「旅」の目的 |
2005年1発目の「旅」となります。今回は、2005年4月1日を持って廃止が決まった、茨城県を走
る日立電鉄の惜別乗車と、同県内を走る茨城交通に乗りに行きます。
阪急・梅田駅と大阪市営地下鉄・梅田駅を結ぶ通路に ある阪急三番街です。早朝だけに何とひとりも歩いてい ませんな。 【大阪府・梅田】 |
地下鉄・御堂筋線・梅田駅のホームにも人影はありま せんでした。日中からは想像できない光景です。 【大阪府・大阪市営地下鉄・梅田駅】 |
梅田駅に到着する5:20発の千里中央行です。車両は新 20系。さすがに列車が来る時間になると、ポツリポツ リと人影が現れました。 【大阪府・大阪市営地下鉄・梅田駅】 |
新大阪に到着し、新幹線の券売機の所に行くと、今回は販売を開始していましたが、改札はまだ閉
まっていました。
券売機で、初発の『のぞみ100号』の指定席を買おうとすると、何と窓側席は、いっぱいであり、
3人掛けの通路側C席になりました。やはり東京向きは初発でも、そこそこ混んでるんやな・・・。
東向きの一番列車となる『のぞみ100号』の乗車券 /指定席特急券です。 |
改札を入りホームに上がると、『のぞみ100号』は、すでに入線していました。同じプラットフ
ォームの対面ホームには次発の『のぞみ200号』が停まっていましたが、両列車ともドアは、まだ
閉まっています。
新大阪駅に停車中の『のぞみ100号』です。車両は 700系。東向きの一番列車に乗るのは、これが初めて です。 【大阪府・新大阪駅】 |
ホームで待っていると5:40に『のぞみ100号』のドアが開き乗車。乗客の姿は、まばらです、指
定席の乗客の多くは、たぶん途中の駅から乗って来るのでしょう。
自分の席に座ると、新大阪駅では新幹線構内でしか買えない缶コーヒー『J'sブルーマウンテン・
ブレンド』でモーニング・コーヒーにしました。
車内はガラガラでしたが、ほどなく私がいる3人掛けのA、B席にカップルが座りました。2人掛
けが空いてなかったんでしょうな。
列車は定刻の6:00に新大阪から発車。我が車両の乗車率は20%程度です。予想通り名古屋でドッ
と乗車があり乗車率は60%ほどになりました。その後は、何事も無く8:30に『のぞみ100号』は
東京駅に到着。
さて、まずは日立電鉄に乗るため茨城県の常陸太田まで行かねばなりません。道中の水戸までは常
磐線の特急に乗るので上野に移動します。
東京駅に到着する8:45発の京浜東北線・大宮行です。 車両は209系。 【東京都・東京駅】 |
10分ほどの乗車で上野に到着。今回の「旅」では、乗る列車は決めていましたが事前に切符を用
意していなかったので、上野駅の、みどりの窓口に行きました。
上野から水戸までの移動で乗る特急『フレッシュひた ち13号』の指定席特急券です。常磐線の特急は乗車率 が高いのか、座席は通路側のC席でした。 |
上野駅に停車中の特急『フレッシュひたち13号』で す。車両は、デザインが気に入っている651系だった のですが・・・。 【東京都・上野駅】 |
651系には、旅行記第19弾の特急『スーパーひたち7号』で、すでに乗っていたため、今回は
未乗車のE653系を狙って『フレッシュひたち』を選んだんですが・・・。
てっきり、『スーパーひたち』は651系、『フレッシュひたち』はE653系で車両を使いを分
けていると思っていたのに当てが外れました。お気に入りの651系を前に、私はガックリしていま
した。
奇しくも隣のホームには「回送」の表示を掲げたE653系が停まっており、私はそちらを恨めし
く思いながら『フレッシュひたち13号』に乗り込みました。
定刻の9:30、『フレッシュひたち13号』は上野から発車。我が指定席の乗車率は70%ほどです。
特に見るべき出来事もなく、10:48に水戸に到着。
同駅では、さすがに大勢が降りました。水戸は茨城県の主要都市でもありますが、なんと言っても
日本三大庭園の偕楽園を擁する観光地ですからな。
水戸駅の構内の片隅には、車体側面に「訓練車」と大 書きされたボンネット形485系4両編成が留置されて いました。営業運用からは離脱したとは言え、貴重なボ ンネット形車両だけに、末永く存在し続けて欲しいもの です。 【茨城県・水戸駅】 |
水戸駅です。JR常磐線が通るほか、JR水郡線、第 三セクターの鹿島臨海鉄道の起終点駅でもあります。駅 ビル『EXCEL』が併設されています。乗車人数は日に約 2万9000人で、茨城県内では取手駅に次いで第2位なん だそうです。 【茨城県・水戸駅】 |
水戸からは水郡線に乗り換えて常陸太田を目指します。同線は非電化路線であり気動車で運行され
ています。
水戸駅に停車中の水郡線・常陸大子行・普通825D です。車両はJR東日本で当時最新鋭の一般型気動車キ ハ111形3両編成でした。 【茨城県・水戸駅】 |
キハ111形は、JR東日本が国鉄型一般気動車の置き換え用に製造したキハ100系のヴァリエ
ーションのひとつです。
キハ100系には、単行運転が可能な両運転台で車体長16メートル、セミクロス・シート配置の
キハ100形と、オール・ロング・シート配置のキハ101形。同じく両運転台で車体長20メート
ルのキハ110形。
そして片運転台で2両1ユニットで運用されるキハ111形の4つのヴァリエーションがあり、乗
車率の高い路線から閑散線区までをカヴァー出来るように配慮されています。
国鉄時代の旧型気動車の置き換え用として、他のJRが路線の乗車率に応じて大型気動車と軽快気
動車を別々に製造して投入しているのに対し、1車種のヴァリエーションでカヴァーするところは実
にJR東日本らしい発想ですな。ともあれ、このキハ100系には、これが初乗車となります。
車内に入って見ると、なぜか乗客の多くはボックス・シートよりロング・シートの方に座っていま
した。普通は逆なんですが何か意味があるんかな・・・?
ともあれ、普通825Dは乗車率110%ほどで水戸から発車しました。水郡線は水戸と福島県の
郡山を結んでいる路線ですが、途中の上菅谷からは常陸太田に向かう支線が分かれています。
水戸から常陸太田に直接向かう列車は朝夕しかなく、日中は上菅谷←→常陸太田間は区間運行にな
っており、今回も上菅谷で乗り換える事になります。
私はボックス・シートに座っていましたが、向かいの席に熟年カップルが同席していました。ふた
りは指輪をしていませんでしたが、エラく仲睦まじくしています。まぁいろいろとあるんでしょうな。
車掌が通り掛かると、熟年カップルは常陸太田までの切符を求めました。はて? 彼の地に何があ
るんやろ? それとも私と同じく日立電鉄に乗りに行くんかな?
列車は、途中、下菅谷で水戸に向かう普通834Dと交換しました。沿線は田んぼと、まばらに住
宅があるローカルな風景です。水戸から16分で上菅谷に到着。ここで常陸太田行に乗り換えます。
上菅谷駅に停車中の常陸太田行・普通529D(右) と、ここまで乗って来た普通825D(左)です。52 9Dは、キハ111形の2両編成でした。 【茨城県・上菅谷駅】 |
上菅谷では大勢が降りました。同駅には陸橋がなく、構内踏切を渡って常陸太田行が停まっている
ホームへと向かいました。降りた乗客の3分の2ほどが乗り換えたようです。
普通529Dは、乗車率95%ほどで上菅谷から発車しました。途中、河合駅で5人降りましたが、
それ以外は全員が終点の常陸太田まで乗り通しました。
常陸太田駅です。JR水郡線支線の末端駅です。着発 する列車は普通列車のみで、日に15本があります。 【茨城県・常陸太田駅】 |
さて、それでは、今回のメインである日立電鉄に乗りましょう。
第1部:「ちょっとこだわりの路線」その23/日立電鉄 |
日立電鉄の駅は、JR常陸太田駅から道路を渡った東側にありました。同じ場所にあるのに日立電
鉄の駅名は常北太田となっています。
日立電鉄は、常北太田から、常磐線との接続駅である大甕(おおみか)を経て鮎川に至る18.1キロ
の路線を持つ私鉄です。
1928年に常北電気鉄道として開業。1941年に地元日立グループの傘下に入って日立電鉄と社名変更
し、現在に至っています。
かつて日立グループは、日立から水戸の間を自社の工場で埋め尽くす構想を持っていて、自前の鉄
道を夢見ていたんだそうです。
日立電鉄は、その一翼を担う予定でしたが、乗車率は低迷し、施設や車両の老朽化とも相まって結
局、廃止に至る事となってしまいました。
とあるインターネット・サイトで日立電鉄に関する記述を見ると、晩年の輸送実績は、不採算路線
にしては比較的マシな方であり、同電鉄より赤字でも営業を続けている会社も多くあるとか。
地元も存続を望んでいたようですし、素人考えでは、車両を気動車化してコストを抑え、存続させ
る事は出来なかったのかなどと考えてしまいます・・・。
日立電鉄の常北太田駅です。コンクリート製の無骨な 建物で、日立電鉄観光の事務所が入居しています。駅舎 と言うより日立電鉄観光の建屋の一部が駅になっている 感じです。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
駅の切符売場や改札は、建物の右端にあります。出入 口の前では、惜別乗車に訪れたと思しき家族連れが記念 写真を撮っていました。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
乗る予定の列車まで30分ほど時間があったので、駅の周辺を見て回る事にしました。駅の北側に
留置されている電車が見えたので、駅の東側を回ってそちらに向かいました。
常北太田駅の留置線に留置されている日立電鉄の20 00形です。元は営団地下鉄・銀座線を走っていた20 00形で、これに日比谷線を走っていた3000系の機 器を組み合わせて竣工した車両なんだそうです。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
この2000形は両運転台で単行でも運行されていま したが、2002年12月以降は、全列車2両編成で運行さ れているそうです。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
留置車両の中には、車体側面に「ビア電・日立号」と 書かれた車両がありました。日立電鉄でも、乗客誘致に イヴェント列車が運行されていたんですな。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
駅の周囲を反時計回りにぐるっと回ったところで駅に向かいました。
駅舎に入ると、グッズ販売コーナーが設けられており ファンと思しき人々が集まっていました。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
常北太田駅で買った鮎川までの切符です。全線乗り通 しても700円なんですな。 |
改札でオバさん駅員に切符を渡すと、「戻って来られるんですか?」と尋ねられました。ほぼ同額
のフリー切符が発売されており、そちらの方がお得なのを言いたかったようです。
今から思えば、記念になるフリー切符を買っておくべきだと後悔しているのですが、当時の私は、
そこまで入れ込みがなく、単に往復乗車をするだけで満足してしまったのです。
現在の私は、惜別乗車に行く場合は、フリー切符があればそれを買い、1日掛けて出来だけ多くの
駅を訪れるようにしています。
改札を抜けホームに出ると、そこは人でごった返しており、ガードマンが配置されていました。皆
さん、惜別乗車に来たんかな?
常北太田駅に到着する鮎川行の24列車です。ホーム は待ち客でごった返しています。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
1999年度で日立電鉄には24両の2000形が在籍し ていたそうです。この車両は4号車と言う事でしょう。 【茨城県・日立電鉄・常北太田駅】 |
24列車は、定刻の12:19に常北太田から発車。乗車率は120%と大繁盛です。列車はワンマン
運行ですが、この日は駅に着くと全ドアが開閉され、同乗していたガードマンが車掌の代わりにホー
ムで切符を集めていました。
ごった返している車内、いわゆる「廃止景気」ってや つでしょう。普段からこれだけ乗ってくれれば廃止には ならないのですが・・・。 【日立電鉄・24列車車内】 |
車内の壁には、地元の子供たちが描いたと思しき日立 電鉄の電車の絵が掲示されていました。これを描いた子 供たちは廃止を望んでいないと思いますが・・・。 【日立電鉄・24列車車内】 |
車内では、皆さんしきりに記念写真を撮っていました。鉄道ファンと思しき人々は、駅着ごとに写
真を撮りまくっています。
沿線からもカメラを構える人がいました。走行中の列車を撮るのを趣味とする鉄道ファン、いわゆ
る「撮り鉄」と呼ばれる人々ですな。これに対し、私のように乗って楽しむ鉄道ファンは「乗り鉄」
と呼ばれています。
常北太田から6駅目の南高野駅のホームのベンチには、反対向き列車を待っていると思しきおばあ
さんが座っていて満員の我が列車を見てニヤニヤしており、その傍らにいた女子高生は苦笑いしてい
ました。
彼らは地元の人々で、日常的にこの電鉄を利用しているのでしょうが、普段はガラガラの列車が満
員なのを見て皮肉に感じているんでしょうな。
どこかの駅に、標準とは違う塗装が施された車両が留 置されていました。後に調べたところ、この車両は30 00形で、塗装は日立電鉄の旧塗装なんだそうです。 【日立電鉄・24列車の車窓より】 |
久慈浜の駅着前には、切符は駅の改札で渡すようにとの放送がありました。同駅は土休日は駅員不
在なのですが、この乗客の多さですから臨時に置く事にしたのでしょう。
同駅では、ひと目でファンと分かるふたりが降りて行きました。久慈浜には、車庫や側線群、車両
区、電気区、保線区に変電所もあり、日立電鉄の主要駅となっています。
次に停車した大甕はJR常磐線との接続駅であり、日立電鉄で最も乗降の多い駅ではないかと思い
ます。
県外から同電鉄に乗りに来るのならば、常磐線の特急が停まる大甕で乗り換えた方が簡単でしょう
な。同駅では乗客の3分の1ほどが下車。
大甕を後にした列車の車内は盛況なままでした。やはり皆さん惜別乗車に来たんですな。終点、鮎
川のひとつ手前の桜川では、ファンと思しき女性が降りました。
同駅を出た我が24列車は大勢を乗せたまま終点の鮎川に到着しました。常北太田を出てから37
分の乗車でした。
ホーム周辺では、たちまち撮影会が始まり、私もその中に加わりました。すると駅舎の前にいた係
員が、「時間ありますんで精算して下さーい!」と叫ぶのが聞こえました。
係員の言う「時間」とは、次に出る列車までの事でしょう。私は、ここで1時間24分のインター
ヴァルを取っていたので慌てる事はありません。
私は駅舎前にいたガードマンに切符を渡していったん表に出で駅舎を撮影すると、再び構内に戻り
ました。
日立電鉄の一方の末端である鮎川駅。郊外の町中にポ ツンと駅があります。いちおう駅員配置駅ですが、いる のは平日の朝夕のみであり、土休日は無人となります。 すぐ西側をJR常磐線が通りますが、付近に同線の駅は ありません。廃止後、2006年9月に、この駅舎は撤去さ れました。 【茨城県・日立電鉄・鮎川駅】 |
鮎川駅のホームは1面2線で、対面ホームにも列車が 停まっていました。 【茨城県・日立電鉄・鮎川駅】 |
構内踏切の所には「線路内立入禁止」の看板があり、 ガードマンまで立っていましたが、廃止前の無礼講を許 しているらしく、大勢のファンが線路内に入って写真を 撮ってもお咎めはありませんでした。 【茨城県・日立電鉄・鮎川駅】 |
ひと通り構内を写した私は、周辺を散策すべく駅を出ました。まずは北側にある日立電鉄の線路の
末端を見に行きましょう。
駅前の国道245号線に出て左へ150メートルほど行くと左手に常磐線の踏切がありました。同
踏切には日立電鉄の線路も通っていましたが、同線の方は折り返し線部分なので、まず列車が通る事
はないでしょう。
踏切から駅の方を見ると、ホームより手前側の構内に は車両を2編成ほど留置出来るようになっていました。 写真より手前で2本の線路は合流していて列車の入れ換 えも出来るようになっていましたが、本線が単線なので 使う機会は少ないでしょうな。 【茨城県・日立電鉄・鮎川駅】 |
上の写真方向から反対側を見ると、線路の末端部があ りました。草むしており、ここの線路が使われていない 様子が伺えます。 【茨城県・日立電鉄・鮎川駅】 |
踏切を渡り、そのまま道に沿って進んでみましたが、町中には特に見るべきものも無かったので途
中で引き返しました。
鮎川の町中にあるコカコーラの自販機で見つけた缶コーヒー『ジ ョージア/マックス・コーヒー』です。マックスの名前の所以は知 りませんが、砂糖とミルクの代わりに何と練乳が入っている激甘コ ーヒーです。茨城と千葉にあるコカコーラ自販機ではレギュラーの 地位を得ているようですが、他府県では見た事がありませんな。 【茨城県・日立市・鮎川】 |
再び国道245号線に戻って駅の方向に引き返しました。沿道には、さすがに日立の名前が付いた
企業や施設の看板が多く見えます。何と言っても、この周辺は天下の日立グループの本拠地なのです。
駅を通り過ぎてその先で右の脇道にはいると、そこは住宅地の中でした。奥に進むと日立電鉄の踏
切があり、渡った先で常磐線の線路に行き当たりました。
そのまま常磐線の線路に沿って歩くと、右手に大きな工場がありました。後に地図で調べたところ、
日立化成の桜川工場との事。
こっち方面も、やはり目を引くようなものがなかったので、今度は海側に行って見ましょう。再び
常磐線の線路端に出ると、上野方面に向けて415系のステンレス・ボディ車が颯爽と通過して行き
ました。
同じ電車ながら、2両編成がコトコト走る日立電鉄と、巨大なJRとの格の違いを見せつけられた
思いがしました。
再び国道に戻った私は、道路を渡り脇道に入りました。そこには日立製作所のシニア健康センター
『しおさい』なる施設があり、その傍らに海まで出られそうな道がありましたが、どうやら施設の敷
地内のようなので行くのはやめました。
その後、付近を少しウロつきましたが海岸まで出られる道は見つからず、私はあきらめて14:03頃に
駅に戻りました。まぁ、別に海を見に来た分けじゃないスからねぇ。
鮎川駅で買った常北太田までの切符です。今から思え ば、常北太田→鮎川の切符と共に、もう一枚ずつ余分に 買って記念に持ち帰れば良かった・・・。 |
改札で係員に切符を渡すと、「これは、戻って来るの?」と訪ねられました。常北太田のオバさん
駅員と同じ事を聞きますな。
ホームには相変わらず両線に列車が停まっていました。さして列車の本数は多くないはずなのに常
時2本も停めているのは、「廃止景気」で本数を増やしているのでしょうか?
鮎川駅ホームの駅名標です。財政的に手入れするゆと りが無かったのでしょうか、サビが浮いて見えにくくな っています。 【茨城県・日立電鉄・鮎川駅】 |
鮎川に停車中の常北太田行・27列車です。車体前の 貫通扉の所には、「FINAL RUN」の文字が掲げられてい ます。その上には、「アートトレイン・77年間ありが とう・世矢・西小沢・水木幼稚園」と書かれた貼り紙が ありました。車内に貼られていた絵は、これら幼稚園の 園児たちが描いたのでしょう。 【茨城県・日立電鉄・鮎川駅】 |
2000形の車内前方を写したところです。ワンマン 乗降駅では、運転室出入口扉の窓の下半分を開けて運賃 の収受を行うようです。 【日立電鉄・27列車車内】 |
定刻の14:20となり、構内踏切の遮断機が鳴り出しました。現在では多くの鉄道の踏切警報音が電
子音化されているのに対し、鮎川駅の踏切警報音は「カン、カン、カン」と鐘を叩く昔ながらの音で
した。
27列車は乗車率120%で鮎川から発車。列車が大甕駅に着くと大勢の乗客が入れ替わりました。
惜別乗車に来た人々の多くは、やはり常磐線で訪れているのでしょう。
大甕を出た27列車は、途中、久慈浜で対向列車と交換した後、盛況な乗車率のまま終点の常北太
田に到着しました。これで日立電鉄の惜別乗車は完了です。
そしてこの記事を書いている現在、2005年3月の同電鉄廃止から2年以上の月日が経ち、線路や橋
梁、駅などの鉄道施設の撤去は大幅に進んでおり、もはや日立電鉄を復活させるのは、ほとんど不可
能になっています。
世間ではエコ思想が浸透しつつあり、クリーンな鉄道輸送が見直されている中で、地方鉄道は利用
者の低迷から廃止が進んでいると言う現状は鉄道ファンとしては皮肉を感じざるを得ません。
都市間の長距離輸送や大都市圏では威力を発揮する鉄道も、地方では利便性の点で車より圧倒的に
劣っており、過疎化が進む地方で完結する地方鉄道の乗客は減る一方なのが実情です。
私が鉄道旅行に目覚めてからも路線の廃止は続いており、この日立電鉄の廃止以後も廃止される鉄
道は後を絶たず、私は惜別乗車で日本各地を走り回る羽目になるのでした・・・。
何ともアッサリした惜別乗車を終え、次の目標である茨城交通の列車が出る勝田に向かうべく、私
はJRの常陸太田駅に向かいました。
常陸太田駅に停車中の水戸行・普通534Dです。キ ハ111形2両編成でした。 【茨城県・常陸太田駅】 |
くたびれた日立電鉄の車両からJRの新鋭気動車に乗り換えると、その新しさが際立つように感じ
ますな。
15:12、電子音の発車ベルに送られ、水戸行の普通534Dは乗車率30%ほどで常陸太田駅から
発車しました。
534Dは、定刻の15:52に終点の水戸に到着。ここで常磐線に乗り換えますが、私を待っていた
のは予想外の混乱だったのです・・・。
第2部につづく・・・。
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