まり、ニセコ町からは役場の大石収入役と井尾主事、商工会の久保補助員と私の計4名が出席しました。
 びわ町は琵琶湖の北東部、ニセコの姉妹町であるマキノ町ともほど近い場所にあり、初日の視察では竹生島(ちくぶしま。マキノ町との交流でもよく話題に出る琵琶湖の島ですが、行政区ではびわ町に属します)に渡って165段の「祈りの石段」(写真)を昇降してまいりました(^-^) この石段には日本で唯一、車の走れない国道(階段の国道)も通っているとか。また、この島の宝巌寺(ほうげんじ)の弁天堂は、厳島(広島)・江ノ島(神奈川)と並ぶ“日本三大弁財天”の1つだそうです。 

ひら・カナサミット総会 さて総会(写真)の前に行われた青年部長会議。びわ町は第1回のサミット開催地であり、今回が2巡目の開催ですが、「当初は商工会が中心だったサミットがその後は行政主導に変わって来ており、今後は原点に立ち返って商工会、特に青年部主導に戻して行こう」、との方針が確認されました。同時に行われた市町村長らによる役員会でも同様の意見が出ていたようですが、この意向は昨年の開催時(和歌山県すさみ町開催)から示されていたもので、そのため今サミットではびわ町商工会の中川青年部長が実行委員長を務めています。
 青年部長会議では、サミットに先立ち毎年夏休みに行われている「ちびっこ大使」交流の成果が評価され、これと同時進行の形で青年部世代(つまり親の世代)の交流も検討すること、物産交流を継続すること、サミットの場以外でも機会に応じて交流の場を持つこと・・・などが話し合われました。

物産交流展・フリーマーケット 総会では、、、まあいいですね、各種議案審議のほか、北海道えりも町の脱会、埼玉県さいたま市の新規加盟、次回開催地に青森県むつ市、などの報告・確認がなされました。ひら・カナ市町村はいま全国で新規誕生があり、一方で合併により名前がなくなる市町村もありそうなので、このサミットも今後どのような方向に進むことになるのか、先行き不明、とも思えます。
 総会終了後は、会場となったリュートプラザで物産交流展が開かれ、参加各市町村が出店・即売したほか、同時に地元の方々が集まってのフリーマーケットも開店しました(写真)。これと並行して、施設内のホール(劇場としても機能するなかなかのホールであります)では来場者を対象とした抽選会が行われ、参加市町村の特産物が提供されています。びわ町は、田畑が広がる農漁業のマチのイメージがある一方で、こうした綺麗な施設整備も行われている印象を受けました。

 番外編ですが、、、当然サミットにはニセコと姉妹町であるマキノ町の方々も多数参加され、初日のレセプション終了後は恒例により、夜の“カタカナサミット”が行われました。ニセコでもお馴染みの吉原町長、渡辺議員、栗本青年部長など総勢8名ほど(実はよく覚えていない)の皆さんがわざわざ当方の宿泊先までお越しくださり、別間を借り切って二次会を繰り広げたのです。毎年のことですが、ほとんどこちら側が接待していただいた状況であります。
 さらに後日談ですが、、、渡辺議員はこの4日後にマキノ町議会視察ご一行の1人としてニセコ町を訪れることになっており、私はその際にも当青年部の先輩方に混じってお邪魔し、5日がかりで合わせて“四次会”まで“交流”させていただきました。
 

●当別さんと大鰐さん

 9月29日(日)に石狩管内当別町の、10月8日(火)には青森県大鰐(おおわに)町の商工会青年部の方々が、それぞれニセコ町に視察に来られました。いずれも、当初は当ホームページの掲示板上でアプローチいただき、その後もメールや電話などで調整をしながら、当日ご来町いただいたものです。
 当別さんは、綺羅街道の取り組みなどを視察するため、大津部長以下15名の方が見え、当方は指導員と部長で対応しました。しかし当日は日曜日、それも「花フェスタ」が終了した直後とあって、綺羅街道周辺は静かに休養中。まさに3ヵ月間の疲れを癒しているときだったのです。そんな中、皆さんは事前リサーチで金属オブジェによる各店の看板を研究しており、それならということで、看板の製作先である「ラム工房」にお邪魔してギャラリーを見学させていただきました。
 帰りには道の駅にも立ち寄り、「ミルク工房」のアイスクリームや「ぱおぱお」の杏仁豆腐などを食べた方には、いたく気に入っていただいたようです。その夜は、朝里川あたりの温泉でコンパニオンのお姉さんたちと楽しく過ごした由。。。

 大鰐さんは、福士部長以下4名の方が見えました。ペンション「キートス」を会場に、渡部オーナーも交えて事務局と三役で対応したのですが、青年部独自のアイデアによる事業展開、コネクションを生かしての県外へのバザール出店で成果を上げるなど、むしろ私たちにとって刺激の多い懇談でした。また、この夏には人と情報を結ぶコミュニケーション紙「チャンネル・ワニオー!」も創刊したとのことで、その活動ぶりは生き生きとしています。
 さて懇談後は、会場をスナック「ルピナス」に移して二次会も行いましたが、一緒になった「しりべつリバーネット」の方々も交えてそれはもう大変な騒ぎとなりました。大鰐さんには、全青連の相馬前副会長もおり、当地にも数人の顔見知りがおられたのです。私は仕事の都合で当日限りで失礼しましたが、聞くところによると翌日は藤本副部長が札幌までお送りしたとか。札幌では、道青連の江本前会長と楽しく過ごした由。。。
「チャンネル・ワニオー!」
写真がないので、
「チャンネル・ワニオー!」の裏表紙


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