プロローグ |
今年も8月の最終週に少し遅い夏休みが取れたので、泊まりがけの大掛かりな旅行記を発動する事
にしました。
今回の「旅」のテーマは、2004年3月に開業予定の九州新幹線(新八代〜鹿児島中央間)の開業前
メモリアル・ツアーです。
と、言うのも、先の東北新幹線・盛岡〜八戸間が開業した際、平行する在来線である東北本線の同
区間が第三セクター化されたのに伴い、そこを経由して運行されていた寝台特急『はくつる』が廃止
されたように、九州新幹線開業でも同様の事態が発生すると考えられた為、この機会に鹿児島本線で
三セク化される区間を走っている優等列車に乗っておく事にした次第です。
で、今回対象としたのは、新大阪←→西鹿児島間を走る寝台特急『なは』と、博多←→西鹿児島間
を走る特急『つばめ』の2本です。
特に特急『つばめ』に関しては、九州新幹線が同名を名乗っている事からして廃止されるのは確実
と思われました。
旅行記のプランとして、『なは』で西鹿児島まで行って、そのまま『つばめ』で折り返して帰った
のでは余りにもつまらないので、例によって「抱き合わせ」列車を幾つか加える事にしました。
色々検討した結果、九州最南端のローカル路線である指宿枕崎線、博多←→直方間を走る特急『か
いおう』、JRと相互乗り入れを行っている福岡市営地下鉄などを乗り潰す事に決めました。
結果、『なは』の車中で一泊、直方のビジネス・ホテルで一泊で、全体で2泊3日の旅程と相成り
ました。
第1部:「夜行列車愛好家への道」その12/寝台特急『なは』 |
寝台特急『なは』は、新大阪←→西鹿児島間で1日1往復が運行されている寝台列車であり、現在、
九州に乗り入れている寝台特急6本のうち4本が短編成/併結化される中で未だに単独で運行されて
いる少数派の列車です。
編成は開放2段式B寝台4両、一人用B寝台ソロ1両、二人用B寝台デュエット1両、座席のレガ
ート・シート車1両の計7両です。
これまでに旅行記においては6本の寝台列車に乗りましたが、旅行記第3弾の寝台特急『日本海1
号』でA寝台個室に乗ったのを除けば全て開放2段式B寝台での乗車だった為、今回はB寝台ソロを
狙う事にしました。やっぱ長距離乗車では気兼ねしなくて済む個室が一番です。
旅行記発動の1週間前にJRの「5489ダイヤル」に掛けたところ、めでたくB寝台ソロの切符
が取れました。ひとまず安心です。
寝台特急『なは』の特急券・B寝台ソロ寝台券です。 これで念願のB寝台ソロに乗る事が出来ます。 |
今回の夏休みでは、8月23日(土)から31日(日)まで、まるまる9日間もの休みが取れたの
で、本「メモリアル・ツアー」の前に夜行急行『能登』をメインにした北陸回りの1泊2日ツアーを
発動し、両ツアー合わせて旅行記史上最長の5日間の「旅」を予定していたのですが、残念ながら仕
事の都合で25、26日に出勤の可能性が出て来た為、その目論見は断念せざるを得ませんでした。
で、旅行当日の27日・水曜日。夕方に自宅を出るつもりにしていた私が9時頃から起きてのんび
りしていると携帯電話が鳴りました。相手は会社にいる後輩です。
「先輩宛にお客さんから電話があったんですが、何か今週中に打ち合わせに来てもらわなきゃならん
て言ってましたけど・・・」
うげ!! そーだった! すっかり忘れていました。くそっ! よりによって旅行の当日にそれを思い
出させられるとは・・・。(^^;
実にいまいましい事ではありますが、本来ならば私から申し入れしなければならない事だったので、
むしろ電話をして来てくれたお客さんに感謝せねばなりません。(^^;
私はすぐに客先に電話をすると、旅行から戻る当日である金曜日の午後にアポを取りました。これ
で予定通り旅行へは行けますが、打ち合わせに持って行く書類を作らねばなりません。
私は急いで身支度を整えると会社へと向かいました。旅行用の装備は置いて行く事にしました。仕
事の分量からして、たぶん午後イチぐらいには会社を出られるはずです。
会社に到着し、「あれ? 夏休みじゃなかったっけ?」の声に迎えられながら席に着いた私は、大
急ぎで仕事に取り掛かり、何とか午後2時ぐらいには終わらせて会社を出ました。
いったん家に戻り、夕方まで自宅でしばしくつろいだ後、大阪駅から高槻行の普通に乗って新大阪
駅へと向かいました。カバンの中には、打ち合わせ用の書類がしっかりと入っています。
新大阪始発の寝台特急『なは』は、もちろん大阪駅も停まるので、同駅から乗っても良かったので
すが、こだわりの列車には、なるべく始発駅から乗って終点まで乗り通すようにしているのです。
新大阪駅から出発して行く高槻行・普通列車です。平 日の通勤時間帯とあって右手の大阪方面行ホームには大 勢の人々が電車を待っています。 【大阪府・新大阪駅】 |
新大阪で高槻行から降りた私は、いったん改札から出て駅舎内にあるコンビニで夕食の弁当と翌日
の朝食用のパンを買ってから『なは』の出る17番ホームへと向かいました。
ちなみに、新大阪には4線で8面の在来線ホームがあり、内側の2線が一般列車用、外側の2線が
特急用となっています。
私が普段、仕事の移動とかで一般列車用のホームで待っている時、特急用のホームで待っている人
たちを見て羨ましく思ったものでしたが、今日は立場が違います。
通勤客や新幹線からの乗り替え客が大勢いる一般列車用ホームを尻目に、閑散とした特急用のホー
ムに立つと、ちょっぴり優越感を覚えると同時に、働いている人々に対して遊びに行く事を後ろめた
く思ったりもしてしまいます。
17番ホームの列車案内板に表示される寝台特急『な は』の案内です。同ホームは特急専用のホームであり、 『なは』の下には特急『サンダーバード44号』の案内 が表示されています。 【大阪府・新大阪駅】 |
一般列車用ホームの人々から疎まれているような居心地の悪さを感じながら待っていると、ほどな
く、京都方よりEF65型電気機関車に牽かれた『なは』が入線して来ました。
京都方より入線して来た寝台特急『なは』です。牽引 している電気機関車はEF65型でした。 【大阪府・新大阪駅】 |
私が乗り込むB寝台ソロの車両です。ご覧のように2 階建ての構造になっています。 【大阪府・新大阪駅】 |
B寝台ソロの後ろに連結されていたのは座席のレガー ト・シート車でした。 【大阪府・新大阪駅】 |
リクライニング・シートが3列に配置されたレガート ・シート車には特急料金のみで乗車する事が出来ます。 何でも夜行バスに対抗すべく登場させたとの事です。一 度は試してみたいものですな。 【大阪府・新大阪駅】 |
外回りの撮影を終えた私はB寝台ソロ車に乗り込みましたが、中には誰もおらずシーンとしていま
した。確か旅行記第3弾の大阪駅で『日本海1号』のA寝台個室の車両に乗り込んだ時もこんな感じ
でしたな。
B寝台ソロ車内の通路です。両側に壁がそびえ立ち、何となく圧 迫感を受けます。これまで慣れ親しんで来た開放2段式B寝台とは 別世界ですな。 【寝台特急『なは』車内】 |
移動に時間が掛かり過ぎる寝台列車は、昨今、乗車率が低迷していると聞いていますが、いくら乗
客が少なくても開放2段式B寝台と同じ料金で個室に乗れるソロは人気があり、ソロから先に埋まっ
ていくはずなのですが・・・。
やはり今日は平日の水曜日ですから、旅に出る人なんざそうそういませんわな。ま、大勢乗って来
るとしたら次の大阪駅からでしょう。
静まり返った車内を歩いて自分の個室の所まで行くと、残念ながら下段の部屋が当たっていました。
開放2段式のB寝台だと下段の方が人気があるのですが、ソロでは眺めの良い上段の方が人気がある
はずです。
下段個室のドアです。まるで会社の事務所に置いている大型の汎 用ロッカーみたいな感じです。 【寝台特急『なは』車内】 |
ちなみに、これは上段個室の入口です。上段は少し見上げるよう な高さにあり、階段を登って中に入ります。 【寝台特急『なは』車内】 |
部屋のドアは引き戸式になっており、ドアを引き開けると、目の前に横向きにベッドがありました。
さて、まずは室内の観察といきましょう。
下段個室の引き戸をを開けたところです。奥行き30センチほど の「土間」があり、その向こうにベッドがあります。 【寝台特急『なは』車内】 |
ドアの鍵はテン・キー式になっており、開閉するその都度、4桁 の任意の数字を設定します。使い方は、テン・キーの上方に説明の プレートが貼られています。 【寝台特急『なは』車内】 |
ベッドの足下側です。枕、シーツ、掛け布団などが置 かれています。 【寝台特急『なは』車内】 |
上の画像より左側には台形のクッションが置かれてい ます。これは固定されておらず、部屋の何処にでも移動 させられます。正しい使い方は知りませんが、私は車窓 からの景色を楽しむ時、これを背中に当てるようにして 上半身を起こしました。 【寝台特急『なは』車内】 |
ベッドの頭側です。こちらには枕だけが置かれていま した。 【寝台特急『なは』車内】 |
頭側の上方の壁の角には調光機能付きの読書灯が付け られています。 【寝台特急『なは』車内】 |
ドアの左横の壁面にはハンガー用のフックとハンガーがありまし た。ハンガーの腕に少し隠れている白い物は入口側の天井灯スイッ チです。 【寝台特急『なは』車内】 |
足下の壁面窓寄りには空調用の装備が縦に並んでいま す。上から換気ファン、冷房吹き出し口、暖房吹き出し 口です。その上の天井には火災報知器のセンサーが見え ます。 【寝台特急『なは』車内】 |
空調装備群の左手にある「出っ張り」は上段寝台へと 続く階段の一部です。その「出っ張り」の左隅には車内 放送用のスピーカが付いています。 【寝台特急『なは』車内】 |
頭側の枕の右には、動かせるクッションがはめ込まれ ていました。 【寝台特急『なは』車内】 |
ドアの内側にある「土間」です。靴一足分の奥行きし かありません。左にはスリッパが置かれています。 【寝台特急『なは』車内】 |
ベッドの下から「土間」に向かって金具を引き出した ところです。これは何かと言いますと・・・。 【寝台特急『なは』車内】 |
この金具の上に先のクッションを置くと床面の凹みが 無くなると言う寸法なんですな。 【寝台特急『なは』車内】 |
読書灯の左側にある装備品です。上が鏡で、その下にある白いパ ネルは左側が部屋の装備品の操作パネル、右側が時計です。 【寝台特急『なは』車内】 |
操作パネルです。並んでいるのは左から非常用通報ス イッチ、暖房調整用ツマミ、天井灯スイッチ(上)、電 源コンセント(下)、読書灯調光ツマミ(上)、読書灯 スイッチ(下)です。 【寝台特急『なは』車内】 |
操作パネルの右側にあるデジタル時計です。アラーム 機能付きです。 【寝台特急『なは』車内】 |
窓の下側には、カップ・ホルダー付きの木製の長いテ ーブルがしつらえてあります。その下には灰皿も完備。 ただし寝タバコは厳禁です。 【寝台特急『なは』車内】 |
天井灯です。これはオン/オフ操作のみの通常の蛍光灯でした。 【寝台特急『なは』車内】 |
ロール・ブラインド付きの大型窓です。ソロはこれを 独り占め出来るのですから何とも贅沢です。 【寝台特急『なは』車内】 |
写真を撮りまくっている内に発車時刻が来て、『なは』は新大阪駅から出発しました。結局、新大
阪からソロに乗ったのは私ひとりだけでした。
車内の案内放送によると、大阪駅での停車時間は短いので、ホームで買い物をする人は注意するよ
うにとの事でした。あと、弁当などの車内販売は熊本から、自動販売機は6号車にあるとの事でした。
大阪駅に停車したので、ブラインドを上げてホームの様子を撮影しようと思ったら、ほんの10セ
ンチばかし開けたところで目の前を往来する人の腰が見えたので慌てて閉めました。
ブラインドを閉めたまま横を少しだけめくって外の様子を窺うと、ホームは通勤客でごった返して
おり、対面のホームには新快速らしき列車が停まっていました。これでは撮影は諦めざるを得ません。
車内の物音から察するに、大阪駅では何人かソロに乗り込んで来たようですが、すぐに静かになっ
てしまったので数人程度だった模様です。
大阪駅を出ると本格的な車内放送が始まりました。その中で車掌さんは、「走行距離940キロ、
約14時間の旅となります」と語り旅情をかき立ててくれました。これまで乗った寝台列車では、こ
んなコメントはありませんでしたな。
大阪駅を出ると検札がありました。その際、「冷房の調整の仕方は分かりますか?」と聞かれたの
で「分かります」と答えました。冷房なんかより部屋のプッシュ・キーの使い方のほうが知りたいの
ですが・・・。ま、何にしろ、これまで乗った寝台列車と同様に車掌さんの応対は丁寧でした。
列車が三ノ宮を出たところで夕食にしました。開放2段式B寝台と違って個室の中にはそこらじゅ
うに物が置けるスペースがあるので、窓の下にあるテーブルにお茶のペット・ボトルや缶コーヒーを
並べました。
ゆっくりと食事を済ませた後、部屋の中を整理してからシーツを敷いて寝る準備をしました。今回
の車内での予定は、夜間の走行となる山陽本線では眠って過ごし、明け方、九州に上陸した後は起き
て車窓を楽しむつもりでした。
神戸を過ぎた辺りで普通列車と同速度でしばらく併走 しました。あちらの乗客と一瞬、見つめ合ってから目を そらす。何とも居心地の悪い思いをする瞬間です。 【寝台特急『なは』の車窓より】 |
列車が明石大橋に近づくと、突然、車掌さんの肉声により明石大橋のプロフィールを紹介する車内
放送が始まりました。旅行記第6弾で乗った寝台特急『あかつき』では、このようなサーヴィスはあ
りませんでした。やはり車掌さんによるんでしょうな。
ライト・アップされた明石海峡大橋です。夜に弱い私 の旧型デジ・カメではほとんど写っていませんが、なか なか素晴らしい眺めでした。 【寝台特急『なは』車内】 |
室内の明かりをすべて消し、車窓から、ライト・アップされた明石大橋を見物した後、ベッドに身
体を横たえてみると、やはり個室は落ち着きます。
個室とは言えB寝台なのでベッドの堅さは開放2段式と似たり寄ったりですが、個人用設備として
は、読書灯と小テーブル、それにハンガー・フックぐらいしかない開放式に対して、こちらは至れり
つくせりで文句のつけようがありませんでした。
それに私が何より嬉しかったのが窓をひとつまるまる占有できる事です。開放式では上段には窓が
ありませんし、下段ですら寝台内からは窓の外を見る事が出来ないばかりか、そもそも窓はブースで
共用なのです。
これだけ設備差があって寝台料金が開放式B寝台と同じと言うのですから、これを乗りドクと言わ
ずして何と言いましょう。
旅行記第3弾の寝台特急『日本海1号』では、料金でB寝台の倍以上するA寝台個室のシングル・
デラックスに乗りましたが、満足度的にはB寝台ソロも決してそれにヒケを取りません。一度、この
ソロに乗ってしまうと、開放式には戻りたくありませんな。
胸から上を起こし、すっかりくつろいでレールの繋ぎ目を越えるカタンカタンと言う音を聞きなが
ら流れ行く夜景を眺めていると、何とも浮き世離れした気分になります。
私は、このまっったりと時間が過ぎる長距離列車の旅がとても贅沢なものに思えるのですが、職場
の同僚達に寝台列車の話しをしても、「時間がもったいないなぁ。14〜15時間もあればアメリカ
にだって行けるってーのに」と言われるのがオチでした。
まぁ、本来の旅と言うのは、目的地の観光がメインであり、列車やバス、車などは、そこまでの移
動手段に過ぎませんから、それに費やす時間は短ければ短いほどいいんでしょうな。
時間効率で飛行機や新幹線より圧倒的に劣る寝台列車に利点があるとすれば、寝ながら移動できる
と言う事ぐらいでしょうか・・・。
窓の外をぼんやりと眺めながら、そんな事に思いを巡らせている内に姫路駅停車の時間が迫って来
ました。
すると今度は姫路城を案内する車内放送が始まりましたが、あいにく私の部屋は進行方向左側(南
側)であり、駅の北側にある姫路城を見る事は出来ません。
ま、姫路は仕事上の射程圏内であり、姫路城は中に入った事こそ無いものの、外からはさんざん眺
めているので今さら見たいとは思いません。
21:42、姫路駅に到着。ホームには一般列車待ちと思 われる人々の姿がチラホラ見受けられました。 【寝台特急『なは』車窓より】 |
姫路駅では、ソロに一人乗ったようです。しばらくすると、私の上の部屋から物音が聞こえて来ま
した。私も上の部屋に乗りたかったなぁ・・・。
22時になると、夜行列車のお約束である車内放送休止の案内が聞こえて来ました。再開は翌朝の
熊本駅到着前からだそうです。
姫路を出て1時間ちょっと走り、列車は岡山駅の7番ホームに到着しました。岡山は旅行記第13
弾で1日に4回も訪れた駅です。
22:52、岡山駅に到着。さすがに、この時間ともなる と、ホームで列車を待っている人もほんの4〜5人程度 でした。 【寝台特急『なは』車窓より】 |
ここでは二人が乗り込みました。窓からホームを眺めていると、小学生と思しきカメラ小僧が『な
は』の写真を撮っていました。
さらに10分ちょっと走って倉敷に停車。ここでも二人がソロに乗って来ました。この周辺、『な
は』は福山、尾道、三原と小まめに停車します。
23:07、倉敷駅に到着。数人の人々がベンチに座って いました。この後、福山行きの普通列車がまだ2本ある ので、それを待っているのでしょうね。 【寝台特急『なは』車窓より】 |
倉敷を出たところで私は眠る体勢に入りました。翌朝の博多到着が5時半頃ですから、4時半ぐら
いには九州に上陸しているはずです。
とりあえず目覚ましのアラームは4時半にセットしました。今は23時半ですから、うまくいけば
5時間程度は眠れるはずです。
しかし、すでに6回も寝台列車に乗っているにも関わらず、未だに私は一度も熟睡出来た事があり
ません。案の定、今回もなかなか寝付く事が出来ずに苦戦していました。
うとうとしていると列車が停まったので、外を見るとそこは徳山駅でした。時間は2:40頃、同駅は
乗降駅ではないので、乗務員交代か何かの為の運転停車だと思います。
そこからは記憶が無くなったので、たぶん眠ってしまったのでしょう。目覚ましのアラームで気が
つくと、列車はどこかの駅に停まっていました。
目覚ましの音で気がつくと列車はどこかの駅に停車し ていました。どこなんだここは? 【寝台特急『なは』車窓より】 |
時間は4:30、この時間に停車予定の駅は無いので、これまた運転停車です。その駅は工事中で、ホ
ームにはバリケードや足場が設置されており、屋根はありませんでした。
視界の範囲内には駅名標が見当たらなかったので、窓に顔をくっつけてさらに左右を見渡しました
が、駅名標の類はまったく見えません。ここはいったいどこなんだろう?
時間的には九州に上陸したかどうかと言う所でしょうが、周りの景色に見覚えはないので、少なく
とも本州側の下関ではありません。するとここは門司だろうか・・・?
あれこれ悩んでいる内に列車は走り出しました。間もなく、左手に直立したスペース・シャトルが
見えて来ました。あれはたぶん北九州にあるテーマ・パーク『スペース・ワールド』です。
それから5分と経たない内に見慣れた駅を通過しました。私のお気に入りの駅、旅行記第2弾(リ
ヴェンジ)で訪れた折尾駅です。となると、やはりさっき停まっていたのは門司駅ですな。
博多駅到着が近づく頃には空が明るくなって来ましたが、あいにく天候は曇りでした。こりゃ雨に
なりそうです。
5:31、博多駅に到着。さすがにホームにひと気はあり ませんでした。 【寝台特急『なは』車窓より】 |
車内における当初の予定では、九州上陸後は起きて沿線風景を堪能するつもりだったのですが、山
陽路を走行中に2時間程度しか眠れなかったツケが回って来て、いつの間にか私は居眠りしてしまい、
熊本到着前に復活した車内放送で叩き起こされる有様でした。
7:09、熊本駅に到着。平日の木曜日の朝、通勤客が増 え始める時間です。 【寝台特急『なは』車窓より】 |
熊本を出ると車内販売が始まりました。それからしばらくして私がトイレに立ってから部屋に戻っ
てみると、通路の先の方で自分の部屋のプッシュ・キーが開けられずに苦戦している乗客が見えまし
た。暗証番号を忘れたんかな?
熊本を出てからも眠気は去らず、意識は行ったり来たりを繰り返していましたが、終点である西鹿
児島のひとつ手前に停車する伊集院と言う駅だけは様子を見ておかねばなりませんでした。
なぜならば、西鹿児島に到着してから次の指宿枕崎線に乗り替えるまでの1時間9分の待ち時間を
利用して鹿児島本線を走る未乗車車種2つに「ちょい乗り」する為に伊集院まで往復するつもりだっ
たのです。
伊集院駅での折り返し時間はわずか8分しかなかったので、その短い時間で改札を出て駅の写真を
撮り、切符を買って列車が出るまでにホームに戻れるかどうかを下見しておきたかったのです。もし
同駅がホームがたくさんある大きな駅だったりしたら、時間的に厳しくなってしまうからです。
缶コーヒーを飲んだりして何とか眠気を退け伊集院駅到着時には起きていましたが、駅舎とホーム
は列車の右手にあった為、私のいる部屋からは駅の様子は何も見えませんでした。くそっ!
そして伊集院を出て17分後、『なは』は終点の西鹿児島駅に到着しました。大阪から約14時間
の旅でした。
寝台列車に乗った時はいつもそうですが、長時間に渡る、のんびりとした旅が終わってしまう時は
寂しいものです。出来れば、このままずっと乗っていたいような気分になってしまいます。名残を惜
しみつつ、私は閑散とした車内を歩いてホームに降りました。
10:23、はるばる940キロを走破して終点の西鹿児島駅 に到着した寝台特急『なは』です。知らない内に機関車 がEF65型からED76型に変わっていました。 【鹿児島県・西鹿児島駅】 |
機関車が変わっていたのには少々驚かされました。後に鉄道雑誌で知ったところによると、本州と
九州では電源方式が異なる関係で、下関と門司で二度機関車を交換しているんだそうです。門司で長
時間停車していたのは機関車の交換があったからなんですな。
西鹿児島駅で降りるのはこれが初めてです。かつては何本ものブルトレの着発駅であった西鹿児島
は、いつかは訪れて見たいと思っていました。
まだブルトレが数多く走っていた頃、時刻表をめくっていて、東京や大阪から南九州へ向かうブル
トレのいくつかが西鹿児島駅を終点としているのを見て、「何で鹿児島駅じゃなくて西鹿児島なんだ
ろう?」と不思議に思ったものでした。
西鹿児島駅は、プラットフォーム3つで5面のホームを持ち、駅としては中規模の大きさでした。
ここを着発とするブルトレは今や『なは』1本だけになってしましましたが、それ以外にも鹿児島本
線の特急『つばめ』が日に15本、日豊本線の特急『きりしま』8本が同駅を着発駅としており、現
在でも鹿児島、日豊両本線の実質的なターミナル駅としての役割を立派に果たしています。
それに加え、現在、来年3月に開業予定の九州新幹線の起終点駅としての機能を果たすべく駅舎の
増築工事が進められていました。
西鹿児島駅構内の留置線には、私が常々乗りたいと願 っていた急行型電車である475系が2編成も無造作に 留置されていました。 【鹿児島県・西鹿児島駅】 |
さて、お次は指宿枕崎線の乗車ですが、その前に待ち時間を利用しての「ちょい乗り」です。その
話は、また次回と言う事で・・・。
第2部につづく・・・。
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