2006年12月17日掲載
『列車まかせの旅』第21弾(2004年7月2日)


 今年は7月に夏休みが取れました。土曜日から次の日曜日まで、まるまる9日間も休めるので長期
の「旅」に出掛けようと考えたのですが、いまいましい事に途中で仕事が入る可能性があり、やむな
く後半の4日間で北海道ツアーに行く事にしました。

 日程が4日に縮まったとは言え旅行記史上最長の「旅」となります。しかしながら2003年10月の小
旅行記第10弾以来、私は「旅」に出ておらず、半年のブランクで少々「旅のカン」(←何だそりゃ?)
が鈍っていました。

 さらに、ちょうどデジタル・カメラを最新鋭の機種に買い換えたところだったので、北海道ツアー
に出掛ける前にカメラの操作特性を把握するための "実戦訓練" をやる必要もありました。

 左が私が初めて買ったデジタル・カメラである「デジ
タル・マヴィカ」ことソニーMVC-FD7。この記事を書い
ている時点で発売されているヴィデオ・カメラよりも大
きなボディをしています。この相棒とは旅行記第1弾〜
第20弾、小旅行記第1弾〜第9弾、番外編第1弾〜第8
弾を共に「旅」しました。右が2台目となる「サイバー
・ショット」T1シリーズ初号機のソニーDSC-T1です。
撮影画素数はMVC-FD7の71万画素に対してT1は50
0万画素と一気に7倍以上となりました。まさに浦島太
郎状態です。(^^;

 そこで北海道ツアーの前に "アップ" を兼ねて小規模な「旅」に行く事にしました。あれこれ考え
ていたところ、石川県の能登半島を走る第三セクターの、のと鉄道が乗車率の低迷から穴水←→蛸島
間の能登線を廃止するとの情報を聞きつけたので、同区間の記念乗車に行く事にしました。

 当初は日帰りのつもりだったのですが、特急の1番列車に乗ったとしても、のと鉄道を往復すると
大阪まで戻って来られない事が判明しました。

 と、なると必然的に前日移動となり、列車好きの前日移動と来れば得意の夜行列車です。そこで急
行『きたぐに』の利用と相成りました。

 「旅」のプランが出来上がって見ると、夜行列車乗車、長時間のローカル列車乗車、長時間の乗り
換え待ちに新型デジカメの実戦訓練と、ひと通りの "アップ" がこなせる申し分のない内容となりま
した。

 前日移動と言う事で金曜日の夜、仕事がヒケた後で出発する事にしていました。急行『きたぐに』
は大阪発23:27なので仕事が終わってからでも充分間に合うのです。

 ところが当日の金曜日、仕事がトラブってヤバい雰囲気になって来ました。半ば「旅」を諦めかけ
ていたところ何とか開放されたので大急ぎで大阪駅に向かいました。

 23時に大阪駅に到着。すぐに、みどりの窓口に行くと開いていた窓口はひとつだけでした。切符
を買ったあとコンビニに寄り車内で食べる夕食を買いました。乗る前に店に寄って夕食を食べる余裕
などまったく無かったのです。


第1部:「夜行列車愛好家への道」その16/急行『きたぐに』(2回目)

 夜行の急行『きたぐに』に乗るのは旅行記第7弾以来2度目となります。『きたぐに』には、A寝
台、B寝台、グリーン車、一般座席と多彩な席があります。前回はB寝台に乗ったので今回はグリー
ン車にしてみました。

 急行『きたぐに』の急行券・グリーン券です。グリー
ン車は1両しかありませんが禁煙車となっています。
 大阪駅に停車中の急行『きたぐに』です。今回は発車
間際で先頭車を撮る余裕がありませんでした。
【大阪府・大阪駅】
 グリーン車の車内です。上等なリクライニング・シー
トがずらりと並んでいます。自由席車はボックス・シー
トなので列車で唯一の回転シート車となります。画像が
ボケでいるのはカメラに不慣れなためです。
【急行『きたぐに』車内】
 583系のグリーン車の座席です。古いタイプの厚めのシートで
座り心地は良好です。テーブルは肘掛の中に収納されています。
【急行『きたぐに』車内】
 基本的に座席/寝台両用車である583系の中でグリ
ーン車のサロ581は唯一の座席専用車です。3段寝台
で天井の高い両用車と天井の高さを揃えているため、や
たら天井が高くなっています。
【急行『きたぐに』車内】

 ほどなく定刻が来て『きたぐに』は大阪から出発しました。グリーン車の乗車率は10%ほどでガ
ラガラでした。終点の新潟まで乗り通した場合、グリーン料金とB寝台の上段、中段寝台料金は、ほ
ぼ同じなので、やはり寝台利用者の方が多いのでしょうか?

 案内放送によると本日は2両増結しており、途中の入善駅では1、2号車が、米原、糸魚川では1
号車がホームからはみ出て同車からは下車できないとの事でした。

 車掌は3人も乗務しているそうですが、これは出発する時間帯が遅いため短時間で車内検札を済ま
せるためなのでしょうかね?

 次の新大阪では2人がグリーン車に乗って来ました。新大阪から発車した『きたぐに』は手加減気
味のスピードで走っており、何と吹田の手前では普通列車に抜かされました。

 急行である『きたぐに』は列車種別上では快速より上級の列車ですが、夜行列車であるため終点の
到着時刻を現地の交通機関の始発に合わせる必要がある事から道中で急ぐ必要はないんですな。

 吹田を過ぎてしばらくすると検札がありました。23:50、早々に放送休止となり車内灯が減光され
ました。

 車内放送休止後、天井灯が間引き点灯となり、さらに
減光されました。
【急行『きたぐに』車内】

 日付が変わった0:01、放送の無いまま京都に停車。ここでは3人の親子連れが乗って来ました。大
津、彦根の停車を経て0:54に米原に到着。同駅では11分停車します。

 米原駅のホームには運転を終えた223系などが休んでいました。車内ではダベり続けているオバ
さんたちがいました。大半の乗客は眠っていると言うのに非常識な・・・。

 長浜駅を出たところで電源が直流から交流に変わるデッド・セクションを通過しました。旧式な5
83系はセクション通過中は車内が「停電」となります。

 デッド・セクション通過中は車内灯が消え非常灯が点
灯しました。ま、みんな寝てるので、気にしているのは
私ぐらいなもんですが・・・。
【急行『きたぐに』車内】

 デッド・セクションを通過した列車は、ようやくトバし始めました。その後は何事も起こらず、い
つの間にか私は寝込んでいました。

 金沢着は3:19でしたが、車掌に起こされるまで私は熟睡していました、あぶねぇ〜。それにしても
車掌は、ちゃんと乗客の下車駅を把握してくれてるんですな、頼もしい限りです。

 朝3時台の金沢駅のホームです。左の列車が停車中の
『きたぐに』で、ここで33分間の時間調整停車をしま
す。右に停まっているのは運転を終えて休んでいる国鉄
色の485系です。
【石川県・金沢駅】
 『きたぐに』が停まっている5番ホームの列車案内板
を見ると、私が次に乗る5:24発の普通・七尾行の案内が
出ていました。
【石川県・金沢駅】

 7月とは言え早朝の金沢は涼しい気温でした。次の列車まで2時間以上待ち時間があるため、いっ
たん外に出ようとホームの階段を降りると、下の階にあった待合室ではベンチに横になって始発列車
を待っている人々がいました。

 金沢駅中2階(?)にある待合室では、ベンチに横た
わっている人々がいました。この待合室には軽食コーナ
ーもありますが、この時間は閉まっていました。
【石川県・金沢駅】

 改札を出ると、駅構内のコンビニは営業しており、ポツリポツリと人影も見受けられました。金曜
の夜は夜更かしする人が多いですからな。

 2時間の待ち時間は、待つには長いのですが、金沢市内の観光スポットを巡るには短か過ぎます。
そこで日本三大庭園の兼六園を見に行く事にしました。見に行くと言っても中に入るのではなく周囲
から眺めるだけですが・・・。

 朝4時台の金沢市内です。夜明け前ながらポツリポツ
リと人影が見られました。それにしても、この新しいデ
ジカメは手ブレに弱いようです。(もっとも、先代のカ
メラは、夜は、まったく写りませんでしたが・・・)
【石川県・金沢市内】

 駅前から南東方面へ伸びる広い道路を歩いて行き、国道157号線と159号線との交差点で右に
曲がりました。

 その先の下堤町にあったコカコーラの自販機に我がコーヒー銘柄の『ジョージア/テイスティ』が
あったのでモーニング・コーヒーにしました。

 そのまま歩いて行くと左手の路地を通して木の茂った丘が見えました。おそらく金沢城公園です。
兼六園は同公園の南東に隣接しているので、ぼちぼち左に曲がりましょう。

 公園沿いの道まで出て南へと曲がり公園に沿って進みました。すぐに駐車場があり、そこで案内看
板を見つけました。

 金沢城公園・兼六園の案内看板です。中央のお堀通を
挟んで西側が金沢城公園、東側が兼六園です。
【石川県・金沢市内】

 そのまま公園に沿って歩き続け両園の間を通る、お堀通に入りました。通りの左には金沢城跡の高
い城壁、右手には兼六園の樹林がありました。

 兼六園の中に入るつもりはありませんでしたが、いちおう出入口ぐらいは見てみようかと思い、出
入口へと通じる紺屋坂を登って見ました。

 すると、出入口の脇に走り屋らしきド派手なファイヤー塗装のスカイラインが停めてあり、こんな
早朝にも関わらずオーナーらしき人物が車を洗っていました。全国的な観光名所と言うのに何とも場
違いな・・・。

 日本三大庭園・兼六園の桂坂口です。もちろんまだ開
園時間前です。
【石川県・金沢市内】
 兼六園と金沢城公園を結ぶ石川橋の上から見た金沢城
公園の石川門です。金沢城公園には城壁上に櫓が幾つか
ありました。
【石川県・金沢市内】

 金沢城は、天正11年(1583年)に、織田信長配下の武将として名を馳せた前田利家が入城してか
ら本格的な築城が行われた城なんだそうです。

 完成後に幾度かの火災に遭い、結局、城のシンボルである天守閣は最初に焼失して以降、再建され
る事はなかったそうです。

 さて、ぼちぼち駅に戻りましょう。私は金沢城公園の東側外周にある遊歩道を北へと向かいました。

 金沢城公園の東側には、このような外周遊歩道があり
ます。散歩するには、いい所ですな。
【石川県・金沢市内】
 ほぼ完成した金沢駅のドームです。恐ろしく大きなガ
ラス張り(?)の建築物です。将来の新幹線乗り入れに
ふさわしい駅舎を目指したとか。
【石川県・金沢駅】

 駅に戻り七尾行の普通列車が出る5番ホームに上がると、何とそこには特急型の列車が停まってい
ました。何だこりゃ?

 金沢駅に停車中の七尾行・普通821Mです。車両は
何と特急型の683系でした。
【石川県・金沢駅】
 行先表示には普通・七尾行とありました。この表示が
無ければ乗るのをためらってしまうところです。
【石川県・金沢駅】
 車体側面には、この車両が特急『サンダーバード』用
である事を表すロゴがありました。
【石川県・金沢駅】

 このように特急型を普通列車として運行するのを「間合い運用」と言います。この普通821Mの
場合、7:59和倉温泉始発の特急『サンダーバード14号』用の編成を夜間留置場所の金沢から和倉温
泉まで送り込むのに回送とせずに客扱いした列車なのです。

 このような間合い運用列車は全国的に存在しており、私も、そのような列車がある事は知っていま
したが、今回乗る七尾行がそのひとつとは知りませんでした。

 間合い運用列車は利用者からすると乗りドクな列車なのですが、そのほとんどは、最終や始発列車
の車庫との回送を兼ねているわけであり、残念ながら早朝か深夜にしかお目には掛かれないようです。

 ま、それはともかく、定刻の5:24、七尾行は座席の向きとは反対方向に金沢から発車しました。た
ぶん、和倉温泉から出る際の向きに座席はセットされているのでしょう。乗りドク列車なんだから七
尾までの利用者は座席の向き変えぐらいは自分でやれと言う事ですかな?

 車内を見渡すと、乗客は私を含めて、たったのふたりでした。北陸本線を走り、津幡から七尾線に
入った普通821Mは、金沢から1時間22分で終点の七尾に到着しました。

 JR七尾線の七尾駅です。同駅は旅行記第17弾でも
訪れたので、これで2回目の来訪となります。
【石川県・七尾駅】

 七尾からは、のと鉄道に乗り換えるのですが、初列車の7:08発と次発の7:33発は共に穴水行であり
蛸島行は8:05までないので、ここで1時間19分待ちとなります。

 七尾駅周辺には、これといって見所もなかったので、とりあえず海でも見に行こうと思い駅前の県
道132号線を10分ほど歩くと七尾マリンパークなる施設がありました。

 七尾マリンパーク敷地内にある七尾フィッシャーマン
ズワーフです。施設内には能登食祭市場などが入ってい
ズます。マリンパークには、この他に遊覧船の船着場、
ズ親水広場、イヴェント広場、パフォーマンス広場、芝
ズ生広場などがあります。
【石川県・七尾市】
 マリンパーク外辺のボードウォークからは七尾湾が見
渡せました。
【石川県・七尾市】

 マリンパークでしばらく時間つぶしをした後、駅へと戻りました。駅への道中、裏道を歩いてみた
ところ、家の軒先に延々と「しめ縄」みたいなものが渡されていました。何か行事でもあるのでしょ
うか?


第2部:「ちょっとこだわりの路線」その17/のと鉄道・能登線

 さて、それでは、のと鉄道の乗車ですが、国鉄/JR路線転換の第三セクター鉄道にちゃんと乗る
のは、これが初めてとなります。

 転換三セク鉄道では、これまでに智頭急行と北近畿タンゴ鉄道に乗った事がありますが、特急でサ
クっと通過したのと、仕事の移動でタンゴ鉄道の普通列車に乗り宮津→天橋立間のわずか4.4キロに乗
っただけで、いずれも正式に乗ったとは言えませんでした。

 で、今回乗る、のと鉄道ですが、1988年に国鉄能登線(穴水←→蛸島間)および七尾線の七尾←→
輪島間を持って転換開業した第三セクター鉄道です。

 その路線の中で、利用者数の低迷から七尾線の穴水←→輪島間が2001年に廃止となり現在に至って
いましたが、能登線の利用者数も低迷が続き、ついに2005年に廃止される事になったのです。

 現在の路線は七尾←→穴水間の七尾線33.1キロと穴水←→蛸島間の能登線61キロの2路線で合計
94.1キロです。路線名は2つですが路線図では1本の路線に見えます。

 この路線長は、三セク鉄道としては、北海道の、ちほく高原鉄道(2006年4月廃止)、京都、兵庫
北部に路線を持つ北近畿タンゴ鉄道に次ぐ路線長を誇るのですが、能登線が廃止になると一気に3分
の1になってしまいます。

 七尾駅の、のと鉄道の券売機で買った七尾→蛸島の切
符です。乗車距離は94.1キロ、運賃は1,950円です。

 8:05の蛸島行は7:55に到着しました。2両編成の列車で大勢の乗客が降りて来ましたが、そのほと
んどは高校生でした。やはりどこの鉄道でも通勤/通学客が大きな収入源となっているのです。

 七尾駅に停車中の蛸島行・普通125Dです。車両は
のと鉄道のNT-100形気動車です。資金が限られている第
三セクター鉄道向けに仕様を共通化し、バス用部品など
を流用して製造コストを抑えた「軽快気動車」と呼ばれ
る簡易型の車両です。ちなみに、この車両は富士重工製
です。
【石川県・七尾駅】
 車体側面に描かれている、のと鉄道のマークです。そ
の下の車両番号は消えかかっていました。
【石川県・七尾駅】

 軽快気動車は、本来、三セク鉄道用に開発された車両ですが、JR各社も閑散線区用に採用してお
り、私も "本家" 三セク社の車両より先に旅行記第16弾と小旅行記第3弾でJR西日本が保有する軽
快気動車キハ120形に乗車済みでした。

 NT100形とキハ120形では、内外装共に若干の違いはありましたが基本的には同じタイプの
車両であり目新しさは、それほどありませんでした。

 今やこの軽快気動車は、JRどころか非電化の民鉄にまで普及しており、私は、この後の「旅」で
全国各地の非電化路線で乗る事になるのですが、どこの会社でも共通仕様の軽快気動車を使用してい
たため、残念ながら車両の面白みには欠けました。

 ま、それはともかく、"本家" 三セクの軽快気動車は、これが初乗車となるので、その点で、少し
の感動と、三セク鉄道初乗りの緊張の両方を覚えつつ2両編成の列車に乗り込みました。

 NT100形の車内の様子です。ボックス・シートが
6つあり、あとはロング・シートでした。
【のと鉄道・普通125D車内】
 ボックス・シートは「今ふう」の新しいタイプですが
背もたれ垂直でした。
【のと鉄道・普通125D車内】

 定刻の8:05、列車は七尾から発車しました。1両目は通学の高校生でほぼ満席、2両目は15%ほ
どの乗車率でした。案内放送によると2両目は途中の穴水止めとの事です。

 最初の停車駅となる和倉温泉では5〜6人の乗客が入れ替わりました。ちなみに、七尾←→和倉温
泉間の路線はJR西日本の所有であり、のと鉄道は、それを間借りして運行しています。

 JR西日本の列車は特急『サンダーバード』が和倉温泉まで乗り入れていますが普通列車は、すべ
て七尾止めになっており、七尾から先の普通輸送は、のと鉄道が担っています。

 次の田鶴浜で2両目から学生が降りました。同駅の北には海に面した野鳥公園があります。田鶴浜
だけに鶴でも見られるのでしょうかね?

 田鶴浜を出ると右手に七尾西湾が見えましたが、それも次の笠師保までで、同駅を出ると線路の両
側は森になりました。

 車内には鉄道ファンや観光客らしき姿も見受けられましたが、それらの人々は右の海側の席を確保
しようとしていました。

 次の能登中島では、珠洲から来た七尾行の126Dと交換しました。能登中島を出たあたりで睡眠
不足だった私は迂闊にもうとうとし始めてしまい、気がついたら穴水に着くところでした。

 穴水では、意外にも降りた客より乗った客のほうが多く乗車率は70%ほどになりました。すぐに
2両目の切り離し作業が始まり、1両目のエンジンは止められ車内灯も消された状態で2両目が切り
離されました。

 穴水から先は、廃止となる能登線に入ります。穴水から先は列車の本数が大幅に減り、穴水←→蛸
島間を走るのは日に下り6本、上り5本のみ、これに七尾/穴水←→珠洲間、珠洲←→蛸島間の区間
運行列車が加わりますが、全部足しても本数は決して多いとは言えません。

 次の中居でふたり下車。続く比良、鹿波、甲、沖波、前波、古君、鵜川、七見、矢波、波並、藤波
では乗降なし。何やら「波」が付く駅が多いですな。

 次の宇出津は能登線で最大の乗降数がある駅であり有人駅となっています。同駅では10人ほどの
乗り降りがありました。

 羽根、小浦の停車を経て縄文真脇と言う、ちょっと気になる名称の駅に停車。同駅の近くには、や
はり真脇遺跡や真脇遺跡跡公園、遺跡博物館などがありました。

 次に九十九湾小木に到着。同駅の駅舎は洒落たデザインをしていました。ここでは4〜5人が降り
た代わりに7〜8人が乗って来ましたが、その中には何と女子高生ふたりに旅装の若い女の子たちが
いました。

 ローカル線の末端へ向かう列車で若い女性を見る事はめったにないので少々驚きました。いったい
何が目当てなのだろう?

 地図を見てみると九十九湾自体が名勝となっており、周辺には、のと海洋ふれあいセンターや九十
九湾園地野営場、それに九十九湾グランドホテルを含めホテルが3つもありました。

 白丸、九里川尻、松浪の停車を経て恋路駅に停車。何ともロマンチックな名前の同駅は恋路海岸の
最寄り駅です。

 次の鵜島で5〜6人乗り降り。南黒丸の停車を経て到着した鵜飼では5〜6人が降りましたが、そ
の中には九十九湾小木で乗って来た例の旅装の女の子たちがいました。

 鵜飼には見附島なる名勝があり、見附海岸海水浴場や見附シーサイド・キャンプ場、国民宿舎能登
荘などがあります。泳ぐには、まだ時期が少し早いと思うので彼女たちは見附島でも見に行くのでし
ょうか?

 上戸の停車を挟んで飯田に到着。同駅は珠洲市役所の最寄り駅で、ここでは5人降りてひとりが乗
りました。

 さらに2分走って珠洲に到着。能登線沿線で最大の町にある同駅では半分の乗客が降り、3人の女
子高生が乗って来ました。

 珠洲には、かつて仕事で車に乗って駅前を訪れた事がありました。駅周辺の風景などは、すでに忘
却の彼方でしたが、駅名を聞いて懐かしさを覚えていました。

 同駅で七尾行の134Dと交換して発車。次の正院では乗降は無く、七尾から2時間26分で終点
の蛸島に到着しました。

 同駅で列車を降りた乗客は15人、三セク鉄道の末端線区としては決して少ない人数だとは思えな
いのですが・・・。

 蛸島駅のホームから見た、のと鉄道・能登線の線路末
端です。その向こう側は畑でした。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】
 蛸島駅に到着した125Dです。ホームでは鉄道ファ
ンが写真を撮っていました。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】
 蛸島駅駅舎のホーム側出入口です。駅舎は無骨なコン
クリート製でした。雪の重みに耐えるための機能優先の
設計なのでしょう。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】
 蛸島駅の正面側です。もちろん無人駅ですが、意外な
事にトイレは水洗式でした。駅前には車が10台くらい
止められそうな広いスペースがあります。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】
 駅前には片側1車線の道路、その対面には食堂を併設
した民宿が1件ある他は民家があるだけでした。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】

 駅前にはタクシーは停まっていませんでした。駅前「広場」の隅には、禄剛埼灯台16キロ、須須
神社11キロ、りふれっしゅ村鉢ヶ崎1.5キロの案内看板がありました。

 さて・・と、次の列車まで1時間50分ほど待ち時間があります。歩いて行ける範囲に見所はなさ
そうですが、とりあえず蛸島漁港でも見に行きますか。

 駅前のコカコーラ自販機で『ジョージア/テイスティ』を買い、チビチビ飲りながら田舎町然とし
た町中を歩くと、すぐに港に出ました。

 蛸島漁港です。何と防波堤の途中に小さな島がありま
した。「辨天島」と言う名前の島です。
【石川県・珠洲市】
 漁港沿いの道を歩いていると、電線にとまっている鳥
がちらりと見えましたが、カラスにしては異様にデカく
見えたので目を凝らしてよく見ると何とそれはトンビで
した。こんなの見たのは初めてです。
【石川県・珠洲市】

 港には、ほとんど人影はありませんでした。あまりうろうろして怒られても困るので、港沿いの道
路際にあったベンチに座って昼食のコンビニおにぎりを頬張りながら時間潰しをしました。

 が、漁港には、これと言っても見るものもなかったので早々に駅に戻る事にしました。11:20頃に駅
に戻ると人影はありませんでした。鉄道ファンの皆さんはどこに行ったのだろう?

 蛸島駅の使われていない出札窓口の中には何かの模型
みたいな物が置かれていました。駅舎の大きさからして
国鉄時代には駅員がいたのでしょうね。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】
 蛸島駅の駅名標です。昔ながらの木枠で建てられた駅
名標でした。これは国鉄時代から使われている物なので
しょうか?
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】
 ホームには待合室があります。ホームは3両分ぐらい
の長さがありましたが待合室から手前はアスファルトの
割れ目から雑草が生えていました。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】

 駅の観察を終えて待合室で待っていると鳥のさえずりが聞こえました。そうこうする内にファンが
ひとり戻って来ました。彼もどこかで時間潰しをしていたんでしょう。

 12時になると、どこからともかく『イエスタデイ・ワンス・モア』のメロディが聞こえて来まし
た。防災放送のスピーカーで流しているのでしょうか?

 さらに、オバちゃんの "詩吟" が聞こえて来ました、これがまた上手い! また、方言バリバリで
ダベるオバちゃんたちの声も聞こえました。何とものどかですな。

 それらを聞きながら待っていると、12:14に列車が到着しました。降りて来た乗客は、わずかふた
りでした。

 蛸島駅に停車中の穴水行220Dです。往路で乗った
のと同じ124号車でした。
【石川県・のと鉄道・蛸島駅】
 蛸島は無人駅なので乗車する際に整理券を取ります。
のと鉄道には、七尾と和倉温泉を勘定に入れても37し
か駅がないのですが、なぜか券面の番号は40になって
いました。

 12:21、穴水行220Dは乗客6人で蛸島から発車しました。往路は観察に費やしたので、復路は
景色を楽しみながら行きましょうか。

 とか考えていると、珠洲で大量の高校生が乗って来て乗車率は何と150%になり、私もボックス
席で3人の女子高生に囲まれるハメになりました。

 いい歳のおっさん(私)みたいなのがひとりで列車に乗っていれば、どこから見てもオタクに見え
ると思うのですが、彼女たちは別に気味悪がる事もなくおしゃべりしていました。

 嫌がられないのは結構な事なんですが、おかげでこっちはキョロキョロ出来なくなり、ひたすら窓
の外を眺めているしかありませんでした。これはかなり苦痛です。

 このまま穴水まで行ってしまうのかと気を揉んでいると、珠洲から30分ほどで着いた小浦で彼女
たちは下車しました。やれやれ・・・。

 さらに宇出津で高校生はあらかた降りて車内は再びローカル線らしさを取り戻しました。入れ替わ
りに、おじいちゃんやおばあちゃんたちが乗って来ましたが乗車率は30%ほどでした。

 鵜川で高校生が全員降り、残った乗客は8人だけでした。私が見たところ、その8人の中で私を含
めた4人は鉄道ファンなので、地元のお客さんはたった4人となります。これでは採算が合いません
わな・・・。

 鵜川から4駅目の甲(かぶと)駅では、構内で保管されている郵便車が見えました。

 甲駅の側線で保存されている全国で何両も残っていな
いオユ10形郵便車です。能登線廃止後は、どうなって
しまうのか心配でしたが、能登中島駅に移されて今も健
在です。
【のと鉄道・穴水行220Dの車窓より】

 ちなみに郵便車とは、かつて全国的に鉄道で郵便輸送を行っていた頃の郵便輸送専用の車両で電車、
気動車、客車の各タイプがあり郵政省が所有していました。私も子供の頃に駅の構内に停まっている
郵便車を見た記憶があります。

 しかしながら、郵便輸送にもトラック化の波は容赦なく押し寄せ、1986年11月のダイヤ改正を期
に鉄道での郵便輸送は廃止となりました。

 そして残った郵便車は電車と客車がそれぞれ数両のみで気動車はすべて廃車になり、残った郵便車
も本来の目的に使われる事はなく、電車は牽引車として、客車は救援機材を積み込んで事故救援車代
用として生き長らえているだけでした。

 甲駅を後にした我が列車は比良で下りの225Dと交換し、その後は乗降も無く13:58に終点の穴
水に到着しました。同駅では4分の連絡で七尾行きに乗り換えます。

 のと鉄道・穴水駅に停車中の七尾行138Dです。NT
-100形2両編成の列車でした。
【石川県・のと鉄道・穴水駅】

 七尾行の列車では、ドアを手で引き開けて乗り込みました。定刻の14:02、138Dは乗客10人
で穴水から出発しました。この列車には車掌が乗っていました。

 34分で和倉温泉に到着。蛸島から穴水まで1時間半掛かったのに比べれば、とても短く感じられ
ました。

 138Dは次の七尾まで行きますが、私は特急『サンダーバード36号』に乗り換えるために和倉
温泉で下車します。

 降りる際に運転士に蛸島からの運賃1,860円を渡そうとすると、慌ててやって来た車掌が「すみま
せん」と言いながら横から受け取りました。ま、車掌が乗っている時の運賃収受は車掌の役目ですか
らな。

 これで、のと鉄道の記念乗車は終了です。何ともあっさりした記念乗車ですが、これは当時の私が
JR以外の私鉄/公営鉄道の乗車には、それほどこだわりを持っていなかったからです。

 現在では、廃止予定路線に乗る場合は十分に時間をとって、いくつかの代表駅に降りたりしている
のですが、今から思えば、のと鉄道でもそれをやっておけばよかったと後悔しています・・・。

 そして2005年3月31日を持って能登線は廃止となり、94.1キロあった路線は33.1キロに減り、3
5あった駅も、たった6駅になってしまいました。

 能登線の廃止に併せて老朽化した車両の更新と車両数の削減も行われ、26両あった開業時からの
NT-100形は2両を残して廃車となり、車両数を減らす代わりに新鋭の軽快気動車NT-200形7両が新造
されました。

 このような経営の合理化を行っても、のと鉄道の状況は非常に厳しいと思われますが、ぜひ末永く
走り続けて欲しいものです。

 JRの和倉温泉駅です。JR七尾線と、のと鉄道の分
界点の駅でもあります。ここにはJRの特急『サンダー
バード』の一部と、特急『しらさぎ』、『はくたか』も
各1本ずつ乗り入れています。これらの特急は、本来、
富山、金沢着発で各方面と結んでいる列車ですが、和倉
温泉に向かう編成が併結されており、金沢で分割/併合
して和倉温泉との間を結んでいます。
【石川県・和倉温泉駅】

 ちなみに和倉温泉は開湯から1200年以上の歴史を誇る温泉であり、北陸で唯一の海の温泉なんだそ
うです。

 当初は沖合60メートルに温泉の湧出口があったそうで、1641年に加賀藩三代藩主前田利常の命で
温泉口の周囲を埋め立てて湯島にし、湯壺とそれを隠す茅葺き屋根のあばら屋が造られたところから
湯治客が多く訪れるようになったそうです。

 幕末には和倉温泉の評判がさらに高まって京都の公家や大阪の豪商らもはるばる訪れるようになっ
たんだそうです。

 明治13年に埋め立て工事により湯島は陸続きとなり、現在では熱海や有馬温泉みたく大型の宿泊
施設が建ち並ぶ一大温泉街へと発展したのです。

 和倉温泉→大阪の特急『サンダーバード36号』の指
定席特急券です。この列車で大阪まで帰ります。
 和倉温泉駅に停車中の特急『サンダーバード36号』
の和倉温泉編成です。681系特急型電車3両編成の短
い列車です。
【石川県・和倉温泉駅】

 和倉温泉に停車していた『サンダーバード36号』の号車番号は7号車から9号車でした。これは
同列車が金沢で富山から来る6両の富山編成と併結されるためです。

 定刻の14:51、『サンダーバード36号』和倉温泉編成は和倉温泉から発車しました。指定席の9
号車の乗客は、わずか4人でした。まぁ土曜日の午後に観光地から帰る客もおりませんわな。

 発車して間もなく、運転士より「定刻に発車。安全運転に努めます」との放送がありました。この
記事を書いている時点で私は1400本以上の列車に乗って来ましたが、このような放送を聞いたのは、
この列車だけです。

 次の七尾に着くと5人乗って来ました。その次の徳田で交換停車。上越線の越後湯沢からやって来
た特急『はくたか8号』と交換しました。関東方面から能登を訪れる人々は、いったいどのぐらいい
るのだろう?

 UFOで知られる(?)羽咋の停車を経て宇野気で再び交換停車。同駅では特急『サンダーバード
21号』と交換しました。

 そして和倉温泉から1時間9分で金沢に到着。同駅では富山から来た6両の富山編成との併結が行
われ『サンダーバード36号』は9両のフル編成となりました。

 金沢を出てから富山編成の6号車と和倉温泉編成の7号車間の貫通路接続が行われるとの事でした。
金沢から2時間49分で京都に到着。同駅で大勢降りて車内は静かになりました。

 さらに26分で終点の大阪に帰着。これで今回の「旅」は終了です。さてと、これで "アップ" も
できたし、お次はいよいよ旅行記史上最長行程の北海道ツアーです!

 『列車まかせの旅』第21弾、おわり・・・。


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